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もっとひどいいじめが続くよ。本当の話ですよ。
(三)ウンコと呼ばれて
ある朝のことであった。大介はBMWを降りて靴箱に向かった。そして靴箱の中を見て呆然となった。上靴がないのである。そしてなぜか靴箱の中に生ごみが詰められていた。
「生徒のいたずらか?」
そう思った大介が甘かった。
職員室へ入って隣に座っていた教師に言った。
「靴なくなったわ。それにしても最近の生徒は子供みたいないたずらをするなあ」
すると、その教師はなぜかクスクスと不敵な笑いを浮かべた。なぜか女性の教師も数人大介の方を見てクスクスと笑っている。
おもむろに社会科の男性教師が大介の背を叩いて言った。
「おはよう!ウンコ!」
その途端に職員室にいた教師全員が堰を切ったように大笑いする声が聴こえた。皆が小声で「ウンコ、ウンコ」と言い始めた。
「俺、人間やねえ。ウンコでないよねえ」
すると別の男性教師が「皆があんたのことウンコと決めたのだから、あんたはここではウンコとして生きて行くしかないんだよ」と言う。
まるで小学生のいじめである。
「しかし、私は汚物であるが故にこれで良かったのだ」
大介は一人寂しく首肯した。
これで大介が避けられて無視されていることが初めて了解させられたのである。
それから、大介の机上には自殺した漫画家、山田花子の漫画が並んでいた。そこに「ドド山ボロ彦」なる人物が登場する。そして、それを読んだ教師が大介に別のあだ名をつけた。「ドド山君」である。この事件から大介は「ドド山ボロ彦」の名で呼ばれることになる。
そんな大介にとって授業だけは唯一の救いであった。生徒で大介を悪く言う者は誰一人いなかった。授業は楽しくてわかりやすかったからである。
大介は、この状況の打開策として二つのことを実行した。
一つは組合に入ること。それも高教組ではなくてもっと過激な組合に入ることであった。すなわち、日教組である。高校の教員は大半が高教組に入っていたが、その教員達に虐められているのだからもっと過激な日教組を選んだ。また、学生時代に第4インターというセクトに入っていた友人から、精神障害者の解放団体があることを聞き、入会した。旧国鉄を解雇された児島という人が中心になってやっていたので「児島闘争」と呼ばれていた。大介は「児島闘争」の会合へ行くことに決めた。そして、日曜日に電車を乗り継いで児島闘争の行われている会場へ足を運んだ。十名近くの人々が集まっていた。どの顔を見てもルンペン=プロレタリアートという感じがする。共産党なんかとの会合とは大違いである。共産党の会合では、大半の参加者が車に乗ってやってくる。彼らはみんな電車だ。
そこで大介は言われた。
「あんた、絶対に教師辞めたらあかんで。わしも昔公務員やっとってん。でも躁状態の時に辞めたれ思って辞めたんや。年金も少ないし、孫にも会わせてくれへんねん」
「僕は何回も辞めようと思って思い留まりました」
「うん、それでええ。それで」
その後、これからの「害者(精神障害者)」としての闘争の方針などが話し合われた。
この児島闘争の人からは今でも大介に年賀状が届いている。
そしてもう一つは教育委員会への直訴である。
「私、○○高校の教員ですが、他の教師からウンコと言うあだ名をつけられ、ドド山ボロ彦と呼ばれて虐められているんです」
電話口の反応は冷たかった。
「嘘でしょ。生徒じゃなくて先生がですか?」
「そうなんです。相手は教師なんです」
「それはあなたにも非があるんじゃないの?大体あなたの話を聞いていると担任を降りてからこういうことが始まったそうですね。あなたはその後、他の先生の仕事を手伝ってあげるとか、そう言うことはしなかったのですか?」
これだけで終わってしまった。教育委員会も生徒の虐めで手いっぱいなのだ。教師間のいじめなんかに関わっていられないのだろう。
それにしても教育委員会も「鬱」という病気を何も分かってない。苦しいのである。一説には三十九度の熱が出ているのと同じしんどさを鬱病患者は抱えているのだ。現在では教員の休職理由の大半は鬱病である。しかし、教育委員会に至っても認識はこんなものであった。
精神障害に対する差別はここにも存在していたのだ。
