チーズ・オン・ライ

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 ヘルマン・ヘッセとチャールズ・ブコウスキーに感謝を込めて  歯医者が苦手だ。  子どもの泣く声を聞くことになるから。  子どもの泣き声を聞くと、特にそれが男の子の場合、悲しくて、絶望的な少年時代を送った自分の映像がフラッシュバックする。  ボクは今、けっこういい年したおじさんだけど、ボクの中にいつまでも子どものままの自分がいて、今も泣き続けている。その子に対してなにもしてあげることができない。  いつかその子が笑う日が来たりするのだろうか。   第一章 狂った生きもの  緑色の金網の柵を越えようとしている。それは友だちがみんなやっていて、もう超えて柵の向こう側へ駆け出してしまっていたから。だからボクもがんばって柵にまたがって向こう側へ行こうとするんだけど、それを見守っていたボクの母親が「危ないからやめなさい」と言う。みんなはもう行っているのに、なんでボクだけ行ってはいけないの?と思う反面、お母さんが行ってはいけないというのだから、やめといた方がいいのかなあと、柵にまたがりながらぼんやりと考えていた。それがボクの最初の記憶だ。 その柵というのはボクが住んでいた埼玉県の越谷にある社宅の近くにある柵で、同じ社宅に住む友だちとよく遊んでいたのであった。友だちは女の子が多かった。別に三島由紀夫の祖母のように女の子の友だちを選んでいたのではなく、そこにはたまたま女の子が男の子よりも多く住んでいたのであった。  それ以前の記憶はない。小さい頃の記憶があまりないのは、欲望がたちどころに満足させられるからだろう。ママーお腹すいたー!ハイハイ、かわいい亮太くんにおっぱいをあげましょうね。ママーおむつが気持ち悪いー!ハイハイ、ウンチをしたのね。取り替えてあげましょうね。ってな具合に生きてれば、記憶なんてものはする必要がない。岸田秀さんが言っているけど「赤ん坊は客観的には無能だが、主観的には全能」なのだから。たしかにチビは脳みそが未発達だって面もあるかもしれないけど、でも理由はそれだけじゃないよね。  まあ、記憶がないなりに話を進めると、ってことは親や親戚から聞いた話をただ右から左へ書き写すだけになるけど、ボクは1985年の3月31日に都内の病院で産まれた。とてもおとなしいメェメェとヒツジのような声で泣く赤ん坊だったらしい。ちなみに出産予定日は3月20日だった。それだけお母さんのお腹の中にいたいのんびりした子どもだったのねえ、と母はよく言う。ちなみに中学3年の時に、生物の時間で「人の精子と卵子は受精したあと266日後に産まれる」ってのを習った。それでボクはある暇な時に自分の出産予定日から逆算していったんだよ。そしたら、何度やっても両親が結婚式をあげたその日なの。コンドームぐらいしろよオヤジ!って思った。初夜だから結婚式のゴタゴタで避妊具まで用意する余裕はなかったのかもね。しかもうちの両親はお見合い結婚で、出会ってすぐ結婚したの。婚前交渉があったかどうかは知らないけど(さすがにそこまでは親に訊けない・・・勘弁してくれ)まあカミさんもピチピチで、ついナマでやってしまったのだろう。わからなくもない・・・。ボクの母ちゃんは、昔の写真を観る限り、息子のボクからみても結構な美人なんだ。  他にも話はあって、ボクが2才の頃、またがって乗る子ども用の車型のおもちゃに乗って毎日足で漕いで遊んでいたらしい。そうしたら坂道を下っていって、止まれないで車ごとひっくり返ってギャン泣き。慌てて応急処置をした。顔を思いっきりぶつけたが、眉間とアゴがケガしてるけど、鼻はかすり傷一つなかった。どんだけ鼻が低いんだこの子は、って事あるごとに冗談のネタにされる。たしかにボクは典型的な日本人顔ですよ。  2才の頃は建設会社で働く父親の仕事の関係で、埼玉ではなくて鹿児島に一時期住んでいたらしい。そこは家の前は海で、後ろは山というとても美しい環境だったそうだ。そこである夜、ボクが寝ていた母親を起こした。「どうしたの?お水?」うん、とボクがうなずいた直後、キーーっとひきつけを起こしたそうだ。脱水ってやつだ。救急車を呼んで、来るまでに父親は舌を噛まないように人差し指と中指をボクの口の中に突っ込んでいたんだそうだ。それで歯型のあとがしばらくなくならなかったのだそうだ。それだけ強いひきつけだったってことだ。救急車に乗せられて病院に行くんだけど、医者に「この子はうちでは診られません」って言われて、また次の病院に行って「この子はうちでは診られません」って5件近く病院を回って全て断られたらしい。それだけひと目見て手の施しようがないほど悪かったってことだ。夜中だったら研修医しかいない病院もあったってこともあるだろう。ようやく6件目にして「うちで診ましょう」と言ってくれる医者が現れた。「ただし、脳に重い障害が残ることを覚悟してください」と言ったそうだ。なるほどね。そういうわけで顔面蒼白のうちの両親はその医者に頼んで診てもらって、なんとか命は助かったし、頭も体もなんとかこの文章が書ける状態でいる。医者に診てもらったはいいが、入院する部屋が会社の社長や政治家などの今でいうセレブが利用する一泊5万の個室しかない。白瀬家は貧乏でそんな金はない。そうしたら父方のおばあちゃんが「亮太のためなら」ってことで5万円を出してくれたのだ。お金だってそんなにないだろうに・・・。ちなみに次の日からは普通の安い病室が空いたので、すぐにそっちの病室に移してもらったんだそうだ。そりゃそうだよね。この話は親や親戚からなんども聞かされた。  もちろんさっきも書いたとおりボクはその記憶がないんだけど、なんというか、自分はヤクザになってはいけない人間なんだなあとぼんやりと思う。別にヤクザを否定するつもりはない。よく言われる表現だけど、必要悪だと思う。暴対法なんて法律は失敗だと思う。暴力団を町から締め出して、どうなったか?北野武監督の『龍三と七人の子分たち』に描かれているようにヤクザ的人間はビジネスマンや政治家になり、格差社会なんてものを作ってしまったわけだ。ヤクザ的人間はいつの時代もどこの国にもいる。それはヤクザを社会の中に取り入れて、うまく扱うのが社会の知恵だと思うな。ヤクザをやめて心を入れ替えてキリスト教徒になりました、なんて話は嘘臭い。ああいう人間が心を入れ替えると本当に思う?ただ暴力団への締め付けが厳しくなって職を変えたってだけでしょう。ヤクザになってはいけないなと思って、じゃあ真人間として今まで生きてきました、なんてことはとても言えない人生だけど、でも、やっぱりがんばって生きなきゃとは思うんだよな。  鹿児島から越谷の社宅に移って、幼稚園に入った。その頃はなんだかモヤの中を生きているようだった。って過去形で書いたけど、今もモヤの中を自分というマリオネットを動かして生きているような気がするんだよ。人にも言われるんだけど、ボクは現実感覚がない人間で、この世界がしっかりとした現実で、その現実を生きていると心底思えないんだよ。発達障害というのと関係があるのかもしれない。だからピロウズみたいなポップでわかりやすい音楽が好きで、初めからフィクションだとわかっている映画や小説が好きで、飲むとわかりやすく気持ちが良くなるビールが好きで、なにを考えているのかわかりやすい女の子を好きになるんだと思う。とてもつらい状況に追い込まれると、意識が抜けてしまう。 小学生の時、誕生日会のプレゼントに使う色紙を盗もうとして先生に見つかった時、その女の先生は怒るんだけど、ボクは意識が抜けていて、自分の後頭部をぼんやりと人ごとのように自分を見ていた。早くこういうことが終わんないかなあ、なんて思いながら。怒って、なんでこういうことをしたのか理由を訊こうとする先生はボクがあまりにも無反応なので気味悪かっただろう。結局その後「あ、これはボクがなんか言わなきゃ終わらないな」と思ってマリオネットをもぞもぞ動かして「ごめんなさい」と言わせて、開放されたんだと思う。問題はなぜボクがこんな人間になってしまったかだ。理由ははっきりしている。それはボクの父親だ。  ボクの父親の白瀬俊之は、群馬県の高校を一番の成績で卒業した天才の白瀬兼次郎と、支配的で頑固者で負けず嫌いな、宮﨑駿の『千と千尋の神隠し』に出てくる湯婆婆のような性格の重子の間に産まれた。映画館で湯婆婆が出てきたとき「うわー、うちのばあさんだ」と思って頭を抱えた。この「重子」という名前もどう書けばいいのかわからない。書類によって「重」だったり「重子」だったりするのだ。「昔の人だから、名前もいい加減だったのよ」と言っていたが、いくら昔のこととは言え、子供の名前すらはっきり付けない親なんてのがいるのだろうか?  兼次郎じいちゃんは、ダンディでカッコよくて、若い頃は『七人の侍』の若侍・勝四郎役の木村功に似ていると評判だったそうだ。戦争に突入した時、兼次郎は16歳だった。多感な時期だ。高校を卒業すると、兼次郎は軍隊に志願した。特攻隊だ。毎日起床のラッパで起こされ、訓練をする日々。いつ特攻隊として出撃するかわからない中で(この国は負けるな・・・)と内心思っていたそうだ。そんなことを口にすることはなかったが。戦争が終わって家に帰ると、焼けてなくなっているだろうと思っていた家はなんとか残っていて、両親も生きていたそうだ。戦後は兼次郎は大学に通っていないためと、戦争に積極的に参加したという理由のため、自分より無能な人間たちが次々と出世していくのを見ていかなければならなかったそうだ。兼次郎がボケてうちで暮らしていたころ、ボクが兼次郎の車椅子を押して2人で散歩していたとき、ベンチの上に誰かが忘れたタバコとライターが置いてあった。ボクが「もらっていきましょうか」と言うと「そんなことはしてはいけないよ」と言われ、ハッとした気分になったのを今も覚えている。  祖父はそういう人間であった。小学校の宿題で、懐中電灯はどうやって作られたのかを調べてくることになった時、両親は「おじいちゃんに訊いてごらん、おじいちゃんはなんでも知っているから」と言われ、兼次郎に電話すると、江戸時代のろうそくで作った懐中電灯の仕組みについて教えてくれた。兼次郎は重子のどこが好きで一緒になったのか、いまだによくわからないが、もう調べる術はない。好き同士が結婚する今の感覚とは違うのかもしれない。とにかくそういう時代だったのだろう。  重子も戦争を体験した。ただ重子は戦争中朝鮮半島にいた。今の北朝鮮があるところだ。日本が戦争に負けると、それまで仲良くしていたつもりの朝鮮人が「ばんざーい!ばんざーい!」と言い、「昨日まで仲良くしていたのに」と不思議に思ったそうだ。いずれにせよ朝鮮は日本領ではなくなるため、朝鮮半島を出て日本に帰らなければならない。重子の親友と、船に乗って帰る事にした。日本に向かう人がたくさんいて、そう簡単には船に乗れない。友だちが先に乗って船で帰ることになった。重子とは実家のある方角が違ったから。重子は群馬県の実家に向かい、友人は九州の福岡県の実家に帰ることになった。「じゃあまた会おうね。絶対手紙書くからね」そう言って別れ、重子の友だちが乗った船が動き出した。船の人だかりの待合室から船を見ていた重子は大きな爆発音を聞いた。友だちの乗った船が、まだ残っていた機雷に接触し爆発したのだ。慌てて港から人が何人もワラワラと泳いで救助に向かったのを見た。友だちはその事故で死んだ。即死だ。悲しみを感じる余裕もないまま、不安の中で重子は後から出る船に乗り日本へ帰った。「また機雷にぶつかって爆発するんじゃないか不安だったよ」と言っていた。  幼稚園の時、ボク1人だけひらがなが読めなかった。それで慌てて両親はひらがなを教えて、ボクはあっという間に覚えた。 今思えばそれがいけなかったんだな。父親の中のコンプレックスに火がついてしまったのだ。  俊之には智子という妹がいた。ボクの叔母さんだな。これが優秀な人で、はっきり言って天才だった。将来政治家になることを期待された俊之は凡人だったが、兼次郎の天才の血は智子に受け継がれたのだ。智子は、冷静で、頭が良く、弁が立ち、情に流されず、部下に冷静に的確に指示が出せる、そういう女の人っているでしょう、ヒラリー・クリントンみたいな。そういう女だった。だからどういうことかというと、俊之は智子に相当バカにされて育ったらしい。俊之には自分のほうが兄貴で、男だ、というプライドもある。だが議論になると智子に勝てない。そのことについて俊之は妹にすごい劣等感があった。だから俊之は頭の良い弁の立つ女性を嫌う。福島瑞穂とか、蓮舫とか。父は結婚するときに「さだまさしの『関白宣言』みたいのが理想だ」と言ったらしい。そんなこと本当に言う男っているんだね。そう言う男と結婚するうちの母というのもよくわからないな。  そこにボクが産まれたわけだ。このあとの展開は読めるね?そう、俊之はボクにメチャクチャ勉強をさせたんだよ。くもん式のドリルをどこからか買ってきて勉強の毎日。土日なんてものはなかった。月月火水木金金。子どものころに遊んだという記憶はほとんどない。だからボクはいまだに遊び方というのがよくわからないんだ。 その頃のことで思い出すのは、 ・ボクをベルトで椅子に縛り付けて勉強をさせた。 ・クッキーの缶の蓋で問題を間違えると殴り、「いい音がしておもしろいな」とヘラヘラ笑った。 ・父親の目が離れている時にゲームの攻略本を読んでいると、それを見つけた俊之が鬼のような真っ赤な顔をして辞書の背で殴り「殴られても仕方がないと思え」と言った。 というようなこと。ちなみに郵便局員だった重子の祖父も、子どもたちを朝早く起こして習字や勉強させるような男だったらしい。  俊之は、頭がおかしかったと思う。明るい気違いというやつで、昔総理大臣をやっていた小泉純一郎と同じ精神の病気だと思う。  小学校の頃の保護者面談の時、母は「白瀬くんはお母さんの話はよくしますが、お父さんの話はしません。お父さんはどういう方なんですか?」と尋ねられたらしい。 3歳ぐらいの頃、湯船の中で大便を漏らしてしまったことがある。仕事帰りで後から風呂に入った父親はそれを見て怒り狂い、ボクを寝かせずに夜中まで立たせ続けた。フラフラして倒れそうになると「寝るな!」と大声で怒鳴りつけた。母親が「寝てもいいよ」というと、「ダメだ!」とまた怒鳴りつける。こういうことがあると、人間の心はうまく成長できない。この世界に生きているという感覚が失われ、現実感覚がなくなり、モヤの中を生きるような気分になってしまった。ボクはいまだに空気を読むのが苦手だ。苦手というか、よくわらないんだ。俊之は高熱を出して寝ていたボクににぎりっ屁をしたこともある。ゲロを吐き、泣き叫んだのを見て、ボクの母に怒られて、さすがにその時は反省していたようであるが・・・  母親の玲子は愛に溢れた優しい人だった。夏目漱石の『坊っちゃん』で坊っちゃんに無償の愛を注ぐ清のような母親だった。幼稚園の先生をしているぐらいだから、子どもやペットを溺愛する人だった。だから夫婦喧嘩の理由で一番多いのは「オマエが甘やかすから亮太がダメになるんだ」というやつだった。父親だけに育てられていたら今こんな文章は書いていないだろう。コソ泥かヤクザの鉄砲玉にでもなっていたのかもしれない。俊之に虐待されて泣いていると、玲子がお菓子をこっそりくれたりした。ボクは別におもしろい人間じゃないけど、ビートたけしや松本人志や有田哲平がそうであるように、おもしろい人間は父親が厳しくて、母親が愛に溢れた人が多いのはなぜなのだろうか?父親に厳しくされて人間的に歪んでいるけど、母親を悲しませたくないので笑いを表現するようになるのだろうか?  小学校3,4年のころは楽しかった。自由意志というものを担任の足立先生から教わった。足立先生などと書くと奇妙な感じだ。みんな「あだっちゃん」と呼んでいた。あだっちゃんはパワフルなおばちゃんの先生で、ボクはよくかわいがられた。個性を伸ばしてくれる教育方針だった。授業参観をプールの授業にしたり、雪が降れば授業を中止してみんなで雪合戦をやった。給食を残してもいいのは偏食のボク的にありがたかった。算数や国語の授業はあまりせず、毎月お誕生日会などのイベントがあった。ただ授業はヘタで、よく算数の計算を間違えて、しょっちゅう黒板消しで訂正していた。授業参観に行った父は「あの先生は授業がヘタだ」と言っていた。 あだっちゃんはお誕生日会の時の班ごとの出し物の例で「歌とか、ダンスとか、本を読むとか」と言った後、冗談っぽく「劇とか」と言った。小学生に劇はムリだろうと思って冗談で言ったのだろう。ボクはそれを聞いて(劇をやりたい)と思ったのだった。  友だちが『一目(ひとめ)マン』というタバコの灰にも負けてしまう世界一弱いヒーローのマンガを描いていた。クラスでマンガを書くブームがあったのだ。『一目マン』を劇にしようと思ったのだった。給食の時、同じ班の人に「ねえ、西村くんの描いた『一目マン』を劇にしない?ボク脚本を書くからさ」  西村くんとお姫様が散歩をしていると、道にドーナッツが落ちている。喰いしん坊のお姫様はドーナッツを拾って食べようとするが、それは悪のブルドック星人の罠だったのだ。お姫様は誘拐されてしまう。西村くんは一目マンに変身し、ブルドック星人と戦う。司会のボクが2人に対戦前のインタビューをする 「どうですか?一目マンに勝てそうですか?」 「なあに、あんな奴チョチョイのチョイよ」とブルドック星人が言う。 一目マンのところに行って 「勝つ自信はありますか?」 「もちろん、姫を助けるためにがんばるよ!」 そう言って戦いが始まる。一度はブルドック星人に負けてしまう一目マン。倒れた一目マンの前でボクが 「この中でどなたか、一目マンを生き返らせてくれる人はいませんか?」と訴える。クラスメイトたちはみんな積極的に「はい!」「はい!」手を上げ、ボクがその中の一人を指差し 「お願いします。一目マンを生き返らせてください」 と言うと、その男の子はアドリブで魔法をかけ、一目マンは復活する。そうして猛反撃に出、ブルドック星人をやっつけて、お姫様を助ける、という劇だった。  この劇が受けたのなんのって。この劇がスベってたらボクは今頃こんなおちゃらけた性格ではない、渋い感じの大人になっていて、厭世感に満ちたハードボイルド小説を書いていたかもしれないね。ステージに上って客から心からの拍手を受けるとセックスなんてどうでも良くなってしまうというのは本当だと思う。  劇の練習中はお姫様役の女の子はもちろん普段着でやっていたが、本番では母のドレスを自分のサイズに直したものを持ってくると言っていた。劇の本番前に、もうすぐ始まるというのにお姫様役の女の子がいない。一目マンとブルドック星人とボクで手分けをして探すことにした。劇の練習でよく使っていたマルチパーパスルームを開けると、お姫様役の子が青いドレスを着て窓のそばに立って外を見ていた。その時ボクは「男と女は違うんだな」ということを生まれて初めて実感した。今まで男と女は違うといってもせいぜいおちんちんのあるなしぐらいの違いしか知識しかなく、男女一緒になって普通に遊んでいた。お姫様役の子は普段は不思議ちゃんで「テレビの占いでラッキーカラーがオレンジだった」と言って全身オレンジの格好で小学校に来たり、「耳を引っ張ると福耳になって将来お金持ちになるみたいだよ」と言ってお互いの耳を引っ張り合ったりして遊んでいたその子はきれいだった。その不思議ちゃんのお姫様はこっちを振り返り 「あら、白瀬くん」と言う。 「どうしたの?もうすぐ劇が始まるよ」 「うんわかってる。でもね、背中のボタンが留められなくて困ってるの。白瀬くん留めてくれる?」と言う。もちろんこっちがドレス姿に一目惚れしていることは気付いていない。向こうとしてはいつもと同じように友だちとして接しているだけのつもりなのだろう。  背中のボタンを留めようとした。肌が丸見えだ。もし服をちょっと動かして前を覗けば胸も見える状態だ。とにかく急いで肌に触れないようにボタンを留めようとするんだけど、ドレスが体のサイズぴったりに縫い直してあるので、どうしても肌に触れてしまう。それでも出来る限り肌に触れないようにボタンを留めようとするんだけど、ボタン穴が小さいのと、ドレスなのでボタン穴の周りがヒラヒラした生地があって留めにくい。こんなところをクラスメイトに見つかったら学校でうんこをした以上の犯罪者になってしまうことは確実である。  とにかくなんとか留め終わって、劇をするため教室に向かったのであった。興奮して少し顔が赤くなっていたと思う。変にテンションが高かったのも劇が受けた理由なのかもしれない。    小学校4年のときだったと思う。塾の帰り、寒かったのを覚えている。家に向かって自転車を漕いでいると、突然切ない気持ちになってきた。胸が張り裂けそうになった。  家に帰ると同時に、母の胸に飛び込み「お母さん!」と叫んで大泣きした。いつまでもいつまでも泣くことがやめられなかった。両親が「どうした、なにかあったのか?」と心配して話しかけるが、答えることができず、泣き続けていた。  スヌーピーで有名なチャールズMシュルツの『ピーナッツ』でも、主人公チャーリー・ブラウンの妹サリーがそれまで縄跳びを楽しく飛んでいたのに、突然自分でもわけも分からず大泣きしてしまうマンガがあった。  芥川龍之介の『トロッコ』と言う小説でも帰り道を見失った子どもが、夜道を1人で家に帰ってくると、母に抱きつき泣き続けるシーンがあった。  なぜ泣いたのか自分でもよくわからなかった。なんとか泣き止むと、「なにかあったのか」という親の質問が続いたが、くちびるをきゅっと結んでなにも言わなかった。自分でもよくわからなかった。 本当の理由は父はボクが将来の夢を語ると「そうか、それなら勉強しなきゃな」とバカにしたように言って笑うからであった。だから、どんなにつらいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、親に相談なんてできなかった。母親に相談しても、母はその相談内容を父に喋ってしまい、父は後からイヤミを言ってくるのだった。そんなの小さな子どもの保護者として最低じゃないかと思う。結局親になにも相談できないということはいじめの格好の標的なるということであり、そしていじめは教師主導で行われるということである。  小学校5,6年の時の担任は早乙女というオールドミスのサディストのババアだった。なんでもTOKIOの山口くんの初恋の人が早乙女らしい。(山口くんは早乙女の教え子だった)岡田斗司夫のハーマン・モデルの4タイプで言うところの司令型(負けたくない)に早乙女はぴったりハマっていた。そしてボクは理想形(自分には自分のやり方がある)だった。ボクが授業中に伸びをしていたのが早乙女には気に入らなかったらしい。ボクを目の敵にするようになった。  ボクはそれまでの人生で、教師にはかわいがられるものだとセルフイメージを持っていた。だがそうではなかった。あだっちゃんの自由な教育に適応したボクを見た教育委員会の偉い人が「この子には厳しい先生も必要だ」と判断したのかもしれない。  授業中、早乙女は「白瀬くんの言ってることおかしいよねえ」とか「白瀬くんのやってることおかしいよねえ」と言って笑いを取るのだった。ある時など「クラスの好きな人、嫌いな人アンケート」というものを実施し、その結果を発表した。「嫌いな人」が一票も入らなかった人を順番に立たせた。ボクの名前は呼ばれなかった。悲しくて、悔しくて泣いた。いい年した大人が、たかが小学生にムキになり目の敵にするなんて間違っていると思う。なぜボクは目の敵にされたのか、今ではわかる。人は自由を愛するけど自由な人間は憎むのだ。教師の言いなりになる素直な生徒が好きなんだろう。あだっちゃんの個性を伸ばす教育の結果を徹底的にむしり取ってやろうという強い意志を感じた。ボクが早乙女とケンカをしていると友人が「早乙女先生は足立先生とは違うんだよ」とか「長いものには巻かれろだよ」とアドバイスしてきたが「ボクは絶対そんな考え方は嫌だ」と言った。  早乙女は他にも道徳の授業を廃止して、その時間を算数や国語の時間に充てた。一日の生活の予定というものを生徒に配り、一日何時間勉強に充てなさい、とプライベートな時間まで具体的に管理しようとした。中学受験が終わり野球を校庭でやった翌日、早乙女は「職員室から白瀬くんが野球をやっていたんだけど、下手で先生同士で笑っちゃったよ」と教室で言うのだった。  当然こういう環境下ではいじめが発生する。クラスのおとなしい女の子の靴に画鋲が入れられる事件が発生した。なんどもいろんな先生が来てやめるように言った。男の年配の先生が「振り返って、ああ嫌なクラスだったな、という思い出になっちゃうよ」と話したが、それでもその女の子に画鋲を入れる事件はなくならず、最後まで犯人はわからなかった。もちろん靴に画鋲を入れるやつが悪いのである。しかし早乙女にも責任があると思う。こんな閉塞感のあるつまらない学校にイライラしていたのだろう。だからと言って許されるわけではないが・・・  ボクに対してもいじめが始まった。「ももち」と言って、太ももに横から蹴りを入れられることや、朝投稿の時「おはよう」と言って頭を殴ってくることが日常的になった。恭ちゃんという6年間クラスが一緒の親友だと思っていた子からのいじめが始まった。恭ちゃんとは一緒に家族ぐるみで夏休みにキャンプに行ったりするような仲だった。恭ちゃんはシスコンで、朝日小学生新聞に載っていた「沖縄の小学校に転校して寮生活しませんか?」という募集を見て妹が「沖縄に転校したい」と言うと、恭ちゃんはさびしくて泣いてしまったのだそうだ。恭ちゃんはもともと野球チームに所属していたが、ボクが塾に通っていて遊べないので、ボクと遊びたいために野球をやめて同じ塾に入ったほど仲がいい子だった。それがなぜボクをいじめだしたのか、早乙女が「こいつはいじめていい」という無言のメッセージを感じ取ったこともあるだろうが、今になって思うのは内田樹の『下流志向』に書いてあることだ。 つまり試験でいい成績を取るには、自分で勉強してかける労力より、ライバルの足を引っ張ったほうが費用対効果が大きいというやつだ。そのためにボクをいじめだしたのだろう。恭ちゃんは登校すると真っ先にボクをボコボコになぐり「ああ、すっきりんご」というのだった。友だちだと信じていた恭ちゃんになぜこんなことをされなければいけないのか、悲しくて痛くて毎日泣いた。そのことが辛くて親に相談すると、俊之が「それじゃあ、そいつの家にまで行って親に抗議してきてやる」と言って、抗議しに行った。受験の邪魔をされ腹が立ったのだろう。かなり強く向こうの家に言ったらしく、恭ちゃんの両親がボクのところに謝りに来た。恭ちゃんも怒られて「ごめんなあ」と言った。翌日登校すると、恭ちゃんはしおらしくなっており、他のクラスメイトが「なんで恭ちゃん白瀬のこといじめないの?」と不思議そうに訊いた。これでなんとか恭ちゃんのいじめはなくなったが、早乙女や他のクラスメイトからのいじめは卒業するまでなくならなかった。ボクはなんとか芝学園という中高一貫の男子校に合格することができた。  なんの流れだったか覚えていない。休み時間に井坂さんという目がパッチリしたボクのお母さん気取りの女の子がいた。小学校1年生の時に、例によってボクはモヤの中を生きていたから一緒に遊ぶ友だちもいなかった。ブランコに乗っていると井坂さんが来て「ねえ、二人乗りしましょうよ。二人で乗ったほうが、大きくブランコが漕げるよ」と言った。女の子と一緒にブランコを漕ぐなんて恥ずかしかったが、井坂さんは強引に二人乗りを始めた。ボクがブランコに座り、井坂さんはその上に向かい合うようにまたがって立ってブランコを漕ぎ始めた。ボクの顔の前に井坂さんの股があって、井坂さんの赤いチェクのミニ・スカートが思いっきりめくれて白いパンツがボクの顔の前にあって、なんども顔に当たってこすれた。逃げ出したいような、このままでいたいような気持ちだが、ブランコは大きく揺れているので逃げ出しようがない。