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【第三話】
身体を売ったまでは言い過ぎかもしれないが、そこのところは俺の希望的観測と私欲に免じて許して欲しい。だって、未だ小学生だったサクが望んで女の人とセックスしたなんて考えたら、気が違ってしまいそうだから。
溶けかけたアイスを手に、俺はいつの間にか語り出していた。
ミツルは勿論、藤堂さんも知らない十二歳だった頃のサクの話を――。
その頃のサクと俺は、何だかいつも腹を空かせていた。
母親が亡くなって半年くらい経ったあたりから、父親は家に寄り着かなくなった。
だがそれは、連れ合いの死を嘆いての自暴自棄というのとは少し違っていたと思う。残念だけど。そう、父は残念な奴なのだ。
サクと俺の父親は生来の遊び人というか、ヒモ気質というか、兎に角フラフラとした男だった。特段美男子というわけでは無いが、ガタイの良さに似合わぬ軽やかな雰囲気を身にまとい、常にフェロモンをダダ洩れさせていた。
そんな父は本当によく女にモテたので、養ってくれる先を転々としながら碌に働かずとも生きてこれてしまったようだ。
自分の面倒すらまともに見れないくせに、父は節操なく二人も子供をつくった。そして、その世話をしてくれる相手が居なくなると、何の迷いもなく育児放棄して別の女のところへ行ってしまうのだ。とは言え、流石に俺の母親が突然死んだのは、計算外だったと思うが。
あ、ちなみにサクと俺は腹違いだ。サクの実の母親はサクが五歳くらいの時に出て行ってしまい、その後は消息不明だという。
説明が長くなった。話を元に戻そう。
八月のその日は朝から無性に暑くて、俺は、小学校が夏休みであるサクと一緒に自宅の煤けた畳に汗だくで寝ころんでいた。
学校が休みの期間は特に飢えが激しくなる。ベタな話だが、サクは給食の残りを未だ就学前の俺に持って帰ってくれていた。それ以外は、たまに父親が家に置いていく金と、やんちゃなサクが同級生から巻き上げる小遣いで何とか食い繋いでいけたのだ。
だから、給食が無く、カモになる同級生との接触も乏しくなる夏休みは、俺達に結構な死活問題を叩きつけた。
「サク...お腹へった...」
「うん...」
自分だってキツかった筈だ。けれど、その頃のサクは六歳下の弟の庇護を生活の指針にしているようなところがあって、俺は常にサクに守られて生きていた。
サクを突き動かすその根っこが、父親への同族嫌悪に基づくものと分かるのは、もう少し先の話になる。
「――ちょっと行ってくるわ」
首筋を流れる汗を伸びたTシャツで拭って、サクが起き上がる。
「俺も行く」
「いいから。――外暑いから、カズは家で待ってな」
長い指が、汗ばんだ髪にやさしく触れる。
栄養が足りていないにも拘わらず、俺と違ってサクは父親譲りのしっかりとした骨格を持っていた。そして、小学六年生にしては大人びた顔つきをしていたような気がする。まぁ、こんな環境で育てば、多少は老成するのかもしれないが。
サクの「ちょっと行ってくるわ」の意味を、その頃の俺は薄っすらとしか理解していなかった。そう言って家を出るサクは、いつもポケットに飴やらチョコレートやらを詰めて帰ってくるのだ。
その行為が後ろめたいものだというのは何となく感じていて、それをサクにだけ押し付けているのが、幼いながらにも俺の胸を苦しくさせた。
だからあの日、いつものようにフラリと出ていくサクの後を、俺は密かに追いかけて行った。
踏み出すコンクリートの道が焼けるように熱く、その上でミミズが数匹列をなして死んでいたのを覚えている。
普段なら追い付けない歩幅の筈だが、その時のサクは何かに疲れ果てたみたいにボンヤリと歩いていた。
行きついた先は、近所のスーパーだった。
