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成瀬日向(3年) パーカッション
コンクールの自由曲を変更すると発表された時、音楽室は沈黙に包まれた。
みんなが不満に思っていることは間違いない。それでも反対の声が上がらないのは、仕方がないことだと分かっているからだ。
「今までの練習が無駄になるわけじゃない。まだ本番まで2ヶ月半あるから、気持ちを切り替えて、みんなでがんばろうな」
37人になった吹部員の前で、橘先生は爽やかな笑顔を見せた。
「インヴィクタ序曲?」
新しい楽譜を受け取った私は、そこにプリントされた曲名を見て驚いた。
「これ、一昨年のじゃないですか! 」
部長のゆうりが不愉快そうに言い、木管リーダーの芽久美は黙って譜面を見つめていた。
「そう、新しい自由曲は一昨年と同じ、インヴィクタ序曲にしたよ。流行りじゃないが、いい曲だ。それに、主軸になる3年生が演ったことのある曲の方がキャッチアップが速いと思ってね。とはいえ1、2年生には初めての曲だし、3年生も当時とは違う第一、第二奏者になる。8月まで、一生懸命練習しよう。じゃあ早速、パート練習!」
先生の号令で、部員はのろのろと立ち上がった。
パート毎に分かれて練習する場合、音楽室を使うのは打楽器だ。金管と木管の奏者が、楽器と譜面台を持って部屋を出て行く。
「あーあ、月岡さんのせいでやり直し!」
廊下で誰かが不満を吐き出した。するとそれが合図だったみたいに、
「ほんと迷惑」
「こんな時期に辞めるとか、奏って自分のことしか考えてないんだね」
「部活より受験が大事とか、まじで草」
あちこちでそんな声があがった。
月岡さんはどうして3月末で辞めなかったんだろうと、私は疑問に思った。
このタイミングで辞めたらみんなに迷惑をかけると思わなかったんだろうか。自由曲を変更せざるを得ないことくらい、予想できたはずだ。
でも、橘先生の選曲にも問題はあったと思う。「星条旗よ永遠なれ」は、ピッコロのソロがあってこそ光る曲だ。層の厚くないうちの部で、それを吹けるのは月岡さんだけ。じゃあ月岡さんがコンクール当日に風邪でもひいたら、どうするつもりだったんだろう。
吹部出身のお母さん曰く、その年のメンバーの実力に合った自由曲を選ぶのも顧問の力量らしいけど。中学生のコンクールで、1人の部員に重圧がかかるような選曲をするなんて、指導者として配慮に欠けてる。
大学のオーケストラに入っていたという橘先生は、15年以上吹奏楽部の指導をしているベテランだ。顧問が橘先生に変わって、うちの吹部はコンクールで3年連続金賞を受賞してる。
実績は出してるし、ちょっと熱血で優しい先生は人気があるから、たぶん部員は誰も先生を責めたりしないんだろうけど。
今回のごたごたは、先生の選曲ミスにも責任があると思う。
先生は、月岡さんの退部をどう思ったんだろう。引き止めたとは思うけど、成績不振を理由にされたら教師としては強く反対はできなかっただろうな。
橘先生が月岡さんに目をかけてたことは知ってる。先生は時々、部長やパートリーダーを音楽準備室に呼んで話をしてるけど、月岡さんもよく呼ばれてた。同じフルート奏者だから余計に、見込みのある生徒に熱心に指導したくなるのは当然だ。
期待してた教え子に辞められるって、どんな気持ちかな……
私はファイルの「星条旗よ永遠なれ」の楽譜を「インヴィクタ序曲」と入れ替えながら、ぼんやり橘先生の心境を考えた。
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