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午過ぎ――、土方は午前から掛かっていた文を漸く仕上げた。
そろそろ茶が飲みたいのだが、茶を頼むにも鉄之助は呼んでも返事はない。
「まったく……」
土方は、嘆息した。
鉄之助が両長召抱人として土方に就いて二十日、この間に鉄之助は何度か消えた。
脱走ではなく、鉄之助は消えるのだ。これが綺麗に存在を消してくれるため、最初は誰もが逃げたと思った。
最初に鉄之助が消えた時は、町で迷子になっていた。
次に消えた時などは、押し入れから出てきた。何でも近所の子供と隠れん坊をしていて隠れたのはいいが眠くなり、そのまま胸ってしまったらしい。
(鉄之助の野郎……、俺の仕事を増やしやがって)
使い物にならなければ、近藤から言われたからだろうと辞めさせればいい。
土方は何度かそう思った。
なのに鉄之助は三日ももたずに逃げ出した他の両長召抱人とは違って、土方が何度怒鳴ろうと側にいた。
近藤は「鉄之助はいつか、大物になる」という。
土方は額に掛かる髪を掻き上げ、声を発した。
「山崎!」
「何か御用ですか? 副長」
襖がすっと開いて、一人の隊士が片膝をついた。
彼の名は山崎丞という。役職は諸士調役兼監察。
諸士調役兼監察は敵方に潜入して情報収集をしたり、対象を尾行したり、首謀者捜索のため市中から多くの情報を汲み上げることを職務としている。監察の任務は組織内の違法行為や脱法行為の捜査と、局中法度に応じて処罰するための証拠集めや調査である。
「鉄之助が消えた。探せ」
「またですか……」
山崎も慣れたものだ。その顔は少し呆れ顔だ。
「ああ、まただ。またそこら辺にいる筈だ」
「畏まりました」
土方は鉄之助一人捜すのに監察方を動かしたくはなかったが、山崎は人捜しの玄人である。
山崎が去って、土方は再び文机の前に座る。
土方の新しい両長召抱人となった市村鉄之助――、果たして近藤の言う通りに大物になるかならないか。
「まったく――……、また面倒くせぇ奴が来たもんだ」
鉄之助が来た事で、土方の周りは当面静かになる気配はなさそうだった。
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