職員室(改訂版)

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職員室                             一体「学校」って何だろうか?  大体、虚勢を張りたい盛りの男女を一カ所に閉じ込めておくのだから、そこは正に無法地帯・野獣の檻なのだ。いじめが当たり前のように起こり、中にはいじめを苦にして自殺する者までいる。そんなに命をかけてまで行くような所だろうか?  「いじめられて先生に相談したけど何もしてくれなかった。」  当然だ。  教師なんていじめられたこともなければ、不登校や引きこもった経験なんかないのだ。いじめられる者の気持ちなんかわかるわけがない。いじめられて「自殺」なんて考えが少しでもよぎったら不登校をしよう。学校なんかにたよってはいけない。教師なんか教師同士で「いじめ」を行っているのだから。  神戸市須磨区の小学校で教師による教師へのいじめ事件が起こった。  「先生が先生をいじめるの?」  答はYesである。その証拠をある教師の実体験から述べてみよう。実は教師間のいじめなんかは珍しいことではないのだ。たまたま神戸の須磨区で事件が明るみに出たが、そんなのは氷山の一角に過ぎない。これから登場する大介という教師もいじめを受けていた。それも陰湿ないじめである。  須磨区の事件は教師に激辛カレーを食べさせるというものであったが、実際にはもっと陰湿にいじめは進められている。大人のいじめというものは実に陰惨なものなのである。  それから、この話の中には「生霊」などというものが登場するが、これらも事実である。信じるか信じないかは別にして、このいじめられっ子教師の大介は「生霊」を使って復讐を果たす。 (序章)生霊                教員の中には異様に自我が肥大化し、常に居丈高でいる者がいる。  教員は難関の教員試験に合格した者だから、そうなることもあるだろう。また、生徒指導をしなければならないという理由から、つとめて居丈高に振る舞うことによって自己のアイデンティティーを保っている者もいる。  しかし、大介は全く違っていた。企業のクレーム処理係のようにひたすら土下座を繰り返し、持病の鬱病を治すために拝み屋や新興宗教に金を巻き上げられてきた駄目教師である。この駄目教師の物語であるから、青春ドラマのような青臭い話など出てこない。土下座に慣れた「土下座教師」の物語である。     大介は教員採用試験に内定合格した後、大阪府堺市内の有名進学高校に8年いたが、ここで働き過ぎによる過労のために鬱病になった。勿論、鬱病の原因はそんな単純なものではない。皆が聞いたら「ああ、あれか」と納得するカルト教団に足を突っ込んでしまい、そこから抜け出せなくなったこと、それから一番信頼していた生徒(女生徒)からまるで汚物のように嫌われ、避けられるようになったことなどにも起因している。  大介にとっては忘れることのできない一九八八年の六月、彼が教師になって六年目の初夏、世間ではソウル五輪を控えて、しかも日本中がバブルに踊っていた時代、大介は心療内科で「鬱病」の宣告を下された。  それまでの大介は「人の三倍働く人」と言われていた。また、怖いものなど何もなかった。大介は武道の段を合計六段持っているが、それだけではない。彼が所属していたカルト教団で講師を務め、その教えを実践していたからだ。その教団に大介は約三年間いた。その教団の主張が反共と動物愛護だったためか、ウルトラ右翼の教師となってしまった。  しかし、先述の生徒にその過ちを指摘され、また、ソ連の崩壊後、この教団は「共産主義者がS波ビームで痴漢攻撃を仕掛けてくる」などと言い始め、その証左として何と機関誌に「電柱」の写真がアップされるようになり、馬鹿馬鹿しくなった大介は、間もなく教団を離れ、その後、紆余曲折を経ながらクリスチャンとなった。  その間に六校の学校を転々とし、鬱病を抱えながら生きてきた。何の仕事をしてきたかもよくわからない。完全な窓際族であり、行く学校行く学校で何かあれば土下座を繰り返してきたのである。だから大介にとって土下座とは、相手に有無を言わせぬために最後の手段として取っておかれた最終兵器であるとともに、その場面になると自然と体が動く、一種の「芸術」であった。    