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「乗っていないんだよ」
「え?」
「だから、客が乗っていないのにひとりで話してんだよ、あの運転手」
「はぁ?」
信号が青に変わったが、矢部さんの言葉に気を取られてスタートが遅くなった。タクシーは、進藤さんたちの社用車を追い越して、道の先へと進んでいく。
「……本当だ」
斜め前を走るタクシーを追いながら見ると、確かに矢部さんが言うように、リアウィンドウから見えるタクシーの後部座席には、そこに座っている誰の頭も見えていない。
「ひとりごと、ですかね」
「あんな楽しそうなひとりごとがあるかよ。それにほら、あの運転手、ちょこちょこ後ろを気遣うように顔を向けてんだよ。分かるか?」
渋滞中の道路を、進藤さんが運転する車もタクシーものろのろと進む。確かに運転手は笑みを浮かべながら、バックミラーを覗いたり、後部座席を気に掛けるようにして頷いたりしている。どう見ても、乗客と会話をしているようにしか見えない。
「客が乗ったときのことを想定して、円滑にコミュニケーションをとる会話術のシミュレーションでもしているんですかね」
「なんだよそれ。ムリありすぎだろ」
自分でもそうは思ったが、だったら隣を走る運転手の謎の行動を、矢部さんはどう説明するというんだ。
「……ありゃあ、乗っけちまったんじゃねぇのかな」
「……何をですか」
「『見えない客』をだよ」
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