つれないひと

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「猫が…ねえ」  と、ホシノさんは呟いて、氷を口に放り込んだ。細面の美人顔なのに、お構いなしのダイナミックさでがりごり氷を噛む。  俺は、この部屋の製氷機から失敬してきた氷をかき氷機に流し込みながら、相手の反応の薄さに溜め息をついた。 「なんだよ、あんたも叔父さん達と同じ反応かよ」  お墓参りに同行していた叔父夫婦も従姉妹も、そんな猫は見なかったと言うし、挙げ句の果てには、事故の後遺症でおかしなものが見えてるのかも、なんて心配されてしまう始末だ。  俺、三木悟志は、去年の晩秋に大事故に遭い、九死に一生を得た。一時は心停止までしちゃったんだそうで、今生きているのは奇跡のようなものだと関係者は口を揃えて言う。「きっと、亡くなったご両親が守ってくれたのねえ」という叔母の言葉を受けて、お礼がてら墓参した際に遭遇したのが件の猫だ。 「どうせ、気のせいだって言うんだろ」  俺はかき氷機のスイッチを入れ、器を回して氷を盛りながら、ふて腐れたように言った。ホシノさんは、また一つ氷を噛み砕いてから、 「いや、そうじゃないよ」  短く否定して、次の氷を口に入れた。 「じゃあ、今の間ってなんだよ」  山盛りの氷に、少し迷ってからブルーハワイの蜜をかける。この部屋の主が製氷機で氷を大量生産しているので、今年の夏はやたらと氷を食べている。ちなみにかき氷機と器、スプーン、三種類の氷蜜は俺の私物だ。なにしろ、ここんちには製氷機と、俺が以前あげたボウル以外、何にもないのである。住んでいる本人に生活のための一切合切が必要ないから、買い揃える気もないのだそうだ。電灯もないから、陽が落ちれば暗い。勝手に使ってる部屋だから、灯りを点けるわけにもいかないんだけど。 「ううん。いやね、その猫、もしかしたら知ってる猫かもしれないと思って」  ちゃんとした返事がホシノさんの口から出たことに、俺は少し驚いた。ずっと生返事をしながら氷を食っていて、まともに聞いてるんだかどうだか分からないと思っていたからだ。ホシノさん…と言ってもこれは偽名で、本当の名前がなんなのかは知らない。本人曰く「そんなの忘れてしまったよ」だそうで、名乗る気がないだけなのかもしれないけど、そういうことにしている。  ホシノさんはこの、俺んちの隣にある空き部屋に住んでいる。と言うか、棲みついている。空室を勝手に使っても、咎める人はいない。何故なら、彼は普通の人には見えない存在なのだ。 「知ってる猫? じゃあ、ホシノさんみたく、猫に見えるけど猫じゃない、とかなのか?」  ホシノさんは人間ではない。  そう言われても、俺だって初めは信じていなかった。氷しか食べないのも、気温に関係なくいつも薄着なのも、ただの奇行だと思っていたんだ。それが、俺の事故を含めた色々な事象から、信じないわけにはいかなくなった。  何しろ実際に俺は、彼が俺の魂を取り出すところを見ているのだ。すぐに返してくれたけど、ちょっとかじられもしたし。 「それが、私の知り合いならそうだね。普通の猫ではないよ」  この自称“死神”のホシノさんが、本当は何なのか、俺にもよく分からない。分からないけれど、妖怪とかそういう恐ろしいものだとは思えないでいる。人ではないにしても、見た目におかしなところはないのだ。ひょろりと痩せぎすで、病的に色の白い、目鼻立ちの整った二十代前半くらいの青年。そう簡単に表現してしまるほど、どこにでもいそうな人間の姿だ。ただ、どんな表情を浮かべていても冷たいままの、青みがかった黒い瞳だけは、ほんの少し“人間っぽさ”を欠いているかもしれない。  まあ、彼が何だったとしても、俺から付き合いをやめることはないだろう。 「だったら、ちょっと話とかしてみたいな」 「どうして?」  甘くて青いかき氷を食べつつ言うと、ホシノさんは“不思議そうな”表情を作って訊き返した。俺が帰ってきてからはかなり減ったのだが、やっぱり時折どこか“それっぽい”ような、見せかけだけみたいな顔をする。そうやって“人間らしく見せよう”と顔を作られると、なんだか他人行儀な気がして淋しく思う。 「俺の知らないホシノさんのことが聞けるかもじゃんか」  正体を明かされた後も、分からないことの方が多いんだ。過去のこともそうだけど、彼がどんな風に生き方を選んでいるのか、どんなことを考えてきたのかが知りたい。そういうことを訊いたって、本人はとぼけるばかりだからさ。 「はあ…。そんな面白味もないことを聞いてどうするんだい」  ほらやっぱり。そうやってはぐらかして、結局なんにも教えてくれないんだもんなあ。 「面白くないかどうかは、聞いてみなきゃ判んないだろ」 「そういうもんかねえ…」  納得のいかない様子で、ホシノさんはまた氷を噛んだ。 「ところで三木くん、学校とバイトはどうするか決まったのかい?」  挙げ句に話題を変えられてしまった。
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