山菜洋菓子店 残像タニシ編

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山菜洋菓子店 残像タニシ編

「ああん、もう帰りたい!」  ヤマネコのジャスミンは悲鳴を上げた。叫んだとたん、横殴りに吹き付ける牡丹雪が、容赦なく牙が目立つ口に飛び込んでくる。  あわててジャスミンは口を閉じ、くるんと手首を曲げて、盛んに顔をこすった。 「いや、タニシ取りにどうしても行くって言ったの、あんただし。付き合わされてるの、あたしだし」  ジャコウネコのぶらんが、ガクガクと体を震わせながら細い目をさらに細くして、先をゆくジャスミンの後頭部に冷たい視線を送る。二人とも、薄手の毛織物で作られたフード付きの短いコートを着て、己の体を抱きながらジャスミンを前にして細い山道を下っている。  赤いビキニスタイルのジャスミンのむちむちした体には、表面積が広いぶん雪が張り付いて全体的に白くなっているし、ぶらんは長い黒髪が強風で逆巻き、着物の袖と袴が風をはらんで、細い体は今にも飛ばされそうだ。  二人はこの先にある、岩壁の間に流れている小川を目指しているのだ。 「うっうっ、だって、だって、ダーリンに腕をふるってほしいから。それに、タニシを採るなら、ぶらんがいなくちゃ……」 「そりゃそうだけど。まあ、もう【じゅうにがつ】だし、あんたのお店が目玉商品を準備したいのは、分かるよ?」  ジャスミンは首を縦に振り続けるためフードが外れて、肩を過ぎるくるくるした赤毛と、ぴんとした三角の猫耳が現れている。 「でもさ、ジャスミン。おまえさん、生理的にだめじゃんよ。去年だって、丸い粒々見ただけで……」 「吐いた!」  やれやれと、ぶらんはすぼめた肩を上下させた。 「ゆうべ頼まれたのよ。今年もタニシケーキが焼けたらいいのに、って。ダーリン、天才パティシエだもの。恋人たちの聖夜のデザートよ。お店に置けば飛ぶように売れるし、こないだからお客さんからすごく聞かれるもの。それにあたしだって、ダーリンと食べたい」  言い終わるか終わらないうちに、きゃっと小さく叫んでジャスミンは両手を頬にあてた。腰から下げたジャスミンの愛機コウライの幅広な鞘が揺れる。  残像タニシを使ったお菓子は、【じゅうにがつ】に食べる特別なデザートの材料だ。恋人と一緒に食べれば、雪をも融かすホットな一夜を過ごせる。  これまでネコ族の支持を得ていたものと言えば、マタタビのジュースかジャムだったが、ジャスミンのダーリンが村のトレンドを一気に塗り替えた。タニシケーキは、ダーリンが新たに編み出した秘蔵のレシピなのだ。 「はん、あんなもの、よく食べる気になる。信じられない」  以前は残像タニシなど、誰も見向きもしない存在だった。しかしタニシの加工に、ぶらんの体質が劇的な変化をもたらすとダーリンが見抜いてから、状況は変わった。加工されたタニシは、媚薬になるのだ。 「そりゃ、ぶらんは興味ないかも知れないけど……」  ぶらんは(おんなのこ)だ。でも異性にも同性にも恋をしない。 「言いたかないけど、あんたの旦那って、いつ大きくなるの?」  えっ、と振り返ったジャスミンの顔は、見る間に赤みを増して頬の雪がとけた。 「いつ、いつってイヤだわ、ぶらん! ちゃんと大きくなるに決まってるじゃない! 確かに、見た目は子どもだけどぉ~」  豊かな胸を揺らし体をくねらせて、ジャスミンは照れた。 「だれが下ネタ言えといったあ!」 「えっ、違うの?」  大きな目をくるんとさせてジャスミンが小首をかしげた。 「違う! あたしが言いたいのは、あんたの旦那が少しも年を取らない、ってこと。うちらの村に来て何年?」 「えーと……五年かな」  ジャスミンは指を折って、揺れる杉木立を見上げた。強風はだいぶ落ち着いてきた。 「そうだね、あたしが帰って来た次の年だったから、もう五年。