また、キリスト教は大介を唯一癒してくれる薬のようなものでもあった。  そして彼の報復を思い留まらせたのもキリスト教であった。すなわち、我が身に降りかかる不条理は来世まで先送りにしようとするものであった。  勿論、キリスト教で一番重要なものは「愛」であるが、それは敵をも愛する愛である。だから、どんなに不条理で耐えがたい不幸に見舞われても、それを送り込んだ相手をそのままで愛するということである。  やがて、大介はそんなことが出来っこない自分自身に絶望して発狂してしまう。  この物語はその発狂のシーンと、いじめた教師どもへの復讐のシーンで幕を閉じる。  ただ、大介は教えることが下手ではない。また、授業も分かりやすくて楽しいと生徒の間でも評判があった。     では一体何が「駄目教師」なのか?  答えは至極単純である。校務分掌、所謂事務仕事が全くできないのである。  コンピュータに精通しているわけでもない。事務処理能力も遅い。  これこそが「駄目教師」の定義である。授業の上手下手は二の次三の次なのだ。  また、この物語は場所や登場人物は変えてあるが、まぎれもないノンフィクション、実話である。信じられないような話がいっぱい出てくるが、「職員室というのはそんなにも酷いところなのか」と思って読んで頂ければ幸いである。             *  「相田が死んだ!」  その知らせは大介が三校目の学校にいる時に飛び込んできた朗報であった。何でも、心臓発作を起こして学校の地理室で倒れ、AEDもない時代だったので、速効であの世行きであったらしい。   しかし、誰も心臓マッサージも人工呼吸もしなかったというから驚きである。  「相田先生、どうしたんですか?」  「おい!大変や!倒れている。誰か救急車。それから養護教諭!」  「先生、その前に脈とって。脈はある?」  「えらいこっちゃ。ないで」  「息は?しとるか?」  「どないしたらわかるねん?」  「耳を鼻と口に近づけてみい」  「え、え、え、えらいこっちゃ。息してない。こりゃ死んでる!」    発見した地理の教師は一生涯にこんな事件に遭遇したことはなかったのだろう。山で遭難してしまった小さな子供のように慌てふためいていた。  少し冷静なもう一人の発見者の教師は慌てふためきながらも、自分が何か手柄を取ったかのように冷静さを装って地理の教師に指示する。  その後、地理室には物見高い生徒達で溢れていた。    大介は欣喜雀躍として喜んだ。復讐を考えていたからである。手間がかからずに逝ってくれたものだ。  そして次に飛び込んできたニュースは田口が植物状態になったという知らせであった。彼も大介の転勤が遅れていたら復讐の対象となるべき教師であった。学年も教科も違うのに、年下の大介に対して何かとクレームをつけたがる教師であった。  それにしてもなぜ次々と人が、しかも彼の復讐ターゲットが死んでくれるのだろうか。  その理解のキーとして彼の脳裏に浮かんだのが「生霊」の存在であった。この話の後半部で、実際に大介の生霊がいじめを行った教師どもに復讐するのだが、では生霊とは何だろうか?    死霊については日本人ならば説明は不要だろう。お岩さんもお菊さんも死霊である。  ところが「生霊」となると無知や誤解が蔓延していて、その実態を知っている者は少ないように思う。源氏物語で六条の御息所が葵の上をとり殺した物であると言ってもあまりピンとこない。  大介も鬱病になるまでは「生霊」などと言うものは信じていなかった。しかし、今では死霊よりも生霊の方が恐ろしいと思っている。 生霊は本当に人間をとり殺す。病気なのだ。事実、江戸時代には一種の病気だと考えられていたことが「遠野物語」からもうかがい知れる。  そして呪いとの最大の違いは、その霊が人に災いを下すか否かの意志の有無である。呪いは意識して人に災いを下すものであるが、生霊には自覚症状はない。そこで文化人類学でも前者を呪術、後者を妖術と呼んで区別している。  「生霊」それは明らかに存在し、大介も被害を受け、また与えてきたのだ。          *  これは、まだ大介が初任校にいて、人一倍働いていた頃の話である。時代は昭和が終わる頃、まだ学校がブラック化する以前のことであった。  教師という者はとかく傲慢になりやすい。大介はそれを「自我肥大化症候群」と名付けた。