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「君の横顔が寂しそうなのは、秋の所為だけじゃなさそうだ。僕が君に出来ることは何かあるかな?」
そう言った左隣のお父様に、お母様は顔を向けて目をまん丸にしていたわ。舞い落ちる一枚の銀杏の葉が、お父様の頭にかさりと乗っかった。それを見てお母様はうふふっと笑って、こう言ったの。
「確かに、私が寂しいのは秋の所為だけでは無いかな。でも、特に理由も無いの」
お母様は紅くなった鼻先を両手の指先で包んで、湖の方へ目線をやり、そしてまたお父様の方へ顔を向けた。
「…そうね、ちょっと考えてみたわ。
私ね、湖が好きなの。波立たずに静かで広い水面を眺めていると心が落ち着くの。
でも…、この湖はなんだか冷たい藍色で、深い底に吸い込まれそうで…。それで寂しい気持ちになったのかも知れないわ」
それを聞いたお父様は、持っていたトラベラーリッドのカップをお母様に差し出した。お母様はそっとカップを受け取った。そして、カップを両手で持つお母様の白くて細い手を、お父様は大きな両掌で包み込んだ…。
眺めていたわたしは思わずドキドキしてしまったわ。
「それなら、何処か遠くへ行こう。ここじゃない何処かへ。君が寂しくならない、心が晴れ渡るような美しい湖を見に行こうか。
2人で…。」
そう言って、お父様はお母様の瞳を真摯に見つめました。お母様は口元をマフラーに深く埋めて、こくりと頷くのです。ふふ。
大学を卒業したあと、お父様の書いた小説が単行本になりました。それが売れたお金で、お父様とお母様は湖を巡る旅に出たのです。
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