神様の言葉がよく効く

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神様の言葉がよく効く

 結局同じところへ戻ってきしまう。  私が生きていなければ、誰も不快な想いや金銭的な心配をすることもない。そうして、私も家族から責められることもなく、病気で苦しむこともなくなる。だから、死んでしまえば、全て解決する。  この理論は合っているのではと思うのだ。しかし、やはり間違っているとも思う。  ここへたどり着く経緯を考えてみる。  病気が発症してから、もう二十五年が経つ。しかし、病気だと知ったのは三年前。つまりは、その前に病状が理由で、家族間ではいろいろあったのだ。  鬱状態がひどくなり、家族に相談した。 「毎日、死ぬことばかり考える」 「だったら、死ねばいいだろう」  と返ってきたのだ。家族にとって、自分はいらない存在。心のどこかにそういう考えが残っているのだろう。  その後、家族から七年間失踪していた間に、ある人から言われた。 「親も神様じゃない。人間だから、間違うこともあるんだよ。だから、許してやれ」  と。失踪当初に比べれば、多少は許しているのだと思うが、完全に許しているとは言い切れない。  冷酷非道な話だが、親が要介護になった時、介護できるという自信はない。躁状態に転じて、殺してしまうのではないかと、とても不安だ。  そうすると、最初に書いた、私が死ねばいいというところへ、思考は戻ってきてしまう。それでもあがいて、どうやってこのループから抜け出せばいいのかと考えた。  何かいい術はないのかと。神様、教えてくださいと祈った。すると、私の守護神がこう答えたのだ。 「あなたの存在がもう必要なければ、私たちが天へ既に召しています」  今は誰もにも必要とされていないように見えても、誰かが自分を必要としている。もしくは、この先の未来に必要とされる可能性が残っている。だから、私は今日も無事に朝を迎えられた。  神様にそう言われると、生きていようと思うのだ。家族は未だに脳の病気だと理解できない。  気の持ちようなのではないかと言う。癌は気の持ちようで治るのだろうか。なぜ障害者の認定を自治体から受けているのかも、きちんと理解していないのだろう。  健常者と同じように生きていけないから、障害者なのだ。普通の人がコミュニケーションをうまく取れることが、躁状態や鬱状態で、支障をきたしてしまう病気なのだと、おそらく家族は一生理解しないのだろう。  家族でさえ理解できないのだから、他人ならなおさら難しいのではないだろうか。それでも、私は神様の言葉を信じて生きていこう。自ら命を断つという選択肢を避けて。
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