井坂さんはボク1人ではできないほど大きくブランコを前後させ、それが昼休みの終わりのチャイムまで続いた。やっとブランコが終わり、「じゃあね」と井坂さんは言うと、校舎に向かって駆け出していった。  小3の時、ある日ふざけて「井坂さんにマッサージしてあげるよ」と言うと「私は熱―いキスをしてあげるね」と井坂さんは言った。  授業中井坂さんに算数のわからないところを教えていると、男子生徒が「白瀬くんと井坂さん夫婦みたい!」と叫んでみんながドッと笑った。  放課後、ボクは教室に一人で残っていた。なんで残っていたのかは覚えていない。井坂さんが入ってきてボクと目が合うと「あっ」と言った。それから彼女はなにか考えている様子で、2回うなずくと周囲を見渡した後、ボクに近づいてきた。 「どうしたの?」と聞く間もなく、井坂さんはボクの唇にキスをした。それが終わると「じゃあね」と言って帰ってしまった。  翌日井坂さんはまるでそんなことなんにもなかったかのように振るまっていた。ボクもそのことには言及しなかった。  小学校5年生の夏休みだったと思う。1人で歩いていると、大学生ぐらいのお姉さんが「こっちへおいで。一緒に楽しい話をしようよ。お菓子あげるよ」と言う。「そういう人について行ってはいけない」と教わっていたが、若い女の人だし大丈夫だろうと思ってなんとなくついていくと、アパートに連れてこられ、そこにニコニコしたその友だちと思われるお姉さんが2人ほどいて、昼間から酒を飲んで酔っ払っていた。お姉さんたちは「キミなんて名前?」「好きなマンガはなに?」「どこに住んでいるの?」「クラスに好きな女の子はいるの?」と質問し、ボクが何か答えるたびに「キャーかわいい!」「おもしろいこの子!」とか言ってケラケラ笑うのだった。お菓子とりんごジュースをもらって、「これも飲んでみなよ」と言って酒を飲まされた。日本酒だったと思う。しばらくするとお姉さんは「ねえ、暑くない?暑いよねえ。でもクーラー壊れて使えないの」と言うと、別のお姉さんが「そうだ、服を脱げばいいんじゃない。白瀬くんも脱ごうよ」と言って、3人は服を脱ぎ始めた。ブラジャーとパンティ姿になり、1人はブラジャーも外していた。母親以外のおっぱいを見るのは初めてだった。一人のお姉さんがボクの手を握って目をじっと見つめて「ねえ、私彼氏に振られちゃったの。それがとってもつらいの。白瀬くんに慰めて欲しいの。だから服脱いでほしいな」と言った。ボクがどうして良いかわからずにいると、ボクの服を脱がせ始めた。裸に剥かれ、勃起した。「キャー!」「かわいい」「大きくなってる!」と言うと、3人で交互にボクのちんちんを触りだした。女も結構スケベなんだなと子ども心に思った。なんだか怖くなり、泣き出すと「もう帰りたいの?」「うん、つらいよね。ごめんね」と急に優しくなりだし、ボクは帰された。「帰り道がわからない」と言うと、ボクの通っていた小学校の校門まで3人は一緒に送っていってくれた。  掃除の時間、給食が食べきれずに残って食べている女の子がいた。その子が通り過ぎるクラスメイトに「イチゴ食べられないから食べていいよ・・・やっぱりダメ」という軽いイタズラをやっていた。ボクはそのやり取りを廊下を雑巾がけしながら聞いていた。ボクはその女の子がイチゴが大好物だということを知っていた。  なにげない風を装って、その女の子の前を通り過ぎようとした。 「白瀬くん、白瀬くん」 「なに?」 「イチゴ食べられなから食べていいよ」と言った瞬間 「うん、ありがとう!」と叫んで、皿の上に3つ残してあったイチゴを全部つかんでヘタごと口に入れた。  議論になったら負けるのがわかっているので、その子は黙って殴りかかってきた。「なんだよ。食べていいって言ったじゃん」というボクを無言で殴り続けてきた。  この子は今市会議員の奥さんをやっていて、子どももいるはずだ。  初めて見たエロ本はブルマ姿の女性だった。「これはエロいものなのか」と思い、かなり興奮して顔が赤くなった。それ以来ボクはブルマフェチになった。体育の授業が楽しみで、よく観察していた。このことは誰にも言わない秘密であったが、井坂さんは気付いていたらしい。音楽の時間に班ごとに丸くなって分かれて床に座る時があったが、その時井坂さんはいつもジャンバースカートを履いて、足を開いてブルマが思いっきり見えるように座っていた。それをバレないように観察しているつもりだったが、今思うと井坂さん的にはバレていたのだろう。常に女は恋愛のプロであり、男はアマチュアなのだ。    第二章 学校は刑務所  芝中学に入ると、成績はみるみる下がっていった。もちろん同レベルの勉強ができる生徒たちに囲まれているからというのも理由のひとつではあるが、それだけではなかった。子どものころは親の言うまま勉強を続けていられたが、思春期に入ると、勉強が思うように頭に入っていかないのである。父親が怖いので勉強自体はしようとするが、文字が二重三重にぶれて見えて、テキストがまったく読めなくなってしまった。勉強がwill not ではなく cannot になってしまった。進学校に入ったことで、周りの生徒達ももともと成績が良いということもあるが、明らかに自分より頭が悪いクラスメイトたちに追い抜かれ、バカにされるようになったのは屈辱的であった。なんとか英単語や歴史を覚えても、以前ではあり得なかった、覚えてすぐ内容が抜けていく現象が起こった。テキストを読むことが困難で、なんとか覚えてもすぐ忘れていってしまう。成績はクラスで下から2番目や3番目だった。父はその成績表を見て怒り狂い、大声で人格を否定するような言葉を投げつけ、殴り、蹴りを入れるのだった。母はなんとかなだめてくれようとするが、父の怒りは収まらない。成績が返ってきた翌日朝早く「起きろ!」と言って叩き起こして勉強させた。そうして人が勉強している間、父はなにをしているのかというと、ビールを飲んでテレビを見て、神経に触る不愉快な甲高い声で笑っているのだった。父が本を読んでいる姿は見たことがない。現実を生きているから、働いているから、経験があるから、自分は勉強をしなくていいのだそうだ。  家に帰るのが苦痛になった。もうすぐ中間試験や期末試験が始まるという知らせを受けると、目の前が真っ暗になった。なにかと理由をつけて放課後学校に残り、帰りの電車で最寄り駅に近づくと、消えてしまいたくなった。涙が出てきた。そもそも小学校の時に両親は「中学受験が終われば、もう勉強しなくていい」と言ったのだ。それを信じてがんばったが、それはボクを都合良く動かすためのウソだったのだ。毎日都内まで乗る満員電車も辛かった。満員電車で団塊に後ろからいきなりゲンコツで殴られたこともあった。  こんなことがいつになったら終わるのだろう。二十歳になったら終わるだろうか。そう思ってあとなん日経てば二十歳になるのかを計算して、まだまだ長いと思い、その日数に絶望するのだった。そのころ唯一持っていた希望は、母が「このままでは亮太がダメになる」と父に愛想を尽かして離婚をし、自分は母に付いていく。そのことでこの絶望的な日々が終わるのだということだった。しかし母も母で夫に頼らなければ生きていけない女だった。離婚という気配は見えなかった。大島渚監督の『少年』という映画で、親に当たり屋をやらされている子どもが「宇宙人がUFOでやってきてボクを助けてくれる」と妄想するシーンがあるが、彼の気持ちはわかるような気がする。ボクは輪廻転生を信じないが、輪廻転生を信じる人の気持ちはわかるような気がする。  中学1年の時八木くんという子と仲良くなった。彼はインチキ中国人のモノマネがうまく、よくそのネタをやって笑わせてくれた。当時流行っていたドラゴンクエストのバトル鉛筆でよく遊んだ。国立市にある八木くんの家に遊びに行ったこともある。鬼ごっこをみんなでした。  ある時八木くんがいない時に彼の筆箱を開けると、英語の小テストのカンペらしきものがあった。ボクはそれを持って英語教師のところに別の友だちと持っていった。「八木くんがこんなものを隠し持っていました」英語教師は八木を呼び出し、キツく質問をしたらしい。開放された八木くんは「先生がボクがカンニングペーパーを持っているって思い込んでいるんだよ。あれは電車の中で勉強する用に作ったものなのに」と言っている間「へえ、そうなんだ」とすっとぼけていた。  数週間後、ボクは八木くんから絶交された。一緒に英語教師のところに行った友だちが八木くんに喋ってしまったのだろう。  自分でもなんでこんなことをしたかよくわからない。自発的に友だちと感情が結びついていなかったのだろうと思う。父の虐待がつらく、それゆえ少しでも苦しめられる人間を見つけると、それが親友だろうがなんだろうが平気で裏切れる人間になっていたのだろう。こういうことが何度もあった。芝学園時代は新しい友だちができると、しばらくは仲良くなれるが、それが鬱陶しくなり、裏切ったり、人格を否定するような言葉を浴びせたりして絶交されるのだった。絶交されると「なに、友だちなんてまた別のところで作ればいいのさ」と思い、それを繰り返し続けるのだった。さすがにそれが6度も7度も続くと、自分はなにか人間関係の能力に致命的な欠陥があるのではないか、と考えるようになっていったが、その原因まではわからなかった。心理学者の岸田秀さんも同じような悩みで苦しんだらしい。「お前には義務だけあって権利はない」と言ったこともあるのだそうだ。それは本人も言うとおり、支配的な母親との関係の中で形成された人格だった。親にやられたことを周りの友人にやっているだけのことだった。  岸田秀は、本当は母親のことを愛しているのだと思う。ではなぜ著作の中で母親の悪口をしつこく書き続けるのかというと、そうしていないと人間関係に支障が出てしまうからだろう。「母親を許した」そう思うと他の人の普段は気にも留めないちょっとした失礼な言動にものすごく腹が立ってくるのだそうだ。それは明らかに母を本当は許していないのに許したことへの不満から来ているのは明らかだった。しかし岸田秀の本当の心は独善的な母を愛しているほうが本当の心なのだ。ところがそれでは日常生活に支障が出て、精神病にも苦しむので対処法として母を憎んでいるのだろう。だから強迫的になんどもなんども母親の悪口を書き続けるのだろう。要するに処世術として母を嫌っているのだと思う。岸田秀はフロイディアンなのに夢のことについてほとんど文章がない。例外的に「禁煙をした時タバコを吸っている夢を見た」という文章があるが・・・なぜ夢についての文章が少ないか。それは親を本当は愛しているのに表面的には嫌い続けている人間は夢の中で「本当はその親を愛している」という夢を毎日のように見るからだ。なぜそんなことがわかるかというとボクもそういう夢を見るからである。岸田秀もそういった夢を見るのだろう。岸田秀は「夢分析をしてみたが、意味がよくわからなかった」と書いているが、これはウソだろう。そしてそれは岸田秀の師匠のジクムント・フロイトにも当てはまると思う。  フロイトは『夢判断』のまえがきの中で、私は詩人にはなれない。自分に不都合なことは書き換えたいという誘惑に勝てなかった。そのためこの本は不完全なものになってしまった。というようなことを書いている。「自分に不都合なこと」とはなんだろう。それはフロイトは嫌っている父を本当は愛しているのだということである。橋本治が『蓮と刀』で指摘しているように、『夢判断』で「父親というものはカビの生えて古臭くなった権威を痙攣的に持ち続けようとするのである」と書いている。また、フロイトが幼い頃、父と道を歩いていた時ユダヤ人だという理由で道を譲らされたというエピソードは、ユダヤ人の悲劇としてのエピソード紹介の形を取りながら、それに対してなにもできなかったフロイトの父の恥をさらそうとした意図があったのではないだろうか。極めつけはこれも橋本治が指摘しているが、エディプス・コンプレックスという概念を提唱しながら、エディプス・コンプレックスについてのまとまった文章というものがフロイトにはないのだ。そしてフロイトは生前に、自分の日記や研究のメモやノートなどを全部燃やしているのだ。後の歴史家に分析されないように。その隠そうとしたものがフロイトの父への感情が夢の中で何度も出てくる、ということだろう。  神さまはいるのだと思う。ナニナニ教の神さま、となるとなんだか一気に怪しくなるけど、だからと言ってそれは神さまがいないということの説明にはならない。「神は死んだ」で有名なニーチェも「日常生活を送る中で、その背後に神の存在を感じるときもある」と言っている。  高校1年の時初恋をした。村田知也くんという人だった。  村田知也。そう書くだけであれから18年たった今でも胸の中が暖かくなるのを感じる。  知也くんとは中学2年の時も同じクラスだったけど、恋愛感情はなかった。共通の友達を介してなんどか喋ったことがあるだけだった。  高校1年の新学期、知也くんとボクは真ん中の列の一番後ろの席で隣同士だった。ボクが左で、知也くんが右だった。それまで仲の良かった友だちと別のクラスになってしまった彼は、ボクを見つけると、話しかけてきた。「ねえ、同じクラスだね。よろしくね」そうやってすぐ打ち解けて喋っていると、不思議と胸の中が暖かくなるのを感じた。なんだろうこの気持ちは?家に帰り、布団に入って見飽きた天井を見ながら村田くんの笑顔やこの気持ちについて考えているとわかった。「ああ、これがあの噂に聞く恋というものなのか・・・」と。  それからどうすればいいのかを考えた。どうすれば村田くんと恋人同士になれるのだろう。まずは友だちになればいいのではないか、と考えた。友だちになって、親友になって、それでもっと仲良くなれば恋人になれるのかもしれない。男同士というのをうまく使おうと思った。相手が女の子なら、「友だちになろう」と言って、友だちになれるかもしれないけど、どうしても「自分たちは男と女だ」と言うのが引っかかる。でも男同士なら「友だちになろう」と言わなくたって、本当に友だちになれるのだ。もちろん不安もあった。ボクがすぐ絶交されてしまう最低の人間だということ。今までは「別に嫌われたっていい」と突っ張っていたが、この人には嫌われたくないと心から思った。どうすればいいんだろう、と考えていた。    翌日からさっそく村田くんと仲良くなっていった。ボクはおちゃらけた性格で、人を笑わすのも得意だったから、村田くんとすぐに仲良くなれた。村田くんは美少年で、女の子みたいな顔をしていた。今で言う羽生結弦や神木隆之介のような感じだった。柔道部に入っていて、かなり強かった。でもマッチョというわけではなく、きれいな体をしていた。橋本治は『青空人生相談所』で、坊ちゃん育ちでワガママでアナーキーなやつはモテると書いているが、その条件を全て持っていた。村田くんは女の子みたいな顔だけど、ボクは村田くんのことを女として愛していた。村田くんが男役、ボクが女役だ。    なぜあんなに好きだったのか、今にして思えば、思春期の若者が将来に悩んだ時「このままではいけないな。でもどうすればいいのかわからないや」となった時、彼の中に「こうなりたい自分」というのを見たのだろう。 村田くんの胸に飛び込みたかった。喋っている間、そればかり考えていた。「お喋りなんていいから早くボクの唇を塞いで!」と思っていた。村田くんはボーっとしたところがあって、そういう気持ちになかなか気づいてくれなかった。  ある程度仲良くなってきたら気持ちを打ち明けよう。そう思っていたが、結局すぐにバレてしまった。後に『のだめカンタービレ』というマンガとそのテレビドラマを観たとき「昔のボクと同じようなことをしている人がいるな」と思った。  会うたびに「好き」だと言った。いかに知也くんは素晴らしい人で、その人と偶然出会えた自分はいかに幸福な人間か、ということを繰り返し語った。知也くんは腕を組んでくれた。腕を組む時はボクの胸が知也くんの二の腕に当たるようにした。そうすればまた組んでくれるような気がして、実際また組んでくれたのだ。  ある時、友だちがふざけて「白瀬は村田のことが好きなの?」と言った時、「そうだよ」と即答した。その友だちは「そうか・・・」と言っただけだった。その場にもちろん知也くんがいた。 授業中も二人で見つめ合うようになった。知也くんはコアラに似ているので「コアラ」とあだ名を付けて呼んだ。体育の着替えの時知也くんのきれいな上半身に見とれていた。それを見るのが楽しみだった。知也くんもその視線にどこかで気づいていたが、嫌がったり隠そうとはしなかった。  そのうち夏休みの自然教室がやってきた。ボクはもちろん知也くんと同じ班になっていた。夜中になって知也くんは寝ていた。かわいい寝顔だな、と思った。あんなにワガママでオレ様で「気持ちわりいな」と言いながら殴ってくる軽いDVの彼も眠っている時は赤ん坊のようにかわいかった。しばらく見ていて、寝ている彼にキスをした。二人の初めてのキスだった。『のだめカンタービレ』でも上野樹里演じるのだめが千秋の寝ているところにキスをするシーンがあった。「同じことをやっている人がいるな」と思った。  翌朝知也くんが目覚めた時に「知也くんの寝顔がかわいいからキスしちゃった」と言った。殴られるかな?「気持ちわりいな」と言われるかな?と思ったが、殴られなかった。しばらく考えてから知也くんは「そんなんじゃなくてちゃんとしようよ」と言った。それからひと目のない場所を探した。幸い森の中だったから少し歩けばそういう場所はすぐに見つかった。女の子は、ってひと括りにしてはいけないが、キスする時に背伸びをしたい、というのがあると思う。(なかったらすまん)森のなかで知也くんとキスをした。「この人、ボクより背が高いんだ・・・」と思った。  2月に入り、もうすぐバレンタインデーで、街はバレンタイン商戦をあちこちで組んでいた。 「ねえ、知也くん、知也くんはバレンタインに女の子からチョコレートどのくらいもらったことある?」 「ないよ」 「ないの?知也くんのこと好きな女の子とかいたでしょう。くれなかったの?」 「いや、オレのこと好きな女の子なんていなかったし」 そう言われたとき、カッと頭に血が上った。 「なに言ってるの!バッカじゃないの!知也くんみたいにかっこいい人を好きな女の子がいないわけないじゃん!」 「いや・・・でも、本当にもらったことないよ」 「それはねえ、知也くんが鈍感だから。本当は知也くんのことが好きな子がいたのに、知也くんが鈍いから気付けなかっただけだよ。小学校の時とかやたら話しかけてくる女の子とかいなかったの?」 「・・・いた」 「ほうらやっぱりいたじゃん。知也くんはニブすぎるよ。その女の子、自分の気持ちにすら気付いてもらえないで終わっちゃったんだ。かわいそう。知也くんはもっと女の子の気持ちに気付いてあげられるようにならなきゃダメ!!・・・まあ、ボク的にはそれでいいんだけどねえ」と言ってニッコリと笑った。    それから何日か経った。バレンタインのチョコレートを渡してしばらく経った日だった。「なあ亮太、今日オレの家族旅行に出てて誰もいないんだよ」 「うん」 「うちに泊まりに来いよ」 「・・・」 「な」 「・・・」 「オレ、女の子の気持ちとかよくわかんないけど、わかるようにがんばるよ」  その日知也くんの家に泊まった。幸せだと思った。  知也くんについてはいい思い出だ。それだけで芝に入って良かったと思う。しかし芝にはイヤな思い出もつきまとう。  いじめにあったのだ。  芝に入って卓球部に入ったが、そこで同学年のヤツらからいじめにあった。口に含んだ水をかけられる。何秒遅くなったらその秒数だけ殴られる。掃除を押し付けられる。蹴られる。「死ね」と言われる。容姿の悪口を言われる。悔しくなってこっちが向こうの悪口を言うと、それが誰かに伝えられて家にまで電話してきて「ふざけるなよ。学校で覚えてろよ」などと言うのだ。  親には相談できなかった。なにしろうちの親はなにを相談しても壁打ちテニスのように「それじゃあ、そのためには勉強しなきゃな」としか言わないのだ。そう言って皮肉っぽく笑うのだ。父もよくボクの容姿が醜いと言った。「亮太はウサギとカメのカメだから、日々地道に努力しなきゃいけない」「お前なんてロクなものにはならない」とよく言った。そう言われ続けると本当にそんな気がしてくるのだ。卑屈な人間になってしまうのだ。いじめっ子はそうした人間を鋭敏に嗅ぎ取り、いじめをしてくるのだ。自分がいじめられていることを認めることは苦しかった。だから「付き合いでやっているだけなんだ。合わせてやってるだけなんだ」そう言いながら、自分がいじめの経験に耐えられるタフな人間であると、そのための訓練を若いうちにしているのだ、と思い込もうとした。内藤朝雄のいう『タフ理論』というやつだ。もちろんタフになんかならない。親に苦しみを相談するのは屈辱的であった。いじめはエスカレートし、心は確実に死んでいった。心が死ぬと心に穴が空き、そこに寒い風がピューピューと吹き流れるのをリアルに感じた。  しかしあまりにもつらいので、学校の相談室に行った。お坊さんの英語の先生だった。その先生は厳しい時もあったが、優しく、ユーモアを交えて英語だけでなく、人生の大切さを教えてくれた。  相談室に行くと、両親が呼ばれた。「私は昔、いじめの相談に来た生徒に『キミが我慢しなさい』とアドバイスをしたことがあります」そしてこう言った「その生徒はその直後自殺をしました」「私はそのことを後悔しています。いまだにその日を忘れたことはありません。だから白瀬くんは絶対助けてあげます」と英語教師は言った。「どうしたいですか?」そのいじめたヤツらにどういう処分を下したいかうちの両親に訊いた。退学させたかったらそれでもいいと言った。そして、うちの両親は「退学にさせたら、向こうからの復讐が怖いから、穏便に済ませてください」とボクになんの相談もなく言った。  なぜ両親はこんなことを言ったのか、その当時酒鬼薔薇聖斗事件があった。キレる若者。怖くて中学校のそばも歩けない。そんなことがメディアを通じて言われる時代だった。ニュース番組で「なぜ人を殺してはいけないのか?」という若者の質問に大人たちが答えられなかった、と話題になった。  順番に検討していくと、パオロ・マッツァリーノ(内藤朝雄)が『反社会学講座』で指摘している通り、若者の凶悪犯罪が一番多いのは戦後直後で(映画『仁義なき戦い』やマンガ『はだしのゲン』の時代だ)今はとても低い数値になっている。そして橋本治が『天使のウインク』で書いている通り、仮に若者が凶悪化しているとして、その親の責任を問う声がないのはなぜか、という点。そしてこのYouTubeやニコニコ動画がある時代にその「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問に誰も答えられないでいる動画がいくら探しても見つからない、ということはそれは都市伝説ではないか、そもそもその報道番組のタイトルはなんなのか、という点である。  橋本治が『天使のウインク』に書いているが、人を殺してはいけない理由は人間関係が壊れるからだと思う。だから人を殺しても人間関係が壊れない任侠界の人は人を殺すことができるのだろう。いずれにせよ、うちの両親はメディアの言うことを真に受けるB層なので、ボクをいじめたヤツらは裁かれなかった。いじめた奴らの両親からの謝罪の連絡もなかった。いじめをしていたヤツらが「白瀬にも悪い部分はあるんですよ」と教師に言い、教師はそれを真に受けてしまった。結局いじめについてはなかったことになり、最後ボクが背の高い銀縁丸メガネの教師に呼ばれて「白瀬、それでもいじめだと思うか?」と言われ、「思います」と答えるとその教師はバカにしたように「そんなわけないだろう」と笑った。  しばらく間を置いて、いじめは再び始まった。内藤朝雄の言うように傷害罪として警察に言うべきだった。しかしその時にはボクにはそう考える発想がなかった。両親は困ったような顔をして、結局見捨て、ビールを飲んでテレビを見て神経に触る甲高い声で笑うのだった。  中村容子という数学のカマトト女教師がいた。ぶりっ子で授業中ある日指輪の自慢をしだした。誰も興味がない長々とした指輪の自慢話が終わると、誰かが仕方がなく「その指輪は誰かからもらったんですか?」と親切心で訊いてあげた。すると「ううん女の友だちからもらったんだよ」と見え透いたカマトト発言をし、生徒たちをいらつかせた。その数日後、授業が終わり、「ありがとうございました」という挨拶を誰もしようとしないでざわついていた。「なんで誰も礼をしようとしないの?」と中村が言うと、反射的にボクが学校中に響く大声で「おまえに頭下げたくねーからだよ!!」と怒鳴った。中村は脱兎のごとく教室を飛び出し、職員室の自分の席につくと周囲も気にせず大声で泣き出した。それは長いこと泣いていたそうだ。周囲の教師たちが「どうしたんですか?」と尋ねてもその言葉が聞こえないほど泣き続けたらしい。ボクは教室を飛び出した中村にこう叫んだ「バカヤロウ!なめんじゃねーぞー!」   それが教師たちの間で大問題になり職員会議が開かれた。それから授業中や、授業の終わりにボクたちクラス全体に対して「中村先生に謝りに行きなさい」と言った。その「中村先生に謝りに行きなさい」という発言は事あるごとに言われ、なんにんかの生徒が謝りに行ったが、ボクは行かなかった。物事の順番として教師たちがいじめについてなにもしなかったことについてボクに謝るのが先で、それをやったらボクも中村先生に謝りに行ってもいいと考えていた。  ボクだけが問題なのに、ボクのクラス全体に「謝りに行きなさい」という言い方を教師たちがしたのは、ボクに「謝りに行きなさい」と言って謝ったのでは「教師に言われたので仕方がなく」感が出るのを避けようとしたからだろう。  この問題で一番怒ったのは校長の助川だった。ボクになにか復讐をしてやりたかったが、中村に怒鳴りつけただけではたいした罪には問えない。助川校長は、それ以降朝になると校門のところに行き「みんなおはよう」と挨拶をするようになった。臥薪嘗胆とでもいうか、ボクに対する復讐の機会を狙っていたのである。  その機会がやってきた。ボクたち生徒8名が、教師の家に夜中にいたずら電話をかけた罪で捕まったのだ。最初に捕まったのはボクだった。そしてボクが仲間の名前をゲロったのだ。その日の夜、生まれて初めて自殺を考えた。学ランを顔に巻き、物が見えない状態で住んでいたマンションの9階から飛び降りようとした。でもできなかった。    ボクたちは停学2日に加え、朝早く来て一時間正座。放課後も掃除をあちこち2週間ほどさせられることになったのだ。中学3年のときだった。友だちとの友情関係もそれで終わった。つらい掃除の罰を喰らっている時、魂が抜け出ていく感じがあった。今思うと統合失調症がはじまったのだ。助川校長はその罰を宣告する前に「キミはいじめについて相談してくるような子だったのに」と小バカにしたように言った。 ちなみに助川校長は受験を考える人たちのための学校紹介のホームページで「学校でいじめが起きるのは当然のことです」と発言をしている。そんな発言をする校長のいる学校に大事な子どもを通わせたいと思う親がいるだろうか?その発言の真意は「オマエがいじめに合うのなんて当たり前だよ。だからいじめについていじめた側を裁かなかったのなんて大したことじゃないんだよ」と言うことをボクに対して暗に言っているのだろう。学校の評判を大きく落としてまで、ボクに対する復讐をやめようとはしないのである。なにを考えている男なのだろう。助川はこれでも教育者であり、浄土宗の宗教家なのだ。  また、武田という体育の教師が交通事故で人を殺して交通刑務所に入っていた。しかし数年もすると刑務所から出てきてまた平然と芝で教師をやっていた。身内に甘く、下の人間に冷酷な、岸田秀の言う「官僚病」というのがまさにそれだった。  高校1年の時、今元という数学教師が担任だった。