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02 死んだはずの男
辰治はやくざ者である。
大正5年の辰年に生まれた息子に、『辰』の字を名付けた両親は、堅気だった。しかし、どちらもすでにこの世にはいない。
10代の頃、病気で親と兄弟を相次いで亡くした。それからというもの、辰治は博打を打って日銭を稼ぎ、生活を送るようになった。
博徒の親分の世話になりながら、津々浦々を渡り歩く――無宿渡世人として生きる辰治の人生は、常に孤独なものであった。
しかしそんな辰治も、ついに『命を預けてもいい』と思えるような親分に出会った。場所は東京・浅草の地。時は日本軍がアメリカに宣戦布告をする、少し前のことだ。
その親分は、松野定吉という名の任侠の男で、浅草吉松組という一家を率いていた。
吉松組は、賭場を持たない。テキ屋稼業などを主なシノギとする、ほんの小さな一家だ。しかし定吉親分は情に厚く、懐が深く、今までに会った誰よりも器の大きい男だった。
辰治は、そんな定吉を父のように慕っていた。定吉や吉松組の人々との出会いに心動かされ、そして浅草に根を下ろすと決めたのだ。
出征の時も、辰治は吉松組の者たちに見送られて、戦場へと旅立った。
家も家族もない辰治にとって、帰るべき場所は吉松組ただひとつ。自分は必ず浅草に帰ってくる――そう心に誓って。
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