三面鏡

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三面鏡

 小さい頃から他の子供よりも勘の強かった澄子は、ずっと鏡を恐れていた。自分の顔を見る時もジッと鏡を凝視することが嫌だった。ジッと凝視してしまうと、その鏡の奥にある闇の向こう側から、何か恐ろしいものが這い出てくるようなそんな気がしてならなかったのだ。 「澄子は昔から、鏡はダメなんだよね。学校のトイレにも一人で行けなかったんだから」 「……特にうちの客間に飾ってある古い三面鏡。あれが、どうしても気味が悪くて。今でも部屋に入るのが怖くて、おばあちゃんが死んでからは、家政婦さんに部屋の掃除とかをお願いしているの」    大学へ通い始めて久しぶりに、小中高と学校が一緒だった女友達三人との女子会に澄子は参加していたのだが、その中でも澄子を小さい頃から良く知っている前田佳也子が、思い出したように澄子の鏡嫌いの話を始めてしまったので、澄子も場をしらけさせないためにと気遣って家にある三面鏡のことを話し始めた。 「あの三面鏡には怪物が棲んでいるって祖母に聞いたことがあったのよね。すっごく気味が悪いの。……だって、毎日鏡の前に祖母はお供え物をしていたんだよ!」 「お供え物? なんでよ?」 「怪物のお腹が満たされていないと、人を喰らうって……」 「マジで? 澄子のおばあちゃん、やばいよね? こわっ!」 少し強気な性格の島崎優奈は澄子の話を聞いてクスクスと笑って澄子の祖母を気味悪がっていた。 「それで? ばあちゃん死んでからもお供え物はしてるの?」 「うんうん。だって、怖いでしょ? 本当に怪物がいたらみんな喰われるっておばあちゃんが言ってたんだもん」 「怪物なんているわけないでしょ?」 「そんなことないよ!! 私……小さい頃に見たんだから!」  怪物を見たと澄子が真面目な顔をして三人の友人たちの顔をジッと見つめていると、四人のリーダー的な存在の夏目彩加がニヤッと笑って口を開いた。 「本当にいるのなら、確かめないとね。今から澄子の家に行って確かめよう!」 「本当だね。夏だし、肝試しにいっちょ行きますか!?」 「待って! 待って! 本当に? 怖くないの? 怪物だよ?」 澄子の家の三面鏡に巣食う怪物をひと目見に行こうと、お酒も飲んでいた勢いもあって、三人の友人たちは勇ましく立ち上がっていた。澄子は慌ててそれだけは止めた方が良いと説得するのだけれども、誰も聞く耳を持つものはいなかった。 「どうなっても知らないからね。本当に知らないんだから」 「大丈夫だって!! だって、お供え物したら大丈夫なんでしょ? お腹いっぱいだったら人を食べたりしないわよ」 「ちょっと、ちょっと~!! 怪物がマジでいるなんて、本当に信じてるの? やだぁー! ありえないわ~」 結局の所、澄子は三人に押し切られた形で店を出て渋々自宅まで三人を招き入れることになってしまった。 「おじゃましまーす!!」 「澄子の両親って、今は海外で仕事中なんだよね?」 「うん。この家に住んでるのは、私と家政婦の佐伯さんだけだよ」 「じゃ、お供え物は家政婦さんがしてるの? 毎日?」  不思議そうに三人は顔を見合わせていたが、せっかくここまで来たのだからと、澄子に三面鏡のある部屋へ案内させていた。 「本当に入るの? 私も長いこと入ってないんだよ?」 「良いじゃないの! これも話の種でしょ?」 「そうだよ! その為に、ここまで来たんだからね!」 「澄子も覚悟を決めちゃいなさいって~」 渋る澄子を払いのけて、佳也子がケラケラと笑い声をあげながら、三面鏡の置いてある和室の襖をガラッと開け放っていた。 「やだぁー! マジでこわぁ~い。鏡の前に本当にお供え物がしてある……」 「しかもなんだかこの鏡……すっごく古い?」 「うん。かなり昔のものなんだっておばあちゃんから聞いたよ」 「この鏡の中に怪物がねー。確かに、この中にならいたりしてね……」  襖の開いた先にある二十畳くらいある広い和室の中で、異様な存在感を立ち込めて、その三面鏡は本当に存在していた。その三面鏡の前には澄子が話していたとおり、たくさんの果物や野菜や卵などが供えられていた。 「澄子! 布団ある? 今夜はここで寝て怪物を見ようよ!」 「嫌よ! 布団はあるけど、この部屋で寝るのはダメよ!」 「あらら、澄子が本気で怖がってるじゃん。それじゃ、仕方ないから澄子の部屋で一緒に寝よう!」  