<第二章:脱出>

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 むせるような香の匂いが鼻を突く。香の煙によって部屋の中は一日中靄のかかったような状態になっており、さらにこの朝からはナイの差し金でいつもの看守の代わりに妖しげな司祭が現れ、ドアの前で途切れることなく何かの呪文を唱え続けているのだ。  それは、ある種の極限状態と言って良かった。特に、朝からの呪文は耳から脳天に突き刺さり、これまでにない苦痛を与え続けていた。  ブライアンは、朦朧とした意識の中で耐え続けている。耳を塞ぎ、監獄の中でうずくまりながら、ブライアンはこの拷問に気力を振り絞って耐えていた。  不意に、呪文が止んだ。 ゆっくりと顔を上げるブライアン。開かれたドアから射し込む光が眩しい。そこには、例の如く供の者を連れたナイが立っていた。 「殿下、そろそろ受け入れるのじゃ」ナイの声が、今日は少し脅迫じみている。 「う、うるさい・・・」反抗するブライアン。しかし、その声には少しの力強さもなかった。 「すべてを受け入れさえすれば、その苦しみからは解放されるのじゃぞ」 「・・・・・」  いつになく鋭いナイの声がブライアンの中に響く。しかし不思議なことに、ブライアンにはナイの言うことが脅迫には聞こえなかった。むしろナイが来たことによって不快感極まりない呪文が止んだことに、ブライアンはほっとしていた。供の者が腕を掴んでも、ブライアンは強く抵抗はしなかった。呪文の拷問に較べれば、ここで抵抗する事が体力の無駄のような気さえした。  ナイの合図と共に、薬が口の中に流し込まれる。 「フォッフォッフォッフォ・・・」低く笑うナイ。 「ウゥ・・・アァァ・・・」 「さあご覧なさい殿下。その殿下のお姿を見て、男だと言う者など誰もおりはせぬ。あとはご自分がそれを受け容れるか容れないかじゃ。さあ、正直にご自分が女であることを認めなされ」  身体が火照っていく。薬の効果でナイの言葉が頭を掴むように、さっきの呪文よりも強くブライアンの心を絡め取る。ナイは容赦なく続けた。 「さあ、すべてを受け容れ苦しみから解放されるのじゃ。おまえは何者だ」 「私は・・・わたしは・・・」ブライアンが、ブルブルと小刻みに震えている。心の壁の外側に、歓喜が押し寄せているのを彼は感じた。そして、内側にあるのは苦痛ばかりにしか感じられなくなっていく。 「エストリアの第一王女ライラよ、答えるのじゃ。おのれは何者か」ナイが、とどめの一撃を放った。  ブライアンに残されていた最後の壁が、ついに崩壊していく。 「わたしは・・・ラ・・イ・・ラ」 「フォッフォッフォッフォッフォ」ナイの笑いが響いた。  その瞬間、ブライアンの表情が変わった。苦しみに満ちた顔が一瞬弛緩し、次の瞬間歓喜に満ちあふれた表情になったのだ。  苦しみから解放され、押し寄せる歓喜の波に、ブライアンは抗すべくもなかった。  彼女はゆっくりと立ち上がり、半ば虚ろな目でナイを見据えて言い放った。 「私はライラ。エストリアの第一王女」 「フォッフォッフォ、よく申されたわ」  ブライアンは第一王女ライラとして生まれ変わり、ナイの手に落ちた。
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