はじめましてから始めよう

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はじめましてから始めよう

 それから俺は一ヶ月もベッドの上から起き上がれなかった。  俺が助けた男の子が母親と一緒に見舞いに来てくれた。  母親の笑顔に、少しだけ気持ちが救われた。  こんな俺でも、誰かの笑顔を守る役には立てたのかな……。  皓太も見舞いに来てくれたけど、俺が入院している間にダンクシュートを猛特訓するって息巻いた。  ようやく歩けるようになった時、ずっと聞けずにいたことを聞いてみた。 「百瀬美月って子……知ってる?」 「誰?」  皓太に聞いても、母親に聞いても知らないと答えた。  確かこの病院に彼女も入院していたはずなのに、看護師に聞いてもそんな子は知らないと首を振った。  リハビリと称して病院中を探し回ったけど、彼女を見つけることはできなかった。  なんで……どうして……。  頭の中は彼女の事でいっぱいだった。  おいしそうにご飯を食べる彼女の幸せそうな顔、笑った顔、驚いた顔、照れた顔、そして目を真っ赤にして泣く彼女の顔。  何をしていても彼女の事ばかり考えてしまう。 「……くん、……くやくん……谷村朔哉くん!」 「は、はい」  検査が立て込んでいて順番が来るのを、近くの待合スペースで待っていた俺は、看護師に呼ばれたのに気付かなかった。  ハッとして慌てて顔を上げると、看護師が手招きしていた。  膝の上に置いておいた本の存在をすっかり忘れて立ち上がった俺は、その本を床へ落としてしまった。  おもむろに落とした本を拾おうとした時だった。  線の細い指が、俺より先に本を拾った。  ドクンドクンと脈を打つ。  本を拾ってくれた指から徐々に視線を移していく。  心臓の音がうるさいくらいに高鳴る。  本を拾ってくれた人の顔を見た途端、息をのんだ。  その人の顔を見た瞬間、涙が出そうになった。  大きくきれいな瞳が俺を捕らえる。その瞳はキラキラと希望に満ちた瞳。    俺はただジッとその人の顔を見つめていた。  無神経にじっと見つめる俺に戸惑いながらも、その人はニッコリとほほ笑んだ。 「私も、この本好きなんです」  線の細さは変わらないけど、ピンク色に上気した顔と、キラキラ光る生気に満ちた瞳をした百瀬美月がそこにいた。  やばい、俺マジ泣きそう。 「これ、新刊ですよね」  彼女に聞かれて、俺は頷くのが精一杯だった。 「いいな。新刊がなかなか見つからなくて、私まだ読んでいないんです。うらやましい」   羨ましそうに、でも少しだけ拗ねたような顔に、俺の心臓はドキドキと動きを速めた。 「良かったら……貸すよ」 「え?」  驚いた彼女の顔を見て、焦った。  俺、めちゃめちゃ必死じゃん。  カッコ悪ぃ~けど、どうしても彼女を引き留めたかった。 「え……その……」  でも、うまく言葉が出なくて、まごまごしていたら、彼女は俺に本を手渡すと、ニッコリとお辞儀をしてその場を離れようとした。 「あ……の、少しだけ……君の時間を俺にくれるかな」  口から言葉が飛び出していた。  言ってすぐ、自分が恥ずかしい事を言っていることに気付いた。  初対面の人に向かって言うセリフじゃないよな。  彼女は驚いたように目を大きく見開いた。 「えっと……えっと……」  俺、かなりイタイやつだけど、なりふり構ってる場合じゃない。  俺の事を待っている看護師をチラッと見ると、看護師が口を大きく動かしていた。  指でイチとゼロを形作っている。 「じゅ……十分で検査終わるから、えっと、その……」  すると、彼女がクスっと笑った。 「お見舞いが終わったら、そこの中庭で待ってます」 やった!  内心ガッツポーズ。  でも彼女の言葉に引っかかった。 「え? お見舞い?」 「お友だちがケガをして入院しているの」  友だちの見舞い? ってことは彼女は病気じゃない? ってことは、入院してない! 「友だちが入院……そう、それは良かった」  思わず言葉が漏れた。 「え?」 「い、いや、君が入院してなくてよかった」  慌てて言葉を取り繕うと、彼女がフフッと笑みをこぼす。 「はじめまして。私、百瀬美月って言います」 「は、初めまして。俺は谷村朔哉。じゃ……」  また後で、って言いかけて口を押えた。 『じゃあ、またねって言ったのに、それっきり会えなくなっちゃった』って言って泣いた彼女の姿が脳裏をかすめた。 「俺、どんなことがあっても行くから。どんな邪魔が入っても何があっても、必ず行くから……消えたりなんかしないし、例え死んでも……ありとあらゆる手段使って、絶対行くから……だから……俺を信じて」 「……大げさだな……」  だよな……。  ああ、こんな事言われたら、普通、ドン引きするよな。  頭を抱える俺に、彼女は少しイタズラな笑みを浮かべた。 「……私、待ってます。消えたりなんてしません。どんなことがあっても、どんな邪魔が入っても、何があっても、ずっと待ってます。例え死んでも、ありとあらゆる手段を使って……待ってます。私を信じてください」  恥ずかしそうに笑いながらそう言うと、彼女は行ってしまった。  やっと会えた。  彼女は元気だった。すごく元気で可愛かった。  俺がニマニマしていると、看護師と目が合った。  あ、そうだ。俺、検査するんだった。 「可愛い子だね」 「はい」  即答する俺に、ニヤリとする看護師。 「あ、いや、その……」 「病院でナンパとは、やるねぇ~色男。あそこまで必死だと、逆に清々しいよ。」  うわぁ、マジだっせぇ~。  最悪のシチュエーションに顔を覆った。  でも、後悔はしていない。  もう、彼女を失いたくないんだ。 「そんなに照れるな青年、君の想いはちゃんと伝わったよ。でも、病院で死ぬは厳禁だから」  肘でツンツンとつつかれる。 「すんません」 「さて、さっさと検査すましちゃお」 「はい」  俺は、彼女の笑顔を守るためならなんだってする。  例えば、違う世界に行ってでも……。  君とはじめましてから、もう一度始めるんだ。  君と同じ時を刻み、同じ景色を見るために。  ※※  完  ※※
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