3.初動

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3.初動

   ショッピングモールが近づいてきたことを知らせる案内板が見えた。夏帆がルーフから赤色灯を下ろす。その五分後、覆面パトカーは静かに立体駐車場に滑り込んでいった。  葛木は、車に積んであった直系無線――七係の捜査員直通の無線をズボンのポケットに突っ込み、伸びたイヤホンマイクを左耳に突っ込んだ。 《被害者対策、正木です》  正木芽衣からの一報が入ってきた。黒髪ロングに眼鏡という外見で、いつもニコニコと笑顔を絶やさない癒し系。しかしその大人しそうな外見からはなかなか想像しがたいが、鋭い観察眼の持ち主であり、暴走しがちな夏帆の軌道修正役的な存在でもある。 《被害者の自宅電話、逆探準備完了です。待機継続中です》  年齢や階級に関わらず敬語NGというのが七係のルールだが、芽衣だけは《自分がそうしたい》という理由で許容されている。夏帆はワンマンなリーダーだが、自分で選択し決断することについてはかなり尊重してくれる。《社会のルールだから》といったような、根拠のない何となくの風習に流されているのが嫌なのだ。 「OK、芽衣ちゃん。こっちは現着したわ。被害者の両親、どんな様子?」 《えっと――冤罪なのに死刑執行を言い渡されたって感じですね》  押し殺して言った芽衣の言葉に、葛木の心の中にひとつ、小さな火が灯った。心に灯った正義の灯は、大きな炎へと燃え上がる。絶対にホシを赦さない。 「了解」  夏帆が言い、車を降りると、従業員入り口から中に入った。あとに葛木が続く。その入ったところが警備室になっており、従業員や関係者はここでチェックを受けるようだった。 「やあ、待ってたよ」  和泉秀が執事のような一礼を寄越した。捜査一課ナンバーワンのイケメンを自称するだけあって優雅な所作だった。恋多き――というか、一目惚れが多く玉砕数も相当なのだが、それでもめげないポジティブな精神力の持ち主。一見すると不真面目な男だが、しかし刑事としての能力はもちろん優秀だ。  保身、と顔面に大きく書かれているような表情の警備主任が駆けてきた。 「警備主任の山本です。いったい、何が――」と言ったそれを、夏帆は警察手帳の一振りで退かせ、「防犯カメラ!」と和泉をせっついた。和泉は「こっちだよ」ときびすを返して、警備室の奥の部屋へと進む。 「片山さんは?」  葛木はその背中に尋ねた。 「ああ、聞き込みを仕切ってもらってるよ。光が丘管内にいた自ら隊も、警戒検索に出てきているしね」  いつも無口な片山が、大勢の捜査員に指示を飛ばしている姿は何となく想像しがたかった。 「で、これこれ。この映像なんだけど――」  和泉が滑らかな手つきでリモコンを操作すると、中央のディスプレイに、一時間前の映像が再生された。 「場所は?」 「一階、屋外駐車場からの出入り口。あっ、ここ、ここ!」  和泉が映像の中の男の子を指さす。「これが宮沢大輝だね。それからこれ、あとからカートを押して近づいてきた女が、母親の宮沢知美」  その大輝はカートを叩いたりして駄々をこねていて、それを母知美がなだめている、という構図だった。やがて大輝は俯いて、知美は一呼吸置いたあと、きびすを返した。 「このあとなんだけどね」和泉は言う。画面の中の大輝は動かない。母親について行かなかったのだ。「ここではぐれた?」葛木が発した言葉を、夏帆が「待って」と遮った。  動かない大輝に、女が近づく。頭にはえんじ色のバンダナ、同色のエプロン。 「従業員のユニフォームだね」葛木が言い、和泉が頷く。  女はしゃがみこみ、一言二言大輝に話しかけたると、すっくと立ち上がって手を差し出す。大輝はその手をとって、二人は歩き出す。女は足早に、大輝は軽やかに。 「こいつがホシね」  画面の外に消えていく二人を見て夏帆は言った。一見すると、従業員が迷子を保護したようにしか見えないが、しかし現に大輝蓮タガを消しているのだ。和泉が映像を巻き戻し、再度映像を再生させる。俯いたまま動かない大輝に近づき、しゃがみこんだ従業員の女。一言二言話しかけ、頭を静かに撫でたあと、立ち上がって手を引いて、駐車場のほうへ消えていった。 「この子はどうして動かないの?」  夏帆は腕を組み、和泉に尋ねる。 「それならさっき、芽衣ちゃんから連絡があったよ。母親の話によると、東京マジカルランドのポスターの前で、友だちが行ったから自分も行きたいと駄々をこねていたらしいね」 「そんなの、連れて行ってあげればいいのに」 「受験を控えているからダメだって、母親が拒んだらしいよ 「受験? 小学校受験の勉強ね。子どもの間にしか、思う存分あそべないのにね」  なるほど、この子はだから、この場から動かずにいたのか。そこを、女が連れ去った? しかし、ここで大輝が独りになるかどうかは解らなかったはずだ。迷子を保護した従業員という構図に不自然な点は見当たらず、仮にあるとすれば、駐車場のほうに連れて行ったくらいか。 「もしこの女がホシだったとして、こんなにはっきり防犯カメラに映っているのは無警戒すぎるよね。ってことは、計画的な犯行じゃないってことか」  葛木の言葉を、夏帆は「そんなの関係ないわ」と鼻で笑って一蹴する。 「計画的な犯行だったとして、それが何? ホシがいて、子どもはその人質になっている。考えるべきは救出が最優先よ」  多くの犯罪現場は、事件発生から絶対に動かない。七係が普段扱うような殺人事件の捜査然り、犯罪捜査の基本は過去へと遡ることだ。しかし誘拐事件だけは、根本的に性質が異なる。人質は現在進行形で生命の危機にさらされている。常に先を読んで行動する、誘拐事件の捜査に求められるのは、持久力より瞬発力と即決力だ。 「和泉、この女性が誰か洗い出して」 「レディーのことならお任せ」 「それと、駐車場の防犯カメラはないの?」 「ごめんね夏帆たん、そっちのチェックはまだ――」 「それはあたしがやるわ。さっさと行って!」  夏帆は鋭く言い放ち、葛木の方へ振り返る。「ここから一時間あったら、どこまで行ける?」 「三連休の初日だし――」葛木は脳内に地図を広げる。地理は得意だ。 「混雑しているから、行けても二十三区内だとは思う。でも、ここから北はすぐに埼玉との県境だから、そっちを越えられると厄介だな」 「そっちは問題ないわ。ちゃんと埼玉県警に検問を要請してあるから」  夏帆はニヤリと笑い、手の中で震え出した携帯電話を耳に当てた。  なるほど、何よりもまずはホシを東京都内、つまりは警視庁管内から出さないという選択肢を取ったか。よそに手柄は渡さない。臨場したヤマのホシは必ず取る。夏帆の強い信念は、いつもブレない。そこが七係の精神的な支柱なのだった。
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