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なにせ、ここ数年はろくに栄養を取っていない。
日本からの物資の供給は、終戦前に途絶えていた。生き抜くために、ジャングルを耕してサツマイモを作った。鳥や鰐も撃ったが、仕留めることは滅多に無かった。あとは雑草を食べて、どうにか飢えをしのいできたのだ。
もはや、風が吹けば目眩がするような状態だった。
「大丈夫ですか、復員さん」
突然、凛とした男の声が辰治の耳に届いた。
薄くまぶたを開けると、ぼやけた視界に、ねずみ色の着物の裾が映った。
そのままゆっくりと頭を上げていく。ぶれた焦点が定まった時、辰治のちょうど目の前に、若い男の顔が現れた。
鼻筋の通った細面の顔立ち――20代前半くらいの年齢だろうか。片目の上にかかる、流した前髪の一房。その奥から、長いまつげに覆われた大きな瞳が、心配そうに辰治を見つめている。
その目の覚めるような美男ぶりに面を食らい、辰治は一瞬、言葉を失った。
「……大丈夫です。少し目眩がしたもんで」
ようやく出てきた声は掠れていた。少々ぶっきらぼうな調子に聞こえたかもしれない。しかし、「大丈夫」という答えに安心したのか、男はふわりと表情を和らげた。
「帰ってきたばかりですか?」
「ええ。先日、蘭印(注:現インドネシア)のH島から」
「それはそれは……」
おそらく辰治の汚れきった復員服や雰囲気を見て、帰還したばかりだと察したのだろう。
男は辰治を
「ご無事で何よりです」
と気遣うと、ふと思いついたように、手にしていた風呂敷包みの中を探った。
一体何事かと見守る辰治の前に、男は何かを差し出してくる。
白い手のひらの上に、ちょこんと鎮座した赤い果実――それは、よく熟れたスモモの実だった。
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