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【第八話】
武さんに言ったように、サクは毎朝必ず同じ時間に俺を起こしに来た。
子供の頃は布団を敷いて隣同士で寝ていたが、夜の仕事をするようになってからサクは台所にソファを置いて、いつもそこで寝る。
ちなみにソファと言っても、普通の家のリビングにあるようなものでは勿論無い。店の倉庫に転がっていたボロイやつをサクが貰ってきたのだ。
決して寝心地の良くないその環境で休む理由を聞いたところ「布団で寝ると、ガッツリ寝ちゃうからな」と笑って言った。
仕事を終えてサクと一緒に家に帰り着くと、大概時計は午前三時を回っていた。店の女の子を全員帰し、片付けやらを終わらせているうちにそのくらいの時間になってしまうのだ。
サクが働いている間に仮眠している俺と違って、目いっぱい仕事した後に三時間程度で起床しなくてはならないのは相当キツかっただろう。
そうまでして起こしてくれなくても、俺が学校に通う価値なんて無いのに。そんな風に言っても、サクは取り合ってはくれなかった。
「カズは俺と違って頭いいんだから。ちゃんとしろ」
それが、サクの口癖だった。
実直で単純なサクは、”ちゃんと”すれば幸せになれるとシンプルに考えるところがあった。擦れているくせに健全なのだ。
そんなこんなで無理やり通ってはいたものの、学校は普通に退屈だった。
サクやサクの周りの大人たちと過ごす時間は、俺にとって同年代の学生たちをつまらなく見せた。
俺は別に、周りの奴らを馬鹿にしてる訳では決してない。ただ単に、興味がなかったのだ。
それがどういう誤解か知らないが、クールだのがっついて無いだのと一部の女子に持て囃された。
文化祭が終わって間もなくの頃、二年生の先輩に告られたのを皮切りに、何かと女の子達が絡んで来るようになった。弁当作って来たとか、一緒に帰ろうとか他愛も無いものから、本命でなくてもいいから付き合って欲しいなど深度は様々だ。
が、サクしか好きじゃ無かった上に、恋愛対象が男である俺にとって、彼女達は性欲処理候補にすらならない。
適当にあしらっているうちに、ババを引いた。
言い寄ってくる中でも、一際しつこい女が居た。同じクラスの森下という奴で、下の名前なんか忘れてしまった。と言うか、もともと興味も無い。
何度断わってもめげずに告白してくる上に「添田くん、放課後いっつも何処行ってるの?」と要らぬ干渉をしてきた。サクとの聖域をこんなしょんべん臭い女に侵される訳にはいかない。
早々に幻滅して頂こうと下ネタ交じりにディスったところ大泣きされ、挙句に二学年上のヤンキー崩れみたいな彼女の兄貴にチクられた。
数人の輩と共に教室に現れた森下の兄は、体育館裏というベタな場所に俺を引っ張り込んだ。
一応、言い訳や弁明を問われたが、俺からは特に何も無い。可愛げのない態度は、更に彼らの怒りに火を点けた。
「てめぇ、イキってんじゃねーぞッッ」
これまたベタな台詞と共に、鳩尾に重い拳が入る。
ヘタレな俺は、一発食らっただけで、あっけなく地面に崩れ落ちた。そこへ容赦なく、数人の蹴りを食らう。
サクに甘やかされまくって育った俺は碌に喧嘩なんかした事もなく、当然受け身のテクニックなどは持ち合わせていない。
防御態勢がとれない身体は、簡単に急所や柔らかい部分を撃ち抜かれ、全身に激痛が走る。
痛みと共に「調子乗りやがって」やら「チャラチャラしてんじゃねー」などと、謂れのない暴言を浴びせられる。
そんな風に間髪無く繰り出される暴力を全身で受けているうちに、自分がゴミにでもなったような気がした。
ただ不思議と悔しいといった感情は湧いて来なかった。
自分に全く関係ないと思ってた奴らが俺に対して悪意を持ち、自身の生身の身体を使ってぶつかって来る事に、何だか興奮してしまったのだ。
――ああ、こんな風にサクが心も体も使って俺を支配してくれたらな。
殴られながらそんな甘い妄想を抱き、あろうことか俺は勃起していた。輩の一人が目ざとくそれを見つける。
「てめぇ、ボコられて何勃たせてんだよッ」
ナニを勃たせてんだよ、と言い返す間も無く胸倉を掴まれ、顔を上げさせられる。
瞬間、輩の背後に居た森下の兄貴とまともに目が合った。奴は最初の一発を食らわせて以来、俺がリンチされるのをただ腕組みをして眺めていたのだ。
――何のために?
不意に、俺の顔がキレイだと言った武さんの言葉が頭に浮かんだ。
『お前は男だし、中坊だけどさ。変な気起こす奴とかも居るからな、注意しろよ』
気が付いたら、俺は森下の兄貴を挑発していた。
「なぁ、アンタは殴らないの?」
瀕死の鼠みたいになっていた男が勃起した上に、訳の分からない事を口走るものだから、周りの男達は一瞬たじろぐ。
その隙を縫うようにして森下の兄貴が近づいてきた。
「代われ」と言って輩を追い払い、俺の胸倉を掴み直す。さっきの奴より十センチ以上は高いであろう身長差により、足の爪先が地面から引き摺られる。
――でも、サクの方がもっと大きいな。
また、思念が想い人に向かって飛んでいく。拗らせているのはブラコンではなく、恋情だから厄介だ。
「添田、お前ヘンタイなのかよ」
揶揄いや冷やかしとは違う真っ直ぐな問いと、食い入るように見つめて来る森下兄の視線の奥に、俺は何かを確信する。
「ねぇ、お願いがあんだけど」
それに何の意味があるかなんて分からないまま、俺は挑発を止められない。
その時俺は、ただ見極めたかったのかもしれない。自身の武器を。一番近くに居るのに、手に入らないサクを縛り付ける手段を。
「唇切れちゃってんだけど、舐めてよ」
そう言って、口角から流れ落ちる血液に自らの舌を這わせる。
ソロリと伸ばした手で森下兄の股間が固くなっているのを確かめた瞬間、鋭い拳が顔面を襲い、目の前が暗くなっていった。
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