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当時私は十五。小学校を終えたところで父が戦死、後を追ったわけではないでしょうが母も死んで一人ぼっちになった私は、親戚の勧めで財閥屋敷の大沢家に住み込みで奉公に出ました。
私の外に奉公人は通いの飯炊き婆さんだけでした。彼女は耳が遠くて話一つが大変でしたねえ。
大沢家は明治の初めに国の事業でひと財産築きましてね、それが初代大沢勝次郎。
その後も次々と大きい仕事を請け負って村ごと潤していきました。時に無理難題を押し付けることもあったようですが大沢家に逆らう村人はおりませんでした。逆らったら最後、村で生きていくことはかないませんでしたから。
次第にその手は近隣の村々まで延び、官憲でさえ尻尾を振るほどの権力者となりました。
以来勝次郎の名は代々引き継がれ、私の使えた主は四代目でございました。
ちょっと一服させてくださいね。どうにも口が乾くのですよ。
旦那様は五十半ば、男前で精力に溢れておりました。ただ戦時中でしかも人手のない状態でしたから、仕事はそんなにしていなかったと思います。
奥様は和子様と仰ってまだ三十手前の華族出の方でした。華族は西洋でいうところの貴族ですね。三代目が金で買ってきたんだと聞いた覚えがあります。
それが本当かどうかは別としてもお二人の仲は傍目からは冷めたものに見えました。奥様は寡黙な方で感情を表に出さない方でした。
旦那様は奥様のそんなところが気に入らなかったのか、それとも生来からの癖なのか、ただの暇つぶしか。村の女たちに次々と手を出しておりました。
戦争未亡人や夫が出征中の女、行かず後家や出戻り。嫁入り前の娘には興味がないのか人の嫁ばかり狙っておりました。そのくせ村の人間は誰も咎めず騒ぐこともありませんでした。
相手が勝次郎ということもあったのでしょうが、まあ魚心あれば水心と言いますから。それぞれおいしいところがあったのでしょうね。
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