【最終話】

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【最終話】

 「サクちゃんは、あと八か月くらいで死ぬと宣言した翌週に事故であっけなく亡くなりました。医者に宣言された余命は六カ月だったんですけど、サクちゃんは謎の自信で自分に二か月足したんです。それなのに、ほんの八日後にこの世から居なくなっちゃいました」  サクが何の病気だったのか、藤堂さんは良く分からなかったと言った。頭の中の瘤がデカくなってそのうち息が出来なくなるっぽいと説明したサクも、恐らく自身の病状を正しくは理解していなかったのだろう。  事故はありきたりなもので、自転車で交差点に入ろうとしたサクを一時不停止のトラックが勢いよく跳ねたという事だった。  有無を言わせなぬ即死に呆然としながらも、藤堂さんはその後の煩雑な手続きの末にサクを無事に納骨してくれた。  それが、藤堂さんが俺のアパートを訪ねてくる半年前の出来事だ。  「けど、いくらなんでも親族に連絡しないってのはおかしくねーか?」  突っかかるミツルに藤堂さんは「親族は私なので」と静かに言った。  余命が判明して直ぐに、サクは添田の姓から一人籍を抜こうとしたらしい。  「『だって、俺死んだの分かったら、カズが可哀そうじゃん』って、サクちゃんそう言ってました。けど、籍を抜くのは手続きも大変っぽかったし、それで私が提案したんです。婿養子として私の籍に入ったらどうかって」  「あんた、そんなに一樹の兄ちゃんの事好きだったのかよ。――そんな風には見えねーけど」  「好きでしたよ、サクちゃんの事。けど、それは死ぬ前に添い遂げたいみたいな刹那的なものじゃありません。偶々すれ違った気が合う人に力を貸してあげたいみたいな、そんな感覚です」  「...理解できねぇ」  頭を抱えるミツルの代わりに、俺は藤堂さんに礼を言う。「有難う、サクに力を貸してくれて」  人たらしで、だけど頑なで、つまらない嘘はつかないサクが、藤堂さんをそんな風に動かしたのだ。  「籍を入れたのとは別に、私はもう一つサクちゃんから頼まれ事をしました。自分がどれだけ一樹さんのことを愛していたのか伝えてくれって。そんなの自分で伝えなよって、私言いました。けど、サクちゃん譲らなくて。『俺から言ったら、アイツ返そうとしちゃうからさ』って」  聞くことが出来なかったサクの言葉が、深く胸の奥にこだまする。  目を閉じて、藤堂さんの告白にサクの面影を重ねた。それは全身が締め付けられるような痛みを伴って、優しく俺を包んだ。  「最初に会った時、サクちゃんは『逃亡中なんだ』って言いました。その時は私、何かの冗談くらいにしか思ってなかったけど、一樹さんに会ってサクちゃんの事を話すうちに何となくその意味が分かったんです。サクちゃんは、一樹さんを逃がすために自分が逃亡したんじゃないかって」  俺が目を逸らし続けていた確信に触れながら、藤堂さんは続ける。  「呪いをかけたのは一樹さんのお母様じゃありません。サクちゃんは自分で自分に呪いをかけたんです。初めて一樹さんに会った瞬間から、サクちゃんは多分一樹さんを愛してしまったんだと思います。そしていつかその愛が自分だけでなく一樹さんを雁字搦めにする事を恐れたんじゃないでしょうか」  「俺は、それでもよかったよ」  「サクちゃんは怖かったんですよ。誰よりも愛する一樹さんの足枷になってしまう事が」  足枷になっているのは俺のつもりだったのに。世界がサクだけであって欲しいと望んだのは俺なのに――。  サクの愛はもっと深く遠く、限りなく優しく俺を見守ってくれていたのだ。  悲しい事に違いは無いが、頬を伝う涙はあたたかく心を満たしていく。  「自分が一樹さんを愛していた事を伝えてくれと言ったサクちゃんの言葉には続きがありました」  藤堂さんは、サクとの約束の場面を反芻するように目を閉じて、最後の大仕事とばかりに大きく息を吸い込む。  『一樹に会って来て欲しい。それで、伝えてきて欲しいんだ。俺が、どれだけアイツを愛してたかって事をさ。そして、俺以外の沢山の人にも愛されている事を思い出させてやって欲しいんだ』      ここ一カ月近く、砂浜に座り込んで海ばかり見ている。  あれ以来、ミツルと俺はここ宮古島に居座ったままでいた。  俺が墓地で倒れて運ばれた民宿は、蒼汰がバイトしている事もあって長期滞在の宿代をかなり割安にしてくれている。  蒼汰がここに来たのは、サクの手紙によるものだったらしい。  サクは律儀にも、美夏に養育費を払い続けていた。が、余命を告げられて、サクは蒼汰が成人するまでの送金を断念でせざるを得なかった。  手持ちの全てと思われる金が書留で送られてきて、その中に詫び状のようなものが同封されていたという。  差出人の欄にあった住所を頼りに蒼汰がここに来た時には、全ては終わった後だったという事だ。  「父が最後の時を過ごした場所に暫く居てみようと思って。だから何って訳じゃないんですけどね」  転校までしてここに居る理由を、蒼汰はそんな風に話してくれた。  「また、海見てんのか」  気が付くと、ビールの缶を片手にミツルが隣に座っていた。  「昼間っから飲んでんの?」  「休みだからな」  「なんのだよ」  言いながら、ハッとする。  「ミツル、バイトは?」  