ええい、書いてやる。これが教師のいじめや!

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ええい、書いてやる。これが教師のいじめや!

(一)いじめの多い進学校へ     「私は所謂ノイローゼ教師である。鬱病という病を抱えて、それでもなお生きている人間の屑である。人の税金で飯を食ってきた税金泥棒である」大介は自問自答した。    二十世紀最後の年に大介は故郷の泉南を後にした。そして結婚し、大阪市内の有名進学校へ転勤になった。ここでまた人生のやり直しができると信じて疑がわなかった。しかし、実際にはここから苦難が始まる。  先ず結婚のことであるが、大介は哲学・宗教や音楽の素養を身に付けた女性が自分には最もふさわしいと不遜にも思っていた。しかし実際に結婚した相手は知的障害を持った女性であった。なぜ彼女と結婚したのかは未だにわからない。そんなことだから妻には何も期待しなかった。期待してないから大介はとんでもないモラハラ夫になってしまう。  殴る蹴る、すなわちDVには至らなかったが、「言葉の暴力」はかなりあった。    「たかがボタンつけるのに一時間もかかりやがって」  泣きだす妻。    「明日は風邪で学校休むと教頭に電話せい」  「もしもし、教頭先生ですか?」  「ボケか。教頭先生はいらっしゃいますかや!それからこっちから名乗れ!」  「もしもし、主人が風邪で休みたいと---」  「ボケが!そんなことも言われへんのか!」  それから大介は何度か妻に警察を呼ばれたこともあった。  「わし、何もしてないで。このアホが電話しよったんや」  「わかりました。帰りますから仲良くね」  「お巡りさん帰らんといて。私殺される。この人怖い。お巡りさん優しい」  「人聞きの悪いこと言うな。わしが暴力でもふるったゆうんか?」   警察が帰った後に空手でタンスを蹴り、穴をあける私。  「今度警察呼んだらこれやぞ。空手の蹴りは一トンの力があるんや」    「おい、酒買うて来い」  「お酒やゆうて何かあったん?」  大介は体質的に酒が飲めない。そんなことは妻も承知していた。だからこう言われて驚いたのだ。  「うるさいわ!やんのか!」  と妻の胸倉を掴もうとする。  この世のものではない何かを見たかのように怖がる妻。    これで結婚生活がよく十年も続いたものだ。  「主人が悪魔なのになぜ妻は夜逃げをしなかったのだろうか?」大介はそれが不思議でならなかった。  一方、大介は新しく着任した学校には期待した。府下でも屈指の名門校である。最初に赴任した学校のように全てが上手くいくと信じていた。車も中古であるがBMWを買った。  しかし進学校というものは人間関係が難しいということが常であることを、大介は後になってから知ることとなる。  大介も最初は、初任校の時のように夜遅くまで残って働いた。二年生の担任をもたされたが一向に苦にならなかった。  しかし、この学校には教師による教師に対するいじめが存在した。  一学期が終わるまでは全く何事もなく時が過ぎた。問題と言えば、管理職がはなから私に偏見を持っていたことであった。    なぜか、ここで一学期中に校長室へ呼ばれたことがある。そして  「あんた自殺の話したか?」とか  「統一教会の話してないか?」とか 色々聞かれたのである。前任校の校長から話が伝わっていたのであろう。前任校では、確かに自殺の話をしようとして止められたことがある。進学校では二十代、三十代の死因の第一位である自殺を授業のテーマにしてはいけないのだ。それからなぜ統一教会の話になるのかは大介にも全くもって不可思議であり、そんなことを話した覚えは前任校でも、この進学校でも一度もなかったのである。    とにかくここの校長は最初から何か不思議な生物でも見るように大介を見ていたようである。それから、この校長は新しく来た珍奇な生物に事件を起こして欲しくはなかったのだ。なぜなら、この校長の考えていたことは「保身」であったからだ。もうすぐ目出度く定年退職なのである。教師が問題を起こしたら目出度く定年退職を迎えられないのだ。  