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第1話 両長召抱人・市村鉄之助誕生!
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市村の洟垂れ小僧――、それが大人たちの鉄之助に対する最初の評価だった。
以後は阿呆だ馬鹿だ、ひよっこと碌な呼ばれ方をされなかったが、世の中の事も知らず、のほほんと育ったという自覚がそれなりにあったため、鉄之助は「この野郎」と思いながらも言い返す事はしなかった。
ただこれが兄弟間となるとまた違って、言い返そうものなら倍になって返ってくるため、鉄之助は未だに兄の辰之助には口も剣の腕も適わない。
「お前が阿呆なのは、誰に似たんだろうな……?」
盛大な溜め息をついた挙げ句に嘆かれても困るが、改めて言われると鉄之助でも心は折れる。
鉄之助こと、市村鉄之助は武士の子として生まれたが現在は兄と二人、浪々の身である。
主家をもたぬ浪々の身というのは何とも切なく、働かねば金は入って来ないし路頭に迷う。
幸い親類に厄介になる事ができたが、いくら親類だからといつまでも居着かれたりしたら迷惑だろう。
先ずは職を得ねばならないと、兄の辰之助がいう。
戦国の世ならいざ知らず、現在の武士は刀は滅多に抜かない。
よりよい立場に就くため頭を使う。出世第一というのが、泰平の世で生きる武士の生活信条らしい。
鉄之助には出世欲など全くなく、頭を使うのは好きではない。何しろまだ十三の鉄之助に、武士というものは――、と説いても釈迦に説法というものである。
この時の鉄之助は、そんな少年であった。
既に夏の盛りは過ぎ、田では稲穂の首が垂れ始める頃である。
「ふぁ……」
鉄之助はいつものように土手に寝転び、雲を眺めていた。傍で川に釣り糸を垂しているが今日は不猟で、小魚一匹も餌に食いつかない。
最近の市村家の夕餉は芋鍋が多く、この分では今晩は芋煮鍋確定である。
別に芋煮鍋でもいいのだが、三日も続くとさすがに飽きる。何しろ今年は芋がやたら実り、芋だけは山ほどあった。
芋の他に菜っ葉もあるが、それもどうか。
贅沢を言うつもりはないがもう少し何とかならないものか――、茜に染まる空に問うても答えはなく、鉄之助は帰路に就いたのだった。
そんな鉄之助の兄・辰之助は名を市村辰之助といい、鉄之助より八歳上で、もう大人である。
さすが大人とあって鉄之助よりはしっかりしていたが、こうと思うと突っ張る無鉄砲に所が偶にある。
以前などは、山で危うく遭難しかけた。
お陰で鉄之助は、辰之助が何か言い出しても「またか」と聞き流すくらいの耐性が出来た。
この時までは――。
「鉄之助、俺は決心したぞ!」
それは――、辰之助のそんな言葉から始まった。
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