6.

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 抱き合っていた咲良と璃子が泣き笑いの表情を見せる。乱雑な口調で二人をうながす友人の温かい心遣いに、雅文は深く頭を下げた。  荷物と共に新居へ向かい、二人でドアの中に入る。咲良が使っていた家具も合わせて置かれた室内は、新しい住まいながらもどこか懐かしい雰囲気だった。咲良は部屋の中を一度ぐるりと見回して、考え込むようなそぶりを見せた。 「やっぱり思ってたよりも広いね。そんなに無理して大丈夫?」  しっかり者の新妻のシビアな意見を耳にして、雅文は頭をかいて答えた。 「まあ、少しだけど貯金もあるし……。一人増えるからこんなものかと」  丸く突き出た彼女の腹部に、柔らかい視線を落とす。咲良が愛おしそうな手つきで自分の下腹を抱えた。  部屋に荷物を運び終えると咲良はキッチンへ向かった。新品の器具の数々を咲良はじろじろと眺め回した。小さく肩をすくめた後で両開きの冷蔵庫を開ける。  空っぽの中を確かめて、咲良が笑いながら言った。 「──やっぱり水しかない」  咲良の横に立った雅文も笑い返してうなずいた。 「うん、そうなんだ。何を用意すればいいかわからなくて」 「じゃあ、またここから始めようか。とりあえず夕飯の買い出しに行かないと」  咲良に明るくうながされ、背を向けようとした雅文を、咲良の腕が引きとめた。肩へと伸びたその手のひらが優しく自分の頬に触れる。  目を見開いた雅文に咲良の顔が近づいた。驚きながらも自分の体が勝手に咲良の方へと傾く。せり出した腹部を間に挟んで、二人はそっと唇を重ねた。 「もうお返しはいいからね」  柔らかい感触が離れた後で、はにかむように咲良が言った。      *  安らぎに満ちた日々が続いて、無事に臨月を迎えた咲良は元気な女の子を出産した。増えた家族の名前と写真を咲良の母親に知らせると、きちんと子供の名前を記した出産祝いが返された。 「いつか、この子をお母さんに見せに行ける日が来るといいね」  咲良が腕の中の我が子を笑顔であやしながら言った。  雅文は穏やかにうなずいた。  あの後、咲良が一度だけ、借りていた金の返済のために青柳に連絡をしたが、青柳はただ「手切れ金です」と笑ってそのまま通話を切った。電話の相手を雅文に代えさせることもしなかった。  風の噂に雅文は、実家の企業がそのグループを解体するらしいことを知った。手広く広げた規模を縮小し、それぞれの経営に合わせた中身で営業譲渡や社の独立を志向することになったらしい。時折青柳の名を耳にしたが、雅文はもうそれ以上自ら知ろうとは思わなかった。  暗い屋敷にこもった影も青柳がいれば問題ない。家に他人の手が入り、濃い血のつながりが少しでもほぐれれば、いつかは日の差す道筋が見えて来るのではないか。  そしてそれは正式に縁を切られた自分には、すでに関わりのないことだった。さほど遠くはない故郷にも、もう足を向けることはないだろう。  愛する家族と共に過ごせる幸せを胸に抱きながら、雅文はなごやかな時を過ごした。
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