そして二学期をむかえた。ここからは自我肥大化した馬鹿教師どもの名前を出すのも大介にとっては反吐が出るほどのことなので、あたかも「坊ちゃん」のように、全員をあだ名で呼ぶことにした。特に大介を虐めた社会科の教師どもには誰もが毛嫌いするようなあだ名を勝手につけていた。実は大介自身も、この教師どもから「ドド山ボロ彦」などというあだ名をつけられるのだが---。    ・隣のクラスの生物教師=メタボ。  ・地理と世界史の女教師=ババア。  ・日本史の教師=胡瓜。もう一人はタヌキ。  ・化学の教師=ヌーベー。    なお、この学校で大介を虐めなかったのは教頭と物理の山元教諭だけだったので、これはそのままの名にしておく。  しかし、それは山元教諭と教頭が味方だったというわけではない。ただ、この二人だけが大介を虐めることがなかったというだけのことである。                  *    さて、大介はなぜかこの学校で一度も教えたことのない日本史をもたされた。大介は元々は世界史の教師であり、日本史なんかは重箱の隅を箸でつつくようなものだと完璧に馬鹿にしきっていた。それが日本史である。  「そんなに教師というのは人材不足なのか?不可解だ。不可解だ。不可解だ。そして不愉快だ。進学校であれば教師には得意分野で勝負させるべきである。第一これでは生徒が可哀想である。私の教えることなどはみんな嘘である。というよりは私自身が嘘の塊である。世界史の教師が知ったかぶりをして日本史を教えて一体何が出来るというのか?」  そうは言っても教えなくてはならないのだ。大介は始めのうちは教材研究に打ち込んだ。「日本の歴史三十巻」やら「史料問題集」やら「予備校の授業風景」なんかを買い込んで勉強した。  また、時代も変わり始めていた。初任校では一生懸命進路指導をしていたが、それは十年も前の話。例えば大介が昔担任した看護学校のクラスなどは時代遅れのアナクロもので、大半は看護大学に変わっている。また,今まで短大だった所は大半が4年制になっている。大介が進学にはほとんど縁のない最低辺校にいる間に時代は変わっていたのだ。  この二つが大介を大いに悩ませた。  「私はもう必要のない中古物件だったののか」と大介は思った。  それでも一学期の間はメタボや、日本史が専門の教頭とよく話をした。教頭は日本史の教授法を色々と手とり足とり教えてくれた。異時同図法や楽しい授業の導入の方法など、みんなこの教頭から教わったのだ。  そして二学期になって、状況が徐々に変化し始めた。メタボが急に冷たくなって行き、大介の信じているキリスト教の迫害者となってきたのだ。  何でも、この教諭、元々は武士の家系だったらしく、日本史に大変造詣が深かった。日本史のことなら大介よりもよく知っていることもあった。  「私は先祖代々自分の力でやっていくことが家訓だったからなあ」  「キリスト教は自分の力に頼ることを禁じています」  「ふん、変な教え」    家系の自慢話をすることは聖書では厳しく禁じられている。しかし彼はキリスト教など馬鹿馬鹿しく思っていたらしく、むしろ安倍清明などに興味があったようである。  「あんたもキリスト教のような馬鹿馬鹿しいものは止めて氏神でも拝んだらどうだ?」  などと言われたこともあった。また、彼は以前も進学校にいて、そこで進路指導部として辣腕を振るっていたようである。  「国立大学を北の北海道から全て言えるか?」などと質問され、大介はあたふたとしてしまったこともある。そして、学年の教師達は彼に多大な信頼を置き始めた。  その頃から大介は嘔吐に悩まされ始めた。 今から考えるとそれはただの逆流性胃腸炎だった(そのための薬を今でも飲んでいる)のかも知れない。しかし大介は鬱病を患っているので、それを精神的なものと思っていた。  そして、大介は学校カウンセリング部の教師に相談した。   カウンセリング室に入ると、無精髭を伸ばした人の良さそうな教師がアームチェアーに腰かけていた。   「最近よく嘔吐するんですけど、少しお話よろしいでしょうか?」  