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「先輩、野々辺熱って知ってる?」 晴一(ハルイチ)の話しは、あまりに突然だった。 ――野々辺熱。  最近まで日本中を騒がせていたウィルス性の感染症で、外来種の蛾と在来種のなんとかが交配して突然変異を起こしたために生まれたらしい。某県の山奥、野々辺地方で発見されたから通称野々辺熱と呼ばれるようになった。確か、ウィルス名はH2Mrウィルス。Mrとついているので、ネット上ではウィルスさんとかH2氏とも呼ばれていたはずだ。  症状はインフルエンザに似ていて、咳や高熱が出る。咳はまだしも、この高熱が厄介で、既存の解熱剤はなかなか効かず、高熱のせいで最悪の場合死、もしくは、脳に損傷を来たすと言われていた。  突然変異の蛾自体に繁殖能力はないため、そこからの感染は然程脅威でなかったものの、感染者の咳などから飛沫感染するために割と多くの感染者を出したそうだ。  発見から特効薬が出来た先日までの約二ヶ月間、街は閑散とし、単なる風邪でも駆け込むために病院だけが大盛況だった。  ウィルスへの勝利宣言と共に、街はいつもの喧騒を取り戻し、最近では話題にする者すらいない。  精力的に情報収集するわけでもなく、テレビやネットから垂れ流される情報しか見聞きしてない俺ですらこれだけ知っているのだ。知らないわけがない。  それを知っているかと、今更聞いてくるのは何故だろう。しかも、指定計算の問題を解いている最中に。  シャープペンを持つ手が止まり、黙り込んだのは問題集に飽きたか、詰まったかのどちらかだと思い、助けに入ろうかと背後に立ったその時に問いかけられた事もあり、俺は直ぐに答えることが出来なかった。 「ごめん。変な言い方しちゃった。知ってて当たり前だよね?」 デスクチェアをくるりと回転させた晴一が照れ笑いを俺に向けた。 「そうじゃなくて、野々辺熱が流行ってた時に色々言われてたこと知ってる?」 「つーか、なんで今そんな話ししてくんだ?飽きたのか?」 「んー。それもあるけど、先輩にどうしても聞きたい……聞いて欲しいことがあって……」 いつもの晴一らしくヘラヘラとだらしなく笑ってはいたものの、目はどこか真剣だった。反射的に面倒くせェなと思ってしまう。 「そんな暇ないだろ?学校休みだった分、キツキツなんだから、とりあえずやる事だけはちゃんとやってからにしろ」 「だよね……」とヘラヘラ笑いながら、晴一は椅子を元に戻した。  思春期真っ只中の高校生の悩みほどどーしようもなくて面倒なことはないし、俺の言ったことは正論だけれど、流石に今のは冷た過ぎたかと、寂しそうな背中を見ながらやや反省した。 「まあ、テストが終わったら、飯でも連れてってやるから、それまで頑張れよ」 いつもなら「マジで?よっしゃー、俺超ガンバろー」とか、調子よく言う晴一が、この日は「うん……」としか言わなかった。  俺は、晴一の反応を見越して用意していた「ただし、点数悪かったら容赦しねぇからな」という言葉を飲み込む。計算問題が終わるまでの所定位置である晴一のベッドに戻り、遅れた分を取り返すための授業計画を立てようと参考書を開いたが、内容が頭に入ってこなかった。
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