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「おら、今日が期日だぞ~。金はどうした~?」  次の日のご主人様がいない夕方。あの嫌な男は今日も突然やって来た。 「どうして……いつもは昼間に来るのに!」 「あん? いつ来ようと俺の勝手だろ? 悪いのはいつまでも借りた金を返さないお前らなんだから」  ママさんのビリビリ怒った声にも男は気にせず、へらりと歯を見せて笑う。 ここで初めてボクは、この男が世界のどんな生き物より怖いと思った。この男が何を考えているのか分からない。ボクの犬としての本能が、この男を排除せよと告げているのに、ママさんは今日もまたボクに手出しちゃ駄目、来たら駄目と言う。何で? どうしてなの? この男のせいでご主人様もママさんもミクだって苦しんでいるのに…… 「それより今日が期日だぜ? さぁ~て、金はどこだぁ?」  男はママさんのおでこと自分のおでこが、くっつく近さで、ママさんとの距離を詰めるので、ボクは思わずギャン! ギャン!! と男に力いっぱい吠える。近所迷惑なんてしるか。ママさんから離れろ!! 「なんだぁ~? うるせえ犬コロだな」  男はボクに足を近づける。ボクを蹴りたいなら蹴れ! その汚い足が触れる瞬間に噛みついてやるから! 「止めて! タロに手を出さないで!! お金は……お金はもう少し待って下さい……」 「んだとぉ~? もう充分に待ってやっただろうが!!」  男はママさんの段々消え入るような言葉に怒ったのか、ドガッと鈍い音を立てて、近くのゴミ箱を蹴飛ばす。 あぁ、丸めたティッシュなんかと一緒に、昨日ミクが夜ご飯の時、ぽろっと床に零してしまったウインナーもドサッと部屋にぼろぼろと転がって行く。キレイ好きのママさんならゴミをばら撒かれるなんて耐えられないハズ。それなのに今のママさんは片づけようとすらしていない。それどころか―― 「すみません。本当にすみません……」  ママさんは何度も何度も必死に男に、ぺこぺこ頭を下げ続けている。ママさんのその姿は……ハッキリ言って張り付けになったエモノくらい惨めに見えた。 「――まあ良い」  男のその言葉にママさんは、下げていた頭をガバッと持ち上げて男を見る。ママさんのその目は安堵に満ち溢れていた。どうしてこんな男なんかにとボクは思ったけど、ママさんが良ければそれで良いのだと思い直すことにした。 「それじゃあ――」 ママさんの声がさっきまでとは違って明るい。良かった。ボクには分からないやり取りが続いたけど、それも終わったみたいだ。ママさんとボクにホッとした空気が流れる。だけど男は―― 「ミクちゃあん、ミクちゃあ~ん。いるんだろぅ? こっちにおいで~」 突然ミクの部屋がある方を向き、芝居がかった大きな猫なで声でミクを呼ぶ。 「ちょっと! 何でミクを、娘を呼ぶ必要があるんですか!?」  男の言葉に、ママさんは顔色を変えて男に叫ぶ。もうその叫びは悲鳴に近かった。 「あん? 娘もお前ら家族の一人だろ?」  犬のボクの耳には、パタパタパタとミクの足音がハッキリ聞こえている。じき二人にもその足音が伝わることだろう。だけどパタパタパタいう足音の前に、ミクのそぅと扉近くを離れる足音もした。だからミクはついさっきまで扉の向こうにいたことになる。わざわざ扉から一度離れ、いかにも今まで部屋にいたというお芝居をするくらいママさんのことが心配だったんだろう。いじらしい妹。そんなボクの妹を呼びつけて、この男はどうする気だ? 「それは……そうですけど」 「なあに? 呼んだでしょ、ママ?」  ミクは扉を開けるとすぐにママさんの方へと近付く。 犬のボクが言うのもなんだけど、ミクは可愛い。さらさらの長い髪。その髪を後ろで一つに結ぶことでミクの明るい性格を更に引き立てている。そして真っ白い肌。ママさんに似たクリッとした目にプルプルの唇。ふくふくのピンクのほっぺた。まだ小さいから胸こそぺったんこだけど、しゅっとした傷一つない脚をしている。とてもとても大事に愛されている女の子、自慢の妹なんだ。 「へぇ、この子がミクちゃん。なかなか可愛いじゃん」  ママさんが何か言うより早く、男がミクのすぐ傍まで近づいて、ジロジロとミクを見下ろしていく。まるで狩人がエモノのランクを下すような目つきで。 「うん。この子でいいわ」  男は頷くと同時にミクの手を引っ張り、すぐにこの部屋から出て行こうとする。 「待っ、待って下さい!! この子をどこに連れて行くつもりですか!?」  ママさんは慌てて男に縋り着く。今のママさんは犬のボクから見ても、笑っちゃいそうになるくらい必死だ。でもボクも同じ気持ちだ。だからボクもミクを連れて男が出て行けないように扉の前でとおせんぼする。 「どこって? そんなもん手っ取り早い金の回収のために決まってんだろ。この子なら一晩借りりゃ十万にはなるだろ」 「十万って……だったら私が!!」 「あん? お前みたいなオバサン、用はねえよ! せいぜい三万ぽっちくらいにしかならねえクセに偉そうに!!」  男は煩わしそうにママさんにそう言うと同時に、縋り付くママさんを突き飛ばす。 「ママ!! 離して!! 離してよぉ!!」 ミクはママさんが突き飛ばされるその一部始終を見ているから、急いで愛するママさんの所に行こうとする。だけど男ががっしりミクの手を掴んで離さないので、その場から身動きが出来ずにいる。 可哀そうにミクは、痛いのと怖い気持ちからか、その大きな目からボロボロ涙を流している。 ――許せない!!  でもボクが怒りのままに噛みつく前に、ママさんはもう一度男にしがみついて離そうとしない。 「お願い! 娘だけは止めて下さい!! お願いします!!」 「なあに、今日一日ド変態に可愛がられるだけさ。明日になればオンナになって返してやるさ」  アッハッハと男は下品に笑っている中、ママさんの顔色は真っ青になる。 「そんなの止めて!! 娘を返して!!」 「んなの、金返さねえお前らが悪いんだろうが!! いい加減離せ! 鬱陶しいっ!!」  そう男は怒鳴り終えると、ママさんにその黄ばんだ靴下を穿いた汚い足を振り上げ――
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