悪魔の所業

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悪魔の所業

「・・・魂の器は体全体だということは判った・・・ただ魂を肉体にとどめる留め金が見つけられぬ・・・やはり死体の解剖だけでは限界があるか・・・」 白き衣を羽織った老魔法使いが、独り呟く。 禁忌とされる死者の玩びは、彼の白き心を絶えず苛ませるが、そこを通らねば魂の器も、魂と肉体を繋げる『なにか』を見つけだすことはできない。 その確信が、彼をこの忌まわしき場所に縛り付けていた。 隣国との国境の狭間にある空白地に存在する、小さな墓地。 昔はこの地に町が栄えていたのであろうがすでに滅び、残された墓地だけが陰鬱(いんうつ)とした空気を(かも)し出していた。 人の気配はなく、来訪者もいない。 近くを通る旅人と、その旅人を狙い潜む、盗賊どもの巣窟があるだけだった。 その地下に、ウォーレンの生と死の研究室(ラボ)があった。 快適とは程遠い、しかし静かなこの部屋は、老魔導師の知恵と魔力を用いて築き上げたもので、この場所を知る者は他にいない。 地上で骨だけの死体を漁り、この地に点在する出来たての死体を回収し、骨を割り、砕き、死体のあらゆるところをを刻みながら、人体という肉の器を研究し続けていた。 骨の研究は物理的には簡単だった。 しかし肉体の研究は困難を極めた。 腹を裂き、半ば腐った内臓を引きずり出しても、得られるものは少ない。 それでも何体も解剖することで、器のありようはどうにか計り知れた。 死体の弄び。それだけでも心が切り裂かれる苦痛であったが、頭蓋骨を砕いて脳を引きずり出す行為など、どの様な大義があったとしても、悪魔の所業以外の何物でもなかった。 「安らかな眠りを妨げて、すまぬ・・・。しかしこれをやってでも愛しきものの死に悲しむ人々を、救いたいのじゃ」 吐き気と良心の呵責に苦しみながら、また実際に嘔吐を繰り返しながら、ウォーレンの研究は続いた。 その顔はやつれ、まるで死者が死者を切り刻んでるかのように蒼白であった。 そして、死体を切り刻むだけでは届かぬ位置までたどり着いてしまった事に気付いた。 命を知るためには、命が、魂が滅する瞬間を調べねばならぬ。 その流れの中で魂が肉体に留まるための留め金を見つけだすしかないのだ。 すでに、魔法使いに退路などなかった。 最初のうちは人を殺めし悪人を、逃亡する犯罪者を、旅人を襲う盗賊を選んでこん睡させ、研究室で切り刻んだ。 「すまぬ・・・偉大なる発明は、尊い犠牲なくして為しえないのだ」 生きたまま腹を裂き、胸を開き、頭を少しずつ砕き、脈動する臓器を観察した。 しかし観察を始めたばかりで命が途切れてしまうことも多く、必要な被検体は増えていった。 やがて魔法使いは効率の良い人体の破壊術を身に着け、生きたまま人体を解体する事に慣れていった。 既に吐き気は感じなくなっており、良心の入り口にも厚いドアと閂をかけ、封する事にも慣れてしまった。 いつしか、微細動を繰り返す前頭葉を観察しながら、ゆっくり食事がとれるようになっていた。 命が途切れる瞬間、魂が肉体から離れる瞬間の変化にも、冷静に観察し、差異に気付けるようになっていた。 魂の留め金は、脳の奥、中心部にあった。 理性と知性を司る脳にこそ、留め金があるのは当然でもあった。 しかし、それ一つだけで充分なわけではないようであった。 留め金は複数あるように見えた。 二番目の留め金は予想通り、心の臓の中心に見つけられた。 全身に血を巡らし、また感情を、感性を司る、脳に次ぐもう一つのの臓器と考えれば、予想に難くはなかった。 しかし、まだ全部ではないことも、判っていた。 すでに50体を超える生ける被検体を解体し、観察していたが、それでもまだ十分ではなかった。 悪人や盗賊もそれほど多いわけではなく、被検体が圧倒的に足りなかった。 そして、苦渋の決断を、魔法使いは下した。 無差別に近場を通る人を、誘拐し始めたのだ。 「すまぬ・・・この呪文が成就したあかつきには、必ず蘇らせるので、辛抱してくれ。偉大なる発明は、尊い犠牲なくして為しえないのだ」 誰に聞かせるともなく、老魔術師は自分自身に言い訳を繰り返した。 被検体が100体を超えたあたりで、珍しい被検体と出会った。 妊婦だ。 良心の呵責は過去に類を見ぬほど強烈だったが、魔術師の脳裏には、ある種の予感があった。 