相田はそのような教師の典型であった。重要なポストについているわけではないが、その傲慢な態度は誰にでも鼻につくものであった。奴は元左翼であったが、高校紛争を経験してノンポリを自称していた。しかし大介のような右翼的発言は完全に馬鹿にしきっていた。彼が右翼的発言をしていたのには理由がある。先述した「あるカルト教団」は右翼・反共を絵に描いたような団体であったからである。彼はその教理にのめり込んでいたのだ。  これは大介がまだ病気になる前の話であるが、彼は職員会議で徐々に手を上げるようになっていた。  当時の職員会議は盛んであり、左右咲き乱れての熱弁の振るいあいであった。  というよりは野次の飛ばしあいであった。  大介はそのような職員会議に辟易としていた。  「大体、発言するのに手も上げずに、しかも野次を飛ばすとは何事ぞ。国会議員にでもなったつもりか?たかが下衆下郎の高校教師の分際で」  さて、事件が起きたのは大介が休職する2年前だった。  大介が顧問をしていた合気道部の一年生の男子4名の生徒が袴を穿いていた。袴は有段者以外には認められないというのが部の方針であった。    更衣室で大声がしたので、大介は様子を見て驚いた。小柄な一年坊主が袴を穿いて、まるでどこかの村の村長にでもなったかのように突っ立っていた。  顧問としては許し難い。合気道部では技は上級生の真似をしてもいいが、格好まで真似をしてはいけないのだ。  「君ら何や。その袴は?」  「先生、僕ら応援団作るんです」  「何アホ言うとんじゃ!すぐに脱げ!」  大介は即座にそれを脱がせた。  「ぼけが、話のわからん先公よなあ」    そして幾日かしてそのことが職員会議の議題に上がった。大介にとっては、幸いなことに「一年生の某生徒達が応援団をつくりたがっている」ということで、合気道部の4人であることは誰にも分からなかった。  例によって教師達が、野次を飛ばしたり議長の発言許可もないのに喋り出したり、目を疑いたくなるような光景が繰り広げられようとしていた。  「この学校に応援団なんか似つかわしくありません」  「やかましいわ!来て一年も経たんのにひっこんどれ!」  「私は生徒の自主性を尊重したいと思います」  「おい、自主性言うて何や。自主性言うて」  「うるさいぞ。自主性や言うてるねんから話ぐらいきいたれや」  「それがどないしたんじゃ。じじい」  「じじいゆうて誰に向かって言うとるんじゃ?」  そして、この職員会議で大介は相田にやられてしまったのだ。  応援団を作ることには大半の教師が反対であった。しかし、野次を飛ばす輩がいたので会議は紛糾した。  そこで大介は挙手をした。その途端相田が議長でもないのに「どうぞ」と言った。ここで議長の指名を待つべきであったのに彼はその挑発に乗ってしまった。その場で立ち上がってしまったのである。相田は「馬鹿めひっかったな」と思ったことだろう。  「しまった」と思いながらも大介は何か言わねばと思った。  「一人でも反対すればこの案は廃案になるのですね」  などと頓珍漢なことを言った。すかさず相田は言った。   「一人でもというのはあんたのことやろ」   「そうです」   「ええ格好するだけやったら引っ込んどけ。この若造が!」  完全に相田のペースに乗ってしまった。  実に格好の悪い発言になってしまった。  普段から「質問には手を上げて」  「議長の許しがあってから質問をしてください」  と言っていた大介の立場が全くなくなってしまった。  そして大介は相田が死なないかと待ち焦がれるようになった。そして本当にあっけなくあの世へ行ってしまったのである。                        *  ところで、神経症者という者は実に自分勝手である。ことに神経症であることを勲章のように思っている人間は性質が悪い。  しかし、このような病気になって、駄目人間になると見事に「生霊飛ばし」ができるようになるのだ。  なぜなら、神経症同様、「生霊」も病気の一種だからである。 大介は、時々生霊を飛ばしており、また被害をも受けている。特に蛇女から生霊を飛ばされ、母を殺された。  この件については後述するとして、余談ながら西宮市に住む神経症者から大介に届いた稚拙な訣別文を読んで頂き、彼らが(勿論大介も含めてなのだが)いかに幼稚で自分本位か知って頂こうと思う。  