「ああ、店長に言って一旦辞めた」  「辞めたって...」  「いいんだよ。また気が向いたら雇ってくれるって言ってたし」  流石に一度では受け止めきれない事実が多すぎて、俺はこの地でボンヤリ過ごす事しか出来ないでいた。それにミツルは何も言わずに付き合ってくれていたのだ。余裕が無さすぎて、ミツルの事情まで頭が回らなかった。  「俺に気ぃ遣う事ないよ」  「遣ってねーよ。俺が居たくて居るだけだし」  「ここ、気に入ったのか?」  「ちげーよ。一樹が居るからだろ」  そういえば、ミツルの謎の告白は保留のままになっていた。  セフレ期間が長すぎて本気にしずらいが、側に居続けてくれるのはそれなりに気持ちを持ってくれているのだろうか。  『俺以外の沢山の人にも愛されている事を思い出させてやって欲しいんだ』  サクの言葉が不意に頭を過る。  「一樹こそ、仕事いいのかよ」  「俺のは単発の依頼ばっかだし。暫く受けらんないって言ってあるから」  「そっか」  ビールを一気に煽ったミツルが「ぬるい」と呟く。  暫く二人で海を眺めた。  秋の陽射しを受けて光る波間は、その反射で時折深い色を覗かせながら広く遠く寄せて返す。  サクみたいだな、そんな風に思ったら自然に口元が綻んだらしい。  「なんだよ」という隣からのツッコみに「なんでもないよ」と応える。  「一樹さ、お前がここに居たいなら好きなだけ居ていいぞ。俺、お前が大丈夫になるまで全然付き合えるから」  遠く波間を見つめたまま、ミツルがボソリと言った。  「有難う」と返し、俺はここ数日で考えた事をミツルに伝えようと思った。それは、まだしっかりと形を持たないものだし、実行するにはもう少し時間がかかりそうだけれど。  「俺さ、学校行こうと思ってる」  「え?なんで?」唐突な宣言に、ミツルが驚いて目を見張る。  「俺、結局ギリ高校は卒業したけど、ずっとブラブラしてるしさ。仕事はあるけど、このままって訳にもいかないし」  「学校って何のだよ。大学行くって事か?」  「分かんない。大学なのか、専門なのか、もしかしたら留学するかもしんないし」  「フワッとしてんなぁ。まぁ、留学だとしても俺は付いてってやるけどな」  躊躇ないミツルの言いっぷりに、思わず笑ってしまう。  「自分でもまだ何も決めらんないけど、考えてみようと思う。サクが望んだ事を、俺が出来るやり方で」  「そっか...」  クシャクシャと俺の頭を撫でる事で、ミツルは拙い考えを肯定してくれた。年下のくせに、まるで俺の保護者みたいだ。  「けど、一樹。学校行くにも金かかんだろ?今から貯める気かよ」  「俺、結構な貯金あんだよ」  「お前が?」  意外そうなその反応に、俺は隠していたカードをチラリと覗かせる様に笑ってみせた。  「老人と影みたいな男の幽霊から昔貰ったバイト代を貯めてあるんだ。」  その夜、俺はまたサクの夢を見た。  夢の中のサクは最後に会った時から少し年齢を重ねていて、逆に俺はサクと出会った頃くらいの小さな少年の成りをしていた。  大きな身体をぎゅっと縮めるようにしてしゃがみ込み、サクは地面の一点を見つめている。  「何してるの?」  丸めた背中に問うと、サクはゆっくり振り返って悪戯っぽく手招きをする。そして、見つめていたらしいものを俺に指さしてみせた。  そこにはこんもりとした小さな土の山があり、その上には食べ終わったアイスキャンディーの棒が立てられている。  「何これ?お墓?」  「そう」  「だれの?」  「俺の」  飼ってたペットを埋めたような簡素な墓を自分のだと言って、サクは笑った。  何が可笑しいのか分からないし、揶揄われているような気がして、俺は少し腹を立てる。  「そんな訳ないじゃん。こんな小さいお墓にサクが入れる筈ないよ」  「そうだよな」  そう言って、サクはまた笑った。  俺はこの変なやり取りに直ぐに飽きてしまって「遊びに行こうよ」と、サクのズボンを引っ張る。  が、サクは今度は困ったみたいな笑顔で「カズ、だめなんだ」と言った。  「なんでだめなの?」  「俺、こっから動けないんだ」  「なんで?」  「なんでだろうな」  泣き笑いみたいなサクの顔を見ているうちに悲しくなって、「なんで」と繰り返しながら俺はワンワン泣き出してしまう。  そんな俺を、サクは優しく力強くギュッと抱きしめた。  「ごめんな」  尚も泣き止まない俺の顔を上げさせ、サクは愛おしげに涙に濡れた頬を指でなぞる。  「カズ、お願いがあるんだ」  「なに...?」  涙で咽ながら応える俺に、サクは優しく微笑みながら言った。  「アイスの当たり棒を探してくれないか?」  「サク、そんなの欲しいの?」  「ああ、カズが見つけた当たり棒なら、幾つでも何でもいい。時間がかかってもいいから探し出して、そしてたまに俺に見せに来てくれよ」  「...分かった」  サクが何のためにそんな事を言うのかさっぱり分からなかったけれど、俺は頷いて涙を拭った。  固く握っていたシャツの裾から手を離し、立ち上がる俺の頭をサクがクシャクシャと撫でる。  その顔はとても穏やかで、掌から伝わる熱はじんわりとあたたかかい。  そして、サクは自信に溢れた強い声で言った。  「カズ、大丈夫だ」  
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