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5.家宅捜索
片山仁志は駐車場で一人、自分が乗ってきたレガシィのボンネットに腰かけ、煙草をくゆらせていた。齢は四十前後らしいが、猫背で老け顔なので、五十代半ばくらいと言われても違和感ない。夏帆も相当な独断専行タイプだが、この片山も単独行動の常習犯で、協調性のなく掴みどころのない人物だった。
「お待たせしました」
葛木は頭を下げる。敬語禁止ルールはあるが、年長者の片山と鴨林に対しては、敬語で話すと決めていた。この二人と話すときは、何となく敬語の方がしっくりくる。
片山は煙草をマイ携帯灰皿に押し付け、無言で助手席に乗り込む。葛木はそれを見て、運転席に回り込み、速やかに車を発進させた。夏帆や和泉が多弁でうるさい分、片山のように極端に無口になると、なんだか調子が狂う。
「大島幸恵の評判は?」
片山が突然尋ねる。「悪くないみたいです」葛木は応えた。
「和泉が調べたところによると、働いているのは三ヶ月と十二日前から。そのとき、募集はしていなかったらしいんですが、人事課長に直接、紹介があって雇用したそうです」
「紹介者は?」
「人事課長が不在だったらしくて。今、所轄の捜査員が話を聞きに行っています。聞き込みの方、どうでした?」
「成果なし」
片山は一言で答える。そりゃそうだ、三連休の初日、不特定多数の人間の出入りがある場所で、目撃者を探すのは至難の業だ。
十分ほどで対象の自宅に着いた。
「こちら葛木。対象の自宅に現着」
直系無線に告げて、葛木は車から降りる。先に降りていた片山が、「二階の角部屋」と指差したその部屋に明かりはない。葛木は頷き、先に二階への螺旋階段を駆け上がった。北向きの薄暗い廊下を奥まで突き進み、大島幸恵という名札を確認して、そのドアにそっと耳を当てた。
物音はない。呼び鈴を鳴らす。返答なし。
葛木はそっとドアノブに手を触れた。「あ」と思わず声を漏れ、慌てて自分の口を押さえる。ドアノブが回ったのだ。葛木は上着のポケットから白手袋を取り出してはめ、ドアを開けた。間取りは1Kか。足音を殺して侵入し、部屋の中をのぞく。誰もいない。ユニットバスを覗いた片山も、首を横に振った。
八畳ほどの広さの一室は、嵐が通り過ぎたかのような乱雑さだった。「慌てて逃げたんですかね」葛木が呟き、片山も頷く。何かを探したと言うふうではない。
タンスの引き出しが開けられているのは三箇所、「財布、通帳、印鑑」と片山が仮定する。
「貴重品だけを持ち出して、そのとき慌てていろんなものを蹴飛ばしたり倒したりしたんでしょうね」
葛木は床に倒れているは観葉植物の傍にしゃがみこむ。「やっぱり、夏帆たんの言うとおり、急に思い立って誘拐したってことですかね」
「しかし、突発的に誘拐なんかするか、普通」と片山も当然の疑問を口にする。独創的な七係の中でも、感覚は割と常識的な方なのだ。
「そこなんですよね、カッとなってぶん殴った、とかなら話は簡単なんですけど」
突発的、衝動的に大島幸恵を犯罪へとつき動かしたものはなんだ。
夏帆は、今回の事件に限らず、犯人の動機はほとんど重視していない。悪いことは悪い、だから逮捕する。至極シンプルな思考だが、葛木はそれについては、ちょっと納得できないところがあった。人は誰しも、犯罪に手を染めようと生きてる訳じゃない。絶対に何か理由があり、それを突き止めることがその人間を救うことにつながると信じているからだ。
葛木はふっと、テレビの上に伏せられている写真立てに気づき、手を伸ばす。写真中央に、満開の笑顔で映っている少女。履歴書に貼られている大島幸恵の証明写真と見比べてみる。
よく似ている。おそらく、本人であろうその少女の両隣には、両親らしい中年の男女がかがんでいる。
背後には大きな打ち上げ花火。
写真たてのフレームの裏側には、《十才、とうきょうマジカルランド》と書かれている。
それにしても、なんて清々しい笑顔なのだ。まっすぐな瞳、喜びが全身からあふれ出ている。その隣には、同じように清々しい笑顔の両親。娘の笑顔に幸せを感じる、二人の笑顔。
「マジカルランド」と葛木は、写真から目を逸らさずに言った。
「は?」
「マジカルランドじゃないですかね。宮沢大輝は、ここに行きたがっていた。それを母親が拒んだ。大島幸恵は、泣いている大輝を連れて行きたくなったんじゃないですかね」
自分でも突拍子のない発想だと思う。片山は呆れたふうに、「それが動機だって言うのか」と頭をかいた。
「バカバカしい。見ず知らずの男の子を突発的に誘拐して、遊園地に連れていく? あり得んだろ」
返答を探すが、いい言葉がない。説得力がない。本当に直感的なものだった。
そのとき。ガチャリと玄関のドアが開く音がした。とっさに二人は壁に張り付く。初老で小太り、白髪の男がずかずかと入ってくるなり、二人を見咎めて「何をやってるんだ!」と怒鳴った。
「あなたは?」と葛木が尋ねたが、問答無用といわんばかりにいきなり、男が飛び掛ってくる。
葛木はそれを寸でのところでかわし、警察バッジを取り出そうとするが、男の反応も早かった。すぐに体勢を立て直して右の拳を突き出してくる。葛木は正面からまともに受けて、吹き飛ばされた。
男は身体を翻し、今度は片山と向き合う。間合いを一気に詰め、繰り出された右の拳を、片山は軽く身体を逸らして避け、がら空きだった男のわき腹にボディブローを打ち込んだ。うっと、男が息を詰まらせた音を漏らす。力の抜けた相手の腹に、容赦なく追撃の膝蹴りを見舞い、続けざまに右腕を取って、関節技を極めた。その実践的な素早い動きに、葛木は目を丸くして見ているしかなかった。闘っているところは初めて見たけど、強い!