その時「教室でトランプをやっている人がいる」という話になった。今元は「たとえば☓☓と、◯◯と、白瀬がやっていたとするだろう」と言った。反射的に「ボクはやってません!」と大声で叫んだ。 「いや、だから、」 「謝ってください!」 「・・・」 「謝ってください!」 「悪かったよ」 「それが謝る態度ですか!」 「悪かったって言ってるじゃないか」 「それが謝る態度ですか!」 「じゃあどうすればいいんだよ」 「それはご自分でお考えになられることです!」 「・・・」 「謝ってください!」 そのうち誰かが「白瀬もトランプをやっていた」と今元に言った。 「なんだやっていたのか」 「そういう事ではありません!根拠もなく人を疑ったことが良くないと言っているんです」 「でもやってたんだろ」 「謝ってください!」 「だから」 「謝ってください!」 「それに関しては悪かったよ。でも」 「それが謝る態度ですか!」 ボクは発狂する寸前だった。  それ以来、ボクは停学にならない程度の悪いことをして、今元に捕まり、神妙に反省をしたふりをして、また停学にならない程度の悪いことをやりだす。という無限ループに出るようになった。停学にならない程度の悪いこと、というのは、トランプを持ち込んで遊んだり、いじめをして泣かせたり、授業中マンガを読んだりといったことだった。  そうして今元に職員室に呼ばれると、神妙な顔をして職員室に入る。席に座っていいと言うまで立ち続け、「失礼します」と言ってから座る。怒られている間は一切口答えせず、「はい、はい」と言うことを黙って聞き、それが終わって戻って良いと言われると「本当に申し訳ありませんでした」と数秒間深く頭を下げ、「では失礼します」と言って職員室から礼儀正しく出ていく、そして悪いことは絶対にやめない、というやり方である。今元は「そもそも」とは言わなかった。「そもそも」と言ってしまえば、「オレたちも悪かったよ」という話になってしまうからである。助川校長がボクに対して怒りを向けているうちは今元の立場上どうしようもない。ボクは内心「この人たちは教師というよりサラリーマンだな」と思った。今元はいつも「お前昔はいいやつだったじゃないか」という目をしていた。教育とはなんなんだろう。ボクが今元の立場だったらなにができただろう。「わかるけど、どうしようもない」そう考えただろうか・・・  学校にも遅刻をするようになり、休んだりもした。学校は嫌いだった。学校を出ると電車には乗らず、地元の図書館で本を読み、弁当を食べ、気が向くと学校に生き、向かないと母親が仕事に出た時間を見計らって家に帰った。学校に行っても授業の内容はとっくの昔になにを言っているのかわからなかった。 ある日いつものように遅刻してお昼ごろ芝に着いた。エレベーターを待っているといじめの相談を最初にしたお坊さんの英語の先生が心配そうにこちらを見ていた。ボクは気付いていないふりをしてエレベーターに乗った。  結局、学校をサボっていることが親にバレた。母親は声を上げて泣き、父親は、怒らなかった。もう諦めていた。ボクの頭がだんだんおかしくなっていることは誰の目にも明らかだったから。  それでも高校1年の頃は楽しかった。知也くんもいたし、友だちともそれなりにうまくやっていたから。勉強を諦めた組とお喋りをするのは楽しかった。  高校2年の4月だった。新しいクラスに行き「おはよう」と言うと、水を打ったようにシーンとしていた。なにが起こったのかはわかる。みんな受験体制に入ったのだ。もう家にも教室にも居場所はなかった。そして以前以上の激しいいじめが始まった。教師にもいじめられた。教科書を忘れたとかで、授業中1時間正座をさせられた。足がしびれて授業後立ち上がると足の感覚がなくなっていて転んだ。  現代文の教師から手紙が届いた事がある。「なにか悩んでいることがあったら相談してください」という内容で、悪意や探りを入れる意図は感じられなかった。本当に心配してくれていたのだろう。返事を書こうとしたが、なにかに押さえつけられたかのように筆が全く動かず、返事が出せなかった。  掃除をボク一人に押し付けてクラスメイトたちは帰った。一人で掃除をしていると窓から夕日が教室の奥まで差しこんできて・・・もう、こんな景色は思い出したくもない。書きたくもない。  夏の修学旅行の班決めがあった。恋愛の外堀を埋める、という作業をしなければならないことをボクは知らなかった。つまり知也くんに好かれたいと思えば、当然知也くんの友だちからも好感を得ていなければその恋はうまくいくはずがない。高2の時ボクを執拗にいじめたのは知也くんの友だちだった。「白瀬と付き合っているのはおかしい」そういう雰囲気に知也くんは抗えきれなかった。それだけボクは学校中の嫌われ者になっていた。知也くんはボク以外の人と班を組んでしまった。成績も下がり、授業も何を言っているかはとっくの昔にわからず、教師には目の敵にされていた。ボクは誇りと希望を持って入学した芝学園を辞めることにした。  「高校を辞めよう」そう決めた時、空の色が変わったのを覚えている。というよりも、ボクは長らく空なんか見ていなかった。「辞めよう」と思って見上げた空は灰色から青く変わり、白い雲が美しく、「空ってこんなに青いものなのか」と思った。まるでなにかに「そうした方がいい」と言われたように感じた。  学校の1階の事務局の前のテーブルを囲んでボクと担任と両親が座っていた。ボクはもう制服を着ていなかった。せめて知也くんには気付かれないように学校を辞めるつもりだった。テーブルで両親と担任がなにが事務的なやり取りをしている時、その日は偶然教師が休んで授業が早く終わったのだろう。知也くんがやってきて目が合った。「もうやめるんだね」そういう顔を知也くんはしていた。それでもボクは笑った。なぜなら好きな人の前では常に笑顔と決めていたから。でもその笑顔は自分の人生で一番悲しい笑顔だった。知也くんは通り過ぎ、校門を出ていった。それからしばらくして、また知也くんがやってきた。芝の出入り口は2ヶ所あり、正門をいったん出た後、大回りして裏門から入ってきてまたやってきてくれたのだ。また知也くんは笑っている。ボクはこういう人のこういうところを好きになったのだと思った。生まれて初めて母親以外に心の底からボクを愛してくれる人がいるんだと知った日だった。でもその日はお別れの日だった。別にどちらかが嫌いになったわけではないのにお別れをするのだった。またボクは笑った。「亮太は笑うとかわいいね」といつか言ってくれた事は大事な思い出だった。目の前を知也くんは通り過ぎていった。知也くんを追いかけようか迷った。追いかけていって「やっぱり学校辞めないほうがいいかな?」と言って「辞めないほうがいいんじゃない」って言ってくれたらなんでもがんばれるような気がした。でも、追いかけなかった。「辞めたら」と言われるのが怖かった。どっちにしろ修学旅行には一緒に行けないのだ。でも、本当の理由はもう、ボクは疲れ切っていたのだった。物心ついた時からひたすら鞭を打たれ続けた仔馬はもう走れなかった。知也くんを追いかける力がボクにはもう残されていなかった。知也くんは遠ざかり小さくなっていき、校門を曲がって姿が見えなくなった時「ああ、これでボクの青春は終わったんだな」とはっきりそう思った。    第三章 プリーズ・ミスター・ホプキンス  こうしてボクは比喩ではなく文字通り発狂した。統合失調症だ。体が燃えるように熱かった。熱さに耐えきれずベッドの中でのたうち回った。地獄病と呼んでいた。地獄は発狂した人間か考えたものだと思う。ボクが退学をする時、両親に「また芝に戻ってきたくなったらいつでも受け入れる準備はあると亮太くんにお伝え下さい」と助川校長は言ったそうだ。もちろんそれは退学したボクからのお礼参りを避けるための発言だ。嗚呼、こうやって苦しむために、少年時代のすべてを犠牲にして勉強に時間を充てたのか!なんのための人生だったのか!  自殺をしようと何度も考えた。ボクが自殺したらボクを嫌ってた人たちは「わーい、白瀬が死んだぞ。ばんざーい!」と喜んでくれるのだろうか。当時はマンションの9階に住んでいたから自殺はしようと思えばいつでもできたが、自殺できなかった。未遂は何度かあったが。なぜだろう・・・当時のボクを知る人に「今だから言うけど」と言われた。「今だから言うけど、あなたは死んでしまうと思ってました」と。なぜ死ななかったのか、今でもよくわからない。小学校の時に読んだ五味太郎さんの『正しい暮し方読本』という子ども向けの哲学の本があって、そこに理由があるのかもしれない。ニーチェが言うように「なぜ生きるかを知るものは、ほとんどあらゆる生きかたに耐えることができる」別に生きる理由なんて今もわからないけど。足が動かなくなった踊り子に「こんな人生なんの意味があるの?」と問いかけられたチャップリン演じる落ち目の老コメディアンが「人生は願望だ。意味じゃない」と答えるシーンが『ライムライト』の中であった。ピロウズの山中さわおさんが好きなセリフだ。ボクの人生への願望ってなんだろう・・・  この頃のことはあまり覚えていない。なにかひどい長い長い悪夢を見ていたように思える。なにか新しいことを始めてはすぐにやめ、の繰り返しだった。自分のことを神だとか、天才だとか自称するようになった。むなしさを埋めるために食べ続け、体重が98キロまでになった。作家になろうと思い、小説を2つ書いた。ひとつは『炎』という小説で、放火魔の女に魅せられ、自らも放火魔となる青年の話だった。当時くまぇりの放火事件が話題になっていたので、そこから思いついたのだと思う。炎は怒りのメタファーで、自分の怒りと燃えそうな熱い体を表現したと思う。もう一つは『天使の舞い』というタイトルで、過失で友だちを殺してしまった中学生が夜の街をさまよい歩く内容だった。当時夜中に町をさまよい歩くことが多かった。もちろん両方とも一次予選すら通過しなかった。  なにもする気になれなかった。なにもできなかった。それでもただダラダラテレビを見て過ごすのは嫌だった。自分の身になるようなことをしたいと思い、母が小遣いをくれる時はレンタル屋でビデオを借りて観た。あまりにもくだらないものは別として、2泊3日で借りてきたものを2回、3回と繰り返し観るようにした。「みんなが選ぶ名作映画ベスト」的なものに載っている映画や、尊敬する映画評論家のおすすめしている映画はほとんど見たと思う。「こういう映画は観ない」と決めたら観る映画がなくなってしまうくらい映画を観た。最高で1日7本映画を観たことがある。目覚めと共に観出して、全部見ると寝るということをした。若いからできたのだろう。今はもうできない。  お金がない時は図書館に行って本を借りて読んだ。小説はあまり読まず、思想書や評論を中心に読んだ。人は心を病むと「なぜ自分は生きているのか」「なんのために生きるのか」「人の心とはなにか」というようなことを考え出すものらしい。くだらない本もたくさん読んだが、有意義な出会いもたくさんあった。  具合が悪かった頃、酔っ払って犬の散歩をしていて、踏んづけて殺してしまったこともあった。芝学園の「友だち」から手紙が来て「高2の終わりに退学した友だちのお見送り会を楽しくした」という内容の手紙が来たこともある。なにが彼は言いたいかというと、「お前のお見送り会はやらなかったけどな」と暗に言う嫌がらせの手紙であった。彼に手紙の返事を書いたが、その返事はなかった。いろいろな専門学校に行ってみたがすぐに中退した。お金をドブに捨てた。いとこに会うのはつらかった。昔はボクを慕ってくれていたが、もうそんなことはなかった。「おはよう睡眠薬」と言って、目覚めとともに睡眠薬を飲み眠るということを繰り返していた。眠っている時は苦しい思いをすることはなかったから。父と口論を繰り返した。統失のひどい時には父親の大学の卒業証書を破ったりもした。親の財布からお金を盗んで家出をし、電車に乗って知らない駅で降り、そこで1か月近くホームレスのような野宿生活をしていたこともある。ホームレスは衣食住の整った施設に入れられても、多くは逃げ出してホームレスに戻ってしまうというが、気持ちがわかるような気がする。 10日も風呂に入らないで髪が橋本龍太郎のようなポマードをつけたような髪型になっていて、母に言われて風呂に入ると頭に激痛が走ったことがある。なぜ10日ぶりに風呂に入ると頭に激痛が走るか、これは経験した人間にしかわからないと思う。10日も風呂にはいらないでいるから、当然頭がとても痒い。しょっちゅう強くガリガリかいているから、髪の毛が生えていて外からではわからないが、頭皮が傷だらけになっているのである。そこに熱いお湯をかけるから傷口に染みて、絶叫するほどの痛みを感じるのである。精神薬をもらったが、飲んでも効果がないのですぐに飲まなくなった。精神病院に入院しようと思い、見学した日の帰りの電車の中で母を殴った。女性を殴ると嫌な気持ちが何日も続くことがわかった。憧れの作家に会いに行ったが、その人自身は尊敬できたが、周りの人間がギルドを作って固めていて、嫌なヤツらだと思った。  ある日ボクは祖母の重子に電話をした。 「もしもし」 「ああ、亮太かい」 「あの、おばあちゃんに聞きたいことがあるんですけど」 「なにかい?」 「あの、おばあちゃんのお父さんはどういう人だったんですか?」 「どういう人って・・・」明らかに動揺しているのが受話器越しに伝わってきた。「よく覚えてないねえ。ごめんね」 「覚えてないわけないでしょう!自分の父親のことを覚えてないわけないでしょう!」と怒鳴り散らした。「おばあちゃんの教育のせいで、父さんがおかしくなって、ボクが苦労することになったんです。シンデレラみたいに自分がされて嫌だったことを人にしているんですよ。掃除させたり、マラソンさせたり、そういうことをすることで、ボクがイヤな思いをして、結果友だちをいじめたりしたんです。子育てが悪いと、人様に迷惑をかけるんです。世間様にご迷惑をかけるから、変な教育はしてはいけないんですよ!」もちろんボクは世間様に迷惑をかける事をそれほど悪いことだとは思っていなかった。ただ、この世代の人間に「世間様にご迷惑」という単語は効くだろうと思っただけだった。 「おばあちゃんの時代は、戦争があったから・・・」 「ああ、そうですか。今まではそう言われればおとなしく引き下がってたんだろうけど、もうだまされないぞ!戦争のせいにしないでくださいよ!じゃああれですか?戦争を経験した人はみんなおばあちゃんみたいな人間のクズになるんですか?山本七平を知らないんですか?戦争を経験したからこそ、人間らしさの大切が分かる人なんて世の中にはそれほど掃いて捨てるほどいるんですよ!ボクは高校を退学して校門を出た時、おまえみたいのには二度とダマされないと決めたんだ!で、お父さんはどういう人だったんですか?なにをされたんですか?なにを言われたんですか?全部正直に話してください!」祖母は電話口で泣いていた。それでもしばらくボクは受話器越しに大声で怒鳴りつけてやった。 「さっさと死んじゃえよ!さっさと死んじゃえよ!さっさと死んじゃえよ!」重子はその後うつ病にかかり、横浜の自宅で首をくくって自殺した。運良く遺書はなかったので電話のことはバレずに済んだ。葬式でも電話したことは誰にも言わずに神妙な顔をしていた。葬儀が終わり、数日経つとボクは家族に内緒で電車に乗って埼玉から神奈川の重子の墓まで行き、墓から骨壷を誰にも気付かれないように苦労をして取り出した。缶ビールを飲みながらフラフラと歩き、たまたま通りすがりにあったセブンイレブンの外にあった燃えるゴミ捨てに重子の骨壷を捨てた。そのままセブンイレブンの中に入り、缶ビールを買って、飲みながら近くの駅まで向かった。人間死んだら煙か土か食い物か燃えるゴミかの四択だ。  へっ、ばーか!  認知症になっていた兼次郎はボクの家で暮らすことになった。  最初に行った精神科クリニックはすぐに通わなくなった。「こんなところ行っても意味がない」と勝手に決めつけていた。それでも母はやっぱり病院に通ったほうがいいと思ったのだろう。「のさか医院」という市内にある病院を見つけてきて、「ここは女の先生だから行ってみたら?」と言った。行く気はなかったが、「一度だけなら」という理由で行ってみた。順番が回ってきて面接になると、野坂先生という40代くらいのきれいな精神科医だった。ここなら通ってもいいかと思った。この先生にはいまだにお世話になっている。母と野坂先生のおかげで今どうにかなっているようなものだ。先生のことをボクは「みっちゃん」と呼んでいた。名前に「み」が付くからである。  いつものように母からもらったお金でレンタルビデオ屋に行った(そう、この頃はDVDではなくビデオだったのだ)借りようと思っていた映画のビデオが全部貸出中で、「じゃあ、アニメでも見ようか」とアニメのコーナーに入った。そこで『フリクリ』という作品が目に止まった。他の作品とは違う感じのシャレたパッケージだった。1巻を借りて見事にハマった。最終巻の6巻まで一気に見た。なんだかよくわからないシーンもあったが、途中で話を放り出さず、最後には主人公の成長を描いているところに感動した。それでいてギャグがボク好みで気に入った。そして『フリクリ』で一番感銘を受けたのはそこに使われている音楽だった。ピロウズというバンドだった。  最初は『フリクリ』のエンディングテーマの『Ride on shooting star』をビデオを何度も巻き戻して繰り返し聞いているだけだった。しかしそのうちCDが欲しくなった。それまでボクはCDを買ってまで聞くという習慣がなかった。フリクリのサントラを買い、何度も聞き、ついにはAmazonでピロウズのCDを思い切って購入した。そして運良くその頃ピロウズの最新アルバム『GOOD DREAMS』が発売になり、ツアーもやるという情報を得た。  2005年1月16日日曜日はボクの人生を決めてしまった日である。熊谷VOGUEというライブハウスのGOOD DREAMSツアーのピロウズのワンマンライブでボクは感動した。1曲めの『ザビエル』という曲が始まった瞬間、「これはすごい」と思った。メンバーはみなカッコよく、MCも面白く、ライブが何より楽しかった。ボクの中のネガティブな価値観が全部ひっくり返ってしまった。ライブが終わって帰り道ボクは知恵熱が出たかのようにピロウズの歌を朦朧としながら歌い続けていた。たぶんおかしな人と思われただろう。ボクはピロウズのグッズのシャツを着たいという一心で、ダイエットを始めた。岡田斗司夫の『いつまでもデブと思うなよ』という本に書かれていたレコーディングダイエットという方法で100キロ近い体重から、68キロまで痩せることができた。  ピロウズのライブに通うようになった頃、気になる人ができた。背の低い、黒いアイライナーをひいた女の子だった。ボクは『ライブいつもこの位置で見る』というのは決めておらず、その時空いてそうな所で見ることにしていた。そしてボクがどの位置で見てもその子はいつもボクの隣にいるのだった。ピロウズのライブを見に通っているのであって、ナンパするために通っているのではないので、そのままにしていた。そしてその女の子はモッシュという、バスターズ(ピロウズファンをそう呼ぶ)たちが音楽に合わせたおしくらまんじゅうをしていると、ボクの胸の中に入ってきて頭を押し付けてくることが何度かあった。男が女に同じことをやったら手が後ろに回るが、女が男にやるぶんには「いい思いしたな」ぐらいのものだろう。  今の人は知っているかどうかわからないが、昔ミクシィという招待性のSNSがあり、ボクはピロウズのコミュニティに所属し、ライブレポやセットリストを書いていた。夏に「ピロカラ(ピロウズ縛りのカラオケ)」をやるというので行くことにした。  新宿のカラオケの鉄人に着くと、例の女の子がいた。自己紹介をした時にその子の名前が「とびちゃん」という事を知った。幹事さんが「2次会行く人誰ですか?」と挙手を求めた。とびちゃんは手を挙げたが、ボクはネットのオフ会に参加するのは初めてだという事もあり、お金もないので手を挙げなかった。それを見てとびちゃんは「あ、来ないんだ」と言った。ずいぶんわかりやすい子だなと思った。ピロウズ縛りのカラオケで「まあいいだろう」と思ってピロウズの山中さわおがGLAYのJIROたちとやっているもう一つのバンド・プレデターズの曲を入れた。すると誰かが「誰だよプレデターズ入れたの」と不愉快そうに怒鳴った。どうしようと思って、マイクを持ったまま困っていると突然とびちゃんがもう一本のマイクをもってノリノリで踊りながら歌いだした。  最初はみんな驚いていたが、事態が飲み込めてくると笑いが起き、盛り上がってきた。そしてとびちゃんは「ほら、一緒に歌おうよ」とでもいうように合図をしてきて、一緒に歌った。その日のカラオケで一番盛り上がってその曲は終わった。  カラオケは昼の12時から午後5時まで行われた。カラオケが終わって幹事さんが会計を済ませているのを待っている間ボクは思い切って「ねえ、一緒にピロウズのライブ見に行こうよ」と言った。「いいですよ」と言ってくれた。連絡先を交換した。  ピロウズのライブが渋谷で行われるというので、忠犬ハチ公の前で待ち合わせした。早めに行って待っていた。忠犬ハチ公の周りというのは、キリの良い数字の時間。〇時ちょうどとか、〇時30分の頃には人がたくさん集まってくるが、キリの悪い時間の時は人が減るという事に気づいた。  とびちゃんがやってきた。当時流行りの森ガールみたいな恰好をしていた。 「その格好かわいいね」とボクが言うと、とびちゃんは「えー」と照れたように言い、当時流行っていたモーニング娘。の「ザ☆ピ~ス!」のサビを完璧な振り付けとともに歌いだした。    好きな人が    優しかった (PEACE!)    うれしい出来事が (Yeah!)    増えました(PEACE!)    大事な人が    わかってくれた(PEACE!)    感動的な出来事と    なりました THAT'S ALL RIGHT!  渋谷の人たちがとびちゃんの方を見ていた。「ちょっと、とびちゃん大丈夫?」というのが精いっぱいだった。  サビを歌い終わり、腹ごしらえをしようとよさげなラーメン屋を探しにセンター街を2人で歩いていた。  「その格好でライブに参戦するの?」「大丈夫。着替え持ってきてるから」と会話しながら歩いていると、「あのね」ととびちゃんが言った。「白瀬くんは覚えてないだろうけど私が初めて行ったピロウズのライブでね、白瀬くんがあたしにドリンク代をくれたことがあるんだ。覚えている?」 「・・・いや、覚えてないな」 「当時あたし高校生でね、高校はバイト禁止だったし、お金も全然なくて、それでもなんとかチケットお母さんにお願いして買ってもらって、交通費もお小遣い貯めて用意したの。でも初めてのライブだからドリンク代500円ってこと知らなくて、まさかそんなにするとは思わなくて見間違えて50円だと思ってたの。開場が始まって泣きそうな気持で困っていると、男の子が『キミお金ないの?』って言ってきたの『50円かと思ってた』って答えたら500円玉くれて『50円な訳ないっしょ』と言って笑ったの」 「そうか」と言った。ライブ前はビールをぐでんぐでんに飲むことがあったので、その時にそんなことをしたのかもしれない。    なんどかデートをして、ある日とびちゃんは「白瀬くんがエッチしたかったらしてもいいよ」と言った。  すごくうれしかった。しかし家に帰って一人で考えてみると問題があるという事に気づいた。   自分がセックスに不能である。ということだ。  ボクはフェティストで、知也くんとはエッチができたが、女性の裸というのが苦手だった。エロ本を芝学園時代に友だちに見せてもらった事があるが、なんだか乳首が目玉のように見えて気味が悪かった。アダルトビデオも見たことがあるが、全く興奮できなかった。  とびちゃんはそれ以降会うたびにエッチをしてもいいと仄めかすようになった。ボクは自分にイライラして、逆に少しずつとびちゃんに冷たく振舞うようになった。男として自信がない自分が嫌で、とびちゃんが好きなのにとびちゃんを避けるようになり、振られてしまった。そしてとびちゃんを忘れることがなかなかできなかった。  彼女に恥をかかせたことへの罪悪感。恋愛なんてしなければよかったと思うヤケクソな気持ち。自分は一生好きな人とセックスができないのだという絶望感。催眠術師のところに通い、普通の性癖にしてもらう治療も効果がなかった。理由は何度やってもボクが催眠術にまったくかからなかったのだ。そして催眠術というのは失敗するとシラケた空気になってしまう。    今はもう下火だが、昔ミクシィが全盛期の頃があった。そこで映画至宝という雑誌を創刊した映画評論家のウェイン町下さんとマイミクになってもらった。映画至宝はロック系の映画雑誌で、敵は作家で当時の東京都知事の石原竜太郎だった。理由はエロ本をコンビニで読めないように規制したから。その雑誌がある日突然イメチェンをしてつまらなくなってしまったことがあった。その時にミクシィの映画至宝のページにボクはこう書いた。 なんか最近急激につまらなくなった気がするのは私だけでしょうか? 読むところがほとんどないというか、おもしろいコーナーは次々と終わっちゃうし、「死んで欲しいやつ」もなくなり、「トホホ」は短くなり、タイアップばかりで、連載もどこかセルフパロディ的、投稿欄もつまらない、アナーキーさがなくなった気がします。アナーキーさを失った雑誌に意味はあるのでしょうか? これでFBBも終わったら、イエスタデイワンスモアを立ち読みすれば充分だと思ってしまいます どうしてこんなことになってしまったのですか? 10年楽しい思いをさせてやったからいいじゃないか、ということですか? 怒れる若者で出てきて、それが成功したら保守的になるのでは、石原竜太郎と同じではないですか いろいろ圧力がかかったのでしょうか、方向転換せざるを得ない事情が生まれたのでしょうか 「殺したいやつ」のアンケートをやった翌月に方向転換をするなんてやり方がせこいと思います 至宝を愛していただけにとても残念です 不快に思われたら削除しますorしてください  この文章に特にこれといった反応はなかった。なので「別にこれくらいのこと気にしてないだろう」と思って、自分でもすっかり忘れていたのである。しかしこの文章を書いた頃、町下さんがなんどかミクシィでボクの日記を読みにきた。そしてある日、町下さんがミクシィ日記に「今度映画至宝のトークイベントを新宿ロフトプラスワンでやるんだけど、来る人いますか?」と書いた。ボクは「行きます」とコメントした。 そしてイベント当日。最初はもうすぐ公開予定のおすすめ映画の話などをしていたが、休憩を挟んだあと「アンソニー・ホプキンス特集」が始まった。テーマはリチャード・アッテンボロー監督アンソニー・ホプキンス主演の『永遠(とわ)の愛に生きて』という映画だった。ボクはその映画を見たことがなかった。町下さんの喋りを聞いていて「これはもしかしてアンソニー・ホプキンスに託してボクのことを言っているのではないか」という気がしてきた。  音を消して『永遠の愛に生きて』の映像だけをスクリーンに映しながら町下さんは喋りだした。 「最近ボクはアンソニー・ホプキンス萌えで。アンソニー・ホプキンスは名優と言われているけど、似たような役を何度もやっている。それは『羊たちの沈黙』『日の名残り』『永遠(とわ)の愛に生きて』。『羊たちの沈黙』を見た人なら誰もが思う疑問ってのがあって「どうしてこんな優秀な人が捕まったのだろう」ってこと。これは映画にも原作にも書かれていないから、想像するしかないんだけど、たぶんレクター博士は自分が頭が良すぎて、周りがバカにしか見えなくなり、愛想が尽きて自分の意志で刑務所に引きこもったのだと思う。