<第四章:西へ>

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<第四章:西へ>

 ムールの町。  エストリア西部にあるこの町は、商業都市として栄えていた。  ムールの町は、砦や城壁を持たない。  ブライトン一世、二世はともに商業や貿易を重んじたため、国内に幾つかの自由貿易都市を整備した。その一つがムールである。  各都市は、国に決められた量の税を納める以外は、完全な自治権が与えられている。  その結果、エストリアには世界中から商人が集まり、国民はその生産力よりも豊かな暮らしを送ることができたのだ。 「もう宵の口というのにこの賑わいとは」ブライスは率直な感想を述べた。  兄たちに比べ三男のブライスは戦地や他国へ赴いたことが少ないので、エスタシオ以外の都市を歩いたことはあまりなかった。 「そうですな。このムールを始め国内の各自由貿易都市は、毎日毎夜、むしろエスタシオ以上の賑わいを見せております。これも亡き父王、祖父王陛下のお陰でございます。この賑わいが、エストリア国民の生活を支えているのでございます」グランツは感慨深そうに答えた。  ムールの町で唯一手に入れることができないのは、武器の類であった。  商人ギルドの決まりで、武器の持ち込みは可能だが取引は一切禁じられているのである。 「リリス様、今宵の宿を探しましょう」 「そうだな」  そんなやりとりをした途端、 「お兄さん方、まだ宿がお決まりでないので?」  グランツが振り向くと、小柄な男が目の前に現れた。 「おまえさん、どこかの客引きかい」グランツが応対する。 「客引き?そんなもんはこのムールにはいないよ。交渉請負人といって欲しいね」小男は言った。 「交渉請負人?」 「お兄さん方ムールは初めてみたいだね。このムールじゃまず俺達みたいな交渉屋に声を掛けてみるのが決まりってもんさ。武器以外なら食いもんから一夜の相手まで、何でも揃えるよ」 「それで両方からマージンを取るわけか」ブライスが口を挟む。 「ちょっとちょっと、そう言っちゃ身も蓋もない。俺達は正当な報酬、つまり仲介料をもらうだけさ。どうだい、宿を探してるんだろ。予算次第でどこへでも案内するよ」  ブライスとグランツは顔を見合わせた。  ブライスが口を開く。 「お前の名前は」 「俺かい、俺は交渉屋のロン。ムールじゃちったあ売れた顔でぇ」 「ではロン、お前に今夜の宿を頼むこととしよう。それと西方、エルロンとそれより先の国々の情報とできれば地図が欲しいのだが、手に入れられるか」 「エルロンとその先ねえ・・・エルロンはまず大丈夫。フラシアは五分五分。その先はちょっと無理かな」 「お前、以外と正直だな」 「あったりめえよ。この商売、信用が命さね。できないことはできないって言わなくちゃあ、命がいくらあっても足りやしない」 「そうか。まあいい、では頼もうか」 「お兄さん方、お兄さんでなくてこちらのお姉さんの方が偉いんかね」 「どちらでも良かろう。それより宿を」 「へいへい。食事はどうするんだい」 「つけて貰おうか」 「そんなら宿とは別で、うまい料理屋を紹介するけどどうかね」 「それでもかまわん」 「なら、こちらへ。とっておきのとこでさあ」  ブライスとグランツは、ロンに案内されて食事をとり、宿へ入った。  そのうちに分かったことだが、ロンの言うとおり、このムールでは「交渉屋」を通さなくてはほとんど何一つできないのだった。食事の方はともかく特に宿の方は交渉屋を通さない限りどこも泊めてはくれぬ。たとえどんな大富豪の商人だろうとそれは同じ事だ。  結局のところ町の自治組織から許可を取った者が絡まないと取引ができないのがこのムールのシステムになっているのだ。  そして、その仲介料にも大まかな基準があり、町のそこここに掲示してあるため交渉屋の方もそんなにふっかける事ができないようになっていた。 「へい、遅くなりやした」  地図を仕入れに行ったロンが再び宿に現れたのは夜半近かった。 「これがエルロンの地図。それとフラシアの地図の方はやはり無理でやした」 「そうか。では仲介料を」 「ちょっと待ってくだせえ、地図の代わりにちょっとした情報を仕入れてきたんでやすが」 「情報?」 「へえ、お値段の方上乗せになりますが・・・」 「よい。聞こう」ブライスは歯切れ良く答えた。 「ほんまに気持ちのいいお姉さんだ。先にちょっとお尋ねしますが、お姉さん方はエルロンより先はどこまでおいでになるんで?」  ブライスはグランツと顔を見合わせた。 「それを聞いてどうする」グランツが、剣に手を掛けて言った。 「め、滅相もねえ。そんな・・・だから言いやしたじゃねえですか、この商売信用が命なんでえ。ただそれによって言った方がいいか言わない方がいいか、料金も変わってきますんでえ・・・」 「グランツ」グランツは、剣から手を離した。 「おおこわ。何か訳ありの様子で・・・でもそれで商売はしませんからご安心を。この交渉屋のロン、だてにムールで生き延びてはいませんわ。このムールで客を裏切るような事したらすぐに交渉屋の許可証取り消しでえ。二度とここで商売はできんのです。まあそれはそうと、結局どこまで?」 「最終的には、クウの国まで行かねばならぬ」 「クウ!こりゃまた遠くで・・・それでしたら、フラシアなんか通らずに、エルロンのガホールの港から船で行かれたらどうで?」 「船?」 「へえ。クウまで行けるかどうかは分かりませんがね、ガホールの港なら大抵の所へ行く船はあると思いやす。なんせガホールの港はエルロンの生命線ですからね。それと今エルロンとフラシアはあまり仲がよろしくない。戦こそ起こっちゃいませんが決して起きないとは言えませんからね」  エルロンとフラシアの情勢はブライスも分かっていた。それだけになおさらガホール経由の方が現実的に思えた。 「なるほど。船を使った方が安全というわけだな」 「へえ」 「分かった、ご教示に感謝しよう」ブライスは、グランツに言って報酬を出させた。 「ええ、こんなに!これは頂けねえ。気持ちは嬉しいけど気持ちだけ貰いまっさ。また用があったら何なりと」 「そうか。では、世話になったな」 「そんなあっしゃ商売ですからね。それとお姉さん、どこの高貴な方か知らねえがこの先の国境地帯は気をつけた方がいいよ。王様が死んでからこっち国境地帯の山賊の動きが激しいみたいで、幾つかの隊商が襲われてる。新しい王様はそっちまで気が行ってないみたいだから・・・これはサービスしとくよ。んじゃ」   ロンは、言うことだけ言うとさっと出ていった。 「忙しい奴ですなあ」グランツはつぶやいた。  すでに夜も更けて、さすがに人通りも少なくなっていた。  ムールの町にも、眠る時間が来たようだ。
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