エマの罪

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「エマー! こっちの子にご飯あげてちょうだい!」 「まだこっちの子が食べ終わってないから、ちょっと待って!」 「モタモタしないでよ! みんなお腹空かせてるんだから、要領良くこなしていかないとダメじゃない!」 年上のステファニーは、いつも金切り声をあげている。 「私の若い頃はもっと大変だったのよ! この巣だって昔は何度崩れかけたか事か。 私達が一生懸命に土を固めて、あんた達を守ってきたのよ。 いい? 早め早めに壁を修繕していかないとダメだからね!」 これが口癖。 私がここまで成長出来たのは、ステファニーのような年上のお姉さん達が育ててくれたから。 それは確かだ。 ステファニーは、いつも私の身近にいて、私の行動に目を光らせている。 小さい頃からそうだった。 どんなに厳しい事を言われても、年上の姉さん達には逆らえない。 姉さん達にいろいろ教えてもらわなければ、妹達を守っていけないからだ。 次の世代を育てる事がこの国の繁栄に繋がると信じて、女王様は卵を産み続けているし、私達も支え続けている。 確立したルールの元で、みんなで協力しながら生きているのだ。 「ごちそうさまでした!」 小さな妹が元気な声で言った。 子供達全員にご飯を食べさせ終える頃には、いつもヘトヘトになる。 ベタベタになった口や手が気持ち悪い。 ため息をつきながら、その場を離れようとした時、キャシーとハンナの話し声が聞こえた。 「来月、ハンナともお別れなんだよねー。 本当にすごいよ! ハンナは女王様になるんだもん」 「そうね、ここでの生活は快適そのものだから、まだ離れたくない気持ちもあるんだけど。 産まれた時からみんなが大事にしてくれたおかげで、体調も万全よ。 いずれはたくさんの卵を産んで、大きな巣を作ってみせるわ」 キラキラした目でハンナが得意げに語る。 キャシーが羨ましそうにため息をつきながら言った。 「結婚飛行は、みんなの憧れよ」 「そうね。 ここを巣立つ日が楽しみで仕方ないの」 背中に羽の生えたハンナが、嬉しそうに笑っている。 選ばれし者だけに生えてくる羽。 ハンナは新女王に選ばれた、幸運な子。 この狭い穴ぐらから飛び立っていけるなんて、ハンナはなんて幸せ者なの。 私は死ぬまで、この巣で働いて死んでいくだけなのに。 ここにはたくさんのアリがいるけど、ほとんどが雌の働きアリ。 私達みたいな雌の働きアリは、生涯、交尾も産卵もする事はない。 ただ食事を探し、運び、敵からこの巣を守る。 それだけだ。 反対に女王様は産卵以外、基本何もしない。 そんな女王様が交尾をするのは人生で1度、結婚飛行の時のみ。 交尾に成功した女王様は羽を落として、新しい土地で自分の巣を作り、どんどん子供を産んでいく。 ちなみに交尾が終わると、雄はすぐに死んでしまう。 女王様から産まれる子供は必ず雌となり、動けるようになるとすぐに女王様の子育てを手伝うようになる。 なぜ、雌しか産まないのか。 おそらく、雌は雄に比べ体も大きく、力もあるからだろう。 女王様は結婚飛行で得た精子を体の中に蓄えておいて、それをその都度使いながら、一生、卵を産み続けていく。 しかし稀に、女王様がその精子を使わずに単独で卵を産む事もある。 その卵だけは雄となる。 雄のアリを産む理由。 それは、別の巣の女王様と交尾をさせ、それにより自分の遺伝子を残すためだ。 ハンナは私と同じ時期に産まれたのに、私とは全く違う壮大な運命を背負っている。 これから先も、みんなから女王として守られていくのだろう。 「エマ!! 何をボサっとしてるんだい。 早く、子供達の体を綺麗にしてきな!」 ステファニーに怒鳴られ、私は急いで仕事に戻った。 最近、ステファニーは以前にも増してイライラしていた。 女王様が雄の卵を産む時期が近づいているため、ステファニーまで敏感になっているのだ。 私の頭の中はと言えば、ハンナに対する嫉妬でいっぱいになっていた。 「どうして、ハンナだけが幸せになるの? どうして、私は産まれて死ぬまで働くだけなの? どうして、私は子供を産めないの? どうして、同じ雌なのに……」 そう考えた時、私はハッとした。 私は子供を産めない訳じゃない。 女王様は、雄ならば精子を使わずに産む事が出来る。 だったら私だって、交尾をしなくても雄を産めるはず。 女王様から禁止されてるから今まで意識しないようにしてたけど、強く念じれば私だって子供を産めるかも知れない。 そう気付いた私は、禁断の道へと進み出したのだった。 女王様以外の雌が卵を産むなんて言語道断であり、誰にも相談も出来ない。 私は1人で考えあぐねた結果、みんなが寝てる間に秘密の部屋を作る事にした。 一番奥の狭い部屋の隅に、細い抜け穴を掘っていった。 数日かけて小さな小部屋を作り上げた私は、そこで卵を産んだのだった。 ツヤツヤと輝く卵。 なんて愛おしい存在なのだろうか。 うっとりと卵を見つめていたその時だった。 「エマ! あんた、大変な事をやってしまったようだね。 こんな事をして許されると思ってるのかい!」 振り返ると、そこには青ざめた表情のステファニーがいた。 女王様以外の雌が産卵すると、巣のアリ全員から容赦ない攻撃を受けると聞いた事がある。 私は卵を抱き抱え言った。 「分かってる。 分かってるよ、ステファニー。 でも、こんな人生で終わるのが嫌だったのよ! 私とハンナ、一体何が違ったの? どうして、ハンナは産めて私はダメなの? 私だって子供を残したいよ!」 溢れ出した感情は止まらず、涙がポロポロと流れていく。 それを無言で見ていたステファニーが近づいてきた。 殺られる! そう思った瞬間、ステファニーは私の頭を撫でた。 「苦しかったんだね。 こんな事までしでかして」 優しいステファニーの言葉が胸に刺さる。 「ステファニー……姉さん!」 私はステファニーに抱きついた。 「全く困った子だよ。 小さい頃からやんちゃで、いつもヒヤヒヤしてたけど、卵まで産んでしまうなんて」 「私、どうしたらいいの? 悪い事したって分かってるの。 でも、でも!」 「いいかい。 この事がみんなにバレたら、あんたは半殺しにされて、卵はバラバラにされて食べられてしまうだろう。 掟破りは絶対に許されないんだ。 ……私に任せな。 あんたは可愛い妹だからね。 その代わり、この卵とは今日でお別れだよ」 ステファニーは、卵を私から取り上げようとした。 まさか、ステファニーはこの卵をコッソリどこかに捨てる気では? 絶対に渡さない!! 卵の奪いあいになった。 「嫌よ! 見殺しになんてさせない! そこら辺に捨てられたら、この子は生きていけない!」 私は半狂乱になりながら叫んだ。 ステファニーが怒鳴る。 「そんな事するくらいなら、ここで私が引きちぎって食べてるよ!! エマ、聞きなさい。 あんたは……あんたは、もしかしたら女王様に選ばれていたかも知れないんだよ。 ハンナとエマ、2つの卵は隣同士だった。 どちらの卵も、遜色ないくらい立派な卵だったよ。 悩んだ女王様は、結局、左の卵を選んだ。 右の卵を選んでいたら、エマ、あんたが新女王だったんだ。 あと一歩で女王に選ばれていたかも知れないのに。 本当に、可哀想な子だよ」 女王に選ばれなかった働きアリ。 それが私なのね。 全身の力が抜けた。 「エマ、ここはすぐに見つかる。 もう時間がないよ。 女王様はさっき雄の卵を数個産んだ。 私は専属のベビーシッターだから、女王様の卵の中にこの子を混ぜて、育ててあげる。 きっと上手くいくさ。 エマの子供はいずれ大空に羽ばたいていける。 あんたの夢も一緒に背負って……ね」 ステファニーの目は本気だった。 私のために危険を犯そうとしてくれていた。 そうだわ。 幼い頃から、ステファニーはいつも私の近くにいて守ってくれた。 女王になれなかった働きアリの私を、全力で守ってくれていたんだ。 私は卵にキスをして、ステファニーに渡した。 ステファニーは様子をうかがいながら、卵を運んでいった。 私はせっかく掘った通路を必死に塞ぎ、何事もなかったような顔をして、いつもの日常に戻ったのだった。 次の月になった。 新女王が飛び立つ日も決まり、それに向けての準備でステファニー達は慌ただしく動き回っている。 あの子が無事に育っている事は、ステファニーが時々、小声で教えてくれていた。 失敗せずに飛び立てるだろうか。 その日の事を考えると、いても立ってもいられない気持ちになった。 女王様もきっと私と同じ気持ちだろうし、ハンナも不安で一杯だろう。 どんな立場であっても、それぞれの苦悩はある。 女王様もハンナも私も同じ。 自分に与えられた運命を受け入れ、前に前に進むだけだ。 そこには、上も下もない。 みんなで支え合ってるから、この王国は成り立っている。 私は女王にはなれなかったけど、働きアリとして、ある意味自由に生きている。 こんな人生も悪くないかも。 鼻歌交じりに子供達に食事を与えていると、何だかそんな気持ちになった。 少し成長した妹が、お手伝いを始めたけど、まだ慣れないためか要領が悪い。 「ほらほら。 そんなやり方してたら、こぼれる方が多くなっちゃう。 よーく見てごらん。 こうするのよ」 私がステファニーを煩わしく感じていたように、この子達も私の事をそんな風に見ているのだろうか。 それでもいい。 私の知識の全てを、私が生きている間に、この子達に伝えたい。 それが私の使命であり、産まれてきた意味。 そして数日後、ハンナの結婚飛行の日がやってきた。 あの子を一目でも見に行きたかったが、たくさんの卵が孵化していたため、それどころではなかった。 どうか無事に。 そう心の中で祈っていた時、ステファニーが走って来て私に言った。 「早く行っておいで!! ここは任せて! 早く行かないと飛び立ってしまうよ! 一番羽の長いのが、あの子だよ!」 ステファニーに背中を押され、私は巣の出口へと急いだ。 はぁはぁ。 荒くなった呼吸を整えながら、穴の外を見ると、ハンナと数匹の雄が飛び立つ所だった。 しかし、みんな、なかなか飛び立てないでいた。 その時、一番羽の長い雄が優雅に飛び立ったのだった。 それを見た他のアリも一斉に飛び立つ。 青々とした緑の草の上を飛んでいくあの子の横で、羽の生えた私も一緒に飛んでいるような気がした。 私は間違った事をしてしまった、働きアリ。 神様、どうか私の過ちを許してください。 私はもう二度と迷いません。 私は目をつぶって深呼吸をした。 目を開けると、目の前を小さな芋虫が通り過ぎようとしていた。 噛み付くと、甘い味がした。 「いいお土産ができたわ」 私はそれをくわえると、かけ足で妹達の所に戻ったのだった。
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