だいたいレクター博士がエドワード・ノートンみたいな声の甲高い男に捕まるわけがない(これは『レッドドラゴン』という映画のことを言っている)」そう言ったところ、町下さんの相棒のガース柳山こと柳山毅一郎さんが「でもエドワード・ノートン、中身ブラッド・ピットだからねえ(『ファイト・クラブ』という映画のことを言っている)」と言った。町下さんは続けた「そこにジョディー・フォスター演じるクラリスって女の子が現れる。最初はクラリスをバカにしていたレクター博士だけど、一緒に捜査をしているうちにお互いに恋心が芽生える。それで「やっぱり世の中に出ていかなきゃいけない」と思い、最後は脱獄する。だから『羊たちの沈黙』は恋愛映画でもあるんだよ。逆に女の子の気持ちに答えられなかったのは『日の名残り』もう時代遅れになった執事という職業にアンソニー・ホプキンスはひきこもっている。そこでエマ・トンプソンと恋愛して、エマにこう言われる。「私、ある男性にプロポーズされたの。どうすればいいと思う?」って。『日の名残り』を見るとわかるけど、エマ・トンプソンはアンソニー・ホプキンスに「その男と結婚しないで欲しい。その代わり私と結婚して欲しい」って言って欲しいんだよね。だけどアンソニー・ホプキンスは「自分は執事だから恋愛をしてはいけない」と思って、エマ・トンプソンに「その男と結婚したら」と言ってしまう。で、10年後に会った時、「僕たち結婚していたら今頃どうなっていたんだろうね」っていうのが『日の名残り』で、『永遠(とわ)の愛に生きて』は『ナルニア国物語』を書いた、C・S・ルイスという大学教授の男の実体験の映画化なんだけど、そういう学問の狭い世界にひきこもって、周りをバカにして、小さな国の王様のようにアンソニー・ホプキンスは生活している。社会と繋がりを断って映画をや本をたくさん見ててもあまり意味がない。そこにデブラ・ウィンガー演じる女性が現れて、恋愛する。デブラ・ウィンガーにアンソニー・ホプキンスは言われる「あなたが付き合うのは、自分より弱いか、自分より若いか、自分の言うとおりにする人間だけ」子供の頃、母が死んで心を閉ざした主人公は、最後は恋愛を通じて心を開いていくんだ」  ようするにボクが映画至宝を石原竜太郎に例えたことの復讐で、町下さんはボクをアンソニー・ホプキンスに例えたのである。そして町下さんからのメッセージは「キミは女性と出会う前のアンソニー・ホプキンスにそっくり。映画の中でアンソニー・ホプキンスがそうしたように、女性と出会って、恋愛して、バカにしていた社会はやっぱりそんなに捨てたもんじゃないと思って、世の中にもう一度出ていかなきゃいけないよ」というものだった。もちろん町下さんはその後「××××って作家の偉そうな態度がムカつくんだよ」「◯◯ってマンガで、すごい怒っているキャラクターが怒ってるんだよ。怒ってるのはわかるんだけど、なんで怒ってるのかはわからないわけ。それである時そいつのパンツを脱がせてみたら、そいつのちんちんがすごい小さかったんだよ。そうか!それでこんな怒ってたのか!って」って付け加えるのも忘れなかったが。ボクはアレがあんまり大きい方ではないので、図星を突かれてドキッとした。  正直、言われた時は「チクショー」と頭にきたが、家に帰って落ち着いて考えてみるとボクの生きかたに関して町下さんの言うとおりだった。説明するまでもなく頭にきたのは事実を突かれたからである。  ある日母と口論して、泣かせてしまったことがボクの底付きになり、それまで飲まなかった薬を飲むようになり、少しずつ精神が回復していった。口論の内容はいつも芝学園でのことだった。まだボクは芝学園時代の過去に囚われ続け、未来に向かって生きていなかった。    町下さんのトークライブでの遠回しな説教と、母を泣かせてしまったことと、内田樹の『下流志向』という本を読んだことをきっかけにボクはだんだんひきこもりから脱出するようになっていった。  ボクはリハビリもかねて車の運転免許を取ることにした。その時埼玉県の草加市が「車の運転免許を取ると精神障害者に10万円の補助を出す」という制度を設けていた。ただし免許が取れてから補助金がもらえるという制度で、30数万円は最初は自腹で払う必要があった。  ボクはマルイの教習所のパンフレットを貰い、そこで評判の良い水原教習所に行くことにした。水原教習所は新潟県にあり、15日間の合宿コースを申し込んだ。「そんなのやり通せるの?」と母に言われ、父に言われ、ついでにみっちゃんにまでも言われたがその頃は病院でもらったエビリファイという新薬が効いて精神的にも落ち着いてきていたから、思い切って行くことにした。  埼玉から新潟まで新幹線で行き、そこから水原教習所の送迎のバスに乗った。そこであることに気付いた。他の教習所は「タトゥーを入れた方お断り」とパンフレットに書いてあったが、水原は特にそういうことが書いておらず、必然的にヤクザが通ってきていた。ボクがいた期間だけで2人もいた。ボクと同期に入学した在日韓国人のヤクザはボクでも聞いたことがあるナントカ組の幹部だった。幹部と言ってもまだ若く、30代後半ぐらいだった。一度免許をとったが、スピード違反で免許が取り消しになり、今回免許を取りに来たのだという。  教習所に通うようになってすぐに気づいたのは、ボクには運転の才能がない、ということだった。「まあ、原付も運転しているし大丈夫だろう」とのん気に構えていたが、結局仮免を取るまでに5日も延泊してしまった。「延泊の神」というあだ名が付いた。  5日も延泊するということは、当然同期は先に卒業してしまうということである。ボクはひとりぼっちになるのがイヤで、5日遅れて入学してきた人たちと仲良くなろうと考えた。  山本さんという背の高いスラっとした肌の白い女性がその5日遅れで入学してきた組の一人だった。教習所からボクらが泊まる寮までバスで移動するのだが、早くバスに乗って待っていると山本さんが話しかけてきた。 「この前入学してきた山本です」 「あ、こんにちは。白瀬です」  それからしばらく喋り、山本さんと打ち解けてきた。ボクがなにげなく「終わったら一緒に飲みにでも行きませんか?」と言うと山本さんは「なんであなたと飲みに行かなきゃいけないんですか」と急に態度を変えて怒り出し、口を利いてくれなくなった。  しまったな、と思い、いろいろ考えをめぐらしていた。5日遅れてきた組は4人とも女性で、入学以前から友だちだったのかすでに仲が良い。ということは今山本さんに嫌われているわけで、ということはその友だちにも嫌われてやっぱりボクは孤独にここを卒業しなければならないのではないか。と考えた。  その日の教習がお昼に終わり、ボクは寮が無料で貸出ししている自転車を借りて、新潟の田舎町をブラブラと走った。  しばらく走ると和菓子屋があった。店も清掃が行き届いている印象を受け、中に入った。そこでどら焼きが1個100円だったので5個買った。  寮に戻り、食堂に座っていると、山本さんと同期の佐藤さんという人が来た。 「あの」と呼び止めた。 「なんですか」 「あの、ボクは男だから女子寮に入れないんだけど、山本さんを呼んできてくれませんか?」  佐藤さんは引き受けてくれ、女子寮に行き、しばらくすると一人でやってきた。 「会いたくないと言っています」 「そうか、それならお友だちと一緒でもいいから来てくれませんか?と伝えてください」  また佐藤さんは女子寮に入り、山本さんと友だちを連れて4人で来た。 「さっきはごめんなさい」と謝った。「馴れ馴れしかったです。それでお詫びにどら焼きを人数分買ってきたんだけど、よかったらもらってください」4人は顔を見合わせ「じゃあ」と言ってお礼を言ってどら焼きをもらってくれた。  翌日食堂で朝食を食べていると「おはよう、白瀬さん」と言って山本さんが来た。どうやら許してくれたようだった。  それからその5人のグループに入れてもらえ、休憩時間に喋ったりするようになった。  ある日山本さんの仮免がなくなってしまったことがあった。あまりそういうミスはしない人であったが、うっかりなくしてしまったらしい。弱り目に祟り目で、佐藤さんから聞いた話によると、山本さんの部屋に仮免を探すため、男の教官が2人入ってきて部屋に入った第一声が「いい匂い」だったんだそうだ。  それで山本さんはすっかり弱ってしまっていた。事情を聞いたボクは「探してみようよ」と言った。「探したのは部屋だけだったんでしょ」そう言って休憩時間にボクらの乗る練習車は20台ほどあったが、それを一台一台ていねいに探した。その他、食堂や待合室などを探した。そこで見つかればかっこよかったが、結局見つからなかった。その日は日曜日で、仮免の発行は日曜日にはできない。山本さんは自動的に一日延泊になった。  山本さんが寮に戻ると、佐藤さんが「彼女チョコレートが好きだから買ってあげなさいよ」と言った。水原教習所の近くには有名なチョコレート屋さんがあった。ボクらは自転車をレンタルしてそこに行き、チョコレートのパウンドケーキを買った。チョコのパウンドケーキはオレンジが乗っているものとプレーンのものがあり、ボクはオレンジとチョコレートは合わないと思っているので、プレーンの方を買った。佐藤さんは「白瀬さんの食べたいものを買ってどうするの」と呆れていた。  帰り道クジャクが飼育されているのを見た。クジャクは3匹いて、一匹はオスで、二匹がメスだった。オスは発情しているのか一匹のメスのところに行って羽を広げて求愛し、そのメスがその気でないとわかるともう一匹の方へ行き、求愛した。そしてそのメスもその気がないとまたもう一方のメスへ、と繰り返すのをしばらく見ていた。 「これさ、どっちか一方のメスに決めて求愛しなきゃ振り向いてくれないよね」と言うと佐藤さんは笑った。「あとさ、知り合いに孔美さんって女性がいて、『孔雀のように美しく』ってのが名前の由来なんだけど、クジャクが美しいのはオスだよねえ」また佐藤さんは笑ってくれた。  寮に帰り、山本さんにパウンドケーキをあげた。「これ食べて元気だしなよ」と言った。    その翌日から山本さんのキャラクターが変わった。今までのクールビューティーはなんだったんだってくらいのぶりっ子キャラに変わり、やたらとボディタッチをしてくるようになった。ボクのことを「しろっしー」と呼びだした。  休憩時間に山本さんが「私、免許取ったら三菱自動車の車買おうかなあ」と言った。 「ダメだよ三菱なんて。あそこはリコール隠ししてるから良くない。もっとホンダとかにしたほうがいい」とボクが言うと、 「・・・私、三菱自動車で働いてるの」と言った。気まずくなった。  その時教えてもらったのは、車の免許がなくても自動車会社に就職できるということだった。  厳しい教官にいじめられたりもしたが、ボクと山本さんは同じ日に卒業できる事ができた。佐藤さんたちは前日に卒業していった。校長に帰りの新幹線の切符をもらい、山本さんは横浜に住んでいたので、一緒に帰ることにした。  帰りの新幹線で山本さんはボクの人生はどういうものだったのかといろいろ訊いてきた。子どもの頃の話や、高校を中退した話や、ピロウズの話や、ウェイン町下さんの話などをした。どの話も「うんうん」と言って山本さんは聞いていた。  そうして話をしているうちに、ボクは猛烈に腹が立ってきた。というのは最初にバスで出会った時、山本さんが「なんであなたと飲みに行かなきゃいけないんですか」と言ったことを向こうが謝っていない、という怒りだった。そりゃどっちが悪いか、裁判官的に判断すればボクが悪いのだろう。もし本当に軽くでもいい、山本さんが「あの時はごめんなさいね」とでも言ってくれば別に気にしなかった。でもこの人の中ではあの件はボクが悪いってことで話が済んでいるんだな、と感じた。恋愛は、うまくいっている時はいい。でもダメになった時にまたああいう態度をとられて、ボクがペコペコしなきゃいけないのか、と思うと、「この人はイヤだな」と思ってしまった。  東京駅に降りた。「また会いませんか?」という山本さんに「いや、あなたとは二度と会わない」と言って去っていった。 今こうして書いていて「もったいなかったな」「悪い事したな」「人間的に未熟だったな」「そのくらい目をつぶってやれよ」と思うが、もうどうしようもない。  家に帰ると、電話では黙っていたが祖父の兼次郎が危篤状態だと母は言った。  数日後、鴻巣免許センターに行き、無事にペーパー試験に合格して免許を取ることができた。その日、病院に行き兼次郎に取ってきたばかりの運転免許を見せた。兼次郎は「おめでとう」と言い、死んだ。祖父は引きこもっていたボクをずっと心配してくれていた人だった。そんなボクが免許を取り、すこし未来に向けて進んでいけそうになった日に祖父は亡くなった。    第四章 キミはボクを好きかい  みっちゃんに「船の免許を取ろうかと思っているんです」という話を診察室でした。西田敏行と三國連太郎の『釣りバカ日誌』という映画を観てて「ああ、こういう釣り人に釣れるポイントを教えてあげる仕事がしたいなあ」と思ったのだった。松竹喜劇は『男はつらいよ』はあまり好きじゃなく(母親は大ファンだが)代表作を何本か観たことがある程度だったが、やまさき十三と北見けんいち原作の『釣りバカ日誌』はボクのお気に入りだった。海が好きだったので、海での仕事がしたいと以前から思っていた。するとみっちゃんは 「いや、あなたは精神保健福祉士になりなさい」と言った。  みっちゃんは普段は患者の話を聞くだけで、特に求められない限り自分の考えをはっきりと言わない人だったからビックリした。  精神保健福祉士という言葉は聞いたことがあったが、どういう仕事かまでは知らなかった。簡単に言えばカウンセラーである。ボクはのさか医院のPSW(精神保健福祉士はよくこう呼ばれる)の女性と面談し、その人に魅力を感じたこともあって目指すことにした。    学校選びが重要である。というのは家から遠いとまた通えなくなる未来が見えていたからであった。  ある日母が「この学校どう?」と埼玉県立大学のホームページを見せてくれた。緑の多い広い土地にコンクリートむき出しのオシャレな建物が立っていた。内田樹が『街場の大学論』で書いているが、学校にいちばん大切なのは建物だという。建築の良し悪しはボクにはわからないが、直感的に良い印象を受けた。しかもその学校はボクの住む草加市の隣の越谷市にあった。しかもその学校の最寄り駅はせんげん台駅で、草加駅から下り列車で行くことができる。芝学園時代に毎朝満員電車に乗るのが苦痛で、反対側のホームのガラガラの下り列車を見て「ああ、こっち側の電車に乗りたい」と憧れ、登校拒否時代は本当に下りの電車に乗り東武伊勢崎線で栃木の方まで乗ってしまった日々の気持ちを思い出した。  学校見学に行くと「センター試験で7割取れば受かる」とアドバイスをもらった。広々とした美しい建物や、そこに通う自分を想像してうれしくなった。  しかしその大学の存在を知ったのは秋頃だったので、1月のセンター試験でロクな成績が取れず、しかも2次試験で面接にスーツを着ていくことを知らずに私服で来てしまい、その面接で「この学科で取れる資格を知ってるか?」という質問に精神保健福祉士としか答えられず(精神保健福祉士の他に、社会福祉士と保育士の資格が取れる)、トドメにセンター試験の成績がわかるバーコードが印刷された紙を持ってくるのを忘れるという失態で、見事にボクは落ちた。  ボクは浪人し、駿台予備校の池袋校に行くことになった。大宮校と迷ったが、池袋校は都内にあるため、比較的成績の悪い学生が通う池袋校でも良い講師陣に教えてもらえるという話を説明会で聞いたので、池袋校にした。満員電車が不安だったが「1年の辛抱さ」と自分に言い聞かせた。    予備校は楽しかった。ボクは1年中ビーチサンダルで予備校に通っていた。雪の日もビーチサンダルで行ったところ「キミ、ゴム草履なんか履いて寒くないのか?」と教師に訊かれた。めんどくさいが寒いに勝つのである。最初の授業ではI can't help but laugh.のhelpは「避ける」という意味が昔はあったからだ。ということを教わった。へえ、と思っていると現代文の授業が始まった。「さぁ!今日も頑張っていきましょう!」という大きな女性の声が聞こえた。それが現代文の古川愛子先生だった。  古川先生は身長が150センチなくて、小さいが明るくてパワフルで一緒にいて元気をもらえる先生だった。また、授業中飲み物やお菓子を食べてもよく(ただし音が出ないもの限定だが)、授業はテキストに色ペンを引かせながら行われ、答えの選択肢をとても大きな字で書くのが特徴だった。  夏だった。ボクは自習席を予約するため、階段に並んでいた。そこに古川先生がやってきて「今日も元気にいきましょう!」と言った。 「古川先生、髪縛ったほうがいいですよ」とボクは言った。その時先生はポニーテールにしていた。 「そう、じゃあこれから縛るようにするね」と言った。  それ以来、授業によく髪を縛って出てくるようになった。そんなことでボクはもともと「いいな」と思っていた古川先生のことが好きになっていた。以前AKB48の好きなメンバーにあげた財布をその子が使っているのをテレビで見てますます夢中になったファンを取り上げた番組をYouTubeで見たが、ボクも同じようなものである。  センター試験直前の古川先生の最後の授業だった。「最後にみんなにメッセージがあります」と言った。「大学に入ったら恋をしなさい」と。ボクが古川先生のことが好きなのがどこまで向こうに伝わっていたのかはよくわからない。ただボクの中で古川先生からのお別れの言葉、として受け止めた。「ボクは振られたんだな」と思った。  それでなんとか埼玉県立大学の社会福祉学科に合格することができた。今度はスーツで県大を受験したし、忘れ物もなかったし、取れる資格も暗記して行った。センター試験も7割3分取れた。合格発表を見に行く日、普段は仏壇に手を合わせたりするのをバカにしていたボクが必死に手を合わせていたのを母に見られ、笑われた。  今日が古川先生に会える最後。とクラス担任に言われ、合格のお礼も兼ねてお花とハンカチを持っていった。講師室に行き、勇気を振り絞って渡すと、 「かわいいかわいい」となんども言っていた。 そう言っている古川先生のほうがかわいいと思った。口には出さなかった。握手してもらった。 先生は今は結婚し、子どもも2人いるらしい。(Facebookで見た)  県大の入学式の前日、ボクは原付バイクでの行き方を調べるのも兼ねて県大に向かった。県大名物「連携と統合の丘」に登り、美しいキャンパスを見渡した。「ここでどんな素敵なことが起こるんだろう」と希望に胸を膨らませた。  ボクは「イタい男」であるとよく言われた。大学時代、片思いしていた女の子(ゆーたん)と喋っていた時「この学校にはイタいキャラがいなくていいね」と言ったら、その子は半笑いで気まずそうにボクのことを見ている。「なに?」と言って、しばらく考え「お前がイタい奴だ」と自分に言い聞かせるように言うと、その子はうんうんとうなずきながら口を押さえて笑った。  自分では自然にしているつもりだったが、こういうのは人の嗅覚のほうが正しいのであろう。みんなの前で偉そうにわけの分からぬ説教をしたり、「ワンライフくん」というチャールズM.シュルツとピカソとレイモンド・チャンドラーとスタンリー・キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』を組み合わせたようなキャラクターを黒板やらホワイトボードやらに誰も頼みはしないのにやたらと書きまり、そこに吹き出しを付けて一言メッセージを添えるというのをよくやっていた。周囲の人間は優しい人々なので、気を使って文句を言わないでいてくれたのが常だった。  大学に酒を飲んで出ることも一度や二度ではなかった。意思が弱いので、一度飲みたいと思うと止まらない。生まれて初めて酒を飲んだ日が、生まれて初めて潰れた日だったという天性のアル中であった。母親を脅迫して金をせびり酒を飲んだり、両親の財布から金を盗んでビールを飲むことなどを繰り返した。なぜそんなに飲むかと言えば、それはプライドの高さ故だろう。子どもの頃は成績が良く、将来を期待されて中学受験をして中高一貫の進学校に行ったものの、若者の鋭敏さで「この空間はニセモノだ。ニセモノの厳粛さだ」と見抜き、見抜いたはいいもののそれを言葉や芸術にする能力はないものだから、露骨に教師やクラスメイトをバカにし、当然教師主導のもとでいじめが行われ、高校2年の時に中退をし、その後すぐに大検(今は高卒認定というらしいが)を取り、みんなよりちょうど10年年上で埼玉県立大学の社会福祉学科に入ったはいいが、実質中卒。頭の良さもそこから派生したプライドもあるにも関わらず中学しか出ていないことのギャップから酒に依存するようになったのである。その証拠になんとか大学を卒業し、大卒の肩書が付くと、年のせいもあろうがウソのように酒に依存することはなくなったのである。肩書など普段はバカにするような発言をしている男も所詮はこの程度である。小さい。小さい。時々作家や政治家や芸能人が経歴詐称をして問題になるが、いけないことであるし、批判を受けるべきではあるが、もしかしたらボクもこんなことをしたのかもしれないとよく思うのであった。  精神医学の授業に酔っ払って出席し、記憶はないのだが友人の証言によると教室に入ってきた教授にいきなり「髪を切ったのですか?」などと話しかけ、教授に適当にあしらわれるとその後は授業中に大いびきを立てて後ろの席の女の子の机に頭を傾けて眠り続け、椅子から横に倒れそうになるのをその友人は何度も阻止し「授業どころではなかった」と言われた。教授はよくブチ切れなかったと思う。その後ろの席に座っていた女の子からはツイッターのフォローを外された。  体育の授業にも例によって発泡酒をたらふく飲んで出席し、壁に向かって走り壁にタッチして戻ってくるという授業で、普通の人々はちゃんとできているにも関わらず、泥酔して距離感がつかめず壁に激突し、メガネが壊れるということがあった。近眼なのでほとんどなにも見えず、その日は苦労した。  飲み会の時もみな適度に楽しく飲んでいるにも関わらず、ボク1人だけ出来上がり、そして同級生の青田くんという男がある女のことを好きらしいという噂を聞いていた。そしてその好きな女の子が田崎真希さんという女のことだと思い(あとから聞いたら違う女の子だったらしいが)いらぬお世話で仲を取り持ってやろうとして田崎真希さんがトイレかなにかで立ち上がった時彼女に壁ドンをした。顔を近づけ「ねえ、青田くんのことどう思う?」などと壁ドンをしたまま15分近く詰め寄っていたらしい。  自分のことを客観的に見るのが苦手だ。もしボクが自分のことを冷静に客観視できたらおそらく発狂してしまうだろう。「もう発狂しているだろう」と言う冷静なコメントは流すことにして、自分のことを冷静に見ないことにしてなんとか命をつなぎとめてきた感はある。人は知らない方がいい真実もあるのだ。たとえ人の目からは明らかであるとしても。  どうもキノコというのが苦手である。尊敬する岸田秀はその訳のわからなさからキノコが好きだと書いていたが、ボクはその訳のわからなさが苦手である。なんというかキノコは意思を持っているような気がする。「意志は持っているが、とりあえず今は黙っておこう」とう協定がキノコたちの間で取り決められているような気がする。食用のおとなしい色のキノコも、ある日突然なにかを合図に熱帯魚のような派手な色使いに変わりやたら甲高い声で「ホニョロロロ!ピテピテピテキー!」などと喋りだしそうである。ニーチェは「我々が深淵を覗き込む時、深淵もこちらを覗いているのだ」と言ったが、その言い方を借りれば、我々がキノコを食べている時、意思を持ったキノコたちはなにも言わないが、『こいつ、今オレを食っているな』と食われながら冷静に食べている人間を観察しているような気がするのである。そして人間・その他たちが自分たちキノコをどのように食べたかをなんらかの手段で(あの胞子というやつがあやしいと思う)ネットワークを形成し、情報を共有しているのだと思う。  入学してすぐ、身体検査があった。女子が先にやり、男子は後からだった。ボクが県大名物の「連携と統合の丘」を登っていると、向こうからニヤニヤした女が近づいてきた。 「白瀬さん、白瀬さん」 「なに?」 「白瀬さんのこと『おっさん』って呼んでいいですか?」  ボクは反射的にその女のことをひっぱたきそうになった。でも入学早々そんなことをしては問題になる。とりあえずなんでそう呼びたいのかを訊くことにした。 「なんでそう呼ぶの?」 「おっさんっぽいから」 「なに?社福女子みんなでそう呼ぶの?」 「いや、私だけ」 「・・・別にいいけど」 「やったあ!じゃあそう呼びますね」  そう言って、その女は去っていこうとした。別れ際に 「キミ、名前は?」と訊くと 「沢村縁です」と言った。  ゆかりって名前は小学校の時同じ名前の青川ユカリっていう壊滅的なブスの女がいて、ボクは「ゆかり」ってブスの名前だと思い込んでいた。  それ以来、沢村縁さんを見るたびに「けっこうかわいいな」と思うようになり「世の中にこんなかわいい女の子っているんだ」と思うようになり、好きになっていた。目が大きくて、茶髪の髪が長くて、ショートパンツが似合って、いつもニコニコしていて、ギャルっぽい感じが良いと思った。  なぜゆーたんのことを好きになったのか。たぶんピロウズの山中さわおさんの恋を追体験したかったのかもしれない。ピロウズの曲に出てくる女の子は小悪魔的なキャラが多く、ゆーたんにどこかそれを直感的に見たのだろう。「人のことなんてわかるはずはない」と言う発言は一目惚れをしたことのない人間の発言である。    入学してしばらくしてからゆーたんにチュチュアンナのおしゃれな靴下3足をプレゼントした。 ゆーたんの誕生日を知りたいと思った。プレゼントをあげられる理由になるから。  授業が始まる前、廊下に設置された長椅子で尋ねると 「7月8日。平成6年の7月8日だから、6・7・8って覚えやすいでしょう」と言って笑った。ゆーたんはよく笑う。    朝目覚めるとゆーたんからラインが来ていた。 「おっさん起きてる?」という内容で、その後すぐ「やっぱなんでもないや~。ごめんね~」というコメントと、謝っているイラストのスタンプが押されていた。当時のラインは書き込みを消去する機能はなかった。 「ゆーたん、ボクに告白しようと思ってやめたのかな?」と都合のいいことを思った。 なぜそう思ったかというと、ゆーたんは廊下ですれ違うとこちらに近づいてきて、ニコニコして「ウチ、ゴリラみたいな男が好きなんだよね。ブサイク専なの」とよく言った。告白して大丈夫だよ。の合図を出しているように感じられた。 また、入学後のオリエンテーションで知り合った他学科の男に告白されたが断った。という話もした。「なんで断ったの?」と言うと「ううん、なんでだろう」と言ってニコニコと笑った。 そういう事があったから、告白しようと思ったがなかなか勇気が出なかった。  翌日県大でゆーたんに会うと、こちらから尋ねる前から 「いやあ、飲み会をしようと思って、誘おうと思ったけどやっぱりやめたの」と言った。 「いや、やろうよ」 「うん、じゃあやろうか」と言って、他の友だちも誘って飲みに行くことになった。 「そういえばさ、別に履かなくたっていいんだけどあげた靴下履いてる?」と尋ねると、 「うん、今も履いてるよ。ホラ」と足をあげた。ゆーたんのミニ・スカートがめくれて青いレースのパンツが見えそうになった。  ボクは慌てて横を向いて見ないように努めた。 「ちょっ・・・ちょっと足を下ろしてよ・・・下ろした?」 「うん、下ろしたよ」それを聞き振り向くと、恥ずかしそうにゆーたんが笑っている。 「ダメだよ女の子がそんなことしちゃあ」 「はーい。気をつけます」と言った。  結局はその飲み会で、ボクがみっちゃんや他の女の子と並行して好きだった女の子がいたことがゆーたんにバレてしまうと 「ありえない。ウチそういう男とは付き合いたくない」と言われてしまった。  