47人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
再会しました
「これは学科の時間割。そして、こちらが実地の予約端末。時間と教員を選んで、予約してください。質問は?」
自動車学校の夕方の部の入校式が終わり、私達は女性職員の説明を受け、自由解散となった。
このあと、第一回の学科の授業が十分後に組まれていて、夕方コースはそれで終わり。夕方の入校式に出るのは、私のような社会人が多いこともあり、やや年齢が高めではある。まあ、それでもみんな大学生っぽい感じなので、私より若いのだろうなと思う。三十を越えて免許を取りに来る私のような人間はあまりいないようだ。うん。私もこの年になって免許を取りに来るとは思わなかった。
私こと 栗田結衣の勤めている会社は、半年後、少し田舎に移転する。今まで電車で十五分、徒歩五分という、すばらしい位置にあったのに、電車十五分さらにバスで四十分もかかる場所に移転する。
距離的には家から変わらないのだが、直接的にそこへ向かう交通手段がそのバスしかない。
方向音痴を理由に免許を取る気のなかった私だが、そうも言っていられなくなった。自動車通勤なら、家から二十分。遅くまでの就労を強いられることも最近は増えたから、そのほうが楽なのは間違いない。
実技は、明日以降にしか受けられない。当然、予約制だから、みんな列をなして予約をする。
とは、いえ。入校の資料に学科の時間割はあったものの、指導員について、全く説明はない。
どうすりゃいいのだと思いながら、私はコンソールを覗きこんだ。とりあえず、明日の夕方の予約可能な指導員の一覧を出してみる。
あれ?
ずらずらと並ぶ、名前の中に、見覚えのある名前。
『山口仁志』とある。
それほど珍しいという名前でもない。
まさか……と、思いながら。私は、つい懐かしさに、予約ボタンを押した。
やっぱり、そうだった。
実技の授業は、予約時に出た指定番号の車の前で指導員を待つことになっている。
私は、夕闇にかげり始めた黄昏の中、歩いてくるたくさんの指導員たちの中に、見知った顔を見つけた。
山口仁志、というのは、私の幼少期からの知り合いである。幼稚園から高校まで、いっしょだった。だが、特に親しいわけではないので幼馴染とはいえない。馴染んでないから。
すらりと背が高い。精悍な顔立ち。陽に焼けた肌。相変わらず人目を引く。私の他に駐車場には何人かの女性がいるが、ちらちらと彼に視線を向けている。予約がとれたのは偶然で、ひょっとしたら、大人気の指導員なのかもしれない。
彼は、小学生のころまではパッとしない感じだったが、中学生ぐらいから、グンと男っぽくなっていき、高校時代には、追っかけファンが存在した。ほぼ十年時を経た今でも、人目を引く容姿をしている。
「栗田結衣さんだね、山口です。よろしくお願いします」
「よろしくおねがいします」
教科書通りの挨拶をすると、彼は車の点検についての説明を始めた。懐かしさも特別さも何もない。
型通りの対応。私が同級生だとは気が付いてはいないのかもしれない。
ほんの少しだけホッとしながら、同時にちょっと寂しくも感じた。いくら、親しくはないとはいえ、名前くらいは覚えてもらっていると思っていたから、がっかりした。
自分の影の薄さを、しみじみと感じる。
「それじゃあ、車に乗ってみよう」
うながされ、私はドアを開けて、シートに座る。
とにかく、私は免許を取りに来たのだ。山口に会いに来たわけではないと、意識を切り替えた。
「シートベルトをして、エンジンをかけてみて」
にこやかにうながされ、私は、シートベルトをしようとして……止まる。目をやったさきに、ベルトが見当たらない。
「運転席は、右側だよ」
「あ、すみません」
左側の肩に目をやっていた私に、山口は指摘した。とても恥ずかしい。当たり前のことだが、運転席に座ったことは初めてなのだ。習慣って恐ろしい。
私は顔に熱が集まるのを意識しながら、シートベルトをしめた。そして、シートとハンドルの位置を確認する。
「栗田、結婚するの?」
エンジンキーを受け取り、差し込もうとしたら、突然、山口がそう口にした。
興味津々、といった視線である。
「へ?」
「違うの? 三十すぎて自動車免許取るって、たいてい、そんな理由が多いケド」
先ほどとは明らかに違う、ため口。私は思わず、山口の方を見た。
「同級生って、気が付いていたの?」
「バーカ。住所も年齢もこの書類にのっている。当然わかるだろうが」
ぶっきらぼうな口調で言いながら山口は「エンジンキー、差しこめ。時間なくなる」と促した。
私は手順通りに、エンジンをスタートさせる。ブルブルと車が振動をはじめた。
「結婚じゃないよ。相手もいないし。会社が移転するから取らないと困るの」
「ふーん」
山口はそれ以上、聞かなかった。興味もないのだろう。
私は、気を取り直し、緊張しながらゆっくりとサイドブレーキを戻して、おそるおそるアクセルを踏む。
「もう少し、アクセルを踏んで。怖がり過ぎ。前見ろ」
十年越えの再会ではあったが、旧交を温める余裕は私にはなかった。自動車の運転に必死だった。
「ほら、そこで曲がる。ハンドルをゆっくり。そう。怖がるな」
自動車学校の大きな直線をぐるりと回るだけのコースなのに、ずいぶんと私は疲労した。
「……それじゃあ、今日の授業は、ここまで。とりあえず、怖がり過ぎないように」
山口はそう言って、私の書類に印鑑を押す。
「ありがとうございます」
私は書類を受け取り、頭を下げると、がっしりとした彼の手が頭の上で、軽くはねた。
「がんばったな。また、次、予約しろよ」
山口はそう言って、ニッコリと微笑んだ。
最初のコメントを投稿しよう!