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陽が沈もうとする中で、縄文猫は「この水こそが薬水」だと言った。
だが前田は絶望した。
病を発症している佐伯はより強くそう思っただろう。
――池はどこにある?
水気なら確かにある。
イネ科の草が生い茂った湿地なら。
遠く、カラスがなく。
それはまるで、希望などどこにもないと告げているようだった。
「普通に生きたいって、そんなにゼイタクな望みなのか?」
引き絞るような声がした。
前田が見下ろすと、佐伯が膝をついていた。
小さいとはいえ、山の中にある社のそばまで登ってきたのだ。
体を起こしているのもつらいのだろう。
浅い呼吸を繰り返している。
「佐伯」
車に戻ろう、と前田が口を開きかけた時だった。
「僕は――!!」
佐伯がこんな風に感情をあらわにしたことはなかった。
病を発症した時も、まるでたにんごとのように振る舞っていた。
そばにいた前田の方が不安でいっぱいだったのに。
「やっと気がついたんだ。やりたくもない仕事を請け負っても毎月苦しくて。誰かに搾取されたまま、死ぬのは嫌だ。僕は、僕の人生を生きたい」
連続して言葉を発したせいで、佐伯はせき込む。
「もう、いい。車に戻ろう」
前田は佐伯の体を支えようと手を伸ばした。
佐伯は、静かに笑った。
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