大学1年の4月の終わり、社会福祉学科の学生たち71人は10班ほどに分けさせられ、パワーポイントで調べ物の発表をする授業があった。発表の内容はなんでもよく、ボクの班は県大周辺マップのバリアフリー状況を調べることにし、ゆーたんの班は口紅のメーカーごとの違いについて調べることにした。  ゆーたんの班の人たちがパソコン室に集まっていた。ボクはその時暇だったことと、ゆーたんと一緒に居たいので、パソコン室にいた。  外山美咲さんという、小鳥が人間になったらこんな感じだろうと思われる感受性のとても強い痩せたかわいい女の子と喋っていた。突然外山さんは話題を変えて言った。 「ゆかりちゃん、白瀬さんの後ろでずっと変顔をしてた」ボクは振り向き、ゆーたんの顔を見て、 「変顔?そう?かわいい顔してるよねえ」と言うと、 「白瀬さんはゆかりちゃんのことが好きなんですかあ?」と外山さんは言った。 「ああ、そうだよ!」とうるせえなあ!と言ったニュアンスで答えると、外山さんは満足そうにニヤリと笑った。周囲にいたゆーたんと外山さんと同じ班の人たちもボクの方を見て笑った。ゆーたんは 「ウチ、美咲ちゃんとラブラブだもんね」ニコニコしながら言うと 「そうね」と外山さんは言った。 「なんだよそれ!」とボクは叫んだ。  「わわわ」という主に知的障害を持った子どもたちと遊ぶサークルがあった。そこにボクは5月から入った。  5月はペットボトルで作った水鉄砲で遊ぶという内容で、ペッドボトルの蓋にキリで小さな穴を開け、ペットボトル本体に絵を描いてできあがりだった。それに水を入れてみんなでかけあって遊んだ。着替えを持っていない人は必死に県大の広場を逃げ回っていた。ボクはペットボトルに充血したリアルな目をたくさん書いて気味悪がられた。映画『ブルー・ベルベッド』の監督デヴィット・リンチは耳にこだわりがあるようだが、ボクは目にこだわりがあった。  水のかけあいっこに疲れて大学生たちが休憩していた。子どもたちは元気でまだ水鉄砲の打ち合いをして走り回っていた。  外山さんはボクをしばらく上目遣いで見ると、隣にいたショートカットの似合う唐草さんという同じ社会福祉学科の女の子に耳打ちして、二人で笑った。 「なになに?ボクにも教えて」と言うと、二人はこっちを見てニヤニヤしながら、 「ゆかりのことが好きなんですかあ?」と外山さんは言った。 「う、うるせえなあ」 「ゆかりのことが好きなんですかあ?」と唐草さん。 「うるせえなあ」 「大好きなんですかあ?」と外山さん。 「どうだっていいだろ」 「ゆかりのことが好きなんですかあ?」と外山さん。 「うるせえなあ」 「あー、『うるせえなあ』だけじゃわかんないですう」と唐草さん。 「わかってどうすんだよ」 「面白い」 「面白いって・・・っていうかなんで岡川さんもちゃっかり聞いてんだよ」いつの間にかギャラリーが3人に増えている。岡川さんもニヤニヤしながら聞いている。 「ゆかりのことが好きなんですかあ?」と唐草さん。 「うるせえなあ」 「どんなところが好きなんですかあ?」と外山さん。 「・・・かわいいところかな」 「やっぱり好きなんだあ!」と外山さん。 「違うよお」 「告白はしたんですかあ?」と唐草さん。 「関係ねーだろ!」  28歳にして18歳の女子大生にからかわれて内心マゾヒズムが刺激されてゾクゾク興奮した。  夏休みの「わわわ」の活動で、ボクたちは植物園に行くときの手作りのプログラムを作っていた。岡川さんが書くことを喋り、それを書記のボクが書いていた。植物園のクイズをプログラムに書いておき、植物園で子どもたちが探しながらその答え合わせができるという計画になっていた。  岡川さんが「緑色の花はあるかどうかわかりますか?」とクイズを言った。 「あれ『みどり』ってどう書くんだっけ?」ボクはそう言った。誰も返事をしないので、適当に漢字を書いた。なんか違う。 「・・・これじゃあ『縁(ゆかり)』だ。そうボヤいて消しゴムで消していると「ううふん、うー、ううふん」と言う変なうなり声が聞こえてきた。顔をあげるとそれはうなり声ではなく、岡川さんの引き笑いだった。 「なんだよ」 「うー、ううふん、うー」 「なんだよ。失礼だろ!」岡川さんはしばらく笑い続けていた。 「ゆかりのことばっかり考えてるから『緑』を『縁』って書いちゃうんですよ」と冷静に唐草さんが分析してくれた。  ううふん、うー、ううふん、うー・・・  1年の夏休みにカラオケに行った。5人ほど集まった。ゆーたんも来た。  しばらく歌い、感想などを言い合っていた。ただジェネレーションギャップで今の若い人の間に流行っている音楽はほとんどわからなかった。ボクはカラオケでやりたいことがあった。  ゆーたんがトイレから戻ってきたのを見て、ボクはデンモクを操作した。曲が始まる。「じゃあ、次の曲は沢村縁さんに捧げます」と言って、ピロウズの『GOOD DREAMS』というアルバムに入っている『天使みたいにキミは立ってた』を歌いだした。ボクはこの『GOOD DREAMS』というアルバム全体がボクからゆーたんへの想いを歌っているように以前から感じていて、特に4曲目の『天使みたいにキミは立ってた』が、ゆーたんに似合う曲だと思っていたのである。    急に雨が降り始めて    道の真ん中でただ濡れている    キミを好きになった日から    格好つかないな恥ずかしいな    特別な予感    勝手に一人でシビレている    開く事のない最後の扉を    たやすく くぐり抜けて    キミは立ってた天使みたいに  歌っている間中、ゆーたんは「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」と言いながら、そんなにやることあるのかな?と思うくらいスマホをいじり続けていた。  歌い終わったあと、「どうですか?」と訊くと「ごめんなさ~い」と答えた。  SMAPの『らいおんハート』を歌わされた。なんとなく聞いていたので、少しは歌えた。しかし『キミを守るため そのために生まれてきたんだ』の歌詞のところで歌うのをやめた。 「歌わないの?」と友だちがいった。 「ボクは『女を守る』って歌詞が嫌いなんだよ。女は守られるべき存在なのか?って思わないか?あとなにから守るんだ?戦争からか?格差社会からか?B層からか?それらから守るとして、どう守るんだ?」 「えー、ウチ『守ってあげる』って言われるの好きだよ」とゆーたんが言った。  10月になり、学園祭の季節がやってきた。埼玉県立大学の学園祭は清透祭という。県大は医療福祉系の大学なので、それに求められる清潔感や透明性、正当性と言ったものが「清透祭」というネーミングには含まれている。  ボクとゆーたんはイベント班をやった。ミス・ミスター県大コンテスト。主に子供向けのスタンプラリー。そして首にぶら下げた番号と同じ番号をぶら下げた異性と出会うと記念品をもらえる運命の人などを担当した。ボクとゆーたんは入口近くで受付やイベントの説明などを行った。イベント班の班長の2年生の女性は当日チップとデールの着ぐるみを着ていて、子どもたちから大人気だった。  最初は忙しかったが、こういうのは潮の満ち引きのように急に暇になる時がある。ボクはやらなかったが、ゆーたんは運命の人に参加していた。 「運命の人見つかるといいね」とボクは言った。 「238番だよ。いるかなあ?」とゆーたんはピンクのペンで書かれた番号を見せた。 「あった」と言って男用の青いペンで書かれた238番の番号を書かれた紙を見せた。 「こわーい!」 「違うよ。今箱の中を覗いたらたまたまあったんだよ。目の色変えて探し回ったわけじゃないよ」 「こわいからやめて」  わかったよ。と言って男用の238番をもとに戻した。  お昼すぎになると地元の小学生の男の子が238番の番号を箱から引いた。 「あ、それウチ」とゆーたんが言い。ポラロイドカメラで二人を撮影し、その写真を壁に貼り(運命の人が見つかった人たちはそうする決まりだった)記念品を2人に渡した。ついでにボクのスマホでも2人を撮影し、ラインでゆーたんに送信した。  送った写真を見ながらゆーたんが「これってウチに対する神様からのメッセージだよね。『もっと純粋になりなさい』っていう」 「そうだろうね」地元の子どもたちが楽しそうにスタンプラリーの紙を握って何人も走り去っていく。 「子どもかわいいな」とゆーたんは子どもたちを眺めながら言った。 「子ども好きなの?」 「うん、好き。おっさんは?」 「子どもによるね」と答えた。「レストランとか電車とかでうるさいやつとかいるじゃん」 「あー、それを言ったらそうだね」と言い、もう一度「子どもかわいいな」と言った。 「あの、ボクで良かったらいつでも力になるんで言ってください」 「おっさんは力にならないから」とニコニコしながら手を横に振って言った。  こうして過ごしていると、世の中にはまるでなにも問題がないかのような気分になってくる。 「あー、なんでウチダメ男としか付き合えないのかなあ。」と机に突っ伏してゆーたんが言った。スマホから元カレとディズニーに行った写真をスマホで見せた。 「こんないい笑顔をするのにどうしてだろう」その元カレの笑顔はなにか下心のあるような笑顔にしかボクには見えなかった。 「ウチもみんなみたいにディズニーに行った写真とかツイッターにあげたいんだけど彼が『ダメだ』って言うの。それなのに、別れたあと彼は他の女の子とディズニーに行った写真を普通にリツイートしてて、それがつらいの」 「ボクの尊敬する人にフロイトって精神分析を作った人がいてね、ホラ、精神医学で習ったでしょう。ボクは岸田秀とかフロイトとかの精神分析の本をよく読むんだけど、その精神分析の本を読むと、ダメんずに引っかかる女の人はお父さんに原因があるって」 「ああ」そういうことか、納得した。というニュアンスでゆーたんが答えた。 「なに?心当たりあるの?」 「ああ」 「だからお父さんを恨むと言うか『ひどい人だったんだな』ってちゃんと思わなくちゃいけないんだよ。どこかでお父さんのこと許しているから似たようなのにひっかかるんだよ。そうしないとダメんずに引っかかり続ける人生になっちゃうよ」 「ダメ。ウチそんな事できない」とゆーたんは言った。理屈と現実には壁があるという当たり前のことをボクは改めて思った。 「なにじっとウチのこと見てるの?」 「いや、かわいいなあって」 「ウチの顔で自分で気に入っているところは顔の輪郭なの。細くていいじゃない。お気に入りなんだあ」 「ボクのゆーたんの好きなところは・・・」 「聞いてないから」 「全部かな」 「聞いてないから。やめて」  ある日社福女子たちが高校の制服を着て3限の授業を受けたことがあった。ボクたち社福男子が知らないところで、社福女子ラインでみんなで話し合って決めたんだそうだ。  いろいろなデザインの制服を着た女子たちを見て「青春時代が戻ってきたみたいだ」と言うと、成田啓介ことなりけいに「白瀬さん、目が血走ってますよ」と突っ込まれた。  彼女たちは授業が終わったあと、みんなで県大生御用達のル・グラン・ヴェルというパフェのおいしい喫茶店に行った。その様子がツイッターにアップされており、ボクはその画像を全部保存した。  大学に入って初めての夏休みだった。なりけいが企画して東武動物公園に行くことになった。なりけいとボクとゆーたんと真希ちゃんの4人だった。いわゆるダブルデートというやつだった。  東武動物公園の名物ジェットコースター『レジーナ』はイスのデザインが良くないのか、乗るとお尻が痛くなった。東武動物公園は名前の通り動物園も兼ねており、鹿にエサを手からあげることができた。モルモットやウサギなどを抱っこできるスペースもあった。  お化け屋敷に入ることになり、男女ペアになって、2グループに分かれて入ろうとなりけいが言い出し、男女に別れたグッパーでボクはゆーたんとペアになることができた。  最初になりけいと真希ちゃんのペアが入り、そのあとボクとゆーたんだった。  暗い中を歩いていると、包帯をグルグル巻いた男が急に影から飛び出してきた。「キャー」と言ってゆーたんがボクに抱きついた。ボクも包帯男にビックリしたので、怖さが先にあり、あとから嬉しさが来た。子供だましと思っていたが、かなりドキドキした。  お化け屋敷から出てくると、なりけいと真希ちゃんが「どうだった?」と訊いてきた。 「かなり怖くなかった?」とボクが言うと、 「怖いってかビックリした」となりけいが言った。飄々とした性格のなりけいでもやはり怖かったらしい。 「包帯男が突然出てきた時、ゆーたんが抱きついてきた」とニコニコしながらボクが言うと 「え、じゃあ白瀬さんゆーたんのことますます好きになっちゃったんじゃない?」とからかってなりけいが言った。 「うん」と笑って答えると、ゆーたんが 「ちょろい」と言った。  ボクたち3人がドン引きしているのに気付いたゆーたんは両腕を軽く挙げて顔の前で交差させたあと腕を開いて「ゆるふわです」と言った。  もう1回レジーナに乗ろうという話になり、列に並んでいた。 「ボクはお化け屋敷みたいな人間になりたいんだよ」とボクは言った。 「なに?どういうこと?怖い存在でいたいってこと?」とゆーたんが言った。 「いやあ、山口瞳さんって作家の人が言ってたんだけど、昔は五味康祐とか小林秀雄みたいな見た目からなにからとても同じ人間とは思えないような作家がいて、作家のパーティーに行くのってお化け屋敷を見に行くような面白さがあったんだって。チャールズ・ブコウスキーも『パルプ』って小説の中で『昔は作家の書いたものより作家自身のほうがおもしろかった』って」 「なるほどね」 「みんなお化け屋敷みたいに『ちょっと中に入るのは怖いんじゃないか、でも中に入ったら楽しいんじゃないか。勇気があるって証明できるんじゃないか』ってそういう風に思われる人間になりたいんだよ」  ジェットコースターの順番が回ってきた。  ゆーたんと2人で県大で昼食を食べた。誘ったら「いいよ」言ってくれたのだ。 「ウチ、結婚できるかなあ・・・」と食事をしているとポツリとゆーたんが不安そうにつぶやいた。 「ゆーたん大好き!ボクのお嫁さんになって!」 「ムリ」  あっさりした返事だった。  またゆーたんと食事をした。 「ウチ、結婚できるかなあ・・・」とまた言った。 「ゆーたん大好き!ボクのお嫁さんになって!」 「ムリ」  吐き捨てるように言った。  「結婚したーい」また別の日、ゆーたんは食堂の席に座るなりそう言った。ボクはからかうように 「キミさ、ボクに言って欲しくて言ってるだろう」 「なにが?」 「ゆーたん大好き!ボクのお嫁さんになって!」 「・・・ムリ」  それ以降ゆーたんは「結婚したーい」と言わなくなった。余計なことを言わなきゃよかった。  県大で一年から二年にかけての春休みにオーストラリア留学プロジェクトがあり、単位認定もされるというので親の許可を取り行くことにした。障害年金をあまり使わず取っておいてくれたのが幸運だった。  いきなり留学に行くわけではない。昼休みに定期的に集まりがあり、留学先の大学がどういうところであるか、とか英会話の勉強をした。その集まりに行って気づいたが、よく言えばハーレム、悪く言えば男一人で絶対ハブかれる未来が見えてしまったのだ。もともと男子2割、女子8割という大学であったが、留学する男が自分だけだとは思わなかった。しかもボクは10年遅く大学に入ってただでさえも浮き気味だったのに。留学する人の名簿を見ると同じ社会福祉学科の富岡さくらさんも行くことが分かった。少しであるが喋ったこともあり、仲も悪くない。私はさくらさんに昼ごはんやお酒をおごったり、さくらさんが休んだ日のプリントを取っておいたり、誕生日プレゼントをあげたり(さくらさんはディズニーのデイジー・ダックが好きなので、デイジーのクリアファイルをあげた)した。そして頃合いを見計らってこう言った。「さくらさんはオーストラリア留学の時、みんなで休日に遊びに行くときに『白瀬くんも誘ってあげようよ』という係ね」と言った。  女性というのは、って一般論にしたら失礼だな。女性はもちろんひとりひとり違うが、まあとにかく、爆弾が連鎖するというのがある。つまりA子とB子がいて、ボクがA子に嫌われると、なぜかボクが何もしていないA子の友人のB子にまで嫌われてしまうのだ。「なぜだ!」と叫んでみたところでどうにもならない。この辺は男にはなかなか理解できない部分だが、そういうものなのだ。なにが言いたいかというと、「この人とうまくいかなかったから他の人の所に行こう」的なことが出来ないのだ。ひとりに嫌われたら爆弾が連鎖して終わり。誰にも嫌われられないのだ。ひとり海外で女性陣に嫌われ寂しく過ごす自分の絵が浮かんだ。  留学前の集まりで「ペアを組んで英会話の練習をしましょう」となった。ボクは藤村梨菜さんと組むことになった。中学の同級生で藤村くんという人がいたのですぐ覚えた。「でもみんな私のことをりんごって呼ぶの」と言った。理由は丸顔でほっぺがりんごみたいだからということであった。本人はそのあだ名を気に入っているようで、第一印象は「おとなしい子だな」というものであった。  オーストラリア留学の日になった。成田空港から旅立つ。空港を乗り継ぎ、クイーンズランド大学に到着した。短期の学生証をもらったり、集合写真を撮ったりして初日は終わり。ホームステイ先に帰るとホームマザーが「もらったパイパーを見せろ」と英語で言う。パイパー、パイパー、と連発。パイパーってなに?そんな英単語習ったか?ピロウズのアルバムに『パイド・パイパー(ハーメルンの笛吹き男)』というのがあるが、それとは関係なさそうだ。とパニックになった。(ここであなたもパイパーとはなにか30秒ほど考えてみましょう)。そう、英語というものにも方言があるのだ。オーストラリア人は「e」を「アイ」と発音する。例えば「eight」は「アイト」と発音する。ここまで書けばお分かりだろう。「パイパー」とは「paper」の事だったのだ!そうだったのか!  というわけで留学者は15人ほどいて、5人ずつ3グループに分かれた。ボクはさくらさんのグループに入れてもらった。正確に書くとさくらさん、りんごさん(さくらさんとりんごさんは同じダンス・サークル「あんてぃーく」のメンバーなのだ)そしてりんごさんと同じ看護学科の中村琴子さん、永岡寛絵さん、ボクだった。琴子さんは目の下が膨らんでいるのがチャームポイントの美人で、彼氏がいた。寛絵さんはこれまた美人で、痩せていて、サッカー部に所属していた。スポーツマンが好きで、甲子園に出たことがある彼氏がいた。 留学は勉強が半分で、あとは観光だった。オーストラリアの最東端や、いろいろな街に連れて行かれた。英語の勉強は大学の英語の授業の方が簡単で、こんなので単位をもらっていいのかな?と思ったが、文句を言うわけではないので黙っていた。あちこち観光に連れていかれた。琴子さんが「白瀬さんはバイトしているんですか?」と言うので「してないよ」と答えた。ボクは働くのが嫌いで、お金が必要な時に短期のバイトをする程度だった。琴子さんは「そんな人彼氏にしようと思ってもできないです」と言った。「へえ、彼氏にしてもいいって思ってくれたんだ。うれしいな」と言ったら4人に気持ち悪がられた。 オーストラリアはどこも街並みがきれいで、観光をしているとき、木のアーチのかかった花畑を4人が歩いている後ろ姿を写真に撮った。なにげなく撮った一枚であるが、並んで歩く4人の歩き姿がそれぞれの性格を反映しているようで気に入っていた。5人のライン・グループのトップ画像は今もそれにしている。  土日は休みでみんなでゴールドコーストという海に一泊して行くことになった。クイーンズランド大学は留学生が多いからなのか、旅行代理店みたいなこともしてくれる。ゴールドゴーストにある安い宿も予約してくれた。担当の人は「男と女で部屋はseparateされている」と英語で言った。部屋は別々ってことね。  ゴールドコーストに電車で行くのだが、ボクは行き方を何にも調べないでいたので、4人に呆れられた。電車でゴールドコーストに着いた。砂浜が日本と違い、砂がサラサラとしていて白かった。さくらさんが黄緑色のビキニになった。28歳にして19歳の女子大生のビキニ姿を間近で見られるとはなかなかない体験である。他の3人はなんと呼ぶのかわからないが、ビキニの上から着る肌が露出しない水着を着ていた。ボクはアホなのでメガネをかけたまま海に入ってメガネを波にさらわれてなくしたりした。サングラスがあったので助かった。4人が浜辺で手をつないでジャンプしている写真をボクが撮らされた。ボクは男だからよくわからないが、なぜ女性は手をつないでジャンプしている写真を撮りたがるのだろうか・・・  琴子さんと寛絵さんとさくらさんが海で泳いでいて、ボクとりんごさんが海岸にいた。ボクはボクのスマホでりんごさんとさくらさんが自撮りした変顔の写真を見ていた。それにしてもなぜ女性は変顔を撮影するのが好きなのだろうか?常に顔をきれいに整えておかなければいけないストレスの反動からであろうか?さて話は変わってというか後で戻るのだが、好きな人に好きだと言いたくて、でも言えなくて、でも言いたいとする。その時にどういう方法をとるかというと、なにかを挟んで「好きだ」という方法がある。つまり好きな人の前で「コーヒーが」とコーヒーを挟んで「好きです」という方法がある。要するに「コーヒーが好きだ」と言っているわけで、それでいて好きな人の前で好きだと言えて、かつ気づかれないというテクニック(?)である。  ボクが浜辺で変顔写真を見ていて、「女の子って変顔撮るの好きだよねえ」というとりんごさんが「変顔撮るの好きです・・・」と言って一瞬言いよどんで「変顔撮るの大好きです!」と言った。「ん?」と思ったが、そのままにしていた。勘違いの可能性はあるし。ただその時からりんごさんのことが気になるようになった。りんごさんの話は日本に戻ってきてからも色々あった。やがてみんな泳ぎ終わり、琴子さんと寛絵さんが外にあるシャワーを浴びていた。そこにボクが通ると2人は水着の上から着る水着を脱ぎ、ビキニでシャワーを浴びている。「写真撮っていい?」と2人に訊くと「いいですよ」と答えた。ボクは急いで自分のスマホを取りに行き、2人のビキニ姿の写真を写メで何枚か撮った。琴子さんと寛絵さんは「彼氏にもこんな姿見せたことないんですよ!」と言っていた。引きこもっていたままだったらこんな体験はできなかっただろう。まるで青春時代が戻ってきたかのようだった。ウェイン町下さんの言ったことは正しかったのだ。  ホテルに向かう途中ボクは「spirits」と書かれた看板を発見し、ビール(バドワイザー。オーストラリア製のビールはお世辞にもおいしくない。また日本製のビールがオーストラリア人に人気で、クイーンズランドの英会話の先生はアサヒスーパードライが好きだと言った。ボクはアサヒスーパードライの味は好きだがCMの世界観がどうも苦手で、ピロウズのメンバーがライブ中によく飲んでいるという理由でサッポロ黒ラベルが好きだった)を6本ほど買った。(英語で酒はspiritsというのだ。ちなみに『七人の侍』や『用心棒』など黒澤明の映画でおなじみの俳優の三船敏郎が入国審査で「Do you have any spirits?」と訊ねられた時「Yes I have 大和魂」と答えた話は有名である) ホテルに着くと(この辺に外国旅行を感じるのだが)やる気のないフロントの若い男が部屋のカギを一つだけ渡した。ボクたちはそのまま5人部屋に行った。「男女別々の部屋に泊まります」と大学の旅行代理店のお姉さんは言っていた覚えがあるが、連絡が行っていなかったのか、行っていて忘れたのか無視したのか5人一部屋の部屋に入った。文句を言いに行こうかという話も出たが、海で泳いで疲れていたし、英語で交渉する気力も残っていなかったのでそのまま寝ることにした。ひとり用のベッドがひとつと、二段ベッドが2つあった。ボクは1人用のベッドで寝ることにした。その頃ボクはアル中だったので、ビールを6本とも飲んでしまった。  翌日目が覚めると昨日まで和気あいあいとやっていたので、非常に険悪な雰囲気になっている。さくらさんが「白瀬さんは女の子と同じ部屋に泊まる資格がないですよ」と言った。ボクは「女の人ってこんな低い声が出るんだ」と思った。ボクは床に正座せられ、4人からの大説教大会が始まった。「白瀬さんはマゾだから私たちが説教したら喜んで逆効果!」「いや、だとしてもこの怒りは収まらない!」などと言っていた。 この辺、笑えないので略。要点だけを絞って書くと、 ・酔っぱらったボクは「プールに入りたい」などと言い出し、ホテルにあったプールに入ろうとしたのを4人が必死に止めた。「私たちが止めなかったら溺死してましたよ!」 ・女性たちが恋バナをしようと集まったら、白瀬が「ボクも入りたーい」などとしつこかった。 ・トイレに行った後便座を下すルールが決められていたが、ことごとく無視して、そのたびに他のだれかが便座を下した。 ・酔っぱらって寝ているボクのいびきがうるさすぎて(『となりのトトロ』のトトロかと思ったそうである)海で泳いで疲れているのに一睡もできなかった。 ということらしい。うっすらと覚えているような気もするが、記憶にございませんというやつだ。かなり険悪な雰囲気だったが、言いたいことを言うと少し気が収まったのか、また遊んでくれるようになった。説教の途中「セクハラ的なことはしたのかな?」と言うと「そんなことしてたら部屋から追い出してましたよ!」と言った。どうやら超えてはいけない一線は超えずに済んだらしいことが分かった。  翌日はドリームワールドという遊園地に行った。  ジェットコースターに乗ったとき安全レバーがしっかりとハマっていなくて落ちそうになり、ボクは必死にレバーに掴まっていた。寛絵さんは着ぐるみ恐怖症なので、シュレックや映画『マダカスカル』の着ぐるみのキャラクターを怖がっていた。サバゲーもやった。2チームに別れ戦う。ボクら5人は同じチームになった。迷彩服を来た男が『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹のような喋り方でルール説明をするが、ボクたち5人は彼の英語がまったく聞き取れず、結果他の人たちはけっこうな点数を取れているのに、ボクたち5人は全員0点でボクらのチームは負けてしまった。「同じチームだった人たち『絶対あのアジア人たちのせいで負けた』って言ってるよね」と言って笑いあった。またドリームワールドにはホワイトウォーターワールドというとしまえんみたいなプールがあり、そこにいたのであろう上半身にビキニを着た白人の若い女性が通り過ぎた。 「おっぱいを見ない!」「ニヤニヤしない!」と口々に言っているのが聞こえた。白瀬さん、白瀬さん! 「はい」 「ちょっと。おっぱいを見てたことについて私たちになにか言うことはないんですか?」と琴子さんが怒った口調で言った。 「ああ、みんなのより大きかったね」と言うと、 「そういうことじゃない!」と怒られた。  月曜日にまたクイーンンズランド大学に行くと「埋め合わせは考えてきたんですか?」と琴子さんが言った。「考えてきましたよ」「なんですか?」ボクは手帳を出し「みんな、誕生日はいつかな?」と訊いた。それ以降卒業するまで、いや、卒業してからも誕生日プレゼントはあげるようにしている。ある時寛絵さんに「白瀬さんはプレゼントとレストラン選びのセンスだけはいい」と言われた。  他にもいろいろ楽しいことがあったが、そんな風にボクのオーストラリア留学は終わった。ただオーストラリアのご飯がまずいのは閉口した。イギリス系の国はメシがまずい。クイーンズランド大学でカツ丼を頼んだが、オーストラリアのお米はタイ米でジャポニカ米ではなかった。また、5人でたまには日本食を食べたいねと話して日本食のフードコートでいなり寿司を買ったところ、いなり寿司から強いアンモニア臭がした。