わたしです

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わたしです

 聡美さんが、家族旅行で北関東の温泉地に宿泊したときの話だ。  幼かった息子二人も小学生になり、男風呂に入るようになったので、慌ただしかった入浴時間が嘘のように、ゆったりと温泉を堪能できるようになった聡美さん。その夜も、既に眠りについた息子たちをご主人に任せ、日付が変わる前にもうひとっ風呂浴びようと、ひとり大浴場へと向かった。週末と言えど、まだ紅葉シーズンには早い時期だからか、宿自体もそれほど混雑していなかったし、女湯の脱衣所は時間が遅いせいもあったのか人影がなかった。 (貸し切り状態だったりして)  期待して浴場に入ると、夕食前に入ったときには賑わっていた洗い場には、二人連れの女性客がいるだけだった。若い女性の口から発せられる「お母さん」という言葉と、それに反応する年嵩の女性の様子から見て、二人は母娘(おやこ)であろうと想像が出来た。かけ湯をしながら、 (娘がいたら、いつかはあんな風に一緒に背中を流しあったりできたのかも)  と、彼女たちの様子を、聡美さんは少々羨ましく感じた。  夜風が心地いいだろうと、ライトアップされた露天風呂へと向かった。岩造りの湯場の入り口付近には、ひとつの先客の影があった。痩せぎすの背中と肌のたるみから見て年配の女性と思われたが、こちらに背を向けているので顔はよく分からない。聡美さんは、先客からは距離を取るのがマナーだろうと露天の奥に進み、そこから湯船に浸かった。  すると、内風呂に続くガラス戸がからからと音を立てて開いた。落ち着ける空間を演出しようとしているのか、照明が随分と暗くてはっきりとは見えなかったが、もうひとり、女性客が入ってきたようだった。先客の女性にしてみても、自分同様ひとりで浴場にいるのはどういった旅行客なのだろうと、聡美さんは考える。恋人と来ているのか、家族で女性が自分だけなのか、それともひとり旅なのだろうか。  新たな女性客は、聡美さんの近くまで来てそこから湯船に足を入れた。近くで見ると、こちらは若い女性客だった。女性はお湯の吹き出し口近くに行こうとしたのだろうか、聡美さんの前を横切って露天風呂の奥に位置する吹き出し口のある岩場へと進んだ。  と、伸ばしていた足を引っ込めるタイミングが遅くなり、湯船の中を進んでいた女性のつま先と聡美さんの足の指先が触れた。無理もない。露天風呂の灯りは暗いうえに、ここのお湯は白濁したにごり湯だったから、湯の中の自分の足先はまったく見えなかったのだから。 「あ、すみません」 「いえ、こちらこそ」
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