十一

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市波が土方の部屋を訪れたのは夜の巡査の報告を受け、そろそろ屯所も寝静まる頃だった。 近頃は夜ともなれば虫の音が聞こえ、夜風も涼しさを運んで来るようになっていた。土方は市波を連れて道場に向かう。隣室の萠に僅かでも気取られぬようにする為だ。 灯りの無い道場に月明かりが差し込み床が黒くテラテラと光って見えた。土方は月明かりの中に入ると、市波を振り返った。 「まどろっこしい事は嫌いなんでな。単刀直入に聞く。市波、榊が抱えているものは何だ?」 そんな唐突な物言いに驚く様子も無く、市波はニヤリと唇を三日月型に変える。 「聞かれると思ってましたよ」 「そうか。で?」 市波は普段の愛想の良い表情を引っ込め視線を鋭くする。その余りの違いに土方が鼻を鳴らして笑う。 「それが本当の顔か」 「まあ、そう言うことです。萠に見せる必要の無い顔です。それで土方さんは聞いてどうするんですか?」 挑むような顔をした市波は、土方から見てもかなりの色男だった。 「それを聞いて市波はどうする?」 「質問に質問で答えるのは卑怯ですよ、土方さん。まあ良いや、俺が納得いかなけりゃ話しませんよ。萠が話さないって事は知られたくないからでしょう。惚れた女が知られたくない事を、納得いく答えも聞かずに話す事なんて出来ません」
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