因みに( )は大介の感想を付け加えたものである。  「前略。  前の地震(阪神淡路大震災のこと)でまだまだ多くの人が苦しんでいます。私もその中の一人かも。(「かも」って何ですか?あなたは地震の被害にも遭わずにただ布団の中で引き籠っていただけじゃないんですか?引き籠りを正当化するために地震を利用するのはやめて頂きたい。地震があったから引き籠ったのではなく、引き籠りたいから地震という理由をつけたのだ)  でもあなたはおっしゃいました。地震より怖いものあり日常生活。(大体日常生活とは仕事も含まれるのですよ。何十年も引き籠っていた奴にはわからないでしょうが。三島由紀夫も戦争より日常生活の方が怖かったと言っている。この感覚がわからないようで文学なんか語れません)  価値観が違う人間と一緒にいるのは不幸なことだと思いませんか?(思いませんねえ。価値観がみんな同じというのは北朝鮮のような社会を言うのである。そちらの方が気味悪い。大体、仕事でも家庭でも価値観の違う人間とつき合わなければならないのですよ) なお、私とあなたとの間で迷っている○○さんにも電話しないで下さい。(へー、○○さんてもてるのですねえ。私は何とも思っていませんが)  これに対する反論は一切受け付けません」     この手紙の主のヒッキー(引き籠り)君は人より目立ちたいという欲求が異常に強い。そのくせ、人と同じでなければ不安にとりつかれるという自己矛盾に気づかないのだ。だから地震は彼に格好の生きる材料を与えた。  彼には不幸がなかったのだ。何か言われるたびに傷つき、それが怖くて外出できなくなったのだ。そして、「家を一歩出ることから始まった」と言うことが彼の勲章になっていたのだ。何とつまらない奴だ。  大体、人間関係の基本は齟齬であり、全く違うということを認識していないと人間関係など結べない。そんな単純なことも分かっていないのだ。  だから、人間を自分にとって「都合のいい奴」と「都合の悪い奴」の二者択一的な判断しかできないのだ。  実は、神経症者にはこのような人間が実に多い。  ただ、彼には生霊を飛ばす能力はなさそうである。私が生霊の存在を疑うのは蛇女であるが、彼女のことは後述しよう。                 *  当時、大介は三校目の教育困難校に在籍しており、毎日が苦痛の連続であった。授業を聴いている生徒などどこにもいない。後ろの席では生徒達が実習用の長靴でキャッチボールをしたり、紙麻雀をしたり競馬新聞を読んだりしている。  そして、その上に大介は鬱病という病気を抱えている。  勿論、大介はそれを理解してもらおうなどと思ったことは一度だにない。  ただ、現世での絶望感から逃れるために来世に希望を託そうと、キリスト教に逃げていたのだ。  ところで、大介がキリスト教会へ通い始めていくつか分かったことがあった。  それは「自分で復讐しようとしてはいけない。神が復讐される」ということ(実際に聖書にも書いてある)。  「死んだ人間は生きた人間に対して何もできない」ということである。  死霊の祟りとか言うのは皆サタンに騙されているのである。  サタンは神に反逆し、配下の者として天の三分の一の軍勢を地獄に連れて行き、地獄の王となった。それが悪霊である。悪霊は先祖のことなど何でも知っている。騙されてはいけない。  では、問題の生霊の方はどうなのか?  大介はそれは確実に存在し、しかも能力があると思っている。    話を戻そう。 神の復讐についてだが、実は神は本当に復讐されるのだ。  相田の息子はクリスチャンになったが、相田が大反対したらしい。その結果が地理室での死である。  大介が聖書を読んでいた時である。  「宗教なんかそんなにいいか?要は自分やで」  と言った数学の教師がいた。糖尿病になった。まだ二十代にも関わらずである。  挙げればきりがないが、神は本当に復讐されるのである。  しかしいくら考えても田口の植物人間化などは説明がつかない。  また、神が本当に復讐されるのなら徳川幕府などはあんなにも長く続かなかったであろう。勿論、天皇家も百二十六代も続いているはずがない。  そこで大介は生霊の存在を疑うようになった。  「私は病気なのだ。離魂病なのだ。だから生霊が飛ぶのだ」  ところで、その頃の大介は底辺校をたらい回しにされ、校区内でも最底辺の学校にいたが、その最初の年に校長になったのが沢田であった。