なお、その後生徒会長がこっそりと大介に教えてくれた。靴箱の件は教師の仕業だということを。また、他の教師は生徒に向かって「あの先生をこれからドド山ボロ彦と呼べ」と言っていたということも。
虐めは社会科の教員からばかりではなかった。化学の教師であるヌーベーからもやられた。
この教師は吹奏楽部の顧問をしており、大介が1学期にトランペットが吹けることを知って、少々仲良くなっていた教師であった。そして「ドド山先生、トランペットができるんだぞ」と部員に言っていたそうである。------が、実はこれは大きな間違いである。大介のできる楽器はピアノである。この能力はどこの学校へ行っても認めてくれていた。前任校で文化祭の時にショパンの「幻想即興曲」を披露した時には生徒も教師も驚いていた。大介がトランペットをやっていたのは、わずか1年間だけで、「吹ける」などと言うレベルではなかった。
ある日のこと、ある社会科の教師が休んだので、なぜか自習監督にこのヌーベーが当たっていた。しかし、なぜか教務の教師から
「ヌーベー先生が行けなければ、監督行ってくれないか?」と言われた。
そこで大介はヌーベーに「監督行かれますか?」と丁寧に尋ねたのだが、何とヌーベーの返事は
「何言ってるんですか?行きますよ」
怒号であった。
そう、ウンコのドド山には何を言ってもいいし、怒鳴りつけても構わないのだ。
頭に血が上った大介は校庭へ出て大学時代によくやっていたように木の幹に何回も蹴りを入れた。
「馬鹿野郎!ぶっ殺してやる!」と何度も言いながら。
勿論、本人に蹴りを入れたりしたらこっちの負けだ。唯一の味方であった物理の山元先生が
「やあ、木と格闘していたね」と言った。
ヌーベーは何を思ったか知れないが、こんな奴がタクトを振っていると思うと身の毛もよだつ思いがした。
そして、前任校の校長のことを思い出した。
彼は、担任も陸上部の顧問も降りたいと言った大介に質問をしたことがある。
「あんたタクトを振れるか?」
「いいえ」
「それならコンピュータはできるか?」
「いいえ」
「じゃあ英語は喋れるか?」
「いいえ」
「お前何も出来ない奴やのう」
当然である。先ず、タクトが振れるというのはどういうことかと言えば、少なくとも小澤征爾かカラヤン位の見識を持ち、少なくともピアノやバイオリンが弾けるレベルを言うのである。勿論、スコアも読めなくてはならない。それで初めてタクトが振れると言うのである。大介の感覚ではそういうことであった。
それから、コンピュータが出来るというのはエクセルでマクロが組める段階を言う。また、英語が喋れると言うのは、少なくとも英検1級に楽々と受かり、TOEICやTOFFLEなどでは楽々と満点が取れる者を言うのである。因みに、大介が次に赴任した学校で私は柔道部を任されたが、柔道を指導するには少なくとも柔道三段の腕前は必要だと大介は思っていた。見ているだけでは顧問なんかになれないのだ。
これが大介の考え方である。初任校で大介は合気道部を持っていたが、勿論彼は有段者である。そればかりか空手や古武道の段も持っている。それが指導者だと思っている。「顧問なんか居たら良い」という考えをする教師もいたが、大介にはそうはなれなかったのだ。
さて、社会科の教員からの虐めはもっと過酷であった。そこで大介は教科会議に出ないことにした。そうしたら、ババアがまた口を出してきた。
「あれ、ドド山先生こんな所にいたの?重要な会議やったのに。休むのだったら年休でもとってほしいわ」
そして、このババア。卒業式の時に大はしゃぎで「私泣くかも知れんわ」とか言いながら小走りに職員室を走り回っていた。ババアが内股で走り回る様は、このウンコ教師、ドド山ボロ彦(大介)から見ても異様でグロテスクであった。
それにしても神は何という悪ふざけをするのであろうか?確かに大介は前任校で、進学校へ転勤出来るように一生懸命祈った。その祈りが通じたと思ったらこの始末である。これなら前任校にいた時の方が良かった。前任校が教育困難校であったから、できれば進学校に変わりたいと不遜にも思っていたのだが、大介は進学校には向いていないことがはっきりとした。
とにかく精神障害者は虐められるのである。そしてそれが障害者の日常であり、無理に社会生活を送ろうと努力する障害者の末路である。また、他の障害と違って精神障害は目に見えない。どこが悪いか分からない。大介のような鬱病患者は「怠け病」と人には映るのである。悲しいことであるが、これが世の中というものである。
しかも相手は教師である。不登校や引きこもりの生徒を抱えているはずの教師であって、企業ではないのである。
大介はもう誰も信じられなくなった。
この他にも六校めの学校で同僚から「わしも休み方教えてほしいわ」などと言われたこともある。
この病気は一般の病気とは違うらしい。
「この病気は差別される」と言ったが、大介は世で言われているように差別する者とされる者を二者択一的に分けるようなことはしない。
あらゆる人は家柄や出身や学歴や職業などで差別する立場とされる立場を繰り返していると思っていた。誰が差別者で誰が差別を受けているかなんて考えるのはナンセンスだと思っていた。
事実、大介も、自分の中に悪の要素を十二分に認めているので、人を差別することもある。
(四)ヒッキー君の復讐
この年度の終り頃、大介はまた土下座をすることになった。相手は大介に訣別状を送りつけてきた無礼極まりない引きこもり君である。
事の顛末を掻い摘んで話そう。
大介は転勤が決まって、前の医者から紹介状を書いてもらって大阪市内の医者に変わることになった。しかし、時々堺の医者に行っていた。そして春休みが始まると、まるで遠足に出かけるような気分で堺の医者へ行った。
そこで順番待ちをしていた時である。
どこかで見覚えのある奴が入ってきた。そう、あの幼稚な訣別状の送り主である。
待合室で大介を見つけた彼は開口一番言った。
「お前なあ。ええかげんにせえよ」
彼は怒っているらしいことは分かったが、何に腹を立てているのか大介には最初、皆目見当がつかなかった。とにかく急なことで、大介は一瞬戸惑いを見せた。
「いや、私は別に」
「何が『私は別に』や。何か分かるやろう」
「わからないねえ」
「嘘つけ。いたずら電話のことじゃ。お前やろ」
実は大介である。しかしなかなか感のいい奴だ。大介はナンバーディスプレイのことも用心して184を押してから電話していたのに。これはしらを切り通すしかない。そう思った。
実はこいつだけでなく、大介はしょっちゅうイタ電をしていた。無言電話である。しかし、そんなことで罪にはならない。勿論執拗にやれば犯罪であるが、イタ電の極意は「細く長く」であることは心得ていた。ただ、こいつはイタ電の主が大介だということを感で見抜いたようであった。
イタ電のペースは月に一回。朝6時頃。これならわかるまいと大介は思っていた。184も押している。
彼は言った。
「今はナンバーが分かる電話もあるんやぞ」
ナンバーディスプレイのことを言っているのだろうが、それには非表示で出るはずだ。
その後、「お前やろ」
「いや知らない」
の応答を何度か繰り返し、大介は言った。
「どないせえっちゅうねん?」
すると向こうは「土下座して謝れ」であった。
しかし大介は思った。
「何だ、そんなことか?」
土下座教師の大介は土下座なんか日常茶飯事のようにしてきている。別にどうってことはない。ただ、相手はただの引きこもりである。こんな奴にまで土下座をするようになったか?と感じた。
「診察室行かんか」
イタ電を認めない大介に業を煮やした彼が言った。そして二人で診察室へ。そこには、不登校を治すことで有名な医者が居た。
仕方がない。認めてやるか。土下座したらいいのでしょう?はい、「どうもすみませんでした」と土下座をする大介。
すると、かのヒッキー君はそれ見たことかと大はしゃぎ。
「やっぱりなあ、そうやったんや」
と言って待合室に戻る。その後のヒッキー君はとても四十男とは思えない言動を次々と大介に投げかける。
「わしとタイマンはるか?」
「はあ?」
「何びびっとるねん」
「はあ?」
まるで子供である。社会を知らないガキである。低能である。
その上、これは明らかに強要罪である。イタ電より罪は重い。しかし、こんな引き籠りの下衆にまで馬鹿にされるようになったかと思うと大介は無性に自分が情なかった。
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