1.浮かれる甲賀者

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 副島のノックは三遊間寄りへ放たれた。決して難しい打球ではない。桐葉ならば、さらりと逆シングルで捕球して簡単にアウトにできる打球だ。  だが、桐葉の一歩目が遅い。  打球へ少し遅く入り、飛び込むようにゴロを捌いた。送球前、ちらりとTVカメラを見たのを副島は見逃さなかった。  桐葉の送球は、蛇沼に続いて道河原(どうがわら)の手元に沈む難しいバウンドとなり、道河原は送球をミットで弾いてしまった。  いつもなら「しっかり投げてこんかい、おらぁ」と叫ぶ道河原が、気持ち悪いくらいの笑顔で桐葉へ「どんまい」と声をかけている。  ……こいつら、ほんま完全に舞い上がってやがる……。  怒鳴り散らしたい思いをぐうぅっと堪え、副島はまたバットを担いだ。 「……次、セカンッ! 月掛、ちゃんと捕れよ。マジで!」  月掛の真正面へ高いゴロが打たれた。セカンドであれば、素早く捌いて欲しい打球。 「あいよっ。朝飯前だぜ!」  月掛は難なくゴロを捕球した。副島は、ほっと息を吐いた。が、それも束の間。月掛も、ほんの僅かしか副島の胸を撫で下ろしてくれなかった。  月掛は捕球後、わざわざくるりと宙返りしながら道河原へ送球したのだ。ギャラリーと化した周りを囲む生徒たちから歓声が上がる。送球は無事に道河原のミットへ収まったが、もう副島の腹の虫は収まらなかった。  カランッ  渇いた土に金属バットが落ちた。ボールを渡そうとしていたマネージャーの伊香保が察して動きを止める。  周りの生徒たちがざわつき始める。TVクルーも一旦カメラを止めた。  副島は立ち尽くしていた。  ほんの三ヶ月前、甲子園には行けないだろうと半ば諦めかけていた。少し卑怯な手も使ってしまったが故、こうして部員になってくれた皆には感謝してもしきれない。それどころか、こいつら忍者のお陰で甲子園出場までもぎ取った。夢の舞台に立てるなんて、奇跡の中の奇跡だった。いつの間にか、俺は感謝を越えて遠慮していたのかもしれない。  こいつら甲賀忍者たちは、過去のことを一切語らない。それだけに分かる。幼い頃からずっとずっと我慢し続けていたのだろう、と。  今、こうして光の中で輝けることの喜びを、こいつらは人生で初めて知ったのだ。幼児が新幹線を見て喜ぶように、動物園で象を見て目を輝かせるように、こいつらは今、普通の人間が歩む人生を急速に取り戻している。それを俺はいつの間にか温かく見守ることにしていた。  副島は胸に下げた御守りを握りしめた。小さく首を振った。  いや、幼児が新幹線を見て興奮し、線路へ駆け寄ろうとしたら、どうだ? 象に触ろうと柵を登ろうとしたら、どうだ? 親は必ず止める。行き過ぎは怒ってあげないといけないはずだ。それができるのは、このチームで俺だけだ。  なにより、この甲子園という舞台のために必死に白球を追いかけてきた球児たちが見たらどう思う? 俺らはそれら全ての夢追い人の代表じゃないのか。  思い出せ、滋賀学院の咆哮を。遠江の涙を。  思い出せ、兄ちゃんが駆け抜けた夢の舞台を。  副島はゆっくりとTVクルーの方へ歩み寄った。 「……すんません。カメラ……止めてもろうて良いですか? ほんと、すみません」
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