前任校から口が悪いので有名なパワハラ教師であった。  沢田は、なぜかいつも話す時には田舎にある偉人の銅像のようにふんぞり返っていた。  威張っていたのである。威張ることに寄ってのみアイデンティティーが保たれると信じている類の人間だったのだ。  大介はこいつにも生霊を飛ばしたつもりだったが、まだ生きているらしい。やはり馬鹿には呪いが効かないのか。    この校長のいじめのターゲットになったのは、いかにも気が弱そうで生徒からも嫌われている大介であった。  「この出張伺書き直しや」  と言って出張伺をクシャクシャにして投げ返したのが最初の「いけず」であった。同僚教師が何があったか大介に尋ねたが大介は「いや少し」と答えに詰まってお茶を濁した。  その後のこの校長の言をいくつか列挙しよう。   ・「あんたの車ゴミ箱か。教育的やないぞ」  ・「なんやその歯は。歯医者くらい行け」  ・「車(黒のシビック)を花壇の上に乗り上げやがって。今度そんなことしたら承知せんぞ」(勿論意図してやったわけではない。)  ・「あんたのおかん、給料から6万もとるのか。がめついのう」  勿論、大介は自分の評価を他の人に認めてもらわねば満足できない俗人であると自分で思っていた。「神が見ているから」なんて自分を納得させ得るほど信仰深くないし、立派なクリスチャンでもなかったのだ。  しかし、こう何度も「駄目教師、給料泥棒」と言われると、本当にそう思ってしまったと言っても不思議ではないであろう。  まあ、校長からのパワハラ発言は他にもいっぱいあったが「もう昔のことなのだ。忘れてしまおう」と大介は思っていた。   ただ、校長としての知性は持っていて欲しかったと大介は今でも思う。  というのはこの校長、国語の教師の癖に額田王も知らない。  「額田王というのは光明皇后とは違うのか?」   と本気で大介に尋ねてきたこともある。  しかし、この校長は五校目での酷い校長に比べたらまだ「まし」である。                                      *  この学校にも教師による教師への「いじめ」は存在した。勿論、それはこの後の大阪市内の学校でのいじめに比べると他愛もないものであったが---。  何よりもコンピュータ音痴の大介が教務部などに入れられたことが災いした。  「あんたが仕事してるの見てたら子供が仕事してるみたいやなあ」と教務部長。  そして大介にとって、今でも忘れられないのが年少の教員からのいじめである。といっても、これもその後の大阪市内の学校よりはましであったが---。   大介が成績伝票を手渡すと投げ返し、「何で鉛筆なんかでかいてあるんや?」  怒鳴られる。  「出欠の記録は担任が間違いを正せるように前々任校から鉛筆で書いていて文句を言われたことなど一度もなかったのに」と大介は思った。           *  この当時の出来事で大介にとって、どうしても話さずには居られないのが蛇女のことである。  この女、大介の高校の同級生であったが休職中に病院で偶然再会したのである。  当時の大介は一年間の休職を管理職から言い渡され、今では許されないことであるが、「外国へでも行ってこい」と言われたのでロシアへ行った。そしてロシアからアフガンへ入り、人が死ぬところを多く目撃した。従って人の死に対して爬虫類のように感情が鈍磨していたのである。  その上、ロシアから帰国してから悪逆非道の数々を重ねてきた。  チンピラと喧嘩をし、容赦なく武道を使った。  大介は武道の段を合計六段持っている。その上に生きることに辟易としていた。怖いものなど何もなかった。  髪の毛はパンチパーマにそり込み入り、眉毛は落としてサングラスをかけ、クラウンで武装していた。もしもの用心のためにスタンガンと催涙スプレーと防弾チョッキを身につけていた。  チンピラをのばすこと数十回、立ち入り禁止になった喫茶店が三軒、当たりやまがいのことをやって運転手をゆすること数知れず。  なぜか警察に捕まったことがなかったのが不思議である。  喧嘩のパターンは決まっていた。  大介が車を蛇行運転したり右車線を走ったりする。  そう。当時の大介は社会規範など屁とも思わないくらいに屈折し、狂気に取りつかれていた。  