10.

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10.

 講義が終わるとそそくさと席を立とうとしていた咲良に、雅文は大またで近づいた。先に隣の璃子が気づいて、まるで痛いような視線をよこす。  璃子にうながされるような形で咲良がはっと振り向いた。二度と彼女に逃げられないよう、雅文は前へ回り込んだ。青ざめた顔でうつむく咲良に、雅文は彼女が残して行った料理の本をつき出した。 「とりあえず、先にこれを返すよ」  自分でも信じられないくらい低く冷ややかな声だった。やっと捕まえた彼女を前に、雅文は静かに言葉を続けた。 「少し話があるんだけど」  咲良は無言でうつむいたまま、雅文が出した本を見ていた。隣の璃子がため息をつき、小さな声で咲良をうながす。 「ちゃんと言った方がいいよ。そうじゃないと、後々お互いに傷つくよ」  璃子の言葉の内容を聞いて、雅文は彼女の心変わりと彼氏の存在を確信した。一瞬体が奈落の底に落ちたように気が遠くなる。 「とにかくこんな場所じゃなくて、違う所に移動しよう」  頬をゆがませ、雅文は言った。      *  手近な空き教室を利用し、雅文は咲良と向き合った。彼女は本を受け取ると、一言もしゃべらないままで雅文の後について来た。今はただ、自分達の脇にある机に視線を落としている。  彼女を改めて見下ろす雅文の鋭いまなざしに、咲良は一度も頭を上げて目を合わせようとしなかった。泣き出しそうなその雰囲気に雅文はいらだちを感じ、腕組みをして問いかけた。 「あの時言ってた、『本当にありがとう』って話だけど。つまり、どういうことなんだ? 僕はもう必要ないってこと?」  言葉に出してしまった後、高圧的な今の口ぶりが自分の母親の言い方にそっくりなことに気がついた。一瞬唇を噛んでから、組んでいた両腕を解く。苦い思いが胸をついた。 ──やっぱり僕もあの母親の子供だってことなのか。  咲良は目線をさまよわせ、再びうつむくと口を開いた。 「……が広かったから」  あまりにも小さなその声に、雅文は言葉を捕らえそこねた。 「え?」  低く雅文がたずね返すと、咲良はゆっくりと顔を上げた。黒い双眸がうるんでいる。 「部屋が、広かったから」  今度ははっきり聞き取れた。  だが、意味はわからなかった。
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