「ああいいよ」  「学年を外れることはできないんでしょうかねえ?」  「昔の管理職は駄目だと言うだろうが、今の管理職は結構話がわかるから話してみようか?」  「(本当にそんなことができるのだろうか?そんな話聞いたこともない)」  大介は思った。  そして大介は学年主任からも呼ばれた。  「一日十回も吐いたそうやないの。私からも話してみるわ」  この頃は、まだ他の教師との関係も順調であったようだ。   そして、カウンセリングの教師は、大介が既に精神科に罹っていることを知らなかったのか、学校近くの精神科を紹介した。そして、そこでもらった薬を飲んでみると嘔吐は余計に酷くなってきた。とんでもない薬を調合されたのだ。 一日に十回嘔吐したこともあり、大介は静養のために二日間の年休をもらって妻と温泉へ出かけた。彼はそこで出された御馳走を全て嘔吐してしまった。何のための静養かわからない。  その後、学年主任と校長に呼び出され、結局担任を降ろされることになった。そして、その頃より、またしても人生の歯車が狂い始めた。  学年主任は、大介が辞めて行った生徒のことに悩んだ結果嘔吐するようになったと思ったらしい。確かに、わずか半年の間に男子生徒が一人、女子生徒が一人、大介のクラスから学校を中退し、通信制の高校へ去って行った。 この二人の生徒は大介の「友達」であった。女子生徒の方は学年主任から「ワル」と呼ばれていたが、大介には全くそうは思われなかった。教育困難校に長く居たためか、彼にとって最も扱いやすい生徒であった。   「ヨシりん、おはよう。テスト遅れてきたら三年に上がれないやん」  そう言った翌日、彼女は定期考査を欠席した。    「おい、ヨシりんどうした?定期考査受けへんかったら留年や」と電話を入れた。  そして彼女は翌日やってきて「先生、学校辞めます」である。  「そうか、淋しくなるなあ」  「もういいんです」    それから暫らくしてもう一人男子生徒が辞めた。  大介は「君が3年生に上がれなければ僕も3年生は持たない」とはっきりと宣言していたが、それが現実になろうとは一考だにしてなかった。男子生徒の方は持病の喘息が酷く、学校になかなか出て来られなかったのだ。そして二人は同じ通信制の高校へ仲良く転校して行った。  この幻の担任クラスの生徒から今でも年賀状が届く生徒がいる。僅か半年の担任だったのになぜ年賀状が届くのか大介には理解できなかった。  しかし、今になって事情が判明し始めた。 年賀状をわざわざ恩師に出す生徒というのは、人生が順風満帆に行っているのだ。大介には今でも十人程の生徒から年賀状が来ているが、皆共通して彼がそんなにお世話をしたことのない生徒であり、そして人生に何の陰りもない生徒なのである。  これは、大介が最初に休職した時の話であるが、彼のアパートまで見舞いに来たのは、あんなに面倒を見てきた合気道部の生徒ではなく、吹奏楽部の生徒達であった。   (二)ババアにいじめられる   担任を降ろされて少々淋しさが残ったが、正直なところ大介は安堵した。大介は人権とカウンセリングの係になったが、仕事らしい仕事は何もない。授業さえやっていればいいのである。  しかし、その後は他の教師、特に社会科の教師より色眼鏡で見られるようになり、徐々に学校に居ずらくなっていくのである。  その初めはババアであった。  このババアはどこの職場にも居るお局様である。だから逆らえないらしい。------そして事件は起こった。  2年生の日本史は大介ともう一人、若い講師が持っていたのだが、その講師が風邪で休んだのである。そこで教頭が何を思ったのかババアに自習用の教材を用意させようとした。  そんなこととはつゆ知らず、大介は自分の机で教材研究をしていた。   そこへ突然ババアがやってきたものだから大介は驚愕した。  ババアは唐突に言った。  「もっと教科の指導に自覚を持ってもらわなければ困ります」  大介には何のことだかさっぱり分からない。  そして講師の先生の自習プリントを作っていることが分かった。  「私がやります」と言って慌てふためいて一枚のプリントを作成した。  