酢とアンモニアを間違えていたのだろうか?とにかく食べる以前の問題で、そのまま口をつけずに残した。  オーストラリアから日本に戻り、大学2年生になった。4月の終わり頃、朝の6時に起きると夜中の1時にりんごさんから個人ラインが来ていた。「白瀬さん」とだけ書いてある。続きはない。当時のラインは書き込みを消去する機能はなかった。その書き込みを見てとっさにゴールドコーストでの「大好きです!」発言を思い出した。もしかしてと思ったが、違ってたら恥ずかしいので普通の返事を返すことにした「なんですか?」「またなにか不快なことをしてしまいましたか?」。しばらくすると返事が来た。「違います笑」「社福に外山美咲っているじゃないですか。誕生日わかります?」「わからなければ、全然いいんですけど◎」外山さんはりんごさんやさくらさんと同じダンス・サークル「あんてぃーく」に入っていた。とりあえず手帳をゴソゴソと探し、パラパラとめくってみると外山さんの誕生日がメモってあった。外山さんの誕生日をラインした。すると「ありがとうございます◎」と返事が来た。「本当に用件はそれだけ?」とラインしようかと思ったけど、やめた。  大学の授業が再開し1ヶ月ほど経つと引率の先生が留学したメンバーでお昼休みにピザを食べる会というのを企画した。  ボクたちはピザを食べながら、引率した先生に「留学でここはこうした方がいいというのがあったら教えて」と言われ、ひとりひとり順番に答えていった。誰が何を言ったのかまでは忘れたが、ボクは例のパイパーの話をして「オーストラリア特有の英語の方言を事前に教えて欲しい。しばらくなにを言っているかわからなかった」と言った。  ピザを食べる会が終わり、授業に向かう途中ダメ元で4人に「ねえ、定期的にみんなでお昼ご飯を食べようよ」と提案した。4人はあっさりOKしてくれた。それ以来、2週間に一回昼食会が開かれた。「白瀬ランチ」と呼ばれていたが、ボクはこのネーミングがあんまり好きじゃなかった。  昼食会でいろいろな話をした。ボクは時々ネタを用意して、特に話題が出なかった時に披露した。魔法の指。「黒」と言ってはいけないゲーム。心理テスト。コーヒーゲーム。カエルが10匹いたらその10匹の中に子どもはだいたい何匹いるか?眉毛を引っ張ると片方だけ動く。右手が右腕に付き、左手が左腕に付く。日本は北半球にありオーストラリアは南半球にあるので日本が夏のときにはオーストラリアは冬、では日本が3月の時にオーストラリアは何月か?日本列島には山脈が流れていて平地が少ないが、その日本で上り坂と下り坂はどっちが多いか?などなど。 2年の夏休みにみんなでディズニーランドに行った。3年の夏休みにはディズニーシーにも行った。4年の春休みには富士急ハイランドに行った。  留学のメンバーでせんげん台駅前の木村屋本店で飲んでいた。ボクはこの店がお気に入りで、昔は「たかが居酒屋に3500円も払うのはもったいない」と思っていたが(今はどうか知らないが)この居酒屋は女性の店員の制服がみんなショートパンツなのだ。さくらさんはバイトがあって来られなかったので、4人だった。みんな酒が回ってくると、 「白瀬さんは好きな人がいるんですか?」と訊いてきた。女はこればっかりだ。  ゆーたんのことは3人には言っていなかった。適当にムニャムニャ言ってはぐらかしていると、寛絵さんが5人のライン・グループに「さくらー白瀬さんの好きな人ってだれ?」と書き込んだ。 「ほら、2週間も一緒にいれば、情だって移ってくるだろう」とボクは酔っ払って言った。 「え、それって私たちの誰かが好きってことですか?」と寛絵さんがいい、3人はバラエティ番組のリアクションのように手を叩いて笑った。 「それが誰かは言わないでくださいね」と琴子さんが言った。「さくらー、やっぱりいい」と寛絵さんがライン・グループに書き込んだ。 「そういえば外山さんの誕生日会はやったんですか?」とりんごさんに訊くと「やってない」と言う。 「じゃあなんのために教えたんだよ」と少し強めにいうと、りんごさんは恥ずかしそうに笑いながら、「その話は、やめてよお」と甘えたような声で言った。  ある日の白瀬ランチで5人が食べ終わった後、まだ時間があったので誰かがお菓子のおまけに付いていた格言集が書かれた紙を出した。そこにはロダンの有名な彫刻「考える人」のようなポーズでトイレに座っている男のイラストに「できる男は座りション」とコメントが付いていた。 寛絵さんがふざけて「白瀬さんも座りションしたら?」と言った。 「そんな、座りションなんかしない」と怒った口調でボクは答えた。 「どうして?」 「どうして?どうしてってこれは人間の決断力に関わってくる問題だからだよ」 「ん?・・・言ってることがよくわからない」とさくらさんが言った。 「つまり男と女を比べると、男のほうが格段に決断力が優れているといいます。それはなぜかというと日頃から鍛えられているからなんだよ。つまり、男は『大をするか、小をするか』考えてからトイレに行くけれども、女はとりあえず座ってみて、それから考える」 「そうなの?」とさくらさんが言う。 「男は大と小の区別をしてトイレに行っている。だから女も同じようにやっていると、男は思い込んでいるんだ。だが実際は違う。女はなんとな~くもよおして、なんとな~くトイレに行って、便座に座って、大が出れば大、小が出れば小。そういうアバウトな日々の経験が積もり積もって自分一人ではなにも決められない人間になってしまうんだ」 さくらさんが「え、なに?女は大と小の区別をしないでトイレに行っているの?」と言うと、 「絶対そうだ!間違いねえよ!」と答えた。 琴子さんが「そんなことないよねえ。女だって、ウンチをしようかな、とかオシッコをしようかな、とか考えてからトイレに行くわよねえ」とりんごさんに言うと、りんごさんは 「えっ・・・」と言って絶句した。ボクは続けた 「だからこの格言の逆なんだよ。この言い方を借りれば・・・つまり・・・できる・・・女は・・・立ちションだよ」 「なんでできる女は立ちションなんですか」と言った寛絵さんの目を見て、ゆっくりと噛みしめるように 「では、なぜ、できる男は座りションなんですか?」と言った。寛絵さんは言い返せなかった。 「勝った」と勝利宣言をすると 「勝ってないから」と冷静にさくらさんがツッコんだ。 「どうやるんですか?」と琴子さんが言う。 「え?」 「だから」と琴子さんが言いにくそうに「だからどうやって女が立ちションをするんですか?」と言った。 「それは・・・」と琴子さんをじっと見た。 「ちょっと想像しないでくださいよ!」と琴子さんが叫んだ。 「いや、そうだ、思い出した。ボクは『RAW〜少女のめざめ〜』って映画で女が立ちションしているシーンを見たことがあるよ」 「飛び散るからよ」やっと寛絵さんが口を開いた。 「え?」 「飛び散るからよ」 「なにが?」 「だから・・・オシッコが」と寛絵さんが続ける。 「失礼な。幼稚園の子どもじゃあるまいし、ボクのオシッコは飛び散らないよ。ちゃんと水たまりを狙って撃ってるもの」 「狙って撃っても飛び散るの」 「飛び散らない」 「だから聞いて。トリビアの泉でやってたんだけど、オシッコは勢いよく出るから狙って撃っても便器や水たまりに反射して周囲にけっこう飛び散ってるんだって。だから座りションをしましょうって話なの」 「ふーん」  こういう話が済むと、最後はいつも4人からボクへのお説教大会で終わるのだった。ヒゲの剃り残しが汚いとか、ゴールドコーストでいびきがうるさくて眠れなかったとか、いい年して子どもっぽすぎるとか、チャイムが鳴るまで説教が続くのだった。  トイレと決断力についての議論を終え、3限の階段教室に入ると田崎真希さんが泣きそうな顔でこっちを見ている。 「なにあの女たち」といきなり言った。 「え、なに?」 「さっきのお昼ご飯、私の知らない女たちに囲まれて楽しそうに食べていたでしょう。なにあの女たち」 「ああ、あれはオーストラリア留学で一緒になった人たちだよ。定期的にみんなでお昼食べようってことになってね」 「ゆかりと『なにあれ?』ってずっと文句言いあってた」 「・・・」 「あたしといるより楽しそうにしてたあ!」と言って真希ちゃんの目から大粒の涙がこぼれた。 「な~に~?嫉妬お?」とからかうと真希ちゃんは 「なっ」と言って黙った。ボクは真希ちゃんの目を見て 「ボクも、真希ちゃんのこと大好きだよ」と言った。 「なっ」ともう一回言って目を大きく開いて黙っていた。  真希ちゃんはゆーたんの親友だった。もうひとりの女の子と3人でよく授業中隣の席に座っていた。女の子はグループがいくつかできており、真希ちゃんたちはよく自虐的に「私たちはぼっちグループだから」と言っていた。ちなみに真希ちゃんももうひとりの女の子も休みの時は、ゆーたんに「ねえ、隣りに座っていい?」と訊いた。ゆーたんは低い声でゆっくり「ああ、いいよ」というのが常だった。  真希ちゃんは背が高く、オシャレで自分がなにが似合うかを客観的に見られる能力があった。ボクのようにただデザインが気に入った服を着ているのとは違っていた。真希ちゃんは後頭部の髪を刈り上げにしてきたこともある。女の子は普通刈り上げにするのは勇気がいるが、彼女はそれが似合うことがわかっていて、実際に似合っているのだった。服装は民族衣装を現代風にアレンジしたような服装を良くしていた。秋田県出身で、埼玉で一人暮らしをしていた。お父さんは農協に勤めていて、お酒をよく飲む人らしかった。  定期的に社福飲み会が開催された。 ゆーたんがその社福飲み会の時に、せっきーという男の子に肩を抱かれていた。ゆーたんはせっきーが肩から腕を外すとまた彼の手をとって自分の肩に回していた。  ゆーたんと二人でせんげん台駅前のモスバーガーに行った。授業で、以前テレビで放送された障害者たちの共同生活のドキュメンタリーを見たが、ゆーたんは高校時代にも同じ動画を授業で見せられたことがあるといった。「その時には障害者の人たちの喋り方とかを見て教室で笑いが起こってたけど、社福では起きなかった」という話で、その話を聞いて改めて「この学校に入ってよかったな」と思った。 モスバーガーでモスバーガーはあまり注文しないよね。倖田來未のファンは「倖田來未」って漢字で書けなそうだよね。パンク・ロックとパンクスが関係あるのはわかるけど、サーフィン・ミュージックとサーファーはなんの関係があるのかよくわからないよね。といった話をした後ボクは唐突に言った。 「この前の飲み会、せっきーに肩抱かれてたでしょう」 「うん」 「なんでそんなことするの」 「彼氏と別れてさびしかったんじゃない?」 「ボクがいるじゃん。そのためにボクがいるんじゃん」 「おっさんは違うから。そういうんじゃないから」と言って笑った。 「じゃあ、どういう存在なんだよ」 「おっさんは、おっさんだから。普通の友だち」 「つらかった」 「はあ」 「つらかったよ。本当につらい・・・」 「おっさん泣かないで」 「泣いてないよ」 膝に載せた握りこぶしに涙がポトポトと垂れる。 「辛かった・・・つらかったよ・・・」 「あーはい」  ハンバーガーを食べるどころではなかった。でも結局食べた。涙とともにモスバーガーを食べた者ではないと人生の味はわからない。  そう、ゆーたんは彼氏と別れていた。ゆーたんは彼氏ができても長続きせず、すぐに別れてしまうのだった。歴代の彼氏をボクが知る限り書くと、 ・はじめてのゆーたんの恋人は高校の同級生のプレイボーイ吉村亮太くん。ボクと同じ「亮太」という名前だ。「亮太って呼ぶとおっさんがニヤニヤしてキモいから最近は『吉村』って呼ぶようにしている」と言った。 ・「すごい女の子好き」と評判の男。一緒にプロ野球を見に行った友人に「そんな男はやめておけ」と言われ球場でケンカになり、ゆーたんは野球を最後まで見ずに途中で帰ってしまった。その友だちとはすぐに後で仲直りした。付き合って最低男とわかり、別れを切り出すが「最後にもう一度やらせてくれ」と土下座され、結局ホテルに行ってしまう。その後別れた。県大に入ってから初めてできた彼氏で「ウチ彼氏ができたんだ」とボクに報告してきた。「へえ、そうなんだ。よかったね」と平静を装っていたが、ボクは切なくて泣いてしまい、原付きバイクで家に帰る途中涙で視界がボヤけて事故りそうになった。 ・デートに毎回ツナギでやってくる男。なぜツナギでやってくるのかと言うと働いているアピールをするためで、実際は無職だった。「ボクはそんなの以下なのか」と言うと「おっさんはそんなの以下だから」とうれしそうに笑った。 ・動物園が好きな男。デートは毎回のように動物園。他に女がいることがわかった。 ・浮気相手の男が病気持ちで、性病を移される。ゆーたん彼氏に浮気したのがバレないか心配している。「ゆーたんボクに性病を移して」と言ったら気持ち悪がられた。 ・予備校に通っていたときの教師。合コンで再会し「ゆかりちゃんのことずっといいと思ってたんだよね」と言われる。 ・カピーというあだ名の男。なぜなら顔がカピパラに似ているから。カピーは唯一まともな男でゆーたんを純粋に愛していた。ゆーたんがペアルックのパーカーをプレゼントすると「オレこんな経験生まれて初めてだよ」と感動して泣いたらしい。ゆーたんが初めてカピーの部屋に泊まったとき、カピーはゆーたんに手を出さなかった。「こんなに自分のこと大切にしてくれる人初めて」と思ったゆーたんはカピーのことが大好きになる。比較的長く数年関係は続いた。しかしそんな彼氏に飽きてしまったのか、ゆーたんはカピーを風俗に行かせ、自分は妻子ある人と週4で関係を持った。結局それがバレてカピーに振られ、浮気相手からも捨てられてしまう。  ゆーたんは4歳の時に父親から捨てられている。「沢村」というのは母の名字である。そんな父をどこかで許してしまっている。父にひさしぶりに再会したとき高級なエステをおごってもらえることになった。ゆーたんの母も「いいじゃない。お金搾り取ってやんな」と言ったらしい。ボクはひとりそれに反対した。 「それは断らなきゃダメだよ。キミとキミのお母さんにひどい事をしたお父さんのこと許すことになっちゃうよ。そうしたらまたたちの悪い男にひっかかる人生になっちゃうよ」 「なんで。ウチがどうしようと勝手でしょ」と言われてしまった。 だから父親を求めているのだろう。妻子ある人と関係を持ったのもそれが原因かもしれない。年が10歳離れたボクのことを「おっさん」と呼ぶのも「もしかしたらいたのかもしれない純粋に愛してくれる優しいお父さん」の代わりを求められたのかもしれない。 ゆーたんに言われたことがある。 「おっさんはもうパパのせいにしちゃダメ」 「キミはもうちょっとお父さんのせいにしてもいいと思うけどね」と答えた。  たしかにゆーたんの言う通りなのかもしれない。30過ぎで父親を責めるのは、正しい正しくないというより「かっこ悪い」気がする。大正時代にすでに小説の神様である志賀直哉が『和解』しているのに、令和時代の現代日本文学でいまだに父との葛藤の物語を描く必要ってあるのかどうかは正直疑問だ。  また、ゆーたん語録というのがボクの中にあった。ゆーたんがボクによく言う言葉で、それは ・なに言ってんの? ・ムリ ・ダメ ・いいです ・違うから ・やめて ・やだ ・キモーい ・こわーい  の9つだった。  ある日授業が終わった後なりけいと廊下を歩いていると琴子さんと偶然会った。 「あれ、髪切った?ショートカットにしたの?」 「うん、看護の実習あるから。変かな?」 「いやー、めっちゃかわいい」 「ありがとうございます。うれしい」 「いや、ホントかわいいよ」 「本当?」 「ホラ見て、琴子さんショートにしたんだよ。かわいくない?」となりけいに言うと、 「かわいいね」と答えた。 「そうでしょ。かわいい」 「はあ、ありがとう」 「パトリシアみだいだね」 「パトリシアってなんですか?」 「ピロウズに『パトリシア』って曲があるんだよ」 「そうなんですか」 「写真撮っていい?」 「えー、ダメよ」 「おねがい。一枚だけ」 「わかった。一枚だけね」 写メを撮る 「2枚撮ったでしょう。ダメよ」 「ごめん。かわいかったから」 「そう」 「かわいい。本当かわいい」 「・・・」 「かわいい」 「ありがとう。もういいよ」 「つい見ちゃうなあ」 「ああ、はい」 「かわいいね」 「・・・」 「琴子さん、かわいいね」 「寒気がしてきた」  ある日ゆーたんと真希ちゃんとボクで昼食を食べていると(真希ちゃんの誕生日会だった。ボクはウィスキーをあげた)真希ちゃんが「白瀬さんってレイプとかしてそう」と言い出した。 「なんで?ここは埼玉県立大学だよ。早稲田大学や明治大学じゃあるまいし、レイプなんかしないよ。レイプは魂の殺人だよ。レイプしたら相手の女性がどんだけ傷つくと思ってるの」 「えー、してそう。だってゆかりへの『好き好き』って積極的に行くところとか見るとそんな気がする」と言った。  一チーム3,4人ずつで組んで調べ物をしてパワポで発表をする保育士コースは必修の授業があった。ボクは保育士のコースは取っていなかったが、「マリコ様」というあだ名の女王然とした先生の授業はおもしろかったので、授業を取っていた。  女の子たち4人が子どもへの虐待についての発表を始めた。  「子どもへの虐待は統計で見る限り年々増えていて問題です。また、虐待をする奥さんと別れて子どもを引き取ったけど、その後元妻がストーカーになってしまった、という事件がありました。小悪魔な女性に振り回されないために、市役所や児童相談所に相談するようにしましょう。越谷市の相談所には例えばこんな所があります・・・」  発表が終わり、質疑応答の時間になった。ボクは手を挙げ、マイクが渡してもらった。 「発表お疲れ様でした。質問は3つあって、1つ目は虐待をする親は親も虐待を受けた経験が多いということに言及していたらもっと良くなっていたと思いました。2つ目は統計を見せてくれて年々子どもの虐待が増えていますって話だけど、それは児童相談所が知られるようになって相談する人が増えてきた、というだけで実際の虐待件数がそんなに毎年増えているとは考えにくい。逆に隠されてきて虐待がわかるようになったのだから、相談件数が増えてきたのはある意味良いことではないかと思いました。あと3つ目は『小悪魔な女性に振り回されないために』って話があったけど、あの、小悪魔な女性に、振り回されるのが好きな人はあの、ど、どうすればいいんですかねえ・・・」  しばらく間があった。「スベったかな?」と思った頃に、みんなが失笑しだした。長い間失笑が続いていた。せっきーが「どうすればいいんだろうな」と言ってボクの肩に手をポン、と置くとまた笑いが起きた。前の方の席に座っていた女の子はわざわざ振り向いてこっちを見て声を出さずに大笑いした。真希ちゃんが「ゆかり」と言って苦笑した。  笑いが収まるとマリコ様が「小悪魔な女性に振り回されるのが好きな人は一生振り回されていればいいんですよ。そういうキャバクラとかガールズバーとかに行ってね、一生騙されていればいいんですよ」と言った。 「だってよ」とせっきーが言うと、また笑いが起こった。ちょっとみんな笑いすぎだろう、失礼じゃないか、という気もしたが、それよりも時々ニュースでやる、タチの悪い女に入れ込んだ挙げ句、会社の金を横領して人生が破滅する男に自分がなるのではないかという気がして少し怖くなった。 「真希ちゃんが『白瀬さんってレイプしてそう』って言ったじゃない。そういうイメージなの?じゃあキャラとか変えたほうがいいのかなあ・・・」と後日ゆーたんに相談すると、 「あんまり考えなくていいと思うよ」とあっさりした返事だった。  また夏にゆーたんとお昼ご飯を食べていた。 「おっさんって何フェチなの?」とゆーたんに訊かれた。 「ええ、なんだろう・・・言いたくないなあ」 「いいから言って」 「秘密にしてくれる?」 「いいよ」 「言ったら触らせてくれるならいいよ」 「ああ、いいよ」 「だから・・・あれだよ」と食器を片付けに通り過ぎたショートパンツの女の子を指さした。 「なに?ショーパン?」 「うん」  食事が終わり、3限の授業が始まる前早速ゆーたんは社福女子にボクがショーパンフェチであることを喋りだした。言われた女の子は「私学校にショーパンで来るのやめよう」と言った。 「言うなよ」とボクはゆーたんに言った。 「『言うなよ』ってなに?命令?ウチに命令しないで!」 「じゃあどうすればいいんだよ」 「どうすればいいと思う?」  一瞬教室から音が消えたように感じられた。  ボクは土下座し「言わないでください。お願いします!」と言った。しかし結局ゆーたんは性癖をバラした「県大にショーパンで来たらおっさんの夜のオカズにされちゃうよ」 「どういうショーパンが好きなんですか?」社福には双子姉妹がいたが、そのお姉さんの方が言った。 「いやあ、どうだろう・・・」 「ウチのショーパンが好きなんでしょう」ゆーたんが言った。 「そうだね」 「きもーい」と低い声で言い「おっさんウチでオナニーしてるでしょう」 「・・・してないよ」 「なん回ぐらいしてるの?」 「ちょっとだけだよ」 「なん回してるの?」 「言いたくないよ」 「いいから言って」 「・・・70回くらいかな」 キモーいという女子たちの悲鳴が上がった。  ちなみに翌日社福女子のほとんどが、ロングスカートか長いジーンズで登校した。  ゆーたんとお昼を食べていた時ゆーたんの高校時代の友だちが彼氏に「ブルマを履いて欲しい」と言われた話をした。 「どうしたの、履いたの?」とボクは訊いた。 「断ったって」 「なにそれ、それはつまらない女さ」 「そういう女の子をオレはわかってるみたいな口を利くのやめて。ムカつくから」 「女の子って『女の気持ちは女にしかわからない』ってことにしておきたがるよね」 「なにそれ?」 「いや、ボクも女の子の気持ちなんてわからないよ。でも一つ確かなのはさ、男が『女の気持ちがわかったよ。それはこういうものでしょう』って言うと、女は絶対それを否定するってことだよ。『そうだね。よくわかったね』なんてことは女は絶対に言わないのさ。フロイトが『女性が何を考えているのかわからない』といった理由もその辺が理由だよね」 「ふーん」 「ニーチェは『ウソをつくのは女のほうがうまい』って言ってるけど」 「ふーん」 「とにかく、その女はつまんないよ。だってさあSMみたいに『痛いのはイヤだ』とかスカトロみたいに『汚いのはイヤだ』とか言うのはわかるけどさ、ブルマを履くぐらいならしてもいいじゃん。それをしないのは彼氏に本当に惚れていないか、そんなことにプライドを置いているつまんない女だからさ」 「おっさんもブルマ好きでしょう。ショーパンみたいにお尻の形が分かって足が見えるし」 「いや、そんなに好きじゃないよ」 「本当?」 「うん」  これでゆーたんにブルマフェチであることまでバレたらどうなることやら、とボクは平静を装って答えた。  3限の教室に向かおうと食堂を出ると雨が降っていた。ゆーたんは傘を持っていなかった。  連携と統合の丘を登っているゆーたんに折り畳み傘を差して相合傘をしようとした。 「やめて。おっさんウチのこと安い女だと思っているでしょう」 「なに言ってるの!ゆーたんのこと安い女だなんて一度も思ったことないよ!」ボクはカッとなって言った。傘を放り出し、ゆーたんの両肩をつかんだ。 「キミは誰よりもかわいくて、誰よりも魅力的な女の子なんだよ!それをなんで『安い女』だなんて思うの!ひどいじゃないか!なんだよ!キミは恋愛のことなんでもわかっている様な顔をしているのに、ボクの気持ちなんて全然わかってないんだね!」ゆーたんは動揺した顔をしていた。2人とも雨でびしょびしょになっていた。でもそんなのどうでもよかった。ボクは傘を拾ってドンドン教室へ向かった。 「・・・ごめん」そう言ってゆーたんが追いかけてくる。  ボクは無視して歩いた。なんでわからないんだろう。その日一日ゆーたんと口をきかなかった。  ゆーたんとなりけいとボクで放課後、せんげん台駅前の木村屋本店という女の店員の制服がショートパンツの居酒屋に行った。  なりけいが「ゆーたんのこと『ゆかり』って呼んでいい?」と訊いた。 「ああ、いいよ」 「本当!じゃあボクも『ゆかり』って呼ぶね」とボクが便乗して言うと、 「ダメ」と却下された。  ゆーたんとなりけいはこれから始まる実習に向けての不安などを話合っていた。ボクは店員さんが来るたびに店員さんのショーパンのお尻と足を見ているとゆーたんが叫んだ。 「おっさん気持ち悪いよ!足ばっか見んのやめな!」なりけいとボクがゆーたんの方を見た。 「ヤキモチじゃないから」と慌ててゆーたんが否定した。 「なんにも言ってないじゃん」とボクが言った。  後日なりけいが「ゆーたん絶対白瀬さんのこと好きでしょう」と言うので、ゆーたんに「なりけいがそう言ってたけど」と言うと、ゆーたんは「やっだぁ」と恥ずかしそうに笑った。  埼玉県立大学の学園祭「清透祭」の日になった。ボクは2年連続でイベント班をやることにしたので、早めに県大に着いた。ブースの組み立てなどをしてると「白瀬さーん」と声が聞こえ、向こうから揃いの緑のパーカーを来た女の子2人が走ってくる。緑のパーカーはダンス・サークルあんてぃーくの制服だ。さくらさんと外山さんだった。 「白瀬さん大変大変」と外山さんが言う。話を聞くとこういうことだった。  清透祭の前日、あんてぃーくの「明日がんばりましょう会」を兼ねた飲み会をした。その時りんごさんが酔っ払って「白瀬さんは学園祭2日間限定の彼氏にする」と言ったんだそうだ。その上「白瀬さんがダンスを見に来たら、舞台の上から投げキッスをする」とみんなに約束したんだそうだ。 「あんた見に来なさいよね」と言い残し、ボクの背中をポンと叩くとと、2人は講堂に向かって走っていった。  あんてぃーくの発表のダンスを見に行った。ディズニーのショウみたいな舞台だった。10年遅く大学生になって知ったのは、今の若い人たちはみんなディズニーが好きだということだった。昭和の終わり頃に生まれたボクらの世代は「ディズニーランドに行くのが恥ずかしい」という気持ちを持った人が多いと思う。しかし平成生まれはみんなディズニーランドが好きなんだと感じた。一度『空軍力による勝利』というディズニー映画の話をしたところ、みんなポカンとしていて「そりゃ戦争中はそういうものも作るでしょう」と答えただけだった。同じように成人式に振り袖を着るのもみんな好きだった。「振り袖なんて恥ずかしい」という感覚はボクらの世代は持っている人も多いと思うが、みんな喜んで成人式の写真を撮って後日大学で見せ合ったりしていた。  清透祭は毎年ハロウィンの近くに行われるので、舞台からキャンディーを投げたりする演出があった。清透祭は土・日と2日間行われる。1日目は投げキッスをしなかったが、2日目はダンスの最後にりんごさんがボクに向かって投げキッスをした。  ダンスの発表が終わったあと、講堂の楽屋に行った。あんてぃーくのメンバーが「大成功だね」などと言っている。 「こんにちはー。学園祭2日間限定の彼氏だよ」と言うと、 「はい」とめんどくさそうにりんごさんが答えた。他の部員たちが興味深そうにこちらを見ている。 「ダンス良かったよ」 「ありがとうございます」 「それであの、これ」と言ってイオンで買った1080円のブーケを渡した。 「ありがとうございます」と言ってもらってくれた。花を持っている写真を撮り、そのあと二人で並んでいる写真をさくらさんにスマホで撮影してもらった。その写真を見るとボクはすごいデレデレしている。  それ以降、あんてぃーくの定期的な発表会のあとにボクは毎回花束を持ってりんごさんに渡した。ボクは部員でもないのにあんてぃーくの名物男になり、よく冗談のネタにされた。新入生歓迎会の名札に他の女の子が面白がって「白瀬りんご」と書いた。ボクが花を持っていくと、それを渡すのを他の部員たちが集まって見守っており、写メ大会になった。