紫陽花の甘露に黒猫の溜息

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「無理をさせたいわけじゃない。体だけが欲しいわけじゃない」  躰を重ねている最中、何かを隠すように、耐える様に。密かに表情を硬くする紫苑に気が付いた。 「穂咲……」  思わず零した本音に、ぽつり、とこちらの名前を零した叶の向こうの席から、ふわりとした笑んだ吐息が零れた。 「オジサンは、そのまま、その彼に言えば良かっただけだと思うけどね」  叶と二人だけの話しに、無粋にも声が挟まった。 「オーナー……駄目ですよ。お客さまの会話を盗み聞きなんて。挙句に加わるとか」 「だって、隣で沈んだ空気を醸し出しているから何かと思えば、ただのイチャラブな痴話ゲンかだよ」 「オーナー……」 「塚山さんっ」  ウキウキと楽しそうな塚山の声に、呆れた声のマスターと、穂咲と叶、三人三様の声が重なった。 「久しぶりだね、穂咲くん。こんばんは、叶くん」  酒が飲める様になってここに通い始めてすぐに出逢った頃、ほぼ毎日この店に居た彼を、穂咲も叶も、この店の常連客だと思っていた。  彼、塚山篤がこの店のオーナーだと知って、もう随分になる。それだけ互いに年も経たし、それなりの過去も仄かに知っている。  塚山は落ちない相手に本気になりやすい。もう長い間、ずっと実らない片想いをしている男に夢中だと噂だった。そんな噂話を本人も笑いながらも否定しなかったから、本当なのだろうと穂咲は思っている。 「塚山さん最近よく会いますね。追いかけていた彼はどうしたんですか」  自身の性嗜好により、穂咲よりもこの店に通う回数が多い叶は、塚山とも砕けていて聞きにくい事も口にする事が多い。 「あぁ、叶くん、それは地雷というものでね」  そんな叶を咎める事も、嫌悪する事もなく、塚山はいつも応えている。 「え? まさか彼に奇跡が起きたの?」 「そのマサカだよ。傷心のハートに粗塩を有難うってコトで、今夜慰めてくれる?」 「今夜は多分無理だな。親友の方が、一晩の相手より大事だから」  おどけた塚山の声に返す叶の言葉。  二人の遣り取りに、目の前に戻って来ていたマスターに問いかけた。 「叶が珍しく警戒してるけど、塚山さん何したんですか」
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