ババアは「私はいつも自習プリントは二枚作るので二枚よ」と怒鳴った。  何も怒鳴ることはないのにと大介は思ったが、そう言うので二枚用意した。  この頃から大介は汚物のように社会科の教師より避けられているらしいことがおぼろげに分かってきた。  その翌日、風邪をひいていた講師が出勤した。気がおさまらなかった大介は教頭席へ行った。  「あの本宮(講師の名)ええ身分やないか?今からかちましてくるんじゃ」  勿論、二年の日本史のプリントを大介がいるにも関わらずババアにたのむ教頭もどうかしているが、元を正せば講師が休んだことが事の発端だ。そして私は本当はババアに頭にきていたのだが、女を殴るわけにもいかない。ならば講師をぶん殴るだけだ。  こんな論理なんかないことは十分承知の上だ。ターゲットを自分より下の者に置いて、気に入らないことがあればぶん殴る。これはヤクザの発想である。  薬のためか、アフガンでの生活のためか、大介は人間としての感覚が、まるでマリファナを吸ってラリっているヒッピーのように鈍磨していたのだ。  さすがに教頭は驚いた。  「まあ、こっち来て話そ。それはいかんわ」  大介を応接室へ連れていった。  大介は頭髪天を突く勢いでまくしたてた。  「ババアなぐったらあかんのやったらあいつ殴るだけや。文句あんのか?強い奴は弱い奴に何してもええんじゃ。歴史が証明しとる」     結局、大介は講師を殴らなかった。しかし、大介が完全に汚物に戻っていたことを再認識させられた。  その頃である。大介の愛車のBMWのバックミラーがもぎ取られる事件が起こった。誰がやったかわからなかった。 最初は誰もが生徒の悪戯だと思っていた。しかし、ある日生徒会長がこっそりと大介に教えてくれたのだ。  「あのー。先生、細田先生が先生の車を昼休みにいたずらしていましたよ」  ババアである。いきり立った大介はババアを渡り廊下に呼び出した。このババアはよっぽど面の皮が厚いのだろう。あんな悪戯をしておきながらのこのこと出てきた。  「大村先生、一体何?」  「何じゃないですよ。僕の車にいたずらしたでしょう?」  「まあ、何かと思ったらなんて言う言いがかり?証拠はあるの?」  ここで生徒会長の話を出せばよかったが、彼に迷惑がかかると思い、大介はそれを手控えた。  「証拠もないのに人を犯人扱いなんて何?」  「わかりました。先生じゃないのですね。すみません」  「当たり前よ」  それから幾日か経って、今度は大介は社会科のタヌキと、同じ社会科の胡瓜に呼び出された。  「おい、新入り。ちょっと裏門まで来てもらおか?」  「嫌やねえ」  「何でじゃ?」  「会議か何かあるのやったら行かないといけないでしょうが、行く必要があるのでしょうか?」  そう言ったと思うや、タヌキがいきなり大介に催涙スプレーを噴射した。  「しまった!」  大介は武道家である。こんな用心もしておくべきであった。しかし相手の方が役者が一枚上であったのだ。  痛む目を押さえて大介は応戦した。あの教育困難校にいた頃には生徒を相手にして武道を使ったことがある。しかし、相手は教師なのだ。こんなことってあるのだろうか?  胡瓜とタヌキは竹刀を持って来て大介に何度も殴りかかった。竹刀なんか痛くはない。ただ、目が痛かったのと、同僚の教師からこんな目に遭わされたことなんかなかったから、大介は悲しみでいっぱいになった。  上段受けで竹刀をかわす大介に対して二人は言った。  「あんた、車の事件を細田先生になすりつけたやろう。この言いがかり野郎が」  そう言って二人は竹刀で何度も大介を殴った。  その後、一体誰がやったのか分からなかったので迷宮入りとなったが、大介の愛車のBMWのタイヤが四つともパンクさせられていたことがあった。また、職員室の大介の机に墨汁が撒かれていたこともあった。犯人は生徒だろうということになったが、生徒にそんなことが出来るわけが無い。職員室はセコムで施錠されているのだ。 (まだまだいじめは続きますよ)
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