これは明らかに精神障害に対する差別ですよ。

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これは明らかに精神障害に対する差別ですよ。

(五)胡瓜とのいざこざ          さて、4月になって新年度が始まった。大介は担任を外れたままで人権・カウンセリング部となったが、ほとんど用無しであった。     当時、大介は二年生の日本史を胡瓜と一緒に担当していた。そこで同じ学年だから共通問題を作ろうと胡瓜にもちかけた。  「胡瓜先生、定期考査ですが、共通問題にしますか?」  「そんなん知らんよ。勝手にやったら?」  完全無視である。そう、ウンコ教師のドド山なんかと一緒に試験を作ることが、いかにも気だるいと言った感じである。  そして、この胡瓜との間に事件が起こる。  三学期の学年末考査が近づいていた。大介は日本史に詳しい教頭の指示を受けながら試験問題を作成していた。そして、試験のあらかたの概要が煮詰まった頃に胡瓜が思わぬ行動に出たのだ。  大介が机で学年末考査のことに頭を巡らしている時、急に胡瓜が私の机上に数枚の用紙を無造作に投げ出した。  「これ史料やけど今度の学年末考査で使って」 見ると二十四個の史料が置いてあった。これは何のまねか?  「参考にさせてもらいます」  「いや、参考ではなくて二十四個皆使って下さい」  史料問題というのはとかく難しく、大方の受験生もそれで失敗していることは大介も知っていた。だから試験を全問史料で埋め尽くせというわけである。しかし、三学期の学年末考査の頃には落第も怪しい生徒が出ているのだ。そんな難しい問題を作るわけにはいかない。しかも、今まで何の相談もなく別々に試験を作ってきたのに、いきなりである。  「(それはないでしょう)」  大介はそれでも妥協して 「4個ぐらいなら使いましょう」と言った。すると胡瓜は強引に「いや、全て使ってもらわないと困ります」である。  「困るのはこっちの方だ」  大介は思った。さあ、あとは使うか使わないかの争いだ。  使う・使わないの押し問答が暫らく続いた。  「(こいつは今まで共通問題を作ろうと言うのを無視し続けてきた癖に、今になっ何を言うのか?)」   しかし大介はあくまでも下手に出た。   「私、それにアホですからこんな難しい問題作れません」  「アホが何で英語喋れるねん」   大介は既に「切れ」かかっていた。  「それならば、どうして今まで共通問題を作ろうとか言ってくれなかったのですか?」と大介は尋ねた。  すると胡瓜は「ドド山先生、あんたウンコの癖に意見するのですか?」である。大介は完全に切れてしまった。  「何、お前、やるのか?」  大声で怒鳴りつけ、彼は覚えてなかったのだが、空手の構えをしたらしい。また、これも自分では覚えてないのだが、生徒が止めようとしたらしい。大介は完全に切れている。もう何を言ったかさえも覚えてない。しかし、大介のあまりの剣幕に胡瓜はたじろいだらしい。  それならば校長室へ行ってけりをつけるだけだ。    二人で校長室へ入った。  「この学校にもえらい生徒を叱る先生も居るものやなあと思って聞いていたら先生同士で喧嘩か?」  開口一番校長が言った。  先ず、大介が事の次第を説明した。最初は校長は大介の言い分が正しいと思ったのか、  「そりゃ三学期の考査ではそうやなあ」と言ってくれた。  しかし、大介があまりの剣幕でまくしたてたので状況は逆に不利になってきた。  胡瓜「大村先生がまるで鬼の首を取ったかのようになぜ共通問題を作ろうろ言わなかったのか?なんて聞くもので」  大介「鬼の首取った言うてどないゆうことじゃ!やんのか!」  校長「まあ、静かにせい。それより、あんた空手の構えしたの覚えてるか?それから生徒が止めに入ったのも覚えているか?」  その後のことはあまり記憶にないが、大介は完全に「危険な」教師になってしまったようである。こんな理不尽なことはない。  それから何日か後に胡瓜は職員会議で発言した。  「この前職員室にいらっしゃった先生方は分かると思うのですが、学校に於ける安全性について質問します。学校に精神に障害を持った危険な人が居ていいものでしょうか?」  「そうやそうや、そんなんが居たらかなわんぞ」  誰かが言った。  「(俺の事か?しかしこんな所で何をぬかすか?)」  大介は一人思った。  校長が言った。  