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「辰、小遣いをやろう」
そう言って定吉が懐から取り出したのは、幾ばくかの金だった。
半ば押し付けられるように、それを受け取る。困惑気味に、手のひらの金と定吉とを交互に見た。
どうして急に――そう言いかけた辰治を、定吉が再び制した。
「ここ半月、お前と八重子たちの様子を見ていた」
「……」
「俺としても、お前たち3人の関係を見ていると、切ねえ思いがある。誰のせいでもねえことだが、辰には本当に申し訳ないことをした」
「……」
「今夜はその金で遊んでこい。そして早く……八重子のことは忘れてやってくれ」
『遊べ』というのはつまり、『外で女を抱いて発散してこい』ということだろう。
手の中の、しわの寄った札を見つめる。親分からそんなことまで心配されるのは、なにやら複雑な心境だった。しかし、これも定吉なりの心遣いには違いない。
辰治は頭を下げ、感謝の意と共に、その金を懐にしまった。
「辰、お前さんの気が進むなら、良い見合い話を探してきてやる。その時は、いつでも相談してくれ」
今度こそ座敷を出ようとしたところで、定吉はさらにそう言った。
辰治はその言葉にまた深々と頭を下げ、ふすまをぴたりと閉めた。
――息苦しい。
まるで腫れ物だ。
八重子や寛二や定吉親分の、優しさや思いやり。本来ならば嬉しいはずの心遣い。それが今は無性に息苦しくて、耐えられなかった。
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