大きな世界と小さな世界

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大きな世界と小さな世界

私はこの小さな世界を守りたいだけなの。 常々そう願っていた陽子は、一冊の絵本を手にとった。本のタイトルは『遠くへ』。短いお話だからすぐに読めそうだ。陽子は絵本を開いた…… ◇◇◇ 遠くへ、遠くへとはるか宇宙を進み、西暦9700年、ついに人類は宇宙の果てにたどり着いた。以前は宇宙は膨張していると信じられていたが、地球から離れれば離れるほど、従来の物理法則が通用しなくなることが判明し、観測データは多分に誤差を含んでいたことが明らかになった。その結果、宇宙は膨張などしていなくて、いわゆる「球」のように固定した存在であることが分かった。 故に宇宙をどこまでも進んで行けば、必ず「宇宙の果て」にたどり着けるという信念の元、多くの冒険者が宇宙の果てを目指してきたのだ。それはまるで15世紀の新大陸を目指す船乗りたちの姿と重なった。 光速航法、ワープ航法と次々と新航法が開発された末に、人類初の「宇宙の果て」到達は、奇しくも偉大な物理学者と同じ名前のニュートンだった。 この知らせを受けた新進気鋭の若手科学者アインは、人類初の「宇宙の果て到達」が自分でなかったことを多いに悔しがった。 しかしニュートンが到達したのは、 地球から最も近い宇宙の果てに過ぎなかった。どういうことかと言えば、簡単に説明すると地球は宇宙の中心でなかったため、球の外周にもっとも近い接触点が生じるのだ。ニュートンがたどり着いたのはそこである。ニュートンはいわば最短距離で宇宙の果てに到達したのだ。 逆方向、つまりニュートンが到達したのとはちょうど反対側にこそ、人類が到達可能な地球から一番遠い場所があるはずだった。ニュートン以降の宇宙科学者は、そこへの一番乗りを目指し、遠くへ遠くへとひたすら進んでいった。 科学者アインは今度こそ、最長距離到達の栄誉を受けようと研究に没頭した。そして友人のシュタインとともに開発したのが、この「物質転移装置」であった。この装置を使えば、あらゆるものをはるか遠くまで転移させることが出来る。転移出来るものの大きさも制限はあるにはあるが、事実上何でも可能と言っても差し支えない。 どこまで転移出来るかについては、宇宙単位レベルで移動出来るはずだが、正確な能力の限界など確かめようがない。 アインはこれを使って、最遠の宇宙の果てへの一番乗りを果たそうとした。シュタインには黙って抜け駆けして、転移装置を使おうとしたところ、すでに誰かが使用中だった。戻ってくることを想定してセットしていれば、帰還が完了するまでは次の操作は出来ない。 使ってる人物の心当たりは一人しかいなかった。同僚のシュタインである。彼が自分を差し置いて、一人で手柄を立てようとしたのだ。アインは苦笑せざるを得なかった。彼を責めようにも、自分も同じことをしようとしたのだから。ただ自分の方が一歩遅かっただけだ。 最遠の地をどう証明するかだが、現代は「スーパー距離計」というものが発明されており、宇宙のどんな場所に行っても瞬時に地球からの距離がはじき出されるようになっている。地球以外の星間距離も同様に調べることが出来る。 後で知った話だが、ギネスブック社に送られてきた写真には、笑顔のシュタインと前人未到の最長距離を表示したスーパー距離計が写っていたという。ほどなくシュタインが人類初の最長距離到達者として認定され、シュタインは時の人となった。 アインは地団駄を踏んで悔しがったが、このままでは腹の虫が収まらなかった。共同開発者のアインにもおまけ程度に取材の申し込みがきたが、不機嫌になったアインはそのすべてを断ってしまっていた。 アインは密かに恐るべき計画を企てた。物質転移装置の能力を最大限に高めるべく研究を重ねた。そしてついにアインはその計画を実行に移した。 宇宙が固定した球である以上、人類がそれ以上地球から遠い場所に行くのは、世間では不可能と思われていた。