アンティークの鏡

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アンティークの鏡

「ついこの間なんだけどね。リサイクルショップで素敵な鏡を見つけて買っちゃったんだよね」  先月、25歳になったばかりの岩倉小夜子は、会社の昼休みに同期の木下真奈美と社食で昼食を食べながら、一週間ほど前に購入したアンティークの鏡の話をしていた。 「どこの誰が使っていたのかもわからない鏡でしょ? 気持ち悪いって思わなかったの?」 「真奈美は潔癖だもんね。私は全然平気よ! 鏡の雰囲気が一人暮らしを始めたマンションの部屋にピッタリだし、すっごく安かったんだもの。フフフ」  眉間にしわを寄せて怪訝な表情を浮かべて気味悪がっている真奈美に対して、小夜子はクスクスと声を漏らして笑いながら、その鏡の画像を見せて破格値で手に入れたことを嬉しそうに自慢していた。 「すっごく高そうなデザインじゃない! これって、益々怪しいんじゃない? 大丈夫なの?」 「大丈夫って? 何がよ?」 真奈美は一つ大きなため息をついて、自分が持っていた手鏡をバッグから取り出すと、向かい合って座っている小夜子の今の顔を映して見せて、滅多に見せたことのない真剣な表情をしていた。 「小夜子。目の下のクマ……。どんどん酷くなってるよ!」 「え!? 嘘よ!? やだ。……ほんとだわ」 小夜子は、真奈美に差し出された鏡に映っている自分の顔をジッと見つめて動かなくなっていた。 「小夜子? ちょっと! 小夜子!!」 「あ……。ごめん。私……こんなに酷い顔してたんだ。でも、どうして? 家を出るときに鏡で見た時はこんな顔じゃなかったのに……」 「私も、よくわからないけど……多分、一週間位前からだよ!」 「やだ。……まさか!? 鏡のせいだって言いたいの?」  鏡を見つめたまま動かなくなった小夜子は、真奈美に頬を軽く叩かれて我にかえると、今度は鏡を怪しんでいる真奈美に腹を立てて食って掛かっていた。 「鏡のせいでこんなことになるわけ無いでしょ? 少し寝不足だったことと、仕事での疲れが最近溜まっているせいに決まってるじゃない!」 「……だったら少し休みをもらうか、病院へ行くかしてよね! 今の小夜子ったら、死神に憑かれたみたいな顔してるんだからね!」 半ば呆れたような表情で真奈美は小夜子にそう告げると、立ち上がって自分の部署のあるフロアへ戻って行ってしまった。  そして、その日の夜だった。小夜子が会社から帰って玄関の鍵を開けて中へ入ると、小夜子は一瞬ギョッとして後ずさっていた。その理由は、真っ暗な誰もいないはずの自分の部屋の中をスッと何かが横切ったような気配がしたのだ。 「今の……何?」 小夜子は慌てて照明のスイッチをオンにしたが、その何かはすでにいなくなっていた。 「気のせいに決まってるわ……」 わざと声を出して小夜子は自分にそう言い聞かせて、シャワーを浴びるために浴室へ向かった。 【カタン……カタ、カタ、カタ……】 「え?……何の音?」 服を脱いで浴室でシャワーを浴びようとしていた時だった。浴室の外で何かが【カタカタ】と音を立てている。 「まさか、マンションでネズミなんてありえないわよね?」 いつもとは、様子の違っている自分の部屋に小夜子は不安を感じ始めていた。だからこそ、その不安を祓いたくて小夜子はさっきよりも大きな声で自分に問いかけていた。 【カタンカタン……カタンカタン】 「えっ!?」 一瞬、音が止んだので静まったのかと安心していたのだが、すぐにまた音は鳴り始めていた。小夜子はさすがに気味が悪くて居た堪れなくなり、バスタオルを身体に巻いて浴室を飛び出していた。  浴室から出ても、背中にゾクゾクとした嫌な悪寒を感じていた小夜子の身体は小刻みに震えていた。何かが自分の部屋に潜んでいる。それが、人間なのか? 小さな動物なのか? それとも、真奈美が心配していたような……科学的には解明できない何かなのか? 不安にかられながらも、急いで部屋着を身に付けた小夜子は、気持ちを落ち着かせるために椅子に腰掛けて、震える手でタバコに火をつけていた。 「真奈美のせいよ……。真奈美がおかしなことをいうから、少し怖くなっただけ。何でもない。何でも……」 ブツブツと真奈美に責任を転嫁して小夜子がタバコを咥えて例のアンティークの鏡のある部屋のドアをふと見たその時だった。 【ズズズズズズッ……ズズズ……ズズズズズ】 何かを引きずるような何とも不気味な音が、その鏡のある部屋から聞こえて来ることに気がついた。 【バターーーーン!!】 「ひゃぁっ!?」 突然、勢いよくドアが開いた音に驚いて、声を上げて立ち上がった小夜子は、その弾みで口に咥えていたタバコを床へ落としてしまった。 「やだ……なんなのよ……」 小夜子は慌ててしゃがみ込んでタバコを拾うと、手を伸ばして流しに置いてある水を溜めた桶の中に放り込んだ。 【ズズズズズッズ……ズッズッズッズ】 さすがに恐怖を感じて、その場から動けなくなった小夜子は、ドキドキと波打つ胸の音を押さえるように両手を胸に当てて唇をギュっと合わせて閉じて、耳を澄ましていた。間違いなく気味の悪いあの音は鏡のある部屋から、小夜子のいるキッチンへ近付いて来ていた。  「嫌だ……こっちへ来る!?」 【ズズズズッ…】  小夜子は、身を縮めてキッチンの隅で膝を抱えて丸くなって震えていた。 【ズズズズッ……ズズズズッ】 (なんなんだろう……音だけが近付いてるような……???) 姿の見えない何かが、すぐに襲って来ないことに小夜子がつい油断してしまい、音のする方へ少し身体を伸ばして四つん這いになって覗き込んだ瞬間だった。 「キャーーー!! やめて!! 痛い!! 痛い!!」 髪の毛を何者かに鷲掴みにされてすごい力で引きずられて、小夜子は鏡のある部屋へ連れていかれてしまった。 「ギャァァァァーーー!!」 「グワァァァァーーー!!」 閉ざされたドアの向こう側では、小夜子のなんとも恐ろしい苦しそうな叫び声が何度も何度も聞こえていたが、しばらくすると複数の何かがクチャクチャと音を立てて何かをむさぼり喰っているような音だけが部屋の中に響き渡っていた。  そして、その翌々日。  小夜子が二日も会社を無断欠勤したことを不審に思って訪れた真奈美は、小夜子から応答が無いのは変だと思い。無理を承知でマンションに常駐している管理人に頼み込んで、部屋の鍵を開けてもらった。 規則だからと管理人の付き添いのもとで、真奈美は部屋の中へ入り、生臭い異臭に鼻をつかれて右手で鼻を被った。その異臭に不信感を募らせながら、あの鏡のある部屋のドアを開けてすぐに真奈美は、甲高い悲鳴をマンションの廊下まで響かせていた。 それもそのはずだった。悲鳴をあげて立ち尽くしている真奈美の視線の先にある小夜子の身体は、複数の肉食獣にでも食い荒らされたかのような、普通ではとても直視なんて出来ない無残な姿に変わり果てて、部屋に飾ってある鏡の下で横たわっていたのだ。 すぐに管理人が警察へ通報して、たくさんの警官が訪れて凶悪な殺人事件として捜査されることになるが、犯人の手掛かりが全く見つからないこの事件は、数年後には未解決事件として迷宮入りすることになる。
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