第1話 両長召抱人・市村鉄之助誕生!

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  ◆◆◆  平安遷都数百年――、現在も王都として栄える京。  京人が『お西さん』と親しみを込めて呼ぶ、浄土真宗の寺・西本願寺――。  立冬が過ぎると木々の枝は殆どが葉を落とし、石畳は枯れ葉に埋まる。掃いても風によって撒き散らされ、どこまで綺麗にするか妥協案を模索しなくてはならない。でないといつまでも掃除をし続ける羽目になる。  鉄之助はガックリと肩を落とし、溜め息をついた。空を見上げればこの日の夕焼けは、朱や橙に薄紫と、複雑な色合いをしていた。 「鬼副長の、馬鹿野郎ーーーーー!!」  夕焼けに向かって叫べば、寺の梵鐘(ぼんしょう)の音と一つになった。  「人使いが荒すぎなんだよ……! あの人」  鉄之助は縁側に座って頬杖を突くと、空に向かって愚痴った。  塀の上で(からす)が毛繕いをしていたが、鉄之助の愚痴が聞こえたのか鴉は「クァ!」と鳴いた。  その鳴き声が「あほー」と聞こえたのは、鉄之助の空耳か否か。 「そりゃあさぁ、甘い物が食えるとコロッと信じて、辰兄について来た俺も俺だけど……」  柿を一つ失敬すれば食えたものではなく、鴉がまた鳴いた。 「お前――……、今度こそ、あほーと鳴いただろう!?」  寺の中で柿泥棒をしておいて鴉を責めるのもどうかと思うが、鉄之助の暮らしは一転した。    鉄之助たちが京に入ったのは、国友村を立って一月後の事であった。  京の玄関口・三条大橋を渡る頃には秋は深まり、赤とんぼが鴨川の水面を滑るように飛んでいた。  兄・辰之助曰く、新選組の屯所は西本願寺という浄土真宗の寺にあるという。  随分変わった所にあるもんだなと思いながら西本願寺の門前に立てば、中から出て来た僧侶に迷惑そうな顔をされた。 僧侶でありながら何て態度だと憤慨した鉄之助だったが、この寺が新選組の屯所となった経緯を聞けば「なるほど」と僧侶の態度に納得した鉄之助であった。  何でも西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山だといい、西本願寺本尊・阿弥陀仏も、新選組と同居する事になるとはさぞ驚いた事だろう。  しかし物珍しいと思うのは、最初のみだった。到着した翌朝「起きろ!」という怒声に、鉄之助は飛び起きた。 何せこれまで、まったりのんびり生きてきた鉄之助である。寝起きもいい方ではない。  ただそんな鉄之助にも、苦手なものがある。一つは雷で、一度家の近くに落ちた事があり、以来苦手になった。  鉄之助が聞いたその怒声はまさに雷に近く、鉄之助を一瞬にして覚醒させた。  何でも新選組の新人は幹部と言われる人間より早く起きて、掃除をするのだという。  庭掃除に行けば、犬のものと思われる衝撃的な置き土産と遭遇した。しかも「嫌がらせか?」と思うほど毎回遭遇すれば、心も折れようというものだ。  何でもこれまでに、見習い隊士が三日で逃げ出しているという。逃げ出した理由は他にもあるだろうが、確かに新選組で活躍したいとやって来た者にとっては、犬の置き土産を毎回拾いたくはないだろう。  掃除が終われば新選組最高幹部、局長と副長へのお茶出しである。  局長と副長への茶の好みは違っていて、局長は茶は濃いめで、茶請(ちゃう)けは和菓子。  副長はやや渋めで茶請けは沢庵で、沢庵がなければお茶のみ。  何でも副長の親類が住んでいるという小野路村(おのじむら)(※現在の東京都町田市)から、沢庵を送って貰っているのだという。  新選組局長・近藤勇は豪快に笑えば冗談も言い茶を持って行く事に鉄之助も躊躇(ためら)わないが、問題は副長・土方歳三の方だ。  部屋の前で「市村です」と入室の許可を求めると、一拍おいて「入れ」と声が返って来た。  障子を開けると、土方は文机に向かって座っていた。土方の容貌は精悍で、意志の強そうな目が特徴的だった。髪を総髪にして一つに括り、文机に向かうその背で髷が小気味よく揺れていた。 「さっき……、馬鹿野郎と叫んでいた奴がいたが?」  土方は茶器を口に運びながら、鉄之助を睨んで来た。  どうやら鉄之助の叫び声が聞こえていたらしい。 「えっ……、だ、誰でしょうね……?」 「鬼副長と……」 「ほっ、ほんとに誰なんでしょうね?」  愚痴まで聞こえていたら相当な地獄耳だが、どうやらそこまでは聞こえていなかったようだ。  鉄之助はこの土方の、両長召抱人(りょうちょうめしかかえにん)だった。
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