ぜんっぜん、背丈伸びてないじゃん。いつまでたっても、ジャスミンよりチビ」  ダーリンことジュナは、金の髪に、金の瞳。何の事情か知らないが、ぼろぼろのなりで村に迷い込んでから五年。いっこうに姿が変わらない。 「あたしたちと違ってヒト族は、歳を取るのが遅いんじゃないかな。別に問題ないわよ。ハグするとあたしの胸に顔を埋められる高さだし」  ジャスミンの返答に、ぶらんは眉間に深い皺を寄せ、口を歪めた。ちなみに、ぶらんの胸は大平原だ。  そんなジャスミンのダーリンは次々と新しい菓子を売り出した。わらびのゼリー、こごみの砂糖衣、ぜんまいのカリントウ……レシピを次々に開発し、ジャスミンが親から受け継いだ小さな雑貨店を、わずかの間に菓子店へと生まれ変わらせた。見た目が十三か十四くらいの少年なのに。  「怪しめよ、少しは。街の連中が妙に思って、【かんしいん】でも送り込んで来たらどうするんだ」 「心配性ね、ぶらん。そんないるか居ないかわからないのが、来るわけないわ」  鷹揚に答えるジャスミンに、ぶらんはなおも言い返す。 「面倒ごとは起こさないでくれよな。もしかして【小読(こよ)み】たちと同じで、前の時代の……」  ぶらんの言葉は、突然の衝撃と杉の枝から一気に落ちた雪で遮られた。  落ちて来た雪の塊から抜け出したぶらんが、枯れ葉に埋もれた沢の流れを指さした。  そこには、雪に縁取られた小川の形に添って無数の小さく丸いものが、黒光りして蔓延っていた。 「出たっっ、残像タニシ!」 「ぅおぇーーーーっ」 「あっさり吐くな!!」  ぶらんが振り向くと、ジャスミンが後ろ向きで手をつき、背中を丸めていた。 「立て! 立つんだ、ジャスミン! ジュナがタニシを待っているんだろ?」  ぶらんはジャスミンの腕をとりあげ、背中をさすった。 「うっ、だ、ダーリン……!」  青白い顔のまま、ジャスミンはふらりと立ち上がり口をぬぐった。 「だ、ダーリンのため!」  ジャスミンは腰の鞘からコウライを抜き放った。 「くさっっ!」  ぶらんは叫んで鼻を押さえた。コウライの刀身は菜切り包丁のように幅広で、くりぬかれた刀身中央部に、よくよく乾燥させて磨いた高麗人参が、風車状に何枚もついている。 「やっぱ慣れねえー」  残像タニシは高麗人参の臭いが苦手らしいのだ。ついでにぶらんも。その臭いを避けるため、高速で移動する残像タニシがジャスミンとぶらんに激突することはない。 「だあっ!」  ジャスミンは崖を駆け下り、川原でコウライを思い切り薙いだ。刀身の人参が勢いよく回り、臭いを振りまく。  残像タニシが臭いに耐えかねるように、震えて画像が揺らぐ。 「ジャスミン、目を開けて! 移動するぞ!」  見えているタニシは残像だ。本体は猛スピードで移動している。  タニシは移動しながら、一瞬一瞬止まる。狭い川原に、高い杉の枝に、川の真ん中に。  ジャスミンは盛んにタニシの残像を目で追う。 「にぎぎぎぎっ」  剣を構えたジャスミンの背中の毛が逆立った。しっぽが通常の倍に膨れ上がり、口の端と目尻がつり上がる。ジャスミンは牙をむき出しにして、鼻をさかんにひくつかせた。  タニシは独特の生臭さをわずかに漂わせる。背中合わせになったジャスミンとぶらんは、慎重に匂いを探った。タニシが一斉に動くときに、起こる微かな風を掴まえようと身構える。 「臭い……」  ジャスミンがタニシの動きを察知した。風と匂いを追いかけて、ジャスミンの虹彩が細くなる。  ちっちっちっ。  ジャスミンが舌を鳴らし始めた。完全にタニシを捉えたようだ。舌を鳴らし、切りかかるタイミングを測っているのだ。ぶらんの長いしっぽも小刻みに震える。 「ぶらん!」  ジャスミンが川面に向かって飛び出した。 「はいよ!」  ぶらんが手を広げて腰をわずかに落とす。  じゃりんっ!  ジャスミンが振り抜いた剣の軌道に火花が散った。  