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すれ違いざまに投げかけられた一言に、思わず足を止めた。
透き通るような、若い男の声。だがその口ぶりは、完全にこなれた私娼のそれであった。
(……男娼か)
少々驚いた。すれ違った男は、女装をしているわけでもない、生のままの男の姿をしていたからだ。
元々この界隈は、娼婦に混じって男娼も多く集う場所だ。夜道で男に誘われるのも、これが初めてというわけではない。しかし、過去にそうやって辰治に声をかけてきた男娼は、『化粧をして女物の着物をまとった女装の男』が大半であった。
そうではない男娼に遭遇するのは、初めてのことだ。驚いた。なにせ辰治は、その世界のことには疎い。物珍しさ半分、興味半分――その顔を拝んでみたくなった。
ゆっくりと、後ろを振り向く。するとそこには、どこかで見た覚えのある男の顔があった。
「アンタ、この間の――」
「えっ?」
「覚えてませんか。半月ばかし前、上野駅でアンタにスモモを恵んでもらいました」
思いがけない再会に、辰治は目を丸くして詰め寄る。
そこにいたのは、南方から復員した日に、上野駅で会った男だった。鼻筋の通った瓜実顔に、くっきりとした大きな瞳。その美男ぶりは、忘れようもない。
「ああ、あの時の復員さんですか」
辰治の方は、しっかりと男の人相を覚えていたが、相手はうろ覚えだったらしい。辰治に言われて、初めて気が付いたようだ。
「へえ。身なり整えたら、こんなに男前だったのか。気が付かなかったな」
男は辰治を上から下までしげしげと観察し、微笑んだ。
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