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「八重さん、よしてください。仕方のないことです。それに、そんなことを言ったら、寛二が可哀想だ」
「……」
「オレのいない間に、八重さんを支えてくれたのが寛二でよかった。こいつは本当に……いい男ですから。おい、寛二――」
呼ばれた寛二は、背筋をピンと伸ばして、辰治を見た。
「お前がこの組を継ぐなら、オレは喜んでお前の支えになるつもりだ」
「アニキ……」
「八重さんと仲良く、幸せにな」
安心させるように、二人の手を取る。そして笑ってみせた。できるだけ、穏やかに。
その途端に、八重子と寛二は、そろって辰治にしがみついた。復員服の肩のあたりが、じわりと暖かい涙で濡れるのを感じた。
二人の震える体を支えながら、辰治はどこか遠くを見つめた。心にぽっかりと穴が空いたような気分だった。
数年ぶりに帰ってきた、浅草の街。何もかもが変わってしまっていた。『死んだ男』である自分を、置いてけぼりにして――
寂しく、孤独な思いが身を包んでいく。
だが、辰治にも男の意地というものがあった。
八重子も寛二も、大切な人だ。誰よりも愛おしく想ってきた女、誰よりも信頼している弟分。たとえどんなことがあっても、そのことに変わりはない。
(二人の幸福を祈ろう。二人が幸せなら、それでいいじゃないか)
辰治は自分にそう言い聞かせ、心の痛みから目を背けた。
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