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そこから先は何て言っていいのか分からないくらいヒドい有り様だった。
男の飛び交う怒号。ミクは恐怖に泣きわめいている。
でもママさんは何度だって男に殴られ、足を振り上げられても、絶対に男に縋り付き離ない。もう顔だって見るも絶えないくらいの痣だらけになっているのに。
もちろんボクだって男に噛みついてやりたかったし、何度も挑戦しようとチャレンジした。でも三人が絶え間なく動き続けているので、そのタイミングが取れない。
犬のクセに生きるための狩りなんてしたことないボク。初めてボクはここの家族としてのほほんと平穏に生きて来たことを後悔した。
こんなことじゃ……どうしよう……誰か、誰か助けて!! そこへ――
「ただいまー」
聞く誰もがホッと安心する、ボクの大好きな声。
ご主人様だ! ご主人様! 早くここを開けて、ママさんとミクを助けて!!
その一心でボクは家族みんながここから出る時に、ガチャガチャやっている扉の出っ張りを、必死に両手の爪でガリガリ引っ掻く。ボクの爪が削れて血が出ても構うものか!
「見ない靴があるけどお客様かい?」
ご主人様の声はどんどんこちらに近づいて来る。早く! 早く来て!!
そんなボクの願いが通じたのか、ボクの目の前のこの忌々しい扉がすぐに開いた。
「タロどうした? そんなに慌て――」
ご主人様は扉を開け放った初めこそ、勢い余って倒れたボクの心配をしてくれた。けれどすぐにこの部屋の異変に気付き、勢い良くぐいっと男の肩を掴む。
「お前ここで何してるんだ! 娘と妻から今すぐ離れろ!!」
「おぉっと、これはお早いご帰宅で。さては金がウマく集まった? それとも親から絶縁でもされたぁ?」
ご主人様の自分の血管が浮くほど男の肩を強く掴んでいるのにも関わらず、男は気にした素振りすら見せず、ご主人様にへらりと笑いかける。
「つっ――!!」
その途端、ご主人様の頬がたちまち引き攣っていく。ご主人様どうしたんだろう? そんな辛そうな顔して。
「あれ? ひょっとしてその顔色だと絶縁の方が正解~?」
あっひゃっひゃっひゃっと男は大笑いをして、ママさんとミクはポカンとした顔でご主人様を見る。ボクも人間だったらきっとママさんとミクと同じ顔をしただろう。
「じゃあ、しょうがねえな! うん。まとまった金がないならしょうがない」
まだポカンとして力の抜けたママさんを、男は自分の体から引き剥がし、笑うのをぴたりと止めて宣言する。
「やっぱこの娘借りるってことで!」
「どういうことだ!?」
ご主人様がついさっきのママさんと全く同じ反応を見せる。
「だからぁ~、この娘にオンナになってもらって、まとまった金を回収ってな」
「止めろ! 金ならある!!」
「なんだとぉ?」
ご主人様のその一言で男の動きは一瞬止まったかと思うと、何かを計るようにご主人様をくまなくチェックしている。
「本当だ。金ならある」
ご主人様は力なくそう言い終わると、自分のズボンのポケットから茶色の封筒を取り出すと、力なく男の近くの床にパサッと放り投げる。
そこからの男の反応は素早かった。男はひょいと片手で封筒を拾い上げ、中身を取り出す。
「三百万ある。今日の所はそれで帰ってくれ」
「親からの手切れ金って奴ね。うわっ、カワイそ」
男はそんな軽口を叩きミクの手を乱暴に離すと、慣れた様子で中に入っている紙切れを数えていく。
「んまあ、三百万確かに。これで今日は帰ってやるよ。良かったな」
男は泣き怯え竦むミクに向かってニッコリ笑う。
「これでもう利息分以上は払っただろ? 後いくら借金が残ったことになる?」
ご主人様は急いでミクを自分の胸の中へとひしっと抱きとめると、自分の娘が落ち着くようにミクの背中を撫でて、男に尋ねる。
「うん? これじゃあ利息分にもならないよ?」
「そんな馬鹿な!! あいつが借金から逃げてから、まだ一か月と経ってないんだぞ!?」
ご主人様の大声に、ミクの体がまたビクリと強張る。
「うちは利息一日三割だからね。ひさ~んってな」
がっはっはっはと男は嬉しくて嬉しくて堪らないとばかりに大笑いを始めだした。
「そんな……」
男の笑いにご主人様は今にも膝から崩れ落ちそうなくらいに力が抜けてしまっている。しっかりしてご主人様! そんなんじゃあの男にまたミクを奪われる!!
「せいぜいそんな所から金を借りた奴を恨むんだな。じゃあな~」
男はそう楽しそうにご主人様の肩を軽くポンと叩いてから、ゆっくり部屋の外へと歩き出していたその背中を――
「ふざけないで!!」
ママさんが叫びながら果物を切ったりする小さなナイフで刺した。
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