優奈から佳也子が澄子を庇ってくれたので、鏡の部屋で寝ることは避けられた澄子だったが、何かを恐れるように青い顔をしていた。しかし、時間も時間だったこともあり、澄子は家政婦の佐伯に頼んで自分の部屋に友人の布団を用意してもらうことにした。 「ご就寝の支度が整いました。それでは、わたくしはこれで失礼いたします」 「佐伯さん、ありがとう。遅くに起こしてごめんなさいね」 「いえいえ、これもわたくしの仕事ですからお気遣いは無用です。何かあればいつでも起こして下さいね。お嬢さま」 澄子のベッドの横に三人分の布団を敷き終えると、佐伯は少し不安そうにしている澄子の頭を優しく撫でてから、自分の部屋へ帰って行った。 「お嬢さまだもんねー! ほんと澄子が羨ましいわ♪」 「そうだよね。うるさく言う親もいないし、こんなに大きな家で自由なんだから」 「やめてよ! そんなこと無いよ。うるさくても親が側に居てくれたほうが良いに決まってるでしょ?」 「そうだね。優奈もちょっとデリカシーなさすぎだよ! 澄子の家って小さい頃から澄子のこと仕事仕事って親は放ったらかしなんだから、良いわけないじゃん」  優奈の心無い言葉に傷ついている澄子の肩を抱いて、佳也子はもう寝ようと言って照明を消して布団へ入った。 【カタカタカタカタ、カタカタカタ】 【クチャクチャクチャ! クチャクチャクチャ!】 【ガタン! カタカタカタ……ガタンッ!!】 「???」 「何? 今の?」 「皆にも聞こえてるの?」 「聞こえてる。何かがさっきから音立てて騒いでるよね」  四人が布団へ入ってウトウトと眠りかけていた頃だった。静まり返った家の中で何かが騒ぎ立てるような物音が部屋の外の廊下に響き渡っていた。 「家政婦さんが何かやってるのかな?」 「違うわ。佐伯さんは部屋で、もう寝ているはずよ!」 「澄子……もしかして、これっていつものことなの?」 「……うん」  布団を被ったまま起き上がって顔を見合わせた三人は澄子の返事に少し息を呑んでいた。 【ガチャン! ガチャガチャガチャン!】 【クチャックチャッ! クチャックチャッ!】 【グェェェェェェ!! グェェェェェェェ!】 「ちょっと……今の何? 動物の鳴き声?」 「澄子? ねえ、澄子ってば!」 「……だから、怪物……あれは、怪物がお供え物を食べて騒いでる音なの……」 「マジで? ちょっと、澄子。……あんたもしかして、さっきの家政婦さんに私たちを怖がらせるために何か頼んだんじゃないでしょうね?」 疑い深い彩加は澄子の顔をのぞき込んで、この物音は全部澄子と家政婦が仕込んだ演出なんじゃないかと問い詰めていた。 「違うわ! そんなことするわけないでしょ?」 「わからないわよ! 確かめてみないとね。優奈、一緒にあの部屋を見に行こう! 絶対、澄子の仕業なんだから!」 「彩加は言い出したら聞かないからなぁー! はいはい。お供いたしますよ」 「ダメよ!! 行っちゃダメ!! 怪物に喰われるよ!!」  澄子が涙を流しながら二人を止めるのも聞かずに、彩加と優奈は鏡のある部屋へ音の正体を確かめに行ってしまった。二人を止められなかった澄子は佳也子に抱きついて泣き崩れていた。その澄子の様子を見て佳也子は怪物の話は本当なんだと確信して震えていた。 「イヤァァァァーーー!! 助けてーーーー!!」 「キャァァァァーーー!! バケモノーーー!!」 【ガチャン!! ガチャッ!! グチャッ!!】 【グェェェェ!! グェェェェェ!!】 「ギャァァァァァァーーー!!」 「ギャァァァァァァーーー!!」 【グワッチャ!! グワッチャ!!】 【グチャッグチャッ!! グチャッグチャッ!!】 鏡の部屋からは二人の助けを呼ぶ声が聞こえてきたが、澄子も佳也子も恐怖に震えて身動きすら取れないで居た。二人の苦しそうなうめき声と気味の悪い肉をグチャグチャと引き千切るような音が廊下に響き渡っていたが、そのうち二人の声もしなくなりしだいに窓の外が明るくなっていた。  朝になって家政婦の佐伯と一緒に二人が鏡の部屋へ行くと優奈の姿も彩加の姿も跡形もなく消えていて、三面鏡が真っ赤な血で染まっていただけだった。本当に二人は鏡の中の怪物に喰われてしまったのだろうか……。鏡の前で泣き崩れている澄子と佳也子の側で佐伯はすぐに警察に通報したのだが、その後、優奈も彩加も戻ってくることは無かった。
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