大介の車を見つけるや否や半グレの馬鹿どもが降りて来て因縁をつける。  「危ないことさらすやないか。おっさん」  それには一言も答えず、先ずは一番弱そうな相手に大介得意のローキック。骨折しているかも知れない。  「痛い、痛い」  一番弱そうな奴がうずくまる。  「文句あんのんか。次は誰の番じゃ?」  すると少し強そうな奴が大介の胸倉を掴みに来る。  「何さらすねん」  催涙スプレーを噴射した後で古武道の技が炸裂する。場合によっては、その前に前蹴りを金的に入れる。  「おー、痛い、痛い」  その後、玩具の回転リボルバー式の拳銃を出し、その銃口を一番強そうな奴の口へねじ込む。  「わしはなあ。アフガニスタンで人殺してきてなあ、それからは殺さずにはおれんのや。この中には弾が一発入っている。もしもそれが出てきたらお前は死ぬんや。ロシアンルーレットや。死ねや」    「こいつ、キ○ガイや。警察、警察」  まるで負け犬がキャンキャンと言って退散するように、チンピラは車に逃げ込む。  そして、すぐに自分のクラウンに乗って逃亡するのである。  このような時にその蛇女と知りあった。  そして何度かデートをしたが、どうもこの女、大介をラバーズと勘違いしているようであった。  女は言った。  「大村さん、フランス料理を食べに行きませんか?」  「ああ、いいよ」  別に断る理由もない。行った。  一緒にフランス料理を食べたが、大介の視線は彼女の顔に釘づけになっていた。とてつもない厚化粧である。特に顔の白粉は吉原の花魁のようであり、それが崩れ落ちないか心配でたまらなかった。  当時は職場復帰を控えていたのでパンチパーマも剃り込みもしてなかった。  大介が「怖い人」であるとは思っていなかったのであろう。  その後も女はしつこく大介に付きまとった。  「大村さんが行っていた教会へ行きたい」  大介が行っているのとは別の教会へ連れて行った。     その後も何度かデートしたが、大介には何の興味もわかなかった。大介から見ればこいつは単なる病気のお婆さんである。恋愛感情など抱くわけがない。  目が極端に細く、いつも背を丸めて歩く癖があった。その様はまるで蛇である。この蛇は姿かたちだけではなく心まで蛇であった。すなわち、大変執念深く嫉妬心が強いことが分かってきた。  この「蛇女」は時々生霊を飛ばしているに違いない。  この蛇はなぜか大介のことが羨ましくて仕方がないようであった。特に大介の母親が気に入ったようで、「いいお母さんやねえ」と言っていた。  それはそれで何の問題もないのだが、突然奇妙なことを言い出すのである。  「私が家族から死んでしまえと言われてしんどい時にあなたは、私の家族は世界一や、なんて言った」などと言い出した。  「完全に狂っている。気が狂っているとしか思えない。私がそんなことを言うはずがない。大体この病気になって家族がうまくいっているなんてあり得ない」と大介は思った。  その上、蛇女は徐々に大介のことを怖がり始めた。愛車のクラウンで帰る途中、ガソリンスタンドに寄り、店員が「お釣り○○円ですね」と言ったので、大介が「見たら分かるわい」と言ったというその一点だけで怖気づいてしまったらしい。  その後、この蛇女は大介が結婚したことを聞いて凍りついたらしい。  そして数年後に大介の母に癌が発見されたのだ。膵臓癌で既に手遅れであった。蛇女が生霊を飛ばしたに違いない。大介は即座に蛇女に電話をした。  「この野郎生霊飛ばしやがって。知らんとはいわさんぞ!」  「ななな何のこと?」  完全に恐れている。大介はいつの間にか「怖い人」になっていたのだ。    当時の大介は「狂気」そのものであったのだ。  狂気は伝染すると言われているが、大介の「狂気」はアフガンでマラリアのように感染してしまったのだ。  この学校で後に私に付けられたあだ名はCTO、すなわち「Crazy Teacher Omura」であった。  大体、今まで繰り返してきた暴力をネタにして生徒を笑わせていたのだから始末に悪い。  これが大介の三校目での日常であった。  そして、大介は結婚し、四校目の進学校へ転勤となった。   (次からいよいよいじめの話ですよ)        
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