花を渡す様子まで撮影され、りんごさんは花をもらう時、毎回目をつぶって上を向いて口を大きく空けていた。  3年の5月の新入生勧誘を兼ねたダンス発表会は2日間にかけて行われた。1日目は外山さんとさくらさんからあんてぃーくの部員が全員で何人いるかを聞き、その部員より少し多めにミスタードーナッツを買い、差し入れした。できるだけいろんな味のドーナッツを買った。たしか26個ぐらい買ったはずである。ダンスの発表のあとりんごさんに渡したかったが、発表が終わるとこっちを無視して別の女の子と喋りだし、ボクを無視し続けた。さくらさんにドーナッツを差し入れした。  食堂でドーナッツを食べるのに混ぜてもらった。りんごさんの隣に座ったが、りんごさんはずっと反対方向を向き続けて別の友だちと喋っている。 「りんごさんの背中のシャツに書かれた文字がずっと見えている」と言うと、りんごさんはめんどくさそうにこっちを向き「なんですか?」と怒ったように言った。 「ねえ、りんごさんのお父さんってボクに似ている?」 「なんでですか?」 「だって女の人ってお父さんと似たような人を好きになるって言うから」 「全然似てないですよ。私のお父さんは背が高いです」と言うと、また向こうを向いてしまった。  翌日、ボクはせんげん台でバラの花を20本買った。りんごさんの年齢と同じ本数だ。値段はピロウズのワンマンチケット1枚分くらいした。目立つのが恥ずかしいので、花屋さんに頼み、大きい袋に入れてもらった。  花をあげるのは毎回緊張する。慣れるということはない。毎回突っ返されるのではないかという恐怖との戦いである。花を持っていくのはキザな人間がやるものだと思われているが、どちらかというと演劇的な性格の人間が向いている。キザな人間を演じるのが好きな人がやるものだと思う。花を受け取ってくれた時の喜んでくれたリアクションを見るのはなんとも言えないうれしい気持ちになる。だから「これっきりにしよう」と思いつつもやめられない。  バラの花束を持って講堂に入り、ダンスが始まるのを待っていると舞台の奥の楽屋から「白瀬さんすごい大きい花持ってきている」という声がこちらまで聞こえてきた。  あんてぃーくの舞台が始まった。最初の2年生のダンスは普通くらいだったが、さすが3年生になると素人目にもうまいのがわかった。特にさくらさんがうまい。さくらさんは小学生の時からバレエをやっていたそうだ。周防正行監督の『Shall we ダンス?』という社交ダンスを扱った映画で柄本明演じる探偵が「日本人がダンスをって思わねえかあ?」というセリフがあり、ボクもそんなことを言ったこともあるが、3年生のダンスはかっこよかった。りんごさんとりんごさんの親友のみかんさんの「ヨーグルト」というコンビ名のロックに合わせて踊るダンスもかっこよかった。人が踊る理由は空が飛べないからだという。まるで重力などないかのように彼女たちは踊り続けていた。  ダンスが終わり「1年生ぜひ、あんてぃーくに入ってください」とりんごさんがアナウンスして発表会は終わった。さて、いよいよだ。緊張してきた。  花を持っていく勇気がなかなか出ず、トイレで顔を洗ったりしていてもたもたしてしまった。「もうみんないないかな?」と思って楽屋に向かうと、楽屋前にあんてぃーくの制服の緑のパーカーを着た女の子たちがずらりとニコニコしながら待っていた。さくらさんがボクを見つけるとスマホで動画を撮りだした。他の子たちも写メや動画を撮っている。 「撮らないでよ」とさくらさんに言うと「目的はりんごじゃないですよね!」とりんごさんが叫んだ。 「え、なに?」 「目的はりんごじゃないですよね!」 「そうだよ」 「あんてぃーく?」と誰かが言った。シーンとしていては渡しにくい。「なんか、シーンとしないでざわついて」と言うと、みんなが「ザワザワザワザワ」と言い出した。りんごさんがボクから離れて反対側の壁の方へ向かうと「あんたに持ってきたんでしょ」という風に反対側にいた背の高い女の子がりんごさんをボクの方へ押し、りんごさんは「えー」という風に恥ずかしそうに笑った。 「ここ暗くない?」とボクが言うと、 「暗くない?暗くないですか?」とりんごさんが言った。 「良かったよ。ヨーグルトが良かった。もちろんみなさん良くて」 「ヨーグルトをナンパ?」と誰かが言うと、 「みかんさんも踊ってますよ」とりんごさんが言う。ボクは袋からバラの花束を取り出した。 「キャー!」「イヤー!」という彼女たちの黄色い悲鳴が廊下中に響いた。「すごい」とまた誰かが言う。みんなスマホを出して撮影を始めた。ボクはりんごさんに花を渡した。「りんごさんかわいい」と後輩の女の子が言った。りんごさんは赤い頬をさらに赤くしながら受け取った。 「これどうやって持ち帰ればいいんですか!」 「これあげるよ」と花束を入れていた袋を渡した。みんなどっと笑った。 「もういいですよお。花じゃなくていいですよ」とりんごさんが言った。ボクはスマホを取り出し「こっち向いて」と言ってりんごさんを撮影した。りんごさんは花を持ってこちらを見ずにうつむいていた。 「りんごさんはハタチだからバラの花を20本持ってきました」とボクは言った。  汗をかいたので部室に行って着替えたいというので、部室の前まで一緒に行った。さくらさんたちが中に入り、ボクとりんごさんと数人の女の子は外で待っていた。そこで言おうと思っていたことを思い出した。 「花の感想とかないの?」りんごさんはバラの花束を見て「キレイです」と言ってニコっと笑った。ボクは真剣な顔になり、りんごさんの左手の甲をポンと叩いて目をまっすぐ見つめ、 「キミのほうが、キレイだよ」と言った。ちょっとクサかったかな?と思って見ると、りんごさんは笑ったような顔のまま2秒ほどフリーズしていた。事態に脳の処理が追いつかなかったのだろう。2秒経つと 「さくらー!さくらー!」と言いながら部室に入っていた。さくらさんはみんなのお姉さん的なキャラだった。 「脳が!脳が変なのがいる!」 「どうしたの?」とさくらさんが言うのが聞こえた。りんごさんが小声で今起きた事を言うと「良かったじゃないですか」とさくらさんが言った。ボクは近くにいたあんてぃーくの背の高い女の子に「脳に原因を求めるあたり、さすが看護学科だね」と言うと、ひきつった半笑いみたいな顔でボクを見ている。 「なに?」と言うと、 「ブタメン吐きそうになった」と言った。  部室であんてぃーくの部員たちが着替えていて、ボクは中に入るわけにはいかないので一人で部室から少し離れたところで待っていた。一人の着替え終わった青いスカートの後輩の女の子が出てきた。 「ダンス上手だったね」 「そうですか。ありがとうございます」 「ダンスってどのくらい練習すればあのくらい踊れるようになるの?」 「週に2回くらいですね」 「それでそんなに踊れるようになるんだ。すごいね。昔やってたの?」 「いや、県大に入ってからですよ」 「すごいなあ」 「うれしいです」と青いスカートの子が言うと、部室から「ナンパしない!」とりんごさんの大きな声が聞こえた。さくらさんが「白瀬さんは私のことだけ見つめていればいいのー」と囃し立て、他の女の子たちもみんな「白瀬さんは私のことだけ見つめていればいいのー」と続いた。  人はボクのことをひどく記憶力が良いと思われるだろうが、これはあんてぃーくのメンバーが動画や写メを後でラインで送ってきてくれたので、今こうして書き記すことができるのである。  そのあと授業が始まるまで時間があったので、ボクたちは食堂に戻って雑談していた。 「またバイト先で『お花もらっちゃった』って言わなきゃいけないの?」とりんごさんが言った。 「なに?自慢?」と外山さんが言った。 「ノロケじゃないですか」とボクは言った。  留学のメンバーとお昼を食べていた。  話題が途切れた。ボクはスマホをいじりだした。そして琴子さんのラインのトップ画像のビキニを着た写真を画面に表示させた。ただその女性は横を向いているのでパッと見誰だかわからない。琴子さんのようにも見えるし、そうでもないように見える。ボクはスマホを机に置き、琴子さんに 「これ、キミ?」と訊いた。 「そうですよ」 そう答えた瞬間、スクショをした。カシャッという音がした。 「消去して消去して消去して」とりんごさんが言う。  琴子さんはドン引きしている。 「琴ゲット~」とボクは笑った。 「消去して消去して消去して消去して消去して・・・」りんごさんは言い続けた。  「そう言えば白瀬さん、りんごにドーナッツとバラの花あげたんでしょ」と寛絵さんが言った。 「そうだよ」とボクが言う。 「どんな気分だった?」と琴子さんが笑いながらりんごさんに訊いた。 「えー、ドーナッツくれたのはいいけど『りんごさんのお父さんボクに似てる?』って言うの。『女の子はお父さんと似たような人を好きなるから』って」そう答えたりんごさんを琴子さんはジトっと上目遣いで睨んだ。 「そうだ。この前『ブルーバレンタイン』って映画を観てね」とボクは言った。 「どんな映画なんですか?」と琴子さんが言った。 「あのさ、映画ってさ、こう『ハリー・ポッター』みたいに普通に生きてたら体験できないような現実を忘れて楽しめるような映画ってあるじゃない。ある種の恋愛映画もそうだね。それでもう一つはさ、こう現実を突き付けてくるというか、人ごととは思えないようなリアルな映画ってあるよね。それで『ブルーバレンタイン』って映画を観たんだけど、主人公の男は優しい男で5,6歳くらいの娘を溺愛してて娘は明らかに父親のほうになついてるんだよ。そいついいやつなんだけど、でもそいつロクに働きもしないで朝から酒を飲んでるんだよ」 「白瀬さんじゃないですか」4人が声を合わせていった。 「で、そいつ結婚してるんだけど妻が看護師なんだよ」 「・・・」 「で、そのグータラ亭主としっかり者の看護師の恋愛映画なんだよ。まず2人は大学時代に出会うのね・・・」 「ちょっと待ってそれ本当ですか?」と寛絵さんが話を遮った。「作ってないですか?」 「作ってないよ。ウソだと思ったら観てみればいい。で、女のほうはすでに彼氏がいるんだけど、その男が最低男でコンドームをしないでセックスするから妊娠しちゃうのね。おばあちゃんが『なになに家の女は代々男運が悪いんだ』みたいなことを言うんだよ。そこに主人公が来て、男は一途にその女を愛するのね。女はそれを通じて本当の愛を知り、二人は結婚するの・・・で、その数年後子どもが生まれてて2人の中は冷え切っているんだよ。主人公はラブホテルに行けば仲直りできるんじゃないかって考えて、妻を誘うの。観てて『この状況じゃ行かねーだろ』って思うんだけどその辺は映画だから行くのね。で、ホテルで妻が『エッチする前に夫婦の話し合いをしましょう』って言うんだよ。『あなたはね、なぜ私よりずっと頭がよくて能力もあるのにそれをなんにも活かそうとせずに朝から酒を飲んでいるのか?』って言うの」 「・・・」 「みんなも口には出さないけど内心ボクのことこんな風に思っているのかな、って思って、『なんて答えるのかな?』って思うと『いやあ、ボクはねキミたち家族が元気でいてくれればそれで幸せなんだよ』って言うの。ボクが見ても『こいつダメだな』って思うんだけど、結局エッチもうまくいかずに、その後もダメで、結局2人は離婚しちゃうの。最後主人公が家を出ると花火が上がってその花火に2人の一番幸せだったころの映像が重なるの。それを見てボクは泣いたよ・・・」  ゆーたんとなりけいと真希ちゃんと白瀬で夏休みにディズニーランドに行こう、という企画が持ち上がり、ボクはその日をワクワクしながら待った。 しかし、ある日ゆーたんがバイト先の飲み会で酔っ払ってキスしてたときに突き飛ばされてロッテリアの入り口のガラスのドアを割ってしまい、6万円弁償することになり『行けない』『ごめんなさい』と言ってそのために作ったライン・グループから退会した。 結局ディズニー行きは中止になった。ゆーたんは時々こういうことをしてしまうことがあった。  ある日ゆーたんの高校時代の友だちと、ゆーたんとボクの3人で池袋で待ち合わせして飲もうという話になった。ゆーたんの友だちが「おっさんって人に会ってみたい」と言ったんだそうだ。  ゆーたんの濃い紫の自転車に2人の荷物を入れ、ゆーたんとボクで自転車を交互に引きながらゆーたんお気に入りの帰り道でせんげん台駅の駐輪場まで歩いていた。 「女心ってわかんないよなあ。だって幼稚園の時、天才バカボンのママはバカボンのパパのどこが好きで一緒になったんだろうとか謎だった。子ども2人も作っちゃってさ」 「それはウチも謎」 「あともう一つあってさ、ドキンちゃんは食ぱんまんのことが好きなのに、なんでバイキンマンと一緒にいるんだろうって謎だったもん」 「ウチ、ドキンちゃんに似てるって言われる」 「・・・ボク、バイキンマンかよ」そう言って二人で笑った。 とりとめのない話をしながら、ボクはあることに気付いた。 「なんか、今日は優しいじゃん」 「ウチが普段優しくないみたいだからやめて」 「いや、そういう意味で言ったんじゃないよ。いつも優しいし・・・ただ何ていうか、なんか、今日は優しいね」 「だからウチが普段優しくないみたいだからやめて」 「ごめん。悪かったよ」 「やめて」 「わかったよ」 地元の人と思われるイオンの買い物袋を下げた人たちとすれ違った。 「でもさ、こんな風に歩いてるところを見られるとさ、知らない人が見たらボクたちのこと恋人同士だって勘違いされちゃうね」 「勘違いだから。うち彼氏いるから」 またしばらく歩き、ボクは立ち止まりゆーたんの目を見つめて、 「ずっと、このままでいたい」と言った。 「はあ、そういうの要らないから」  看護実習室にいた。そこはいくつものベッドやリアルな赤ん坊の人形が置かれた部屋で、ボクたちは社会福祉学科だったが、寝たきりの人にとろみ食を食べさせたりする練習をするため、毎週この部屋に集まることになっていた。寝たきりの人の役と介護者の役を交互にやり、その様子をお互いに写メをしたりした。ボクとゆーたんは早めに看護実習室に着き、ベッドに並んで座って足をブラブラさせていた。 「あのさあ、前の授業で・・・いややっぱりいいや」 「なに、言って」 「いいよ」 「いいから言って」 「いや、先週こうやってベッドに2人で並んで座ってたじゃない?その時『好きだー!』って叫びそうになっちゃった」 「こわーい!」 「『ゆーたんボクのものになって!』って叫びそうになっちゃった」 「こわーい!」 「終わったあと耳元で『キミが、かわいいのが、いけないんだよ』って囁きそうになっちゃった」 「マジこわーい!」 「でも、周りに他の人たちもいたからやれなかったよ」 「やめて。マジやめて」 「やらないよ。そんな事やったらどうなるか・・・」そう言って看護実習室に誰かいないかさりげなく見渡し、ゆーたんのことを見てなにか思案する顔をした。 「なになになに?こわーい!」  大学2年のある日、3限の授業が先生の都合により休講になった。時間があるのでお昼に県大の近くの雫一というラーメン屋に行きたいとゆーたんが言った。 「でも並ぶのは嫌い。並んでなかったから行く。だからおっさんバイクで雫一どのくらい並んでいるか見てきて」と言われ、バイクで見に行った。すると雫一の前に寛絵さんと看護の友だちが並んでいた。全体的にはあまり並んでおらず「少し待てば入れそうだから来て」とゆーたんにラインした。  並んでいる間暇なので、寛絵さんたちに話しかけた。 「あのさあ、ボク今県大の文化祭の役員をやっていて、イベント班のミスコン担当なんだよ。それで今出場者大募集中。優勝したらディズニーのペアチケットプレゼント。ということで、永岡寛絵さんでませんか?」 「出ないです」と即答した。 「えー、そんな事言わずに出てよお」 「やですよ」 「えー美人だから寛絵さん優勝できるよねえ」と寛絵さんの友だちに言った。「うん、寛絵ならいけるんじゃない?」と囃し立てた。 「イベント班の班長さんに去年の出場者の写真見せてもらったんだけど、はっきり言って寛絵さんのほうが美人ですよ。だから優勝できるよ。優勝して、ディズニーのペアチケットもらって彼氏と行ってくればいいじゃないですか」 「出ないですよお。そういうのはこっそりしてればいいんです」  そんな話をしていると順番が来て寛絵さんたちのグループが先に雫一に入り、しばらくするとゆーたんが来た。ゆーたんはボクと一緒にお昼を食べるのを「同伴出勤」とよく呼んでいた。  雫一は鶏そばという白いスープに細い麺が絡み、とてもおいしい。 「いじめとラーメンとダイエットってみんな持論があるんだよ」とボク言った。「自分には関係ない。どうでもいいってのが言えないジャンルだからね」 「ああ、そうかもね」ゆーたんはラーメンを食べながら言った。  そのうち好きな音楽の話になり、ボクはピロウズが好きだと言った。ゆーたんは西野カナが好きだと言った。 「知らない。名前は聞いたことがある程度だな」 「え~、おっさん西野カナ知らないの」ボクはテレビ恐怖症でテレビが怖く、もう10年近くテレビを見ていなかった。映画を観るのは好きだが、テレビは悪意に満ちたメッセージを発してくるようで怖い。だからテレビで有名な人は今だによくわからないのだ。  ゆーたん曰く、西野カナは昔はつらい恋をしていると感じられる曲が多かったが、今は『ダーリン』っていう曲があり、その曲を聞く限り彼女の恋はうまくいっていると感じられるのだそうだ。ゆーたんはその曲がお気に入りなんだそうだ。たしかな情報ではないが、西野カナはマネージャーと付き合っているという報道があるらしい。 「今、西野カナちゃん、素敵な恋をしているんだろうなあ」 「ふーん」 「YouTubeで聞けるから聞いてみて」 「わかった」と言ってボクはスマホを取り出し、YouTubeのトップ画像を開いた。 「え、なんてタイトルだっけ?」 「ダーリン」 「え、なに?」 「ダーリン」 「聞こえないよ」 「ダーリン!」 「もっと大きな声で!」 「ダ・・・」  ただゆーたんに「ダーリン」と言わせたいだけだということにようやく気付いたみたいだった。ゆーたんの顔が引きつっている。 「ごめん、今、すごいキモかった」 「キ・キ・キモーい!」大声で他の客たちがこっちを見た。 「ごめん謝るよ」 「謝って済むキモさじゃないから」 ゆーたんはラーメンを半分ほど食べると、それからは七味やコショウなどを入れて食べる。ラーメンは好きだが味が単調なのが好きじゃないと言った。  ゆーたんが不思議そうにボクの方を見ている。 「なに?」と言ってラーメンをすすった。 「あれ、おっさん左利きだっけ?」 「いまさら!?」  ゆーたんが笑う。 「え・・・やばい、立ち直れないレベル」そう言って机に突っ伏した。その体勢のまま言った。 「・・・キミがボクにまったく興味がないことがよくわかったよ」ゆーたんの「うふふ」という笑い声が聞こえてきた。ボクはあることを思いつき、体を起き上がらせて言った。 「そうだ!真希ちゃんも左利きなんだよ。知らなかったでしょう?」 「うん、それは知ってる」と笑った。  ボクはまた机に突っ伏した。ゆーたんの面白そうにうふふと笑う声が聞こえてきた。  雫一に行った後日の白瀬ランチで、みんなが注文したお昼ご飯を持って座った。寛絵さんは座るなり、ものすごい早口で喋りだした。 「好きな人がたくさんいるんですねえ!」 「え、なに?早口で聞き取れないよ」 「好きな人がたくさんいるんですねえ!」 さくらさんが「どうしたの?」と言った。 「雫一で白瀬さんが知らない女と入ってきて、食事中ずっとその女の顔見てたあ!」と叫び「しかも、その女のためにわざわざバイクで店が混んでいるかどうかの確認までしていたあ!」と泣きそうな顔で言い、ボクの方をキッと睨んでまた「好きな人がたくさんいるんですねえ!」と早口で言った。表情がコロコロ変わる人だと思った。 「いや、待って。ボクたち別に付き合ってないじゃん」となだめた。 「そうですよー!付き合ってないですよー!ただ好きな人がたくさんいるんですねーって言ってるんですよー!」 「なんか寛絵さん『好きな人がたくさんいちゃいけない』って言ってるみたいだよねえ」 「はあ?『みたい』?そんなのあったりめえだろボケ!」 「いや、寛絵さん彼氏いるんでしょ。じゃあ寛絵さんも好きな人たくさんいるんじゃん」 「はあ?私が白瀬さんのこと好きってことですかあ?あー違いますう!」 「いや、だから、ボクたち付き合ってないじゃん。・・・寛絵さん言ってることおかしいよねえ・・・ちょっと琴子さんからもなんか言ってやってください」と話を振ると、琴子さんはボクの方を見て、寛絵さんの早口と対照的にゆっくりと 「好きな人がたくさんいらっしゃるんですね。で、その女は誰なんですか?」と言った。  結局さくらさんが「それってゆーたん?」と言い出し、ゆーたんとボクについてのエピソードをさくらさんが知る限り全部話してしまった。  オーストラリア留学のメンバーでディズニーランドに行った。チケット代から食事代から全部ボクが払った。4人とも太ってないのに「なぜこんな食べるんだろう?」と思うぐらいいろいろな食べ物を買わされた。短期のバイトで稼いだお金が全部飛んだ。 さくらさんがディズニーの年パスを持っていたのでハズレるかと思ったが、運良く『ワンス・アポン・ア・タイム』が当たった。しかもかなり良い席だった。シンデレラ城にディズニーキャラクターたちの映像が投影されるショウだった。かなりロマンチックな気分になり、「人は光るものを美しいと感じる傾向があるんだなあ」などと考えていた。 帰りの電車、琴子さんと寛絵さんとさくらさんは乗る電車が違ったので、りんごさんと2人で電車に乗っていた。 「今日は、楽しかったですか?」とボクは言った。 「楽しかったですよ」 「そっか、良かった」 「また行きましょう」 「そうだね」  ボクは聞きたかったことを言った。 「りんごさんって付き合ってる人とかいないの?」 「いないよ」  窓の外の景色が夢の国から現実的な世界に移り変わっていく。 「誰かいい人いないかなあ」とりんごさんがポツリとつぶやいた。  その時、告白すればよかった。でも、できなかった。ボクはいつも肝心なタイミングを逃してしまう。  「りんごさんのことが好きになった。だからもう、ゆーたんは卒業する」とある日ボクはゆーたんに宣言した。この発言をするには勇気が要ったが、その反応は 「はあ、さっさと卒業して。ばいば~い」とゆーたんは笑って手を振ったというものだった。  そして、ゆーたん卒業式が食堂で行われた。なりけいと真希ちゃんも出席してくれた。  わざわざせんげん台駅前の百円均一で買った賞状をゆーたんが読んだ。 「白瀬亮太様。あなたは沢村縁へのしつこいしつこいつきまといと依存から卒業したことを表彰します」と言って賞状を渡した。 「りんごちゃんとうまくやってね」と言って「うふふ」と口を抑えて笑った。  なりけいと真希ちゃんが大げさなまでに「おめでとう!」「ゆーたんからの卒業おめでとう!」と言って賞状と一緒に百均で買ったクラッカーを鳴らした。県大の事務の人が飛んできて「クラッカーを鳴らすな」と怒られた。  白瀬ランチをみんなで食べている時、近くの席に外山さんとその女友だちが座って、ボクらの方を見てニヤニヤし、時々耳打ちしあって笑っていた。 「りんごさんは『梨』って書くのにあだ名は『りんご』なんですね」とボクは言った。りんごさんの名前は『梨菜』だった。 「そうですよ」とりんごさんが答えた。 「気付いてた?」と琴子さんに尋ねると、 「気付いてましたよ」と言う。さくらさんも寛絵さんも気付いていたそうだ。 「それはあれ?今ボクに言われたから『ああ、そう言われればそうかな』ぐらいの感じ?」 「違いますよ。ずっと前から気付いてましたよ」寛絵さんが言った。 「そうか。大発見かと思ったけどみんな気付いてたんだね。ホント、梨なのかりんごなのかはっきりして欲しいよね」  チャイムが鳴り、もう行く時間だったが、りんごさんと琴子さんが突然「クレープが食べたい」と言うのでクレープを注文し、できるのを待っていたら3限に遅刻してしまった。  教室に入ると「遅刻している」と外山さんが言い「どんだけ一緒にいたいの」と言って女ともだちと笑った。  授業が終わったあと「どうしたの?」と訊くと、外山さんが「りんごの顔見て白瀬さんずっと顔中の筋肉が緩みまくってた」と言って笑った。  りんごさんに「冬休みに一緒にどこか遊びに行きませんか?」とラインした。しかしその返事は「みんなで行きましょ。みんなで」というものだった。「わかりました」と返事をした。  それから数日後、ツイッターでりんごさんが別の男たちとディズニーに行った時の写真をあげていた。  それを見て、ボクはりんごさんに「ツイッター見たよ。彼氏ができたんだね。よかったね」とラインをした。既読がついたが、返事はなかった。  その後りんごさんと会った時ハートのペンダントをプレゼントをした。  数日後にラインが来た。「ペンダント、高価なものだし、お返しします」と。  それでボクはなにもかもイヤになり、自分の人生は一生このままで誰からも愛されないで死んでいくのか、永遠にこういうことの繰り返しなのかと思った。  ビールと一緒にのさか医院でもらった薬や睡眠薬、家にあった風邪薬を全部飲んだ。  気がつくと病院のベッドにいた。大便がただ漏れ状態でおむつをされていた。ボクはどうにでもなれ、という気持ちでそこにいた母に写メをとってもらい、母に気付かれないようにトロンとした目の自画像をツイッターにあげ、「自殺失敗。入院なう」とツイートした。  3年の学園祭があった。あんてぃーくの発表を見に行った。今度は今までと違い、ボクが行っても誰もなんにも反応をしなかった。自分が透明人間になったような気分がした。  あんてぃーくのメンバーに「りんごさんを呼んでください」と頼んだ。りんごさんと二人っきりになった。ボクは「悪いことしました。ごめんなさい。反省しています」と言い、土下座をし「また友だちに戻ってください」と言った。りんごさんは「もう騒動を起こさないでください。もう連絡して来ないでください」と言った。「私彼氏できましたから」と言った。「さっき客席に来てた人?」と土下座をしたまま言うと「そうです」と答えた。  「そうか。わかったよ」そう言ってボクは立ち上がった。「それじゃあ」と言ってどこへ向かうでもなくフラフラと歩き出した。どのくらいの時間歩いたのだろう。ゆーたんがいた。 「おっさん、りんごちゃんに振られたの?」 「ああ、そうだよ」 「ま、しょうがないね」  清透祭の終わりには近所の田んぼを借りて、そこから花火が上がる。ボクはゆーたんと一緒に花火を見た。  ゆーたんにしろ、知也くんにしろ、ボクが好きになった人たちはみんなどこか父に似ていた。そして今にして覚えば、りんごさんは唯一母に似ていたと思うのである。  学園祭が終わり、授業が再開された。ゆーたんはショートパンツを履いてきてボクの隣に座った。ボクは見ないようにしながらも、チラチラとゆーたんの足を見ていた。 「ゆーたんは優しいね」と言うと。 「ウチ、優しいから」と怒ったように言った。 清透祭が過ぎるとさくらさんの誕生日になる。さくらさんの誕生日にデイジー・ダックのぬいぐるみをあげた。 「わー、ありがとう。かわいい。かわいい」と言うので、また例の調子で 「さくらさんのほうがかわいいよ」と言った。(決まった)と内心思ってさくらさんを見ると「は?」というなに言ってんだこいつみたいな顔をしている。 「こういう発言はうれしくない。(ぬいぐるみを指差し)こういう具体的な物がうれしい」 「そうですね。私のことがよくわかってきましたね」と言った。さくらさんは唯物論的な考えをする人だってことを思い出した。好きな異性のタイプを訊くと「お金持ち」と即答したことも思い出した。  県大のPSWの選考にボクとゆーたんは落ちた。全部で4人落ちた。  落としたのはひいきすると評判の先生だった。  受かったのは先生の言うことを素直に聞く女の子ばかりだった。 「絶対あれひいきだよね」とボクとゆーたんは愚痴りあった。  