空中からバラバラと、つぶてが落ちてくる。 「みぎゃっ!」  ぶらんが目にも止まらぬ早さで、降ってくるタニシを片っ端からキャッチして口に放り込んで噛まずに飲み下す。  ジャスミンが剣を振るたびに、刀身の人参が高速で回転し、強烈な香りを振りまき、高速移動のタニシを切り裂く。  目を見開いたぶらんが口を開けて、タニシを吸い込む。  山の奥、ささやかな流れのほとりに、牡丹雪が降る。川原には、タニシの生臭さと、コウライニンジンの独特な匂いが充満した。  タニシとジャスミンの攻防は、わずかの間だった。 「た、たんま。ジャスミン、たんま!」  ぶらんがぺたりと尻餅をついた。振り返ったジャスミンは、袴の紐を緩めるぶらんが目に入った。 「もうだめ、満杯だよ」  げふんと一つゲップをして、ぶらんがまん丸になった下腹を撫でた。  川原のそこかしこに、ジャスミンが切り落としたタニシの塊があった。  何かに気づいたように、ジャスミンが口許を押さえた。 「うえええっ!」 「やっぱ、吐くのかよ」  ぶらんが溜め息をついた。  帰り道、ジャスミンはブランに肩を貸した。ぶらんのほうが背は高いが、重さはジャスミンが勝る。力のあるジャスミンなら、おぶってもいいくらいだが、そうなるとぶらんの腹が苦しくてだめだった。 「上手にできるといいね」  タニシも手に入り、ようやく帰れるジャスミンは上機嫌だ。一方、喉元までタニシが詰まったように感じられるぶらんは、吐かずにいるのがやっとだ。ここからが、ぶらんの仕事だ。  タニシは、ぶらんの体を通らなければ媚薬にはならない。それはつまり……。生成の過程にはあえて触れずに二人は歩いた。 「ね、【くりすます】が終わったら、忘年会しない?」 「えー、いいよ別に。二人の邪魔したくないし、独り者のあたしに気を遣わなくても」  ジャスミンは大きな目をしばたかせた。 「違うよ、ぶらんがいたほうが楽しいからだよ?」 「……あー……もう」  ぶらんは空いている手で顔を覆った。 「そういうとこ、ほんと敵わないわ」 「え? なに?」  澄みきった金色の目を向けられると、ぶらんはいっそう口をつぐんだ。  二人のフードに雪を積もらせて村の家が見えるころ、小さな人影が暗くなり始めた道の先にあることに気づいた。 「ジャスミン、ぶらん!」 「ダーリン!?」  ジャスミンが声をあげる。軽い足音がしたかと思うと、ジャスミンの体に抱きつくものがあった。 「ダーリン、ダーリン!」  ダーリンこと、ジュナがジャスミンの豊かな胸に顔を埋めていた。 「帰りが遅いから、探しに来たんだ」  ボーイソプラノの爽やかな声、ジュナは胸から顔を離して、ジャスミンを見上げた。 「タニシ、たくさん採れたのよ」  ジャスミンがジュナの額にキスをする。  誰かのお下がりだろうか。大きめのオーバーを着ている。袖丈も裾丈も長目で、あどけなさを強調している。 「あざとい……」  ぶらんは小さく呟いた。ぐるんっとジュナの首が回り、ぶらんの頬のあたりに鳥肌がたった。 「ぶらんもありがとう」 「いえ、タイシタコト、ないですヨ」  ぶらんの言葉づかいが、ぎこちなくなる。 「じゃ、またね」  村の三叉路で、ぶらんは手を繋ぐ二人と別れた。 「やっぱ変だわ、ジュナ。人間の首、あんなふうに回る?」  満杯の腹をさすりながらぶらんは家路についた。 「どっちにしろ、タニシ採りは年に一回が限界だわ」  ぶらんの体を通ったタニシは最高級の食材、というか媚薬に生まれ変わる。たぶん、明朝あたりに。 「忘年会、楽しみにしていよう」  家々に灯る明かりが、一仕事終えたぶらんを優しく包む。  ぶらんはまだ知らない。忘年会で【ばれんたいん】用に、再びタニシ採りを頼まれることを。 おわり
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