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ピンクに緑、青や黄色。
カラフルな一線の光が、何かを切断でもするかのようにあちらこちで空を切る。
すっと光線が私の体を横切るたびに、この体が切断されてしまっているのではないかと錯覚すら覚えてしまう。
"クラブ"と呼ばれるこの会場には『ズンズンズンズン』と重たく単調な音が鳴り続けており、その音に合わせておよそ300人近くの男女が、まるで身体の骨が溶けたみたいに無気力で踊っている。
なんとも異様で、何故だか分からないが生理的に受け付けられない光景だった。
「どうだーい、あひるちゃーん、初めての外の国は?」
後ろから間の抜けた呑気な声が聞こえ、上司である七詞がバーカウンターからグラスを2つ持ってやってきた。
「とういか、そんなところに突っ立ってなくて、あひるちゃんも踊ってきてもいいんだぞ?ほら、みんな楽しそうじゃないか。ノリノリズンズンで」
「いえ、いいです」
私は即答する。
七詞が手に持つグラスには水色の液体が注がれている。
説明されなくても分かる。あれはお酒だ。アルコール。
この世界で最も必要のない液体。
「というか、はぁー…何度言えば分かるんですか。"あひる"って呼ばないでくださいと言ったじゃないですか」
今日で何度目になるか分からないため息が漏れる。
「その呼び方、虫唾が走るんですよね」
私は冷たくそう言い放った。
"あひる"と呼ばれるのは馬鹿にされているようで昔から嫌いだった。
『桐野江あひる(きりのえあひる)』それが私の名前。
幼い頃両親に聞いたことがある。何で『あひる』なんて名前にしたのか。
両親は優しく自慢げに答えてくれた。
あひるという鳥は実は空を飛べるんだと。最初から悠々と空を飛んでいる鳥よりも、頑張って、実直に努力して、そしていつか空を飛んでくれるような子になってなって欲しいんだと。
そんな名前のおかげか、業か。
私は何一つ才能を持って生まれなかった。でもその代わり、努力と真面目さだけは誰にも負けない人間へと育っていった。
『学級委員長』『有名大学への推薦入学』『特待生』
決して自慢ではなく、最も端的に私という人間を紹介することができるため、この単語を並べるが、何となくここから私の人となりが理解してもらえると思う。
「うぅ怖いねー。でもいいじゃなーいあひるちゃん、可愛いし、なんかどこまでも付いてきてくれそうだし、グワグワグワグワってね」
両親がつけてくれたこの名前を私は気に入っている。
だけど、人からあひると呼ばれると…とくにこの男にそう呼ばれると、ただただ馬鹿にされているようで嫌いだった。
いやそんな"嫌い"なんて言葉では済まない。単純に虫酸が走るのだ。
「おっ!あひるちゃん、あひるちゃん、見て見て!凄くない?あっちでキスしてるよ!こんなに人沢山いるのに、思いっきりキスしてるよ!やるなぁー」
私の怒りなんて微塵も気づく様子がなく、呑気な顔をして私の上司はグラスをそっと差し出した。
「あひるちゃん、確か二十歳過ぎてるよねー、飲む?」
「仕事中です、正気ですか?」
首を横に振る。拒絶する。
七詞と出会って約1か月、何度言っても治らないし、もう好きに呼ばせるしかないのかもしれない。
「なっ!?ここはクラブだぞ。酒飲まないなんてそれこそ正気かよ」
七詞はそう言って、本当に驚いているから恐ろしい。
「まぁいらないか、そうですか、残念残念。じゃあ…おじさんが全部飲んじゃおっかなー。いただきまーす」
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