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盆を過ぎたばかりの陽射しは、じりじりと痛いほどに暑い。蝉の合唱もまだまだ健在で、窓の外からは子供達のはしゃぐ声が聞こえている。あのくらいの頃は、宿題以外に気にかかることもなかったのになあ、なんて思う。俺ははぐらかされたのと、自分のこの先の展望との両方に溜め息をついた。
「まだ決まってないよ。いっそもう、夏休みの間は休もうかなって思ってる」
「まあ、病み上がりだものねえ」
退院したのもつい最近のことで、学校は休学中だし、バイト先にも復帰していない。つまりは、完全に元の生活に戻ったとは言い切れない状態だ。事故当時高校三年だったから、卒業も大学受験も逃してしまって、この先どうするかを学校側とも協議中なんである。頭の痛い話だ。
「…あー、いってえええ…」
ずっとかき氷を食べていたら、ほんとに頭痛がしてきた。この『きーん』って痛みもアイスやかき氷を食べる醍醐味だと思うんだけど、俺が来る前からずっと氷を食べ続けているホシノさんは平気な顔だ。どうも、痛覚とか温感冷感の類いまで、感情と同じように薄いらしい。
「大丈夫かい?」
こめかみを押さえていると、ひんやりした手のひらが額に当てられた。一応、心配はしてくれるんだよなあ。こめかみを揉みながら目だけを上げると、ものすごく近くにホシノさんの顔があった。
「…っ、」
エアコンや扇風機がなくても、ホシノさんのいるこの部屋は涼しい。ホシノさん自体がほんのりと冷気を発しているからだ。けれど、こんな風に近づかれると、気温や室温なんて関係なく一気に体温が上がってしまう。
「ほ、ホシノさん…」
吐息がかかりそうなほど近くに、ホシノさんの唇がある。長めの前髪の向こうで冷たいままの瞳が俺を見返していて、目が合ったっていうそれだけのことで心拍数ががつんと上がった。
───あ。キス、されちゃうかも…。
甘い期待に、心臓が痛いくらいに強く打ってる。微かに開いたその唇に口づけられるモーションを待って、俺は瞼を伏せた───のだけれど…。
「人間は大変だねえ、冷たいもの食べる度に痛むなんて」
ホシノさんは拍子抜けするほど軽い口調でそう宣い、冷たい手は俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でて離れた。
目を開けると、無表情のままのホシノさんが俺を見ていた。キスの予兆なんて微塵もない、いつも通り感情の乗らない瞳に、勘違いを思い知らされる。
「あ…。うん…」
落胆したあとは、一人で盛り上がったことが恥ずかしくなる。帰ってきてからというもの、何度こんなことを繰り返したか分からない。さっきとは違う意味で熱くなった顔を早く冷ましたくて、残りの氷を掻き込むと、更なる頭痛に襲われた。
「~~~~~っ」
「…なにやってんの」
頭痛の種は、将来や生活の問題に限ったことじゃなかった。いや、今の俺にとっては、受験やバイトよりそっちの方が結構重大なのかもしれない。
俺は多分、ホシノさんが好きなのだ。
でも、当のホシノさんが、俺のことをどう思っているのかが判らない。
単なる隣人っていう関係じゃないし、友人で済ますには色々ありすぎた。色々ってなんだとか言われそうだけど、色々ってのは色々で、それにはまあ…人に言えないようなことも含まれている。
だから、ホシノさんも俺のことを好いてくれてるんじゃないかって、事故の前後はそう思えていた。生還した後も、本当だったら存在すら感じられなくなるはずだったのを、今もこうして傍にいさせてもらえているのは好意からなんだと…そう思っていたんだ。
なのに、それはすぐに疑わしいものになった。
今みたいに頭を撫でたり、肩を叩いたりはしてくれるのだけど、それ以上はなにもなくて、肩透かしを食らっては自己嫌悪に陥っている。帰還してからまだ二週間と経っていないけど、ホシノさんとの気持ち的な温度差は開くばかりだ。恋人のような関係を求めているのは俺の方だけみたいで哀しくなってくる。
もしもホシノさんにまったくその気がないとしたら、どうして俺に構ってくれているんだろう。そう約束したから? それだけの理由なんだったら、こうして気紛れに肌や髪に触れられるのは辛いだけだ。
本人に訊けば済む話なんだろうけど、なんとも思われていないことが確定してしまったらと思うと、訊くに訊けないでいる。それに、あのときだって結構な恥ずかしい思いをしたのに、また同じようなことをするのも勘弁してほしい。
「…三木くん」
スプーンを咥えたままこめかみを揉んでいると、不意にホシノさんが俺を呼んだ。
「んー?」
うっそりと顔を上げると、ふわりと顎の辺りに手が添えられた。急に触れられたことと、その指の冷たさに、治まったはずの鼓動が跳ね上がる。
「な…なに…?」
顎を持ち上げたまま、親指が下唇に触れた。そのまま形をなぞられて、心臓が飛び出しそうになる。
「…ぁ…」
「すごい色だ」
突然、ぐいっと下唇を押し下げられて仰天する。無理くり開けさせられた俺の大口を、真面目な顔が覗き込んだ。
「口の中、舌まで真っ青になってるよ。エグいねえ」
「ひゃめろーっ」
なんなんだよもう!
からかわれてるのか、素でこうなのか、やっぱり全然判らない。どっちにしろ、こんなんじゃ心臓がいくつあっても足りないのだけは確かだった。
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