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土方は眠る萠の顔に視線を落とす。
「気のつえぇ女だな… それに馬鹿じゃねぇ」
目覚めて然程時間も経たずに始まった詮議に、狼狽えた様子も見せず、その上また出血した事を思えば、かなりの痛みを我慢していたと想像出来た。
そして自分を逆上させた内容。普通ならあの状況下で、例え知っていたとしても口にしないであろう。一刀のもと斬り伏せられても可笑しくないのだ。
しかし、それを敢えて口にする事で確かに土方の中に、到底信じられない事にも関わらず、もしかしたらと言う疑念が生まれた事は事実だった。
「寝てりゃ、天神や太夫に引けも取らねぇ良い女なのによ。全く食えねぇな」
言葉とは裏腹に、土方の口許は微かに緩んでいた。
朝餉の後、広縁で煙管を燻らせ、庭に咲く千日紅を眺めていた土方の下に山南がやって来た。
「土方君、此れから市波君に話を聞いて来るよ。斎藤君も一緒にと思って居るんだか、問題無いね?」
「斎藤?」
「ええ、どうやら昨日の様子では市波君は斎藤君を慕っているようだしね。幾分口も軽くなるんじゃないかね」
土方は市波が興奮していた様を思い出す。
そして斎藤は口数少なく実直で忠義に厚い男である。
「ああ、問題ねぇ」
山南はそれだけ聞くと踵を返した。
屯所の門の脇に建つ土蔵の前に立ち、山南は後ろから着いてきた斎藤を見やる。
土蔵の中から何やら力むような呻き声が聞こえていた。
山南が土蔵の扉を開けようとするのを制して斎藤が扉を開ける。呻き声を不審に思っての事だった。
しかし扉を開けて中を確かめると、何とも間の抜けた市波の姿がある。
土蔵の中に設けた牢の格子に足を掛けてぶら下がり、腰を折って上体を左右に捻りながら上げ下げしているのだ。
「何をしている」
「うぉ、斎藤さん!」
慌てて格子から降りる市波に斎藤が厳しい眼差しを向ける。長月だと言うのに筋肉を纏った上半身を剥き出しにして汗を滲ませている。(*文久三年九月は西暦1863年11月)
「筋トレですよ。こんな狭い所でジッとしてたら鈍ってしまいますから」
「筋トレとは何でしょう?」
斎藤の影から姿を表した山南に驚きながらも市波は答える。
「えっと、筋肉を鍛える事です。」
「筋肉とは?」
それも通じないのかと頭を抱える市波。
「うーん、肉とか筋ですかね?」
「今ので鍛えられるのですか?」
「腹筋と、腹斜筋は鍛えられます」
「腹筋? 腹斜筋とは?」
「腹の肉です」
山南の可笑しな質問攻めに、少しばかり嫌気が差してきた市波。突如話の方向を変えるように言う。
「あの、萠の状態はどうなんですか?」
そうだったと言わんばかりの顔をして、大丈夫だと山南が伝えると、大きな溜息を溢しながら良かったと呟いた。
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