精神障害者となって

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精神障害者となって

 世の中には、こんな病気がある。  鬱状態。これは最近、うつ病のことに関する動画などを視聴できるようになって、症状を知っている人は多くいると思う。ひどくなってしまうと、自殺へとたどり着きそうになる。  これと反対で(そう)状態というものがある。これは気分が爽快で、頭の回転が早くなり、同時にいくつものことをこなすことが出来るようになる。睡眠時間がほとんどなくても、平気で元気に活動できるようになる。  これは、私個人の場合だが、ひどい状態になると、我が強くなり、他人を殺そうとする。  私が現在、患っているのが、鬱状態と躁状態を繰り返す双極性障害というものだ。精神障害者二級である。  長年、鬱病と誤診されていた。躁状態が調子がいい時だと勘違いしていたからである。そういうわけで薬がきちんと効かず、様々な事件を巻き起こした。  配偶者を何度も殺そうとしたこともある。しかし、一回しか覚えていない。記憶がなくなっているのである。  両親に顔面パンチをし、突き飛ばし、兄弟に果物ナイフを向けて脅したこともあった。  その時の自分は、全身を怒りという鎖でぐるぐるまきにされて、戦車か何か大きなものに無理やり引っ張っていかれているような、手の施しようがない感情となる。    しかし、罪悪感がない。誰か別の人がやっていることのように思ってしまうのだ。  高血圧の薬のように、飲み続ければあとは安心ではない。  薬を飲み続けても、軽い補正をしてくれる程度で、鬱状態と躁状態のスイッチが入らないように、日々気をつけてゆくしかない。  人殺すか。  自分を殺すか。  極端にいえばそうだ。しかし、いつどっちへ転がるかもわからない。心の片隅で、世の中で一番怖いのは自分だと思っている。ただ、薬をきちんと処方してもらってからは、ずいぶんと感情をコントロールするのが楽にはなった。  病名さえ私は知らずに生きてきた。今振り返れば、二十歳の時には発病していたのだろう。あれから二十数年が過ぎた。  病気だと知った時に、調子がいいと思っていた自分は本当ではなく、病状の一つたったのだと気づいて、落ち込んだものだ。そうして、自身がわからなくなった。  そういうわけで、十代以前の記憶から、自分を探し出すしか方法がなかった。今はその旅の途中である。  精神科の病棟にも入院した。他の患者さんと話ができるいい機会だった。そこで気づいたことは、やはり何らかの理由で家庭環境に問題がある人ばかりだった。  過保護の親。  家族からのいじめ。  DV。  ……などなどだ。  本人の存在を否定するようなことが大きな要因ではと、私は思う。私は両親が原因である。  だが、人とは弱いもので、自分が人に悪影響を与えていると認められないものだ。  つまり、理解して、止めることを相手はしないのだ。  私も昔は若かった。真剣に話せば、話は必ず相手に伝わるものだと信じていた時があった。  しかし、過去と人の気持ちは変えられない。という言葉がある通り、家族の意見は変わらない。それどころか、理解してもらおうということに労力と時間を費やした挙句、病状の悪化はまぬがれない。  そうなると、私の人生ではなく、親に引っ張り回された誰かの人生を歩むのと一緒になってしまう。  従って、私は理解されなくていいと決めた。そうしたら、とても気持ちが楽になった。  それから、大切なことは、相手を(さげす)まない。自身から見て愚かだなと思ったとしても、その人はそれが良くてやっているのだから、いいんだなと思うだけにする。人は人、自分は自分の精神である。  当然のことならが、恨みにや憎しみ、怒りを相手にぶつけない。ぶつけられても、聞き流すという技術で忘れてしまう。  私にとって、両親は『どうでもいい人』という認識をしている。もちろん、感謝しているところもある。しかし、大部分はこれ。  ということで、道端ですれ違う知らない人と同じになるわけだ。すると、何を言われても、 「ん? 何か言ってた?」  首を少し傾げるだけで、なかったことにできる。最近はもっぱらこの戦法だ。  ただ、相手は私に言うことを聞かせようとしてくる。そこで、家族から失踪してたった一人きりで生きてきた時に手に入れた秘法を使うのである。  例えば、他人の悪口や陰口を聞かせられる。  私はこれが非常に不愉快で、ストレスがたまる。  この場合は、相づちだけを打つ。 「そうなんだ」 「なるほど」  悪口や陰口を言う人間は、同意してほしいのだ。それならば、適当に聞き流すと、相手は次第に話してこなくなる。  一番やってはいけないのは、同意することだ。自分に嘘をつくことが、病状を悪化させるのはもうわかっている。だから、絶対にしないのだ。  それから、逆に病気を利用する。ぼうっと遠くを見ているような目をして、生返事をする。すると、相手が勝手に病気でおかしいのかと判断して、話してこなくなる。  意見が合わないが、どうしても伝えなくてはいけない時。特に、病状の認識の違いなどである。  私の両親、特に父親は怒鳴り散らすので、それに引きずられないようにする。  事実だけを受け止める。つまり、  相手が怒っている。  ただ、それだけ。ここに感情は乗せない。怒り返すと火に油を注ぐことになるので、お腹を意識してゆっくりと息を吸って落ち着く。頭の上から氷雨(ひさめ)が降るイメージを持って、冷静さを保つ。  そうして、声のトーンを少し落として、 「違う」  と、簡単にわかるように伝える。当然これだけでは、また怒鳴ってくるので、さっきと同じように。 「ううん、違う。違うよ」  何度も何度も言う。ここまでくると、ヒートアップしている相手が落ち着いてくる。そうして、病状は今現在治らないのだと伝える。健常者ではないのだと教える。  相手は落ち込む。弱い人間というもは、自分に都合の悪い物事から逃げ出したり、怒ってなくなるようにしようとする。小さい子供が気に入らないと思って、怒って泣くのと一緒である。  しかし、事実は事実で逃げても、何も変わらないのだ。これは今までの人生で十分学んだことだった。  双極性障害で、障害者となっても一分ほど、悲しいと思ったが、嘆き悲しんでも病気は治らない。これが現実だ。  そう言い聞かせて、私はすぐに、病気と長い付き合いになるから、それについて勉強しようと、さっさと前へ進んでしまったのである。  喜怒哀楽が激しい病気だし、このような症状の病気があると知っている方は少ない。だからこそ、まわりの人から見れば、付き合いづらい人となってしまうのである。  配偶者も親友も知人も失った。家族は価値観が合わず、話がまともに通じない。私のとある信念で結婚することももう望んでいない。負け惜しみでもなんでもなく、本当に望んでいない。  それでも、人というのは言葉を吐き出さないとストレスがたまるようにできているそうだ。私の話を聞いてくれるのは、週に一回来てくださっている訪問看護の看護師の方々である。  ありがたい存在だと思う。  今はただ、穏やかに余生を過ごしたいと思っている。 「精神年齢が二十歳ぐらい上ですよね」  と、看護師さんに言われたこともある。    しかし、病気で喜怒哀楽が非常に激しい時を、二十年以上も過ごしたら、静かに過ごしたいと思うのが当然なのではと、私は思う。  そうして、今日も無事に朝を迎えられた奇跡を、神に祈り感情いたします。
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