この検体を解すれば、見つけられるかもしれない。 すでに己が狂ってしまっているのかも、とも思えたが、崇高なる研究の学徒として、確信にも近いこの直観を無視することなど出来なかった。 幸か不幸か、予感は当たった。 最後の三つ目の留め金は、へその下、性器の上、女性が命を育む臓器の位置に、あった。 まだ呼吸すら知らぬ赤子を(はらわた)から引きずり出した際、見出せたのだ。 まさに、命の留め金。 新た命を育む力があるからこそ、そこにあるべきなのだ。 どんな発見も、気付いてしまえば簡単なものだった。 しかしこれら三つの留め金は、どうも人によって微妙に位置が違うようであった。 留め金の位置を正確に捉えられねば、蘇生の魔法などただのまじないと同じでしかない。 その関連性を突き止めるべく、被検体の数は更に増えていった。 150体を超えるころには、逆に墓場を訪れる者が増え始めた。 近辺を通過する善良なる市民を襲い続ける、謎の存在を討伐すべく訪れた、戦士達、魔法使い達。 しかし熟練の老魔術師を脅かせるほどの存在は居なかった。 「すまぬ・・・この呪文が成就したあかつきには、必ず蘇らせるので、辛抱してくれ。偉大なる発明は、尊い犠牲なくして為しえないのだ」 もはや口癖のようになってしまった、この言葉。 しかしこの口約束が成就できぬ約束だと、この飛びぬけて屈強な、または聡明な被検体達が、老魔術師に教えてくれた。 蘇生の魔法が効果を及ぼしうるのは、老若男女の別ではなく、一定の思想を持つ冒険者だけである事を、だ。 だから「聖者のみ蘇生が可能」だったのだ。 彼の研究が成就したとしても、あの妊婦は蘇生できない。 老魔術師は頭を抱え、激しく掻き(むし)りながら大声をあげて()き、悔いた。 涙が止まらなかった。 ふと、小さな鏡に映る己の姿が視界に入った。 研究に没頭し、もう何年と己の姿を見ていなかった。 そこには、もはや気高く誇り高き白き衣の魔道師は、存在していなかった。 汚れを知らぬ白き聖衣とマントは返り血を浴び続け、いつしか真っ赤に染まってしまっていた。 いつぞや見た、あの唾棄すべき赤魔女の衣のように。 魔導師は狂ったように、甲高い声で笑い始めた。 白き魔道師は、灰かぶりの魔女に呪われてしまったのだ。 おぞましい笑い声をあげながら、彼の腹が決まった。 この魔法は、白と黒と灰、この三つの思想の人々のために完成させよう。 全ての人を救うことはできなくとも、大勢の人を救うことができる。 充分な偉業だ! 偉大な発明の礎となれたことで、犠牲者たちも、納得してくれるに違いない! 我が正しさは、歴史が証明してくれる! 魔導師は、もはや迷わなかった。 幸い墓場を訪れる被検体希望者(彼にはそうとしか思えなくなっていた)は、あとを絶たない。 白黒灰、それぞれの思想ごとに老若男女。 黒と灰はそれほど苦労しなかったが、同じ思想の仲間を解剖するのは、さすがに躊躇(ためら)われ、効率よくとはいかなかった。 しかしそれを補完する彼の選択肢は、完全に常軌を逸していた。 自らの家族を検体としたのだ。 永らく行方不明だった己の所在地を明かし、新たな研究の誕生は間近だと、その瞬間に立ち会って欲しい、と一族を呼び集めたのだ。 彼の子が、孫が、曾孫が、そして玄孫(やしゃご)までが、一網打尽となった。 「我が偉業に協力すべき白の思想の英雄は、我が一族にこそふさわしい。全員必ず蘇生させるので、なんら案ずる事はない。」 乾杯の杯に仕込んだ眠り薬で寝込む一族に一方的にそう宣言し、死の饗宴(きょうえん)が繰り広げられた。 さすがに一番年下の、幼き玄孫の心の音が止まる瞬間は心乱れるところもあったが、それすらも一笑に付した。 そして、検体の一番最後。 栄えある最後の検体は、自分こそが相応しい。 静かな微笑みと共に、魔道士は己の胸の中心にナイフをつきたて、真っ直ぐに切り下ろす。 溢れるのは歓喜ばかりであり、痛みなど、まったく無かった。 それどころか心臓を、下腹部を、頭蓋骨を切り開き己が能を引きずり出しても、死の(とばり)すら感じ取れない事に気付いた。 これぞ神の祝福だ! 復活の魔法という偉業を成すべき我は、痛みも、死すら超越したのだ! 己の精神と肉体の異変にまったく気付かぬ、かつてウォーレンと呼ばれたモノは、いつまでも笑い声をあげながら、研究に没頭し続けた。
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