大学3年の時の話だった。  4年になってからのゼミはどの先生のゼミにするかというのを休み時間に話し合っていた。3年と同じ先生のゼミにするか、別のゼミにするか。どこに就職したいかもポイントのひとつだった。人気のある先生は倍率が高く、抽選に落ちる人もけっこういた。それを覚悟で人気の先生に申し込むかどうするか・・・ 「真希ちゃんは前のゼミどの先生のだった?」となにげなく尋ねてみた。 「えっ、どういうこと・・・」 「だから、誰のゼミだったの?」 「白瀬さんと同じゼミだったんだけど・・・」 「そうだっけ?」思い返したらそうだった。ボクも真希ちゃんもちゃんとゼミをサボらずに出ていたのに、なんで忘れてしまったのだろう。 「え。ひどい」真希ちゃんは泣きそうになった。一緒にいた女の子たちが「うわー」と言ったり、「うわー」といった顔でこっちを見ている。どうしたの?と尋ねてきた女の子に、そこにいた子が耳打ちすると、その子は「最低」と言った。  なりけいがボクのことを叩き出した。「おまえバカか」と言いながら。 「ど、どうしよう」なんの言い訳も思い浮かばない。 「おい、フォローしろよ」となりけいに言うと、ボクを叩きながら 「これがフォローだよ」と言った。  「おっさんもウチのこと安い女だと思ってるでしょう」ゆーたんが言った。また彼氏(?)に弄ばれた挙げ句捨てられたのだ。今回はかなり堪えているようだった。 「そうだな・・・まあ誤解されやすい人なんだなとは思うよ」 「どういうこと?」 「与しやすい女だと思われやすいってことさ」 「・・・」 窓から教室に夕日が刺す。ボクは窓の外を見ながら「だけど実際は違う。好きな人に一途で、すばらしい女性だと思うよ」と言った。  4年生になり、いよいよ社会福祉士の国家試験が数カ月後に迫ってきた。ボクたち社福の学生たちは卒論と並行して「社福ルーム」と呼んでいる社福の学生が使える自習室に集まって勉強会を毎日のようにしていた。その時になりけいがちょっとハゲてきているという話になった。 「白瀬さんはハゲないためになんか努力してる?」と成績優秀な女の子が訊いてきた。 「ボクはむしろ、ハゲたい。ですね」 「なんで?」 「なんで?つまりハゲとはなにか、という話なんですよ。ボクは『ハゲない男は人間のカスである』という説を主張しているんだよ。つまり『なぜハゲるのか?』ということです。いろんな理由があるけれども、一言でまとめれば真面目に生きてるからハゲるんです。そして、人は真面目に生きなければいけないんです」 「はあ」と呆れ顔でみんながボクを見る。無視して続けた。 「ハゲが良くないとみんなは言う。でもじゃあハゲてない男がいいかというとボクはそうは思えない。いい年してハゲてない男はなにか生きる上でゴマカシをしているからハゲないんです。白髪でフサフサの男っているでしょう。そういう男の顔をよく見るとわかるけど、顔に苦悩がないんだ。なにか問題があった時に、その問題に自分自身をぶつけて取り組もうとせず、その問題から距離を置いて上から観察しているだけの立場に逃げるんです。そして『現実はこうだから仕方がない』とかなんとか言って逃げる。そういう人間はフサフサの白髪になる。そして、そういった人間は人間のカスなんです」 「そうなの?」 「昔、嶋大輔って歌手がいて『男の勲章』って歌がある。『♫ツッパることが男の、たったひとつの勲章だってこの胸に信じて生きてきたあ』って言う。でも真の男の勲章があるとすれば、それはツッパリヘアーではなくハゲ頭が本当の男の勲章なんです。つまりBald is beautiful ですよ」 「はあ」  あまりこの説は感銘を与えられなかったらしい。またみんなで何事もなかったかのように社会福祉士の勉強に戻った。  授業で他者紹介をすることになった。他者紹介とは、ペアを組まされた人の事を聞き出し、みんなの前でその人について発表するというものである。ボクは外山さんと組まされた。質問リスト配られ、それに従って質問しだした。 「名前は?」 「外山美咲です」 「まあ、知ってるけど」 「そうね」 「入っているサークルはなんですか?」 「『わわわ』と『あんてぃーく』です」と言ったあと「『あんてぃーく』はりんごと一緒ですよ」と言って意地悪そうに笑った。 「いつまでボクにりんごさんネタをやるつもりなの?」 「だって、白瀬さんは、ゆかりとかりんごとか、おもしろすぎるよお」 「いや、キミの彼氏だってだいぶ面白いぞ」そう言うと、外山さんは唇を尖らせて、上目遣いになって黙ってボクの方を見た。外山さんは人一倍恋愛の話が好きなのに、当人はかなりのダメんず好きで有名だった。 ボクは「それに別に笑わせようと思ってやってるんじゃないよ」と付け加えた。「じゃあ、次の質問『自分のお気に入りのところはどこですか?』」 「え、ない」 「ないの?どっかあるでしょう」 「私、自分のお気に入りってない」 「ないってことはないでしょう。ちょっと考えてみてよ」外山さんはしばらく考え、 「ない」と言った。  発表の時になった。順番に他者紹介が行われ、ボクの番になった。 「外山美咲さんを紹介します。高知県出身で、サークルは知的障害の子どもたちと遊ぶ『わわわ』とダンス・サークル『あんてぃーく』に所属しているそうです。趣味は買い物で、せんげん台で一人暮らしをしているそうです。自分のお気に入りのところは・・・」と言って、チラリとメモをした質問リストを見て「美人なところだそうです」と言った。とたんに「そんなこと言ってない!」と外山さんが叫んだ。 「そんなこと言ってないよ!」 「そうだっけ?」 「言ってないよ!」 「ボクが『外山さんの自分のお気に入りのところってどこですか?』って訊いたら、急に上目遣いになって、両手グーを顎にあてて『そんなの、見ればわかるでしょ』って言うから」 「そんなこと言ってない!やってないよ!」教室にいたみんなが笑っている。 「『ずいぶん自分に自信があるんだね』って言ったら『あたちを他の社福女子と比べたらね』って」と外山さんの少し舌足らずの喋り方をマネして言った。 「そんなこと言ってないよ!」 「『あたちって、かわいらち』って」 「言ってないよ!」 「『小池さんや愛美さんと並んでもそんなこと言えるの?』と言ったら『あんなのあたちに比べたら・・・』痛い痛い。悪かった。調子に乗りすぎた。悪かった。やりすぎた。やめてよ」外山さんはグーで思い切りボクの背中を殴りだした。みんな笑っている。小池さんと愛美さんは社福女子の中で美人で有名で、ボクたち社福男子はゆーたん、愛美さん、小池さんの3人を『御三家』とひそかに呼んでいた。その中で特に小池さんが美人ということになっていた。 「そんなこと言ってないし、やってないよ!それに私は『あたち』なんて言わない!」 「わかった。ごめんね」 怒りが収まらず、まだ外山さんは殴り続ける。  状況を見守っていた先生が「美人っていうのはあれね、白瀬さんが外山さんを見た感想ね」と助け舟を出してくれた。 「そう。そう。それが言いたかった。ボクが外山さんを見た感想だった。ごっちゃになっちゃった」と言うと、ようやく外山さんは殴るのをやめてくれた。  真希ちゃんにはこう言われたことがある。 「ゆかりと白瀬さん実質付き合っているようなもんじゃん」  なりけいにはこう言われた。 「白瀬さんが学生生活一番楽しんでるよね」  ゆーたんとの昼食の時また西野カナの話になった。 「西野カナ聞いたよ」 「どうだった?」 「西野カナってさ、演歌じゃね?」 「なに言ってんの」 「いや、ボク本気で思うんだけどさ、『水曜日のダウンタウン』に出て、西野カナ演歌説ってのを提唱したいぐらいだよ」 「なんで演歌なの?」 「西野カナってYouTubeで有名な曲を聞いただけなんだけどさ、まずさ『Darling』って曲があるじゃん」 「うん」 「あれはさ、まず西野カナが帰ってくると同棲している彼氏が靴下を脱ぎ散らかしたまま寝てるんだよ。それを見て西野カナは『あんた、その靴下だれが洗濯すると思ってるのよ』って思うんだよ」 「まあそうだね」 「それってさあ、なんか、『洗濯は女のするもの』みたいな考えが前提としてあるよね」 「あー」 「だってさ、その寝てる彼氏を叩き起こして『あんた靴下ぐらい自分で洗いなさいよね』とか言っても良いわけじゃない。そうじゃなくても『靴下を洗濯機に持ってくぐらいやりなさいよ』ぐらい言ってもいいじゃない。でも西野カナはさ、それを見て『その靴下だれが洗濯すると思ってるのよ』って心の中で思うだけなんだよ」 「なるほどね」 「あとさ、『トリセツ』って曲があって、トリセツってなんのことかと言うと『取扱説明書』の略なんだよ。で、なんの取扱説明書かというと『私』の取扱説明書なんだよ。つまり付き合いだした彼氏にさ、『私をこういう風に扱ってね』って言う歌なんだよ。それってさあ、なんかそこで描かれているのは『物としての女』じゃん。つまり仕事を男と対等にバリバリこなす自立した女じゃないんだよ。ただの『物としての女』なんだよ。でさ、別にそういう曲を書くのは勝手だけど、曲の中でそういう風に女を描写する音楽のジャンルってなにかって言えば演歌じゃん。だから西野カナ演歌説ってのをボクは唱えてるんだけど」 「なるほどね。最初は何言ってんだと思ったんだけど、言われてみればそうね」 「よくわかんないのはさ、西野カナって若い女の人に支持されているんでしょ?女子高生とかに。いいの?女なんてこんなもんだろうって女がバカにされてるんだよ。そういうCDがさ、すごい売れてて支持されてるってのがよくわかんないんだよなあ。フェミニズムの人たちとかがさ、女性の権利のためにがんばってたのに、あんなCDが売れたらフェミニストたちの努力が全部パーじゃん」 「フェミニズムの人たちって?」 「いや、斎藤美奈子とか上野千鶴子とか知らない?」 「知らない」  そっか、知らないのか。ボクは上野千鶴子はあんまり読んでないけど、斎藤美奈子は好きでけっこう読んでいたので不安になった。それでみんな大丈夫なのかな、と思った。  社福ルームで真希ちゃんと2人で社会福祉士の勉強をしていた。お昼を奢って、と珍しく向こうが言うので奢った。食べ終わると「お礼になんかするよ」と言う 「えー、じゃあバレンタインのチョコレートちょうだい」 「ああ、いいよ」と言ったのでボクはびっくりした。断られると思って言ったので、予想外の返事だった。  そしてバレンタイン当日、真希ちゃんはミッキーとミニーが印刷された義理チョコをくれた。  4年の最後の春休み、ボクとさくらさんと寛絵さんは富士急ハイランドに行った。琴子さんは新生活に向けての引っ越しのため来られなかった。ただ、帰ってきてから夕飯を食べるくらいならできると言うので、新越谷駅で待ち合わせをした。  ボクたちはじとっこ組合という居酒屋に入った。そこは女の店員さんの制服がショーパンで、ボクのお気に入りだった。 琴子さんに富士急のおみやげを渡し、琴子さんの写真を撮った。  「そうだ。お母さんに言われたんだよ。『あんた、留学のさくらさんたち3人に感謝しなきゃダメよ』って言われたんだ。『普通、女は女の味方をするんだから』って。『あんたりんごさんにあんなことしたんだからそのグループから省かれて当然なのよ』って言われた」と言った。 琴子さんが「そうですね。白瀬さんのお母さんの言うことは全面的に正しいですね。普通だったら省られてますよ。その辺どう思っているんですか。ちょっと聞いてるんですか。白瀬さん、ねえ、白瀬さん・・・」ボクは店員さんのショーパンのお尻と足をじっと見ていた。 ボクの隣りに座っていた寛絵さんが立ち上がり『マジキモーイ!こんな人に水着の写真撮られたん、だあ!』と店中に響く声で絶叫した。  「いや、ホントにりんごさんの事ではご迷惑とご心配をおかけしました」とボクは頭を下げた。 「本当ですよ」と寛絵さんが言う。「りんごとなにがあったんですか?」 「・・・いやあ、言っていいのかな?あのさ、みんなで海に行ったでしょ。ゴールドコーストに。それでさ、例えばさくらさんに好きだって言いたいとして、なかなか言えないとするじゃない。その時になにかを挟んで言うってテクニックがあるじゃない。例えば、そのなんでもいいんだけど、鶏の南蛮焼が、って南蛮焼を挟んで、好きです。っていうやつだよ。それでさ、3人が海で泳いでいてボクとりんごさんが浜辺にいたんだよ。りんごさんとさくらさんがボクの携帯で撮った変顔を見ててさ『女の子って変顔撮るの好きだよねえ』って言ったらりんごさんが『変顔撮るの好きです』って言って一瞬言いよどんで、ホラ、夏のテンション、海のテンション、海外のテンションもあったのかな?『変顔撮るの、大好きです!』って言うんだよ」 「違うと思いますよ」真顔で低い声でさくらさんが言った。 「え、違うの?じゃあどういうこと?」 「だから変顔撮るのが好きだって言っただけですよ」 「いや、だって『変顔撮るの大好きです』って言い方普通しないでしょ。文法的には間違ってないけどさ」 「いや、普通に私は言いますね」とさくらさんが言った。 「あとさ、留学から帰ってきてしばらくボクたち会わなかったじゃない?その頃にさ、朝起きたら夜中の1時半にりんごさんからラインが来てて『白瀬さん』とだけ書いてあるんだよ」 「うん、それで?」 「それでさ、どうしたの?って返事したら『外山美咲の誕生日を教えてください』ってラインが来てさ、教えたんだよ。でもさ、外山さんの誕生日が知りたいならボクじゃなくて外山さんに訊けばいい話じゃん。それで、最初のボクたちの飲み会があったじゃない?その時外山さんの誕生日ちょうど過ぎてた頃だったから『外山さんの誕生日会はやったんですか?』って訊いたら『やってない』って言うんだよ。『ええ、じゃあなんのために教えたんだよ』って言ったら『その話は、やめてよお』って言うんだよ」 「違うと思いますよ」また真顔で低い声でさくらさんが言った。 「白瀬さんの勘違いですね」寛絵さんがあきれたように言った。 「それは普通にみさルンルンの誕生日が知りたかっただけでしょう。それ以上でもそれ以下でもないですね。それに大学生ならそれくらいの時間普通に起きてますから」とさくらさんが言った。 「ボクは寝てるよ」 「そんなの知らないですよ。おじさんの感覚を若い私たちに押し付けないでください」と早口で寛絵さんが言った。 「さくらさんはりんごさんからボクのことどう思ってるとか聞いてないの?ゴールドコーストのホテルで恋バナしたんでしょ。その時『りんごの好きな人ってなにしてる人?』『・・・いびきかいてる』みたいな」 「いや」とさくらさんは芝居のように首をかしげ「特になにも聞いてないですね」と言った。 「あとさ、2年の学園祭の前日にあんてぃーくの飲み会の時にりんごさんが酔っ払って『白瀬さんは学園祭2日間限定の彼氏にする』って言ったんでしょ」 琴子さんが「いや、それは2日間限定でしょ?別に彼氏にするとは言ってないわけでしょ。じゃあ、違いますね」と言った。 「じゃあなに?キミたちは好きでもない男に2日間限定の彼氏にする、とか言うの?」 「普通に言いますね」とさくらさんが言った。琴子さんと寛絵さんも「言いますよ」と言った。 「なんでそんな事言うの?勘違いされたら嫌だとか思わないの?」 「ネタになるし」さくらさんが言う。 「え、なにネタだったの?」 「そうですよ。今頃気づいたんですか?」寛絵さんが言う。 「待って。そうだ。『白瀬さんがダンス見に来たら投げキッスする』って言って、見に行ったら投げキッスしたよ」 「違うと思いますよ。ただサービスでやっただけですね。本気じゃないですよ。白瀬さんそんなの真に受けてこれから大丈夫ですか?」と寛絵さんが言った。 「ああそうなの。それは嫉妬で言ってるの?それとも『りんごさんを守らなきゃ』みたいな」 「ち・が・い・ま・す。ただ事実を白瀬さんにお伝えしているだけですから」寛絵さんが言う。 「・・・だってラーメン屋のことですごい嫉妬したじゃん」 「違いますよ。あれはただお金を無駄遣いするなってことが言いたかっただけですよ」 「待って。仮にキミたちの言うことが全部本当だとすると、ボクがなんか全然モテない。勘違いした人みたいじゃん」 「『みたい』じゃなくてそう言っているんですよ。そうだっていう科学的に証明された事実を教えているんですよ。白瀬さんは全然事実がわかってないから」と寛絵さんが言う。 「科学的ってなんだよ。科学じゃないじゃん別にこれは。それにさ、逆になんでりんごさんがそうじゃないってわかるの?人の心なんて『そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね』ぐらいの立ち位置じゃないの?小室直樹が書いてたけど、存在しないことの証明って一番難しいんだよ」 「親友だから。りんごの親友だからわかるんです」とさくらさんが言った。「りんごさんはボクのことが好きだったに違いないっていうそのイタい妄想はどこから来るんですか?」 「とびちゃんは白瀬さんのこと好きだったと思いますよ」寛絵さんが言った。「胸の中に飛び込んでくるくらいなんだから」 「待って。じゃあ例えばさ、警察が殺人事件の犯人を突き止めたいとして、警察は殺人事件の犯行現場に犯人の写真入りの名刺や免許証が落ちてないと犯人にたどり着けないわけ?そうじゃないじゃない。むしろそういうわかりやすい証拠は滅多になくて、逆にちょっとした証拠から犯人を突き止めるというのが普通の捜査のやり方だよね。それなのにキミたちの言うことは『犯行現場に犯人の免許証が落ちてないから犯人にたどり着けない』ってそういうことだよねえ・・・」  そうやって同じような話をボクとヤキモチ3人娘は何度も繰り返すのだった。  いつの間にか話題が変わり、結婚したら家事の分担を男女でどうするのか。白瀬さんは女に全部やらせそうだ。という話を寛絵さんが言い出した。 「え、ボクってそんなイメージなの?半分半分で平等にやるよ。気付いたほうがやるとか、時にはどちらかが忙しかったり疲れていたらもうどっちかがやる時もあるかもしれないけど、トータルで半分半分になるようにするよ」 さくらさんが「白瀬さんの奥さんに全部やってあげるって言われたらどうするの?」と言った。 「だから半分半分だって」 「じゃあ、『白瀬くんのために、あたしが料理もお掃除もお洗濯も全部してあげる♡』って言われたら、どうするの?」 「今のめっちゃかわいかったね」と隣の寛絵さんに言い、さくらさんの方を向き 「もう一回言って♫」とニコニコしながら言った。  さくらさんはドン引きしている。 「もう一回!もう一回!」と手を叩いて言った。普段のクールなさくらさんのキャラとのギャップがかわいかった。 「そう言えば白瀬さんビール飲まないですね」と琴子さんが言った。  たしかに。そう思った。いつの間にかアル中が治っている自分に気付いた。体が酒を欲しなくなっている。なぜだろう、と考えてみると自分が(大検は取得したものの)中学しか出てないってことがコンプレックスだったんだろう。それが大卒の肩書が付き、不安が取り除かれたんだろう。それで酒に依存しなくなったのだ。こんな事に自分は長年コンプレックスを感じていたのか、とバカバカしくなった。  ショーパン居酒屋を出た後、みんなで近くにあるカラオケ屋に行った。  しばらく慣らしで歌った後、 「じゃあ、次の曲は富岡さくらさんに捧げます」と言ってピロウズのMighty loversを歌った。    下着のままでリンゴの皮を剥き    雑誌の表紙のように    彼女は上手に笑ってる    勿体ぶった足取りで近付いて    甘そうなそいつをくれ  このセクシーな女性のキャラクターがさくらさんに合っていると思ったのだ。実際歌った後寛絵さんが 「ああ、さくらに合っているような気がする」と言ってくれた。 「次は寛絵さんに捧げます」と言ってLadybird girlを歌った。    Is this love?    This is love!    キミに会いたいな    理由がなくちゃ すぐ会えないなら    何か考えなきゃ  曲の間奏のときに琴子さんが 「理由がなくちゃすぐ寛絵に会えないなら何か考えなきゃ、って思っているんですか?」と言うので 「だから、そう言ってんじゃん」と答えた。  キャピキャピ寛絵にはこういうポップでキラキラした元気の出るラブソングが似合うと思ったのだった。  次は琴子さんにLily, my sunを捧げた。    恋はどんなふうに    胸から離れるんだっけ    思い出せないくらい    キミが好きだよ  実を言うとりんごさんを意識しだす前は4人の中では琴子さんが一番気になってたのだ。それが今やっと曲に託して言えた気がした。普通なら言えないことでも、音楽に乗せれば言えることもある。それをボクは『SR サイタマノラッパー』という映画から学んだ。  琴子さんが「さわおってツッパってるのにこういう曲書くんですね」とコメントした。  歌い終わって烏龍茶を飲んでいると寛絵さんが 「りんごには歌わないんですか?」と効いてきた。 「いやあ、さっきからボクばっかり歌ってるからちょっと休んだほうがいいのかなって」 「もうこの際だから続けて歌ってください」 「りんごさんにはMr.Childrenの曲をピロウズがカバーした曲を歌おうかと思ってるんだけど、ミスチルの中でもマイナーな曲でだからカラオケに入っているかどうかわからないんだよなあ」とデンモクをいじり始めた。あった。しかもピロウズ版があったので曲を入れた。  テレビ画面に『つよがり』とタイトルが出て、イントロが流れ始めた。それを見て3人は「つよがり!」と言って笑った。    凛と構えたその姿勢には    古傷が見え    重い荷物を持つ手にも    つよがりを知る    笑っていても    僕には分かっているんだよ    見えない壁が君のハートに    立ちはだかってるのを  ボクは真剣に心をこめてバラード調のこの歌を歌ったが、歌っている間中3人が交互に、ときには声がハモりながら「つよがり」「つよがり」と失笑を繰り返した。    「優しいね」なんて買被るなって    怒りにも似ているけど違う  この部分のところは笑いが起こらなくなったが、また続きを歌い出すと3人は失笑を繰り返した。    たまにはちょっと自信に満ちた声で    君の名を叫んでみんだ    あせらなくていいさ    一歩ずつ僕の傍においで  歌ってて気付いた。この歌詞が一番自分がりんごさんに言いたいことだったと。別にデートに断られても向こうのペースに合わせて進んでいけばよかったのだ。自分の未熟さゆえそれができなかったのだ。    そしていつか僕と    真直ぐに向き合ってよ    抱き合ってよ    早く 強く    あるがままで    つよがりも捨てて  歌い終わっても3人はまだ「つよがり」と言いながら失笑していた。  最後に3人は(と言ってもカラオケボックスには一部屋にマイクが2本しかないので交代交代でマイクを回しながらだが)西野カナの『Darling』と『トリセツ』を歌ってくれた。なんだか「そんな昔の女のことなんて忘れて、今いる私たちを大切にして」と言っているように感じられた。西野カナ演歌説は流石にその時はしなかった。そうしてボクは埼玉県立大学を卒業した。    第五章 恋愛小説の書き方  結局ゆーたんは、卒業してから数年後、就職した病院の医者と結婚した。すでに妊娠5ヶ月だという。ボクは結婚式には呼ばれなかった。ゆーたんのウェディングドレス姿は素敵だろうな、と思いながら泣いた。やめていた酒をひさしぶりに飲んだ。あとから真希ちゃんに『ゆかりキレイだったよ』とラインで教わった。    ボクは草加市にあるNPO法人の『ビリーブ』に入社した。そこは高校出たてぐらいの知的障害者や自閉症の人の内職の手伝いをしたり、外出に付き添いをしたりする仕事に就いていた。  ある日、女性職員が利用者さんの女性をいじめだした。月に一度の工賃の受け渡し日に、利用者さんは「お母さんにカバンに工賃を入れなさいと言われていたのでカバンに入れたい」と言い、職員は「ファイルに入れなさい。ファイルに入れないなら工賃を渡さない」と言い張り、その利用者さんは泣き出した。  その後利用者さんが帰った後の職員会議で、ボクは「福祉に関わる者が利用者さんを泣かすのは良くない」と言った。「お母さんにそう言われていたわけで、ワガママでカバンに入れると言い張ったわけではない」「工賃は働いた対価としてお金をもらうのであって、別にあなたに魂まで売ったわけではない。工賃をもらうのは当然の権利であってそれを渡さないという理屈はない」と言った。  結果、ボクは施設長から「輪を乱した」と言われ、クビになった。利用者さんを泣かした女の職員はそのままであった。  結婚してから半年もしないうちに、ゆーたんは離婚した。  ボクはその頃ハローワークに通い、求職中の日々だった。せんげん台のル・グラン・ヴェルという県大生御用達の喫茶店にゆーたんに呼び出された。  早めに行ったが、ゆーたんはもう席に着いていた。赤ん坊を抱いていて、アイスコーヒーを飲んでいる。ゆーたんはコーヒーが飲めなかったが、飲めるようになったのを思い出し、同じものを注文した。 「ひさしぶり」と言った。 「おっさん、ひさしぶりね」とゆーたんはうつむき加減で言った。  こういう時ってなにを話せばいいのだろうか。 「赤ちゃん生まれたんだって?男の子?女の子?」 「女の子」 「名前は?」 「ひとみ」 「ひとみちゃんか。かわいいね。抱っこしていい?」  ゆーたんにひとみちゃんを渡され、抱っこをした。おとなしい赤ん坊で腕の中であどけなく笑っている。  しばらくあやしていると、アイスコーヒーが来た。 「ウチ、ダメだったみたい」店員が去るとポツリと言った。 「・・・ああ、離婚したんだってね。なりけいからラインで聞いたよ。でもまあ、ゆーたんみたいなかわいい子なら次の・・・」 「違う」 「・・・なにが?」 「自分にウソをついたらダメだってことだね」 「どういうこと?・・・なんか変だよ」  ゆーたんは顔を押さえて泣き出した。「ハンカチは貸すためにある」という紳士の格言があるが、ボクは気がきかない男だから当然ハンカチなど持っておらず、ただ見守っていることしかできなかった。 「ウチね、本当はおっさんのことが好きだったみたい・・・」 「・・・」 「ごめんね。こんなことを言われても困るよね」 「・・・そんなことないよ。むしろうれしいな。ゆーたんのこと大好きだし。ボクたち結婚しようよ。ボクの子じゃなくてもゆーたんの子ならボク育てられるよ」 「ダメよ。ウチおっさんのこと何度も裏切った。一緒になる資格なんかない」 「そんなの、別にいいよ。気にしてないよ」 「そうじゃない。ウチが自分を許せないの」 「でも恋人同士なんてさ、お互いがそれでいいと思っていればそれでいいんだよ」 「ダメよ」  普段なら聞こえない時計のカチカチと言う音がいつまでも聞こえた。それは、この世界が現実で、今もその現実が生きて動いているのだという証拠のように思えた。 「・・・ダメなの?」 「うん」 「そっか・・・」  ゆーたんの目から今度は大粒の涙がこぼれてきた。 「本当にごめんなさい」 「別に謝ることなんてないよ」  赤ん坊はいつの間にかボクの腕の中で眠っている。 「でもボクたち友だちだよね」 「うん、友だち。ずっとずっと友だち」 「だよね。うれしいな」  もう一度赤ん坊の顔を見た。顔の輪郭や目鼻立ちがどことなくゆーたんに似ている。いつかゆーたんが自分の顔の輪郭がお気に入りだと言っていたことを思い出した。ひとみちゃんも将来はゆーたんママやゆーたんのような人生を送るのだろうかと考え、いや、そんなことわかんないよな。と思い返した。子どもを「子ども」という言葉を使わないで表現するとすればそれは「可能性」だ、と県大の授業で習ったのを思い出していた。  口をつけていないアイスコーヒーの氷が溶けて、カチャッと音がした。
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