科学者の誰に聞いても、宇宙の果ての見えない壁の向こうにでも行かない限りは無理だし、壁を越えることは今の科学では無理だと、判を押したように同じ答えが返ってきた。 そんな中、アインは信じられないことに、新たな最長距離到達を成し遂げ、華々しくマスコミに取り上げられることになった。 残念ながら、それはアンフェアな要素が多分にあり、正式なギネスブック記録とはならなかったが……。 それでも世間は、アインの信じがたい機転に感心し、彼を褒め称えたので、アインはすっかり満足したのであった……。 ◇◇◇ 陽子はその『遠くへ』というタイトルの絵本を読み終えると、そっと本を閉じた。肝心のアインの計画がそのまま抜けてるように思ったが、そこは確かに空欄になっており、もしかしたらその部分が段落ごと落丁しているのかも知れない。いい加減な出版社だ。 それにしても、なんて広大な話なんだろう。私のちっぽけな世界とは全然違う! 私はずっとここにいて、私のそばにはパートナーがいる。そして私の周りを元気に飛び回っているあの子らもいて、私はもうそれだけで幸せ。私はそんな小さな世界で満足なの。 でもあの子たちのうち一人は、いつか、私の元から離れて遠くへ行ってしまう。両隣の私と同じ名前の陽子さんらと共に、彼らを見守っているけれど、それだけが心配なの。 この小さな世界は、一見安定しているように見えるけど、実はちょっと不安定。何かのきっかけですぐ壊れてしまいそう。 私はこの小さな世界を守りたいだけなのに……。 絵本の中ではアインのとった方法は陽子には想像がついた。おそらく、転移装置を使って太陽系そのものを宇宙の端に転移させたのだろう。その結果、地球からその反対側の端までの距離が最長になり、最長記録を達成することが出来たということではないか。 でもここにはそんな装置はない。あの子が離れていっても転移装置があればすぐに連れ戻せるかもしれないのに。しかし現実にないものをいつまでも考えていても仕方がない。 そして恐れていたことがついに現実になった。一番遠くを駆け回っていたあの子が、私たちの元を離れて遠くへ行ってしまったのだ。これは運命なのだ。仕方がないと諦めるしかなかった。 私は神様を恨み、自分の運命を呪った。 リチウムという最もイオン化しやすい原子の原子核の中に生まれた運命を。 ヘリウムさんちの陽子さんが羨ましい。とても安定した小さな世界にいるんだもの。私はパートナーの中性子にそんな愚痴をこぼすのであった…… ◇◇◇ 「ええと、これが君の最新作……?」 「ええ、そうよ。今度のコンテスト向けよ。で、どうだった? 面白い?」 「あ、うん、ええと……ぶっちゃけ言っていい?」 「どうぞ! 私、何言われても怒らないから安心して」 「あ、そう。じゃあ言うけどさあ……。これって科学描写めちゃくちゃじゃん。宇宙が膨張してるってのは、幾十もの異なる観点からのデータから確定された事実であって、そう簡単に覆せるものじゃないし。太陽系をそのまま転移って意味が分かんないというか、そもそも宇宙の中心がどこかなんて分かんないから」 「はあ……」 「それに原子核のまわりを回る電子っていつのモデルだよ。電子っつったって、1個の個体とかじゃなくて、もやっとしたものだっていう量子力学的考察はどこへ行った?」 「あのね……何マジになってんの? これ全部妄想だからね。この世界は仕組みも含めて全て私が勝手に創作していいのよ! 分かる?」 「いや、まあ、それはそうなんだけど」 「とにかく大賞とって作家デビューさえ出来れば、作品なんてなんでもいいのよ!」 「いやいや、こんな適当な作品書いてたら、大賞なんて夢のまた夢。受賞は遠のくばかりだと思うけどな……」 「『遠くへ』がテーマだから、身を持って表したのよ」 「これはまたメタ発言を」 「ふふふ」 「でもさあ、最後にまたなんでこんな僕たちの会話をわざわざ入れたのさ? 陽子の回想で終えても良かったんじゃない?」 「だってやっぱり最後にはここへつなげたいじゃない。テーマなんだもん。最後はやっぱり 『talkへ』」 (完)
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