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通りすがりの男に恵んでもらったスモモは、すぐに辰治の腹の中に収まった。
空腹感が満たされると、気分も少しシャキッとする。辰治は上野駅を離れ、浅草方面に向かって歩きだした。
空襲によって、街の大部分は焼かれてしまったらしい。見慣れたはずの風景のあちこちが、バラックの群れに姿を変えている。
あまりにも変わり果てたその光景――うっかり道順を間違えそうになり、何度も足を止めた。
(吉松組は、一体どうなっているんだろうか)
ふと、辰治の心に不安がよぎった。
世話になった人々は、はたして無事でいるのか。組事務所は同じ場所にあるのか。戦争のドサクサで、組の皆は散り散りになっていやしないだろうか――考え始めると、きりがない。
しかし、そんな心配事の数々は、最後の曲がり角を曲がった所であっさりと消え失せた。
この場所も空襲の被害にあったのだろう。建物をよく見ると、最近になって再建されたものだということがわかる。だが、視界の先にあったのは、懐かしき吉松組事務所に違いなかった。
門の前に、若い衆がいる。吉松組の紋が入った黒い法被を着て、ほうきで地面を掃いている。
辰治は、はやる気持ちで駆け出し、声を張った。
「マサ!」
大声を出したら、また目眩がした。
呼びかけられた若い衆――マサがひょいと振り向く。
「ひいっ……!」
その口から漏れる、引きつった声。マサは辰治の顔を見るなり、幽霊を見たかのように顔を青くして後退りした。
数年ぶりの再会だというのに、マサは「おかえりなさい」の一言も言わない。ただ頬を強張らせて、固まっている。いくら驚いたにしても、あんまりな反応だ。
辰治は苦笑いを浮かべながら、吉松組の門の前で歩みを止めた。
「よう、マサ。今帰ったぜ」
「たっ……辰さん?!」
「親分はいるかい」
「は、はいッ!」
マサはコクコクと何度も頷き、慌てて門の中に飛び込んでいった。それと同時に、地面に投げ出されたほうきの柄が、カランと乾いた音を立てた。
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