紫陽花の甘露に黒猫の溜息

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「起きられるか? 体、拭こう。汗で気持ち悪いだろ」  促されて起き上がろうとしたが、グラリと頭が揺れ、一瞬で動けなくなる。  両腕を突っ張り、起こした上半身を支えたまま動けない紫苑を見やりながら、どこか怒った様な気を穂咲が纏う。 「まったく、無理するからだよ」  穂咲の腕が伸びて来て、そっと上半身を抱き込んでベッドに戻してくれる。その動きから、細心の注意を払い、出来る限り紫苑を揺らさない様にしてくれている事が知れた。 「オレが拭くから、寝てろよ」  温かいタオルが、汗で冷えた体を包みながら滑っていくのにホッとする。 「ワルイ……」  謝る自分の声が鼓膜に直接響く。 「いいから、寝て」  全てを拭い終えて頬を撫でてくれる穂咲の手が、タオルの温みを含んでいて、いつもの彼の掌より温かい。なのに、どことなく紫苑は寂しく感じる。  よそよそしいというか、遠い感覚の穂咲の存在が寂しい。 「怒っているのか」  穂咲の纏う空気が気になって、つい、伺うようなことを言ってしまう。 「怒ってないって」  そう言った声がどことなく疲れていた。  穂咲は紫苑に与えるばかりで、今日は一度も気持ち良くなっていなかったはずだ。 「手か、口で……スルか?」 「動けないのに、何言ってんだよ。オレのことはいいんだよ」  今度は明らかに声が尖った。  昨年の準備期間があったとはいえ、学園と女学が合併され迎えた新学期。同じ職場となり、毎日顔は合わせられるが、何もかもが手探りの中、職員会議、学校会議、学科会議と、行事会議に行事準備。そして通常の授業準備。この二ヶ月間、甘い恋人の時間を作る事は皆無に近かった。  そうして、ようやく休みが合い、本当に久しぶりに迎えた、二人で過ごす時間が作れた週末だったのだ。
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