紫陽花の甘露に黒猫の溜息

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紫陽花の甘露に黒猫の溜息

紫苑(しおん)」  暗い部屋に、僅かな衣擦れの音と、明らかな濡れた音が響く。  そして何より、包み込むように名前を呼んでくれる恋人、秋中(あきなか)穂咲(ほさき)の甘い声。  温もりある音や、広がる湿気に満たされて恋人と睦み合う自身の部屋は、普段と違う空間に感じる。  どれくらいの時間こうしているだろうと、紫苑は甘い吐息を零しながら、まともに思考出来ない頭でボンヤリと思う。  チラリと視線を向けたベッドサイドの目覚ましは、デジタルでくっきりと九時十八分を告げている。  二人でベッドに入ってから一時間は経っていない。 「……も、穂、咲」  愛しい人の指が自身の奥深くに潜り込み、緩い優しさで、いつまでも頑なな紫苑を解く。しかし与えられる柔らかな刺激は、いつもより長く、焦らされている様で。  愉悦の波に抗う紫苑を、温かい中にも少し意地悪な視線で見下ろしている穂咲は、結局はいつも「早く」と求めてしまう一言を待っているのだろう。  窓の外では、夕刻に降り出した雨は、一時、春に芽吹いた新緑に潤いを与え、今は止んだまま、この時期独特の重たい湿気を漂わせていた。  止んでしまった雨の音とは明らかに違う、くちゅくちゅと恥ずかしい音を自分の体が奏でているなど認識なんてしたくないのに、今日はやけに耳へと響く。  ――やばいな、頭痛が酷くなってきやがった。  昔から、梅雨時になると体調が優れない日が多くなる。重怠いというか、どことなくフワフワと意識が揺れるというか。何ともし難い不調が続くのだが、今年はそれに輪をかけ、仕事上の多忙が続き、疲れも抜けないまま、苦手なこの時期を迎えてしまったのだった。  朝から何となくジリジリしていた頭が確実に痛み出していた。それでも今日は、久しぶりに味わえる恋人の時間だった。
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