中に入ると、サクは慣れた様子で店内を突き進む。昼時の賑わいに紛れて、俺はあっけなくサクを見失ってしまう。
慌てながらも、同じ年頃の子供が、母親と一緒に買い物に来ていたのが目に留まった。何やら強請ってカゴに入れて貰うその様子を、俺は違う星の子供を見るような気持ちで眺めた。
羨ましいとか寂しいとか、そんな思いは不思議と湧いて来なかった。だって、物心ついて間もない頃に母親は既に他界してしまっていたし、それ以降、俺の世界はサクだけだったのだから。
けれど、サクは違ったのかもしれない。彼は、出て行ってしまった実の母と、後妻で来た俺の母親の両方に置いて行かれたのだ。
冷房の効いた店の中で、いっそう冷気を放つ場所にフラフラと足が向いた。そこは、季節柄大きく場所を割いたアイスの販売コーナーだった。
箱に入った買い置き用や高級そうな商品は、見上げる位置にあるガラスケースに収まっている。が、特売のアイスキャンディーは、手の届くカートの中に並べられていた。
色とりどりのパッケージに目が奪われる。だって、サクが持ってきてくれるものは、ポケットに携帯できるお菓子ばかりで、冷たいアイスにありつける事など全くと言っていい程無かったのだ。
俺は、ほぼ無意識でカートの中のアイスキャンディーに手を伸ばした。そして、ひんやりと指を伝うその魅力に勝てず、袋を開けようとした。
その瞬間、頭上に大きな影がのっそりと被さった。
「ボク、お母さんは?」
顔を上げると、スーパーの店員を示すエプロンを付けた男が目の前に立ちはだかっていた。
別に、店員は小さな子供を嚇そうとしたわけでも、勿論危害を加えようとしたわけでも無い。が、碌に家に父親が居ない環境でサクとだけ暮らしていた俺は、大人の男の人が恐ろしかったのだ。
逃げ出したいのに、足が竦んで動けない。
半ばパニックになりながら、俺は「助けて」と泣き叫んだ。
何事かと、店内の買い物客の視線が集まる。それが、更に恐怖を掻き立て、俺は必至になってサクに助けを求めた。
「カズ!?」
騒動を聞きつけて、サクが人垣から顔を覗かせる。その姿を認めた途端、俺は安堵で倒れそうになった。
取り囲む客たちを突き飛ばすようにして走り寄ってきたサクに、ふらつく身体を抱き留められる。
「サク、ごめんなさい、ごめんなさい...」
しがみ付いて嗚咽する俺の頭をクシャクシャと撫でながら、サクは「カズ、心配させんなよ」と言って優しく笑った。
「あの、ちょっと君達――」
そんな俺達を持て余すように、だけど役目を果たすべく、店員の男が固い声で呼びかける。
慌てて走ってきたサクのポケットからは、店の棚から掠め取ったお菓子の箱が零れ落ちていたのだ。
再びパニックに陥りそうになる俺をギュッと抱きしめると、サクは観念したように立ち上がった。
「こっちに来てくれるかな」という店員に従って歩き出そうとした瞬間、背後から「待ちなさいよ」という女の声がした。
少しザラついて鼻に付く声の主に、その場に居た全員が振り返る。
「その子達、私の子なんだけど」
勿論、知らない女だ。しかも、どう見積もってもサクの母親足り得る年齢ではない。
ポカンとする俺達の反応を見ながら、店員がオズオズと応える。
「あの、失礼ながらお母様には見えないのですが、どちらさまでしょうか?」
女は、うーんと数秒思案すると「じゃあ、アレよ。この子達の姉弟よ」とあっさり発言を撤回した。
「じゃあって...」
困り果てる店員を後目に、女は床に散らばった菓子箱をヒョイヒョイと拾い上げ、手に下げていた買い物かごに放り込んだ。
「さぁ、弟一号と二号、お会計に行くわよ」
何が起きているのか分からず呆然と佇む俺の手からアイスキャンディーを取り上げ「これも買うのね」と言って、女はニッコリ笑った。
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