「学校は安全な所として鋭意努力してまいります」  「(精神障害に関する完璧な差別やで、これは)」  と大介は思ったが、こちらは精神障害者である。大介の主張が通るはずがない。結局大介は発言しなかった。山元先生が「もっと反論したらいいのに」と言ってくれた。  この事件はその後の大介の教員生活に陰を落とすことになる。                     *     ところで、大介はこの頃から通信制の神学校へ通い始めていた。教師を辞めても牧師として生きて行きたいと思っていた。それほどまでにキリスト教に入れ込んでいたわけではない。また、格別信仰心が厚かったわけでもない。ただ漠然と宣教がしたかったのだ。それから、いつ教師をやめてもよいように備えをしておきたかったのである。  大介が神学校へ出したレポートはほとんどが満点に近い点数で帰ってきた。  しかし、大介はそこまでつまびらかに聖書を読んでいたわけではなかった。これがたまらなく面白かっただけである。それから、昔カルト教団にいた頃は、それに狂っていたことが大介の元気と勇気の源であったので、今度は「キリストキ○ガイ」となって、その頃の元気をとり戻そうとしていたのだ。  最終的には大介は牧師の資格を手にするが、彼は懐疑論者であるし、また、「ご利益」がなければ信じない性質である。結局大介は「キリストキ○ガイ」にはなれなかった。  大介の入っていた宗派はペンテコステ派であり、使徒時代のキリスト教を復活させようとする運動でもあった。だから異言を話したり預言をしたりすること、病の癒しなども日常茶飯事のように起こっていた。ヤクザの改心も珍しいことではなかった。完璧なファンダメンタリズムである。  これが、癒しや預言はないという日本キリスト教団のキリスト教の出身であったクリスチャンの母との間に、また八百万の神を信仰する日本的な伝統に縛られた父とのいさかいの元凶となる。  大介の父は、小学校の校長を定年まで務めあげ、無事円満に退職していた。大介のような駄目教師ではない。しかし、この信仰の問題と、ただ校長であったという一点だけで大介と対立した。  よく実家へ電話して  「校長なんかやる奴にろくな奴はいないわ」と言った。  父は自分のことを言われているとは思わず、  「わしはもう退職したからなあ」と呟く。  その頃、大介の実家には妹が塾の講師をやりながら両親と住んでいた。その妹による父親虐めが始まっていた。  この妹はイギリスへ留学してから実家近くの学習塾で英語を教えていたが、石頭で、しかも尊大に振る舞う父が気にくわなかったようである。         大介の父は小さな町では一応の名士であり、よくそれを鼻にかけていた。退職してからは退職金で実家を改築し、また自伝を出版したりしていた。これが大介や妹には気に入らなかったのだ。  その頃の大介と実家との電話のやり取りは、とてもではないがクリスチャンの息子のものではなかった。  母親に向かって「何でわしを産んだんや?」   父親に向かって「わしとタイマンはるか?このくそジジイが」 などと言った暴言を次々と吐いていた。大介にとって「汝の父母を敬え」などと言う聖書の言葉は天国のように遠い話であり、全く耳に入らなかった。  ある日、大介が電話で彼の父に「八百万の神ゆうて弱いのう。八百万人も神さんがいて、たった一人しか神さんのいないアメリカと戦争やって負けるのか?」 などと暴言の限りを吐いた後、電車で実家に帰ると、早速彼の妹が父を虐めていた。  「お前らとは文化が違うんじゃ。わかるか?文化や」  そして、ある日、父が自殺すると言い出して大介を困惑させたこともあった。  そんな折、大介の母に膵臓癌が発見された。  大介も妹も母に対する攻撃は止め、父にだけ攻撃の矛先が向かった。  その父が数年後には洗礼を受けるとは当時は大介には全く思い至らなかった。                      (七)文部科学省通達     さて、話を学校に戻そう。  その頃、全国的に学校のことがニュースになっていた。  というのは、かなりの学校で世界史の授業と偽って実は日本史をやっていたという事件がマスコミに取り上げられ、問題となったのだ。  世界史は必修科目である。しかし、大学受験に世界史の必要のない生徒にとっては、それは無用の長物である。そこで、多くの進学校では世界史と偽って日本史の授業を行っていたのである。  事態を重く見た文部科学省は全国の学校に是正措置を求めた。そこで、学校側は夏休みの補習などで改めて世界史をやることで事態を回避しようとした。  実は、このすり替え授業をこの学校でもやっていたのである。すなわち、世界史という名の日本史をやっていたのだ。  社会科はハチの巣をつついたように大騒ぎになった。  「どうしよう困ったわねえ」とババア。  「いっそのこと管理職に正直に言ったら?」とタヌキ。  「(アホか。こんなこと管理職に言ったら、即「止めろ」といわれるわ)」と大介は思った。  誰からも妙案は出なかった。  「今までこれでやってきたのに弱ったなあ」と胡瓜。  「(こんなことやっていて今更何を言っているのか?馬鹿どもが)」  「そうだ!一学期の中間までは世界史をやろう」  「そうそう、それでええわ」  結局、1学期の中間までは世界史をやって、その後日本史に切り替えるということで決着した。明らかに文科省の通達に違反している。  そして、あろうことか、大介が世界史という名の日本史を翌年に持たされることになったのだ。  そして、このことがタヌキとの間にも溝を作る結果となるが、それは後述しよう。    さて、大変な暴力教師と思われてしまった大介は仕方なく胡瓜の言うことを一部飲んだ形で史料を多く使った学年末考査を作った。案の定、追認考査を受けざるを得ない生徒が数名出てきた。  ここで胡瓜と初めて共通問題を作ることになるのだが、胡瓜は反撃に出た。  大介の制作した問題に難癖をつけてきたのだ。  「応仁の乱で都が荒廃したというのはおかしいなあ。むしろ応仁の乱で京都は経済都市となったという方が正しいですねえ」  大介はテストを大幅に作成し直した。  勿論、応仁の乱によって京都は経済都市となるが、その前に都は完全に破壊されたことが教科書にも載っているのだが---。  この胡瓜は知性があるようなので、その後も社会科では重宝されたようである。  しかし、大介はその後、こいつが生徒と話していることを小耳にはさみ、その知識がかなりいい加減なものであることが判明する。  何と胡瓜は生徒を捕まえて「ヤーウェのアラビア語はアラー」などと言った嘘を教えていたのだ。  「汝の神の名をみだりに唱えるべからずであって、当時のユダヤ人が神を何と呼んでいたのかはわかっていない。教科書にはヤーウェと書いてあるが、厳密に言うと間違いなのだ。ヤーウェなどと言う神は存在しない。  モーセが神の名を聞いた時、神は『私はある』と言った。英語では『I am what I am』である。これをヘブライ語で表わすと『YHWH』なのだ。それをアメリカ人がいつしか『ヤーウェ』と誤訳してしまったのだ。  ヘブライ語で『神』を表わす普通名詞は『エロイ』であって、その複数形が『エロヒム』である。そして、アラビア語の『アラー』(神と言う意味。従って『アラーの神』と言う言い方は間違いである。)は、この『エロイ』から来ているのだ」  「こいつは宗教音痴だな。」------そう思い、なぜか大介が最初に「友達」と認識した初任校での女生徒のことが頭に浮かんだ。彼女はインド哲学や宗教にかなり造詣が深かった。この生徒は先述したように大介の病気の原因の一つを作ってくれた生徒である。                      *    さて、タヌキも大介の授業に難癖をつけに来た。  大介が意図的に太平洋戦争のことを飛ばしたと言って来たのだ。実際には大介は太平洋戦争はあまり受験にでないので軽く流しただけであった。飛ばしたわけではない。タヌキは「なんで太平洋戦争を飛ばしたんや?」と言った後、色々と難癖をつけてきた。  「経済安定十原則はやったか?」  「こんなことしてもらったら困るねん。前の中田先生(胡瓜)とのこともこれが原因やろう?」と言って、なぜか落ち着きなく腰を揺らせていた。  大介は謝るしかなかった。  そう。土下座である。嘘泣きをしながら職員室の床に頭をこすりつけ、「申し訳ございません」と、見事に土下座を決めた。  しかし、タヌキは「たかが参考書見て飛ばすようなことされたらほんまに困るねん」  と言って許さなかった。  「しかし、文科省の通告に違反してやっている『世界史(という名の日本史)』で何故文句をいわれなくてはいけないのか?全くの不条理だ」と大介は思った。  不条理と言えばこの学校全てが不条理である。胡瓜との喧嘩の後も、なぜか胡瓜は呼ばれず、大介だけが校長に呼ばれて注意を受けた。精神障害者に対する偏見もここまで来ると、もう闘うしかないと大介は思った。  そんな中でも生徒だけは大介の味方であった。  生徒を味方につける方法は簡単である。「保健室」へ行くのだ。そうして養護教諭と仲良くなる。すると「○○がリストカットした」 とか「○○がオーバードーズした」とか「○○がバファリンを百錠飲んだ」とか言った情報が次々と入ってくるのだ。その中には「○○先生の授業がわかりにくい」とか「○○先生はセクハラをする」とか言った内容まで含まれていた。  大介は生徒から言われた。  「先生タヌキに文句言われたの?」  同情してくれたのであった。        そんな中で次の事件が起こった。   (八)盗聴事件        三月の某日、高校入試の日がやってきた。あの嫌な社会科の連中と顔を突き合わせると思うとうんざりだった。大介はもうこの学校とこの世に辟易としていた。そこで、何か逃れる方法はないものかと考えた。  「そうだ!パソコンがある!」  奇妙なことを思いついたものである。------というのは、大介の持っていたパソコンには録音機能がついていた。勿論、大介はそんなものを何かに使ったことなど一度もない。パソコンは試験作成用のワープロ機能と他、インターネット(これについては後述する)位しか使用しない。敢えて言えば点数をつける際の表計算ソフト位なものか。その程度であった。  しかし、その日、大介は録音機能を試したくなった。常日頃からこの職員室の異様に自我が肥大化した教師連中がどんな悪口を言っているのか聞きたかったのだ。  そこで、大介は録音機能をオンにしたまま二分間ばかり職員室を離れた。そして戻って来るや再生ボタンをクリックする。けたたましい音で職員室の騒音が再生され始めた。  大介は慌てて再生を止めたが、時既に遅しである。  「私の声が聴こえるわ。何?」  女性教師の悲鳴に似た叫び声。声の主が大介のパソコンだと分かると、その女性教師はそそくさと近づいてきて、  「ドド山先生、気持ち悪いから止めてもらえませんか?」と言った。  そこへ今度は教頭が近づいて来る。  「大村さん何してたん?」  すかさず「盗聴」と答える。  「盗聴」そんなことをする意図はなかったが、思い出せば昔初任校で大介は本当に盗聴器をしかけたことがあった。カルト教団に入っていてウルトラ右翼であった大介は数人の反組合派の教師と一緒になって、組合の会合の開かれていた地学室の机の下に盗聴器をしかけたのだ。勿論、組合派の教師はそんなこと誰も知らない。後で盗聴器は外しに行ったが、何の問題にもならなかった。当時の大介はまだ病気になっておらず、「人の三倍働く」教師であったのだ。  さて、大介はすかさず校長室に呼ばれた。  差別者の校長は言う。  「こんなことが広がれば一気に不信感が蔓延するのでなあ」  「さあ、こうなれば土下座しかない。これを見事に決めないと完全に大介は学校から締め出される。土下座教師の本領を今こそ発揮しなくてはならない」  そもそも土下座とは弥生時代から存在した庶民のための芸術である。大介はそのプロなのだ。車を少しこすっただけでハイ土下座。何か文句を言われたらハイ土下座。これがどこの学校へ行っても大介が続けてきた技、いや、芸術なのである。思い立ったがさあ土下座。勿論、大介は企業のクレーム処理係でも何でもない。教師である。駄目教師である。土下座以外に何の取り柄があろうか?しかも時は切迫している。  「今だ!」  「申し訳ございません」  大介は校長と教頭の前で見事に土下座を決めた。  しかし校長は許さなかった。あと少しで目出度く定年退職なのである。この問題教師を何とかしなくてはならない。  そう思ったのか、  「コンピュータ持ってこい」  仕方なく運んでくる大介。  「再生せえ」  このおっさんはコンピュータの録音機能について無知なようである。一旦再生したら二度と再生できないのだ。  「もう消えています」と大介がもう一度土下座をすると、校長は「あんた、もう帰れ」だった。  即、大介は教頭に付き添われて主治医の診察を受けに行った。  道中、人の良い教頭が「あほなことして」と言ったことのみが耳に残った。 (まだまだこれから面白くなってくるよ) 
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