「お前ら、ここで何してる!」
腕をひねり上げられながらも、男は毒づく。葛木は殴られた頬をさすりながら、反対の手で警察バッジを見せ、「お宅、誰?」と尋ねると、男は「警察!」と驚いたように、怒ったように叫ぶ。
「そうだよ、警察だよ」
「違う、俺も警察だ。光が丘警察、生活安全課! ズボンのポケット見ろ!」
言われたとおり片山がズボンのポケットを探ると、そこから確かに警察バッジが出てきた。渡辺一志巡査部長の名前と顔を確認してから、片山はやっと手を離した。
「お前ら、どこの署だ、ウチの管轄で何やってる!」
渡辺巡査部長は片山の手から警察バッジを取り返し、唾を飛ばして吼えた。「失礼しました」葛木は型通り頭を下げる。
「本部捜査一課の葛木です。こちらは片山巡査部長」
「本部の捜一? もしかして、さっきの配備の件か」
「そうです」
「部署が違うから詳しく聞いてないんだが、どんなヤマなんだ?」
「誘拐です」
「大島幸恵が容疑者か?」
「それはまだ、なんとも」
「しかし、容疑があるからここにいるんだろう?」
「それより、渡辺部長は大島幸恵とどういう関係なんですか?」
葛木が尋ねる。渡辺は頭を掻いて、「あいつ――」と呟いた。
「あいつは俺がパクッた」
「容疑は」
「自分の子どもに対する、保護責任者遺棄致傷。亭主が虐待していたのを放置してた。当時は十九歳。両親が他界して生活に困って、十歳も上のダメ男と結婚。子どもができて、産むの産まないので揉めて、結局産んだものの子どもの世話なんか碌にできず、ダメ男は子どもにも妻にも暴力を振るうっていう、お定まりのパターンだった。で、近所の住人が通報して即逮捕。起訴されたが、彼女自身も亭主からの暴力を受けていたということで、執行猶予がついた」
「夫は?」
「暴行と、ほかの余罪がごろごろ出てきて、結局十二年の実刑。まだムショだ。で、その亭主が残していった借金があって、その取立てが来たと大島幸恵から申告があって、相談に乗ってた。そのサラ金業者、ウチがマークしてる組関係の会社だったから」
渡辺は言い切り、やっと落ち着いたのか、ちょっと穏やかな口調になって尋ねた。「大島幸恵、子どもを誘拐したのか?」
「その可能性が高いと思います。今、情報収集中です。大島幸恵が行きそうな場所、心当たり、ありませんか?」
「ない。両親はもうすでに他界してるからな。その両親が転勤族だったから、友だちも少なかったみたいだ」
「その、彼女の子どもはどうしてるんですか?」
「二人が逮捕されて、施設に預けられたあと、里親に引き取られていった」
「そのこと、大島幸恵は?」
「知ってる。だが、どこの誰にもらわれていったか、どこでどうしているかは知らないはずだ」
「その里親の氏名、住所と連絡先、解ります?」
「ああ。子どものことが心配で、たまに様子を見に行ってたから。ただ、子どもに会って大島幸恵のことを言うのはやめてくれ。物心つく前に引き取られているから、産みの親がいることを知らない。本当に、そこの家の子どもだと思っているからな」
「解ってます。でも、もし大島幸恵がその子のことを知っていたら、逃走中に会いに行く可能性だってあるでしょう」
「だったら、その前に確保しないとな」渡辺は手帳を広げた。
「父親は光が丘で開業医をしている。名前は宮沢浩二。妻知美、専業主婦。子どもの名前は大輝――」
――そんな、まさか。驚きの余り、メモするために広げていた手帳には何も書くことができず、呆然と立ち尽くしていた。そんな馬鹿なことがあるか。大島幸恵が誘拐したのは、自分の生き別れた息子ということか――
「どうかしたのか」
渡辺の一言に葛木は我に返り、「すいませんでした、ありがとうございました!」と頭叫ぶがいなや、大島幸恵のアパートを飛び出した。レガシィに戻り、エンジンをかける。こうなったら間違いない、彼女は東京マジカルランドに向かったのだ。
助手席に戻ってきた片山が、煙草をくわえながら言う。
「流し台に包丁がなかった」
「包